Web版 有鄰

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有鄰
(題字は、武者小路実篤)

有鄰の由来・論語里仁篇の中の「徳不孤、必有隣」から。 「鄰」は「隣」と同字、仲間の意味。

平成17年7月10日  第452号  P1

○座談会 P1   佐藤さとると「コロボックル」たち (1) (2) (3)
佐藤さとる/野上暁/松信裕
○特集 P4   『クライマーズ・ハイ』まで17年  横山秀夫
○人と作品 P5   長辻象平と『元禄いわし侍』



座談会


ファンタジーの世界
佐藤さとると「コロボックル」たち (1)

児童文学作家 佐藤さとる
文芸評論家 野上暁
 有隣堂社長 松信裕

 

野上暁氏 佐藤さとる氏 松信裕
左から野上暁氏、佐藤さとる氏と松信裕  

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    はじめに
 
松信  

現代日本児童文学界の重鎮として創作活動を続けていらっしゃる佐藤さとる(本名・佐藤暁)先生は、日本のファンタジー童話の第一人者で、長年にわたって数多くの童話をつくられ、その作品は、たくさんの人々に愛読されてきました。

  『コロボックル物語』 全6巻
  『コロボックル物語』 全6巻

なかでも、1959年に、最初は私家版で出版された『だれも知らない小さな国』は、日本初の本格的ファンタジー作品として高く評価され、毎日出版文化賞、国際アンデルセン賞国内賞、日本児童文学者協会新人賞などを受賞されました。 以後、第五巻の『小さな国のつづきの話』、別巻『小さな人のむかしの話』まで、小人たちが織りなす「コロボックル物語」全6巻(ジャンプ書籍リスト)として、長く読み継がれてきました。

また最近、「コロボックル物語」の誕生45周年を記念して、『コロボックル絵童話』シリーズの新装版全4巻(ジャンプ書籍リスト)も刊行されました。

本日は、佐藤さとる先生と、児童図書などの編集長を長く務められ、評論家としても活躍されている野上暁(上野明雄)さん(小学館取締役・小学館クリエイティブ社長)にご出席いただき、佐藤先生の作品への思いや、童話を書かれるようになったきっかけ、横須賀生まれ・横浜育ちで、現在も横浜・戸塚にお住まいの先生の、小さいころの思い出などを伺いながら、今も、多くの人々に愛され続けている作品の魅力などについて、ご紹介いただければと思います。
 


  ◇童話を読み尽し、読みたい話を自分の手で
 
野上  

「コロボックル物語」は、美しい小山が舞台になっていますが、これは実体験なんですか。
 

佐藤  

小さいころの体験が原型になっているでしょうね。 どこにでもあるような小山ですが……。 私が生まれたのは横須賀の逸見[へみ]町、現在の西逸見です。 家の裏山が三浦按針(ウィリアム・アダムス)のお墓がある塚山公園で、按針塚と呼んでいました。 そこが子供のころの遊び場だったんです。 それで、昭和13年、5年生の1学期の末に鎌倉郡戸塚町、現在の横浜市戸塚区に引っ越したんです。
 

野上  

小さいころから随分本を読まれたそうですが、当時、どんな本を読まれていたのですか。 昭和の初めごろはアルスの『日本児童文庫』や文藝春秋社の『小学生全集』などが出ていましたが……。
 

佐藤  

菊池寛編集の『小学生全集』80数巻が家にありましたね。 母親が小学校の先生だったためか、買ってあったんです。 僕には2学年上に双子の姉がいまして、学校から帰ると、教わったことをいろいろやるんです。 その仲間に入っているうちに片仮名だけ読めるようになった。 それで母親に、「読める本はないか」と言ったら、押入れの奥に並んでいた全集を見せられて、好きなのを読みなさいといわれた。 それで、初めて自分で読んだのが『イソップ童話集』だったんです。 後になって気がついたんだけど『イソップ童話集』は半分片仮名、半分平仮名なんです。 だからきっと片仮名だけ読んだんでしょうね。 5歳ぐらいのときです。

それで小学生の間は『小学生全集』にどっぷりはまりました。 その中で忘れられないおもしろさがあったのは童話だったんです。
 

松信  

どういう童話が入っていたのですか。
 

佐藤  

イソップの他にアンデルセンやグリムの童話集、世界と日本の文芸童話集や、アラビア夜話集(アラビアン・ナイト)、ギリシャ神話。 アリス物語(不思議の国のアリス)やピーター・パン、ロビンソン漂流記などもありましたね。

こういう童話に引きずられて、いわゆる児童文学の本を片っ端からあさって読むようになって、中学生になっても童話を読んでいたんです。

でも、当時、児童文学の本はそんなになかったですからね。 講談社の本はかなりありましたけれど。 伊勢佐木町の有隣堂に寄りますと、子供の本の棚があるんですよ。 二つか三つあったかな。 棚の前に行くと、全部欲しいんだけれど、うちでは1冊しか買ってくれない。 読みたくてしようがなかったんです。

 


   中学時代から「童話を書く」と宣言
 
佐藤  

それで戦争が始まったでしょう。 当時はいわゆる小国民教育ですから、ますます子供の本は少なくなる。 そうなると、もうしようがないから、読みたい話を自分で書こうかと思ったわけです。

僕は本牧の横浜三中(現・県立横浜緑ヶ丘高校)に通ってましたが、学校の帰りに、野毛の市立図書館に、ほとんど毎日行っていました。 そのときは乱読でしたね。 子供の本だけじゃなくて、ありとあらゆる本を、手当たり次第読んだ。 それで結局、やっぱり童話が一番おもしろい、それを書くほうへ回ろうと思ったんです。 旧制中学の4、5年のころです。
 

松信   それを友達にも宣言されていたそうですね。
 
佐藤  

5年生の2学期から川崎にあった日清製粉鶴見工場に勤労動員で行っていたんです。 半夜勤とか夜勤があって、昼間は割とぶらぶらする時間があった。 桜木町の駅前広場を4、5人で空っ風に吹かれて歩きながら、あんまり大きな声じゃ言えない時期なんですけど、「戦争が終わったら何をする?」という話をして、僕は「童話を書く」と言ったんです。 多分、そのころから書きたいと思っていたんでしょう。 はっきり自覚はしてないんだけど。
 

野上  

実際にお書きになり始めるのはいつごろから?
 

佐藤  

戦後ですね。 戦争をはさんでいますからね。 僕は中学入学が昭和15年、卒業したのが昭和20年の3月、終戦の半年前ですけど、中学時代はむちゃくちゃですね。 軍隊に通っているようなものだった。
 


   療養中の旭川で終戦、進駐軍でアルバイト
 
佐藤  
  『だれも知らない小さな話』 偕成社
  だれも知らない小さな話』 偕成社

中学を卒業して昭和20年4月に海軍水路部(海上保安庁水路部の前身、現・海上保安庁海洋情報部)へ入りました。 海底測量や気象観測、地図を作成する技術者を育てる教育機関です。 ところが健康診断で、肺結核、粟粒結核の疑いありということで療養することになり、北海道の旭川に家族の一部が疎開していたので、7月からそこへ合流したんです。

それで戦争に負けたでしょう。 父親は海軍の機関科士官だったんですが、昭和17年にミッドウェー海戦で戦死したんです。 特別国債の形で恩給をもらっていたのが、戦争に負けた途端に、それは紙くずになった。

そうすると、お金がないから、働かなくちゃならない。 それで、今でもよく覚えているんだけど、きょうで肺病はもうやめたと決心した。 決心して治るということはないんですが。 (笑)

旭川は第七師団の陸軍の町で、そこに米軍が進駐してきて、ボーイを募集をしていたので行ったんです。 キッチンボーイです。 僕は英語が大っきらいだったくせに、しゃべると通じる。 さすが三中だなと思うんだけど(笑)。 簡単な英語ですけどね。 キッチンボーイというのは台所の下働きで、食事がついたんです。 それで栄養補給ができて、肺病によかったんですね。
 

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