『風待ちのひと』 |
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加藤: |
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それではデビュー作からお話を伺ってまいります。 伊吹さんは去年の6月に『風待ちのひと』でデビューなされましたが、作家になる以前はどのようなお仕事をされていたのですか?
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『風待ちのひと』
ポプラ社:刊
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伊吹: |
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「フリーのライターをしていました。 その前は出版社に勤めていて、雑誌と連動したイベントの企画やきものの雑誌の編集をしていました。
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加藤: |
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『風待ちのひと』は、第三回ポプラ社小説大賞特別賞受賞作ですよね。 今更ですが、受賞なさったときのお気持ちは?
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伊吹: |
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ああ、よかった、と思いました。 創作の仕事をしたくて20代の終わりに会社をやめたのに、気がついたら30代後半になっていて、それなのに何のめどもたたずにいる自分にいたたまれない思いをしていたので……。 これでようやくデビューが決まるかもしれないと思って、ほっとしました。
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加藤: |
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この作品を読むと、無性にクラシック音楽が聴きたくなりますね。 伊吹さんはもともとクラシック好きなのでしょうか?
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伊吹: |
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クラシック、ロック、演歌、邦楽、歌謡曲、節操なく音楽は何でも好きです。 なかでもクラシックはプロの凄みというか、幼い頃から一心に音色を磨き続けてきた人たちの演奏が聴けるのでとても好きです。
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加藤: |
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この作品の主人公は休職中のエリート銀行員です。 彼の母親が住んでいた港町にやってくるところから物語は始まります。 この町の風景が本当に美しく描かれていて、この場所に行ってみたいとさえ思いました。
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伊吹: |
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ありがとうございます! この町は三重県の南部、いわゆる紀州と呼ばれる地方の風景を描いています。 最近、熊野古道などで脚光を浴びている地域ですが、海ぞいに山がつらなる変わった地形を持っていて……森が生み出す空気と海風のおかげか、空が澄んで光が明るく、山の緑と海の青がとても綺麗に見える地方です。
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加藤: |
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この町で主人公は喜美子という悲しい過去を抱える女性に出会います。 この二人の素敵な関係を単にラブストーリーと呼んでしまうのはもったいないような感じもします。 著者としてはいかがでしょうか?
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伊吹: |
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男と女という要素もありますが、人と人として惹かれあった二人という気がしています。 喜美子も哲司も、お互い硬直していることがわからないほど心と体が固まった状態で出会って。 それが美鷲という場所で同じものを見て、食べて、聴いて、触れて、心をふるわせて……。 五感の喜びを一つひとつ取り戻していくことで、生きる喜びを取り戻した、そんなふうにも感じています。
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加藤: |
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夏が来る前にぜひ読んでいただきたい1冊です。
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『四十九日のレシピ』 |
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加藤: |
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話題作『四十九日のレシピ』についてもお伺いします。 3/8に読売新聞書評欄に掲載された小泉今日子さんの書評がすばらしかったと記憶しています。 伊吹さんはお読みになっていかがでしたか?
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『四十九日のレシピ』
ポプラ社:刊 |
伊吹: |
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はい。 最初から最後までずっと心に迫ってきて、とても光栄でした。
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加藤: |
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タイトルが印象的ですね。 「レシピ」には「処方箋」という意味もあると初めて知りました。
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伊吹: |
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料理などの作り方以外にも救治策や秘法といった意味合いがあるようです。 この作品は、明日も明後日もあるに違いないと思っていた日々が突然消えてしまったことから始まります。 その空白は埋められるものではなく、それをいやす処方箋はないかもしれません。 でも悲しみのあまり心と体を壊してしまわないように、なんとか食い止めたのが作品内に出てくるレシピのカードだったような気がします。
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加藤: |
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妻を亡くした夫と義母を亡くした娘の再生物語です。 そのレシピのカードとは亡くなった乙美さんという女性が書き残したものですが、この方は実に魅力的ですね。
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伊吹: |
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ありがとうございます。 乙美さんという女性は幼い頃にお母さんを亡くしたので、母親を見て自然に身につくような生活の知恵や作法などを知らずに成長した人です。 自分でもそれがよくわかっていたから、些細なことでも人に聞いたり、ときには恥をかいたりしながら、一つひとつ学んでいったんだと思います。 親になら遠慮なく何度でも同じ事を聞けますが、他人にはそうはいかない。 だから教わったことを忘れないように米粒のような文字でカードに記録していったのが……。
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加藤: |
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レシピのカードの原形ですね。 乙美さんの友人、聡美さんが見たという。
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伊吹: |
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そうなんです。 乙美はリボンハウスという女性達のための施設でボランティアをしていたのですが、そこには家庭の事情でそうした生活の知恵を得ずにきてしまった女の子が多くて。 その姿に乙美さんはかつての自分を見たのかもしれません。 だから夫の良平や百合子のためにも、そして女の子たちにも役立つように、自分の得た知識をイラストなども添えたカラフルなカードに描き残していったのだと思います。 乙美が幸せだったかどうかは良平さんの言うように、本人にしかわかりません。 ですが元は米粒のような文字で埋められていたカードが、良平と百合子という家族を得てから、彩り豊かでユーモラスなカードに描き直されていったことに、その答えのようなものが見いだせる気がします。
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加藤: |
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「テイクオフ・ボード(踏切板)」という言葉が心に強く残っています。 「誰かのテイクオフ・ボードになれたら、忘れられてもいい」というセリフにウルッときてしまいました。
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伊吹: |
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乙美さんの親友でもあり、リボンハウスの元・園長でもある聡美さんの言葉ですね。 踏切板という日本語にはせつないものがありますが、テイクオフ・ボードという語感は相手を前進させることで、自分自身の心も満たされるようなイメージが自分のなかにあります。
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加藤: |
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たしかにテイクオフという響きは、いいですね。 離陸、飛び立つというようなイメージもあって。
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伊吹: |
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そうですね、まさに飛び立つ。 聡美さんにとっては、リボンハウスから『テイクオフ』していった女性たち一人ひとりの幸せが自分という人間が存在する証に感じていたように思います。
ひょっとしたら、百合子の伯母、世話好きな珠子から見たら聡美さんや百合子はあまり幸せには見えないかもしれません。 もちろん珠子の言うように、家という城を持ち、夫と子どもがいる暮らしはとても素敵で幸せな形です。 でもそうではないからといってそれが即、不幸かといえば、そんなことはないように思えます。
既婚、未婚、子どもがいる人、いない人、それぞれに喜びと悲しみ、学びはあり、今、自分がいるところで幸せを感じていれば、形がどうあれそれが幸せ、そんなふうに考えるのが私は好きです。
聡美さんにとっては飛び立った女性達が振り返らずにまっすぐに進んでいくこと、リボンハウスを忘れてしまうほど幸福になってくれることが幸せであり、誇りであったのだと思います。 乙美にとってもそれは同じだったかもしれない。 乙美もまた見事に多くの人達を『テイクオフ』させた人のように思えます。
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