Web版 有鄰

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有鄰

平成17年7月10日  第452号  P3

○座談会 P1   佐藤さとると「コロボックル」たち (1) (2) (3)
佐藤さとる/野上暁/松信裕
○特集 P4   『クライマーズ・ハイ』まで17年  横山秀夫
○人と作品 P5   長辻象平と『元禄いわし侍』



座談会


ファンタジーの世界
佐藤さとると「コロボックル」たち (3)



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  ◇大人たちの世界が広がる日本初のファンタジー
 
松信  

当時、児童図書はどんな状況だったんでしょうか。
 

野上  

あまり子供の本が出ていなかった時期なんです。 昭和29年ごろに新潮社が長編シリーズを出し始めて、国分一太郎の『鉄の町の少年』、住井すゑの『夜あけ朝あけ』とか何点か出たけれど、発表の場は同人誌が中心でした。

短編も出てはいましたが、単行本になるのは少なかった。 昭和34年は、佐藤先生の『だれも知らない小さな国』をはじめ、いぬいとみこさんの『木かげの家の小人たち』、早船ちよさんの『キューポラのある街』(ジャンプ書籍リスト)、柴田道子さんの『谷間の底から』、それから理論社が始めた創作シリーズで斎藤了一さんの『荒野の魂』、塚原健二郎さんの『風と花の輪』が出た。 にわかに子供の創作長編読み物がどっと出てくる年なんです。

35年になると、山中恒さんの『とべたら本こ』や、松谷みよ子さんの『龍の子太郎』、今江祥智さんの『山のむこうは青い海だった』が出て、子供の本が売れ始める。

昭和34年は60年安保の前年で、社会的には「政治の季節」だったと思います。 そういう目で見ると、『だれも知らない小さな国』は、思想性がない話ということになる。 出たときは、余り芳しい評価ではなかったんです。

ただ、藤田圭雄さんと評論家の山室静さんは早くから評価されてましたね。 それから児童文学者の鳥越信さんが出版記念会のときに、「日本にも、やっとファンタジーが生まれた」といわれたと。
 

佐藤  

子供の文学の本格的な研究が始まったころで、ファンタジー要望論みたいなものがあった。 僕はファンタジーが何だか知らなかったんだけど、後で考えればそうなんです。 アメリカの作家ロバート・ネイサンが、「ファンタジーとは、起こったことなどなく、起こりうるはずのないこと。 だが、起こったかもしれないと思わせるもの。」と定義していますが、現実にはいない小人を、あたかも存在するかのように書いていたのですから。 それがファンタジーの手法とは全然知らずにね。
 

野上  

日本の児童文学の中で、本格的なファンタジーとして位置づけられた最初の作品なんです。
 


   イデオロギーにとらわれない個の尊厳が
 
野上  

昭和34年に出たいろんな作品のなかで、『だれも知らない小さな国』は、今でもよく読まれている1冊です。 当時の文壇的な評価とは関係なく、しっかり読者をつかむ魅力があったんですね。
 

松信  

その魅力というのはどういうところでしょう。
 

野上  

当時の児童文学は、割合イデオロギッシュなところがあって、作家たちもそれに敏感に反応していた。 だけど、『だれも知らない小さな国』にはそういうものと全然違った、個の尊厳というか、自分の見つけた小さな世界に対するこだわりみたいなものがあったわけです。

それは、小市民的な世界だと否定されかねないものなんですが、小学校3年生のときに出会った小さな不思議をずっと、ずっと温めていて、戦争という時代を過ぎた後に、そこへ行ってもう一度検証する。 そういう、心の中に秘めていたものを探り出すことの大切さに、読者の側が気がついたんじゃないでしょうか。
 

松信  

キャラクターも魅力的ですよね。
 

野上  

それまで子供の本の中では、キャラクターと言われるものはあまり育ってこなかったんです。 それを発見され、肉づけしていった。

『小さな国のつづきの話』 講談社  
小さな国のつづきの話』 講談社
(ジャンプ「コロボックル物語」書籍リスト)

 

日本人のDNAの中に埋め込まれている原風景みたいなものと奇妙に結びつく、コロボックルというキャラクターが、読者にはビビッときたんでしょうね。

もう一つ、これは欠かせない要素だと思うんですけれども、ある種のラブストーリーなんですよ。 小さいときに小山でちょっと見た女の子。 その子の赤いくつの中にいた小人、ちらっと見えたコロボックルが媒介になり、大人になってまた彼女と出会うラブストーリーとして、長く読み継がれてきたんじゃないか。

それから、コロボックルの世界を次々と積み上げて、2巻の『豆つぶほどの小さないぬ』以降、『星からおちた小さな人』、『ふしぎな目をした男の子』、『小さな国のつづきの話』、『小さな人のむかしの話』と、巻を追うごとに世界を広げていかれた。

テレビゲームのロールプレイングゲーム的な形で、コロボックルの世界観と合わせるように世界が広がり、物語がまた生まれる。 45年以上たっても子供たちに喜ばれているのは、そういうところが大きな魅力と新しさだったんじゃないかと思いますね。
 


   まず作者本人がおもしろがること
 
佐藤  

そんなすごいことをやったのかなという感じがあるんだけど(笑)、ファンタジーをつくるときの基本的な姿勢というのは、まず作者本人がおもしろがるということです。 自分がおもしろいと思うことが的確に相手に伝わるような方法を考え出すこと。

あり得ないものを、あり得るように伝えるわけですから、こういうことが起こりましたよとただ出したんでは、信じてくれないことが多い。 だから、情報を出していく時期と情報量ですね。 夢をさまさないように情報を上手に出していく。 いつ、どこで、どのぐらいずつ出すか。 読者が信じてくれないで夢がさめてしまったらアウトですから。  

ファンタジーを書くときのそういう手法は、やっていくうちにだんだんわかって、後で気がついたことなんです。 野上さんをはじめ、古田足日[ふるたたるひ]さんとか鳥越信君とか、評論をやっている人たちが、徹底的に分析してくれましたからね。 作者が全く知らないところまで(笑)、考えてもないことまでほじくり出してくれましたから、それはそれでとても勉強になりました。
 


  ◇遊び心と子供にとっての夢そのもの
 
松信  

『おばあさんのひこうき』も、長く読まれていますね。 編み物が大好きなおばあさんが、迷いこんできたチョウチョの羽がとてもきれいなので、なんとかしてその模様を肩掛けに編んでみようと挑戦しているうちに、その編物が空中に浮かぶようになった。 それでおばあさんは、竹ざおと椅子にその編み物をくくりつけて飛行機をつくり、満月の晩、それに乗って孫の住んでいる港町の大きな団地を見に飛んで行くというお話ですが、これはどうして思いつかれたのですか。
 

佐藤  

読売新聞から4枚童話を頼まれて、母が編み物を好きでよくやっていたのを子供のときから見ていたので、おばあさんが編み物をしている話を書いたんです。

肩掛けを編んでいくうちに天井にくっついてしまうという短い話だったんですが、これだけではもったいないので本格的に書くようにいわれたんです。 それで、せっかく浮き上がる編み方を工夫したんだから、飛行機にしたらいいかなと。
 

  『おばあさんのひこうき』 小峰書店
  おばあさんのひこうき』 小峰書店

野上   それもすごい。
 
佐藤  

そこまでは誰でも考えると思うんです。 問題はどうやって降ろすか。 書いているときはまだわからなくて、どうしようかと思いながら書いている。 だから、おばあさんが降りられなくてぐるぐる回っているでしょう。
 

野上  

作者もぐるぐる回っている。
 

佐藤  

作者も回りながら考えて(笑)、「そうだ。 ほどけばいいんだ」って。 上手に端からほどいていけば、うまく降りられるんじゃないか。 「あっ、これでできた」と。 ファンタジーってそういうところがあって、探偵小説のトリックみたいに「落ち」がうまく結びついたときに成功する。 あれは不思議とそれがうまくいったんです。
 

野上  

それがファンタジーのつくり方なんでしょうね。
 

佐藤  

ファンタジーは、人によるけれど、筋書きをつくって書いても多分だめです。 そのとおりにはならないし、なったらおもしろくない。 やっぱり作者がびっくりしないと。 書いていて「すごいな」と思ったのは、読者も驚く。
 

野上  

今のエンターテインメントのつくり方がそうですね。 いかに驚くか。
 


   編み物のようにつくり上げる物語
 
野上  

佐藤先生の作品は、物語を編み上げていくプロセスも大きな魅力ですね。
 

佐藤  

編み物というのは、物語を書くことの一つの象徴なんです。 僕はよく知らないけど、たとえば、長編みを幾つ、ゴム編みを幾つと規則正しく編んでいくと、いつの間にか模様が出来上がる。 同じように「てにをは」をきちんとやっていくと、いい文章ができて、いい話ができる。
 

野上  

一つ編み目が違うとほつれちゃう。
 

佐藤  

一つじゃなくて、全部ほどいてやり直さないといけない。 物語もそうです。 だから、僕は連載をやらなかった。 前のほうに手を入れられないから。

僕は下書きは3Bの鉛筆で書くんです。 何度も消しては直して。 それをパソコンで打って、最後にまた手書きで清書するんです。 その時点で手が動かなくなることがある。 それでまた、手直しをする。
 

野上  

もう一つは、『おおきなきがほしい』がそうだけど、作者自身が遊んでいるんですね。 ミニチュアをいじっているような細かな、小さなものに対する、入れ込みがある。 つくり上げていくおもしろさというんでしょうか。
 

松信  

大きな木がほしいと思っている男の子が、こんな木があったらいいな、と空想する話ですね。 はしごをかけて登ると、テーブルもコンロもある小屋があり、お客さんは、リスや小鳥たち。 その小屋で、春・夏・秋・冬を過ごし、動物たちにごちそうも作ってやる。
 

  『おおきなきがほしい』 偕成社
  おおきなきがほしい』 偕成社

野上  

遊び心の解放というか、子供にとっての夢そのものみたいな部分がある。 小さい子供が何度も何度も同じものを読みたがるのは、そこだと思うんですね。

幾つかある佐藤先生の作品の魅力を象徴的にあらわしている作品だと思います。
 


  ◇ミッドウェー海戦で戦死した父の伝記を
 
松信   先生のお父様は海軍の軍人でいらしたんですね。
 
佐藤  

父は、明治の末に岐阜から北海道へ行った屯田兵の子で、17歳で海軍志願兵に応募して横須賀に来たんです。 機関兵で、専門は電気でした。

そこから選抜されて舞鶴にあった機関学校の専修学生になる。 そこを卒業して特務少尉になり、特務大尉でミッドウェー海戦で戦死して、故海軍機関少佐・佐藤完一になった。
 

野上   印象的な別れをされたそうですね。
 
佐藤  
父・佐藤完一氏 (昭和11年頃)  
父・佐藤完一氏、左・弟、中・佐藤さとる氏、右・姉 (昭和11年頃)

 

父との別れは昭和17年の5月末、僕は旧制中学3年でした。

戸塚駅は、当時は島式ホームが1本あって、両側に横須賀線が着くだけでした。 どういうわけか、その日は父親と一緒に出かけたんです。 私は横浜に行きますから上り、父は横須賀軍港に行くので下りを待っていた。 上りが先に来たので乗って敬礼した。 昔の中学生は帽子をかぶっているときは、友だち同士でも全部敬礼ですから、何ということはないんです。

そうしたらガラスの向こうで、いつもはうなずくだけの父が、さっと靴を引きつけ、白い手袋で、海軍式の敬礼を返してくれた。 でも、あれ、珍しいな、と思っただけでした。 それがミッドウェー海戦出撃の朝で、航空母艦「蒼龍[そうりゅう]」に乗艦し、それっきり帰らなかった。 父は海軍が特に好きだったんじゃないんだろうけど、縁あって海軍で過ごし、日本帝国海軍の滅亡と一緒に沈んだんですから、本人は本望だと思いますよ。
 


   歌人として『昭和萬葉集』に17首収録
 
松信  

短歌を詠まれていたんですね。
 

佐藤  

はい。 「全機無事帰還の報あり通風孔に耳を済ませば爆音聞こゆ」。 これはハワイ攻撃時のもので、『アララギ』の昭和17年2月号の巻頭に載ってます。
 

松信   真珠湾攻撃にも参加されたんですね。
 
佐藤  

はい。 あのときは、択捉[エトロフ]島の単冠[ひとかっぷ]湾へ行き、千島列島に集結して、真珠湾攻撃に向かったんです。

「今はしも東京の沖を航過[すぎ]むとす心をただして左舷に向ふ」という歌もあります。 左舷は船の左側でしょう。 横須賀を出航し、東京湾を出て、千葉の沖を北上して千島に向かっている。 だから左舷に向かって皇居を遙拝するんです。
 

松信  

『昭和萬葉集』(講談社)に17首も載っているそうですね。
 

佐藤  

講談社の僕の担当だった女性が、たまたま、創業70周年記念出版の『昭和萬葉集』編集部に異動になりましたと言って、パンフレットを持ってきた。 見たら父の歌が載っているんです。

「載っているね」と言ったら、「何がですか」と言う。 「これ、親父の短歌だ」と言ったら、彼女は知らなくて、「えっ!?」って、その場で絶句していました。

調べてもわからなかったんだそうです。 父の先生は土屋文明さんで、先生は訳があって『昭和萬葉集』の編者を退いていました。 編者でおられたら、わかったんでしょうけれどね。
 

松信  

これから、先生はどういうものをお書きになりたいんでしょうか。
 

佐藤  

70になったときに隠居を宣言したんですよ。 書きたいことはみんな書いちゃったからもういいと。 でも、変なもので、物書きは業みたいなもので、本にするしないに関係なく書くんですよ。
 

野上  

お父様のことを書くと、随分前からおっしゃってますが……。
 

佐藤  

父の伝記ですね。 つまり、普通の人の伝記を書いてみたいなと思って。 資料は集まっているんですが、フィクションにしないとやっぱりまずいと思うんです。
 

野上  

ぜひまとめていただければと思います。
 

松信   楽しいお話をありがとうございました。
 




佐藤さとる(さとう さとる)
1928年横須賀市生れ。
 
野上暁(のがみ あきら)
1943年長野県生れ。
著書『日本児童文学の現代へ』 パロル舎 1,890円(5%税込)。
共著『ファンタジービジネスのしかけかた』 講談社+α新書 924円(5%税込) ほか。


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