Web版 有鄰

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有鄰

平成17年7月10日  第452号  P2

○座談会 P1   佐藤さとると「コロボックル」たち (1) (2) (3)
佐藤さとる/野上暁/松信裕
○特集 P4   『クライマーズ・ハイ』まで17年  横山秀夫
○人と作品 P5   長辻象平と『元禄いわし侍』



座談会


ファンタジーの世界
佐藤さとると「コロボックル」たち (2)



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  ◇関東学院在学中、『童話』に「大男と小人」を投稿
 
野上  

横浜にはいつ戻られたんですか。
 

佐藤  

昭和21年の4月に戸塚に戻ってきました。 受験が目的だったんですが、なかなか切符が買えなくて、帰ったのが四月だったからどこの学校も試験は終わっているんです。

そうしたら、関東学院の建築科が補欠募集をするという新聞広告が出たんです。 関東学院は戦争中は航空工業専門学校で、それが戦後、機械科と建築科の二つになっていた。 それで願書を出して合格したんです。
 

野上  

そのころから童話を書かれたんですね。
 

佐藤  
自宅・仕事場で  
自宅・仕事場で

 

ええ。 僕は話をつくるのは好きなんですが、作文がきらいなんです(笑)。 だから、話をつくったら誰かに話して、それを書いてもらうのが一番いいと思ったんですけれど、誰も書いてくれないから、しようがない、自分で書こうか、と。

昭和21年に後藤楢根[ならね]さんが日本童話会をつくられた。 それを日本放送協会(NHK)のローカルニュースが放送したんです。 僕は、当時、東京の八重洲ビルの駐留軍の将校宿舎でルームボーイのアルバイトをしていて、昼休みに銀座の本屋に行ったら、日本童話会の機関誌『童話』の創刊号が並んでいた。 B5判の二色刷り表紙で、薄っぺらなものでした。 そこに、「原稿募集」とあったので、10枚くらいのものを書いて送ったんです。
 


   読んでも読んでも終わらない長い話を
 
佐藤  

話を書きたいというのが、そのときに刺激されたんですね。 僕は以前から、読んでも読んでも終わらない長い話を書きたいと思っていたんです。 長編志向だった。 当時の児童文学はみんな短編でしたからね。 とにかく本を読んでいて、残りが少なくなってくると、「もう終わっちゃうのか」という、寂しいというか、残念という感じがあった。 だから、もっと長く続く話を自分で書いてやろうと思ったんです。

それで書いたのが「なくした帽子」です。 これは「てのひら島はどこにある」の前身と言っていいかな。 「てのひら島はどこにある」は「コロボックル物語」の前身ですから、「コロボックル物語」の習作みたいなものです。

それに夢中になっていたので、童話会に送った原稿のことは忘れていたんです。 すると、その年の9月に本屋をちょっとのぞくと、『童話』の9月号が出ていてパラパラッと見たら、自分の書いた主人公の名前が出ている。 「あれっ」と思って見直したら、僕の作品が載っていた。 積木築という名前で書いたんです。
 

野上   その作品が「大男と小人」ですね。
 
佐藤  

そうです。 大学生のおじさんと、その甥の「オーちゃん」という男の子が、畳の部屋で寝ころがって空を見ているという話なんです。 何ということはない、けったいな話なんですがね。 後で後藤先生が「何となくおもしろくてね」と言ってましたけど、何となくだったのか、という感じで。 (笑)
 


   うれしかった藤田圭雄さんの励ましのことば
 
野上   神奈川新聞に書かれたのもそのころですか。
 
佐藤  

山崎さんという絵かきさんが、挿絵を描きたいというので、神奈川新聞に交渉して、僕に話を書かせたんです。 三つ書いたんですが、そのうちの「ポケットだらけの服」には、ちょっと愛着があるんです。
 

松信   そのときは何というお名前で書かれたのですか。
 
佐藤   これは「佐藤さとる」で書いていると思います。
 
松信  

ペンネームをいろいろお持ちなんですね。 別の名前で挿絵も書かれている。
 

佐藤   何となく本名で書くのが気恥ずかしいというか。
 
野上   そのころ、実業之日本社の『赤とんぼ』とか、新潮社の『銀河』、小峰書店の『子供の青空』、新世界社の『子供の広場』といった雑誌がドッと出てきた。
 
  佐藤さとる氏自筆の絵
 
佐藤さとる氏自筆の絵

佐藤  

「なくした帽子」を誰かに読んでもらおうと思っていたら、昭和21年4月に『赤とんぼ』が出たので、一部を編集部に送ったんですよ。 そうしたら、編集長の藤田圭雄[たまお]さんから、「貴方の原稿面白く読みました。 この調子でどうぞ最後まで書いて下さい。」というはがきが来た。 うれしくてね。 いちど会社に遊びにいらっしゃいと書いてあったので、実業之日本社に行ったんです。 昭和21年の秋でした。

その後も藤田圭雄さんにはかわいがってもらいました。 僕の先生の一人です。 いろいろと励ましてくれました。
 


   長崎源之助氏といっしょに平塚武二氏に師事
 
佐藤  
平塚武二 (昭和23年頃) 平塚武二
(昭和23年頃) 撮影:山本静夫 長崎源之助氏蔵

 

僕には先生が三人いるんです。 後藤楢根さん、藤田圭雄さんと平塚武二さんです。

平塚先生は、昭和24年の初夏でしたが、長崎源之助さんに誘われて、当時、住んでおられた磯子区の間坂のお宅に二人で訪ねて行って、それから、勝手に師事してきたんです。 長崎さんも多分そうだろうと思います。

平塚さんは鈴木三重吉先生の末弟子です。 三重吉先生を騙したので破門された、という話もあるくらいで、平塚先生はうそばっかりついているんです(笑)。 僕はあまりうそをつかれたことはないですが、人をかついで喜ぶようなところがあって、考えてみれば、たちが悪い。 ハマの不良ですよ。 (笑)
 

松信   平塚武二さんの『ヨコハマのサギ山』という童話はいいですね。

 
  ◇同人誌『豆の木』を長崎源之助らと創刊
 
野上   同人誌『豆の木』を始められたのも、平塚さんのすすめだそうですね。
 
佐藤  

そうです。 昭和24年のクリスマスに、平塚さんが、まだ小さかった息子さんのためにパーティをやるというので、四、五人でお宅に行ったんです。

そのとき平塚さんが、「同人誌でもやれ」と言われて、源ちゃん(長崎源之助)も「やりましょう」なんて言って、それで平塚さんが、『豆の木』という題はどうだと言ったんですよ。
 

松信  

長崎源之助さんも横浜の方ですね。 『向こう横町のおいなりさん』とか『私のよこはま物語』とか書かれている。
 

佐藤   源ちゃんのことは、後藤楢根先生が紹介してくださったんです。 昭和22年からのおつきあいだから、もう長いんです。
 
  『豆の木』同人
  『豆の木』同人
左から神戸淳吉氏、いぬいとみこさん、長崎源之助氏、そのうしろ佐藤さとる氏 (昭和25年、長崎源之助氏宅で)

野上  

『豆の木』は、長崎源之助さん、いぬいとみこさん、神戸淳吉さんと四人で始められた。
 

佐藤   創刊号を出したのが昭和25年です。

僕は一番若くて生意気で、文句ばかり言っていた覚えがあるんですよ。 よくみんなが仲間に入れてくれたなと思うんだけど。

長崎源之助さんは僕の兄弟子で、僕のことをよく理解してくれていて、無理なことは言わなかったけど、ほかの人はわからないから、いぬいさんにはよく叱られた。 怖いお姉さんで、僕より四つ上なんだけど、頭の上がらない人でしたね。
 

野上  

そのころは中学の先生をされていたんですね。
 

佐藤  

関東学院を卒業して横浜市役所に入ったのですが、半年で辞めてうちで童話を書いていたんです。 そうしたら、横浜市の教育委員会から、新制中学が発足したばかりで先生が足りない。 僕は教員免状を持っていたので、「先生をやらないか。」と呼び出しがあった。 それで中学校の先生を3年ぐらいやったんです。 数学を教えてました。

僕はよく思うんだけど、1回は人に物を教える立場に立つと、いろいろなことがわかる。 先生をやらされたことが随分プラスになっています。 だけど、学校の先生がいやでいやでしようがなくて、平塚さんから、広島図書の『銀の鈴』という学年別雑誌の編集を紹介されて、そこに行ったんです。
 

野上  

学習研究社の前身のような会社ですね。 それから約20年間、児童図書の編集に携わられた。
 

佐藤  

そうです。 広島図書には2年半ぐらいいたかな。 オフセット印刷で、簡単に字を動かせないから、書き写しながら割り付けをする。 毎月1冊分書き写すんです。 僕は高学年向きのをやっていました。 それを2年半やっていたら、文がうまくなった。
 

野上  

作文がきらいな少年が、にわかに文章がうまくなった。 その後、実業之日本社に移られたんですね。
 

佐藤  

昭和29年の秋です。 最初は『少女の友』という、明治37年創刊の日本で一番古い少女雑誌の編集部にいたんですが、教科書部に移って、技術家庭の教科書を担当して、原稿を全部リライトした。 そしたら編集長が、「リライトは佐藤君、君が一番うまいね。」と言ってくれたんですよ。 これは大変な自信になりましたね。
 


  ◇日本の妖精を生み出した『だれも知らない小さな国』
 
野上   そのころ『だれも知らない小さな国』を書き始められたんですね。
 
佐藤   そうです。 書き上がったのは昭和33年の末ごろでした。
 
本当は、1年前に書き上がったのを、平塚先生のところに持っていったんです。 そうしたらある日、平塚さんが原稿を持ってうちに来て、「赤鉛筆を持ってきてそこへ座れ」と言って、初めの1枚目から、「ここは下手」「ここはダメ」なんて言って直し始めるわけです。 10枚もやるとくたびれるよね。
 

野上   直している平塚先生のほうも。
 
佐藤  

「こういう調子で書き直さなきゃだめだ」と言われて、「そんなこと」と思いながら書き直した。 そしたら10枚ぐらいから確かに話が変わってくる。 明らかによくなってくるんですよ。

それで最初の原稿はさっさと捨てて、また半年以上かかって書き直した。 それを持っていったら、「もう1回書き直すともっとよくなる。」と言われ、少しは修正しましたが、「もういいや」と思って。
 


   私家版で出した本が講談社から出版される
 
佐藤  

友人がタイプ印刷屋をやっていたので、私家版で120部ぐらいつくった。
 

野上  

34年の3月ですね。 奥付は娘さんの誕生日の11日にしてある。
 

佐藤   そうなんです。 せめて自分の子供には読んでほしいと思っていたので。 そしたら、平塚さんが自分で出版社を回れと言う。 勤めていた僕にはそんな暇はないので、送ることにしたんです。
 
野上   送り先も平塚先生が決められたのですか。
 
佐藤  

そう。 平塚さんが汚い、よれよれのバラバラになりそうな手帳を出して、出版社は誰々がいいとか、全部言ってくれて、そのとおりに90数冊送ったんです。
 

松信   それがすぐに講談社の目にとまった。
 
佐藤  

そうなんですね。 講談社の曾我四郎さんという児童出版部長から、「うちで本にしたらどうか」って速達が来たんですよ。 これもありがたかったですね。 当時、児童図書なんかどこも出してくれないときでしたからね。
 

野上   そうですね。 講談社や理論社が創作シリーズを出し始めたころです。
 
松信   その年の7月に講談社から出たんですね。
 

   日本に妖精がいないのならつくればいい
 
松信  

『だれも知らない小さな国』は、「ぼく」が小学校のころ、よく遊んだ小山にだれも知らない小さな三角の空き地があり、ある日、そこで小指ほどしかない小さな人を見てしまう。 やがて少し離れた町に引っ越し、長い戦争が始まる。 戦争が終わり、大人になった「ぼく」は以前のままの小山を訪れ、姿を現わした小人たちとの交流が始まるというお話ですね。
 

野上  

これを発想されたのはいつごろなんですか。
 

佐藤  

17、8歳ですね。 肺病で旭川でうっ屈しているころです。
 

野上  

旭川にいらしたことと、コロボックルとの出会いみたいなものは……。
 

佐藤  

あると思います。 アイヌの伝説にある小人のコロボックルとの出会いは、宇野浩二の『ふきの下の神さま』が最初でした。 小さな神様「コロボックンクル」と書いているんです。 『小学生全集』に入っていて、僕は大好きだった。 アイヌの伝説とかコロボックルの話は、母親もいろいろしてくれましたけど。
 

野上   それまでもコロボックルの話は結構書かれていますが、残っているのは『ふきの下の神さま』だけですね。
 
佐藤  

あれは最高のものだし、まねをしようという人もいなかったんじゃないかな。 コロボックルを扱ってあれ以上のものは書けない。  

僕は最初、イギリスの話によくある、妖精が活躍する話を書いてみたいと思ったんです。 ところが日本に妖精はいないんです。 小泉八雲の『ちんちん小袴』とか相馬御風の『きんぷくりんの柿ばかま』という教訓話があって、小さいのが出てくるんだけど、いわゆる小人族とはちょっと違う。 いないんなら、つくればいい。 これがとってもいいアイデアだったと自分で思うんです。 日本の妖精をつくろうと思ったわけ。

それで「小さ子[ちいさこ]族」というのもつくったんですよ。 「小さ子」というのは日本の神話に出てきますし、伝説もあるんですけれども、やっぱり違う。 そうすると、コロボックルしかない。

日本人とアイヌ人はもとは同じじゃないか。 アイヌ語で神のことは「カムイ」と言うし、数詞もよく似ている。 魂とか、神とか、そういう基本的なものをよその国から借りてくるということはあり得ないから、分かれたのは随分古いだろうけれども、もとは同じじゃないのかと。
 

松信  

それをヤマト民族が駆逐していった。
 

野上  

そして忘れられ、彼らのほうも隠れていったわけですね。
 

佐藤  

でも、それが生きていたとするなら、どういうふうに生きているかを誰かが見つける話をまず書いて、存在するということを証明しなきゃいけない。 そういう話をとにかく最初に書かなきゃいけない。 妖精が活躍する話はその後だという思いがあって、それで書いたのが『だれも知らない小さな国』で、コロボックル発見の話です。

最初は、わからないまま書いていったんですけど、調べてみたら、日本の神話の神様で、「小さ子」の少彦名命[すくなひこのみこと]とコロボックルは根が同じだということがわかった。 縄文時代の先住民族が持っていた神様なんです。 ということは、絶対に共通する神。 それがわかったから、安心してコロボックルを使わせてもらった。

いい話って、いろんな意味で偶然が重なるんです。 現実のほうがついてきたりする。 後で資料を調べてみると、ぴったりだったりして、「何だ合っていたじゃないか」と。 いい話ってそうですよ。
 

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