Web版 有鄰

  『有鄰』最新号(P1) 『有鄰』バックナンバーインデックス 『有鄰』のご紹介(有隣堂出版目録)


有鄰
(題字は、武者小路実篤)
有鄰の由来・論語里仁篇の中の「徳不孤、必有隣」から。 「鄰」は「隣」と同字、仲間の意味。

平成18年12月10日  第469号  P1

○座談会 P1   箱根神社とその遺宝−秘蔵されていた平安時代の神像を初公開− (1) (2) (3)
濱田進/柘植英満/薄井和男/大和田公一
○特集 P4   安達泰盛と霜月騒動 福島金治
○人と作品 P5   鈴村和成と『アジア、幻境の旅』
○有鄰らいぶらりい P5   加藤宗哉 著 『遠藤周作』 『藤沢周平 未刊行初期短編集』勝目梓 著 『小説家』ドロシー・L・ノルト 著 『子どもが育つ魔法の言葉 (新装版)』
○類書紹介 P6   「格差社会」・・・教育や雇用など、現代の日本でさまざまな不平等化が進行している。


座談会

箱根神社とその遺宝
−秘蔵されていた平安時代の神像を初公開−
(1)


箱根社神宮司 濱田進
箱根神社禰宜・宝物殿学芸員   柘植英満
神奈川県立歴史博物館専門学芸員 薄井和男
箱根町立郷土資料館学芸員   大和田公一
  箱根神社本殿
    箱根神社本殿 (箱根神社 蔵)

左から大和田公一氏・濱田進氏・薄井和男氏・柘植英満氏 箱根神社社務所にて
左から、大和田公一氏・濱田進氏・薄井和男氏・柘植英満氏
箱根神社社務所にて

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    はじめに
 
編集部  

世界有数の観光地として知られる箱根、その中でも雪をいただいた富士、そして芦ノ湖とその湖畔にたたずむ箱根神社の朱塗りの大鳥居をのぞむ風景は、箱根の美しさを代表すると言っていいと思われます。

箱根は、奈良や京都から東国に至る玄関口に位置し、箱根神社はその中心として古代から連綿として続いてきております。

箱根神社は、奈良時代の天平宝字元年(757年)に万巻[まんがん]上人が神託によって現在地に創建したと伝えられ、来年は御鎮座1250年に当たります。 その記念事業の一環として、新しい宝物殿が開館することになり、神社に伝来してきた宝物の数々が来年1月1日から紹介されることになりました。

これに先立って、ご所蔵の宝物の調査も行われ、これまで知られていなかった神像群が公開されると同時に、開館の特別展として「二所詣[にしょもうで]」をテーマとした展示が開催されると伺っております。

本日は、箱根神社様から、宮司様でいらっしゃいます濱田進様、そして宝物殿学芸員を兼ねていらっしゃいます禰宜[ねぎ]の柘植英満様にご出席をいただきました。

また、神奈川県立歴史博物館専門学芸員で、中世彫刻史がご専門の薄井和男様、箱根町立郷土資料館学芸員で、主に近世史をご研究の大和田公一様にもご出席をいただいております。

箱根神社の歴史と伝えられてきたご神宝について、幅広い角度からお話をお伺いしたいと思います。
 


  
◇奈良時代に開創、来年は鎮座1250年
 
編集部  

まず、箱根神社の由緒について、宮司様からご紹介いただきたいと思います。
 

濱田  
  万巻上人坐像 (部分) 奈良時代
万巻上人坐像 (部分) 奈良時代
箱根神社 蔵
   

箱根神社は奈良時代の天平宝字元年(757年)に、中興の開祖・万巻上人が箱根三所権現として、現在地にお祀りされました。 来年はそれから1250年で、大変めでたい、意義ある年を迎えます。 その御鎮座式年大祭を来年8月1日に執行するわけですが、箱根山信仰の原点にかんがみ、今日的成果を究めていこうと考えます。

この神社は、奈良時代の権現信仰、つまり、神仏習合の神々を根底に形成され、鎌倉時代に拡大発展しました。

とくに、万巻上人に匹敵するような別当寺・金剛王院の行実[ぎょうじつ]僧正と、源氏の棟梁・源頼朝との出会い、そしてその交渉経過を通じて、箱根権現の威光が一天に輝き、社頭が繁栄した時代です。 しかも、頼朝を中心として幕府の武家社会に及ぼす信仰的要素と影響力が大きかった。

鎌倉幕府の将軍の伊豆・箱根の両所権現の二所詣が創設され、また、武家起請文の原形となった神文、別しては伊豆・箱根権現が起請文の頭に出てくるんです。 鎌倉時代では、二所詣とこの二つのことが大事だと思うんです。
 


  鎌倉時代には頼朝の二所詣により最盛期を迎える
 
濱田  

源頼朝がおこなった二所詣は、鶴岡八幡宮が出発点で、権現にお参りして一晩泊まって参籠して、翌日の早朝にご祈願をしてから峠を越えて、熱海の伊豆山権現に参詣した。 参詣の仕方が実に堂に入っているんです。 武将としても信心が非常に固い。

そういう意味で、武門の崇敬が非常に盛んになった神社です。 今日では、年間2,000万人の観光客が箱根にやってきますが、その中心にあるのが箱根神社です。 観光とは光を観る、箱根神社の権現様の光を観ることなのに、みんな忘れているんです。 2,000万人のうちの一割ぐらいはここにお参りに来る。 そのまた一割ぐらいが昇殿参拝というようなご祈祷をやっております。 そういうのが箱根神社の今日の状況です。
 

編集部  

平安時代の延喜式[えんぎしき]の神名帳には、箱根神社の名前は書かれていませんが、どうしてでしょうか。
 

濱田  

式内社にならないんです。 なぜかというと、仏教色が非常に強いんです。 箱根三所権現と言ってお祀りしたのは神仏で、仏様が神様の姿をして現われたという考え方、垂迹[すいじゃく]説のほうが非常に強い。 ここは権現寺で寺としての要素が非常に強かったので外されたのでしょう。
 


  
◇万巻上人像—聖僧を神格化した関東最古の像
 
編集部  

箱根神社は万巻上人のお像が以前から知られておりますね。
 

薄井  

関東で一番古いと言っていいと思います。 万巻上人については、今回の新しい宝物殿の開館を記念して本ができますが、それには慶応大学の紺野敏文先生が一文を寄せていらっしゃいます。

万巻上人は、神仏習合を推進した奈良時代から平安初期にかけての修験道のお坊さんで、中央においてもよく認識されていました。 箱根はまさにその人の本拠地の一つです。 そこに万巻さんのお像が祀られているのは極めて当然のことですし、恐らくは地方という感じは全然ない。

万巻上人は伊勢の多度[たど]神宮に最初に神様のお像を安置したということもありますし、もともと姿形のない神を仏教との習合の中で姿あるものにした最初の方だと言っていいと思います。

紺野先生も、ある意味では万巻さん自身の肖像としてつくったのではなくて、むしろ万巻上人自体に神威というものを盛り込んで、神と仏の世界を往き来する聖僧を神格化した像なのではないかと解釈されています。 私もこれはいい解釈だなと思います。 単に写した肖像ではない。 万巻上人の持つ神意といったものを感じさせる。

言ってみれば、我が国の神道美術の中でも、ごく原初的なというか、ある意味では神道彫刻は万巻上人に始まると言っても過言ではないということだろうと思います。 つくられたのは平安初期、九世紀初頭でよろしいと思います。
 

濱田  

私がいつも思っているのは、文化財などにしてしまうと、美術的、歴史的価値ばかり重く見られて、神像の持つ信仰的意義を失ってしまう。 万巻さんも一つの神像として本堂にお祀りされて拝みの対象になっていたものですから、そういう意味では神社にとっても、単なる肖像とは思っておらんのです。 ご神像と考えております。
 


  文化財として手当てをしながら神殿の一番奥に秘匿
 
編集部  

今度、これまで知られていなかった神像が、初めて公開されるそうですね。
 

薄井  

戦前の『箱根神社大系』に載っている三神のほかにご神像があって、それがどういうものかは、宮司さんしかずうっと知らなかった。

今回、新しい宝物殿ができるのと同時に、秘中の秘と申しますか、今まで確認されていなかったお像がお出ましになるのは、濱田宮司様のまさにご英断だったのではないかと思っているんです。
 

濱田  

私はここの宮司をやって24年になりますが、文化財を守る見地からは、10年ぐらい前から、文化財の専門家が来て防虫駆除をやってくださったり、お宮の中で燻蒸したり、そういう手当てはしておりました。 しかし、ご神像は秘匿するべきもので公開するものではない。 なるべく見せないようにと考えて、今までご神殿の一番奥に置いてあったんです。

今年の春に神奈川県立歴史博物館で「かながわの神道美術」展を開催されたから、公開する気になったんです。 最初は非常に疑問を持っていたのですが、展覧会では神奈川県の神社がそろって出品し、正しい評価を与えられた。 これで問題なしと思った。

これで我が社のご神像が、日の目を見ることができるなと考えたんです。 そういう意味では、おっしゃるように大英断なんです。 (笑)
 


   箱根の三所権現を具体的な姿にした三体の神像
 
編集部  

調査はどのように進められたのですか。
 

薄井  

まず、ご神像がどういう状態か、いつの時代のものかという確認調査のためにこちらに伺いました。

最初に、『箱根神社大系』や絵はがき等で前から存在が知られていた、男神二体と女神一体の立像は、三体がセットで、仏像で言うと、阿弥陀三尊とか、薬師三尊と同じような組み合わせです。

真ん中のお像は、僧形[そうぎょう]が頭巾をかぶっている姿です。 右側が女神で、髪は真ん中で髷[まげ]を結い、耳のところで一回束ねている。 左側は巾子冠[こじのかんむり]をかぶって、袍[ほう]をつけて笏[しゃく]をとる。 男神像の伝統的な姿です。

『筥根山[はこねさん]縁起並序』を見ますと、万巻上人が箱根権現で修行をしたときに箱根の山の神が現われるんです。 我らは奇怪な姿をしているけれども、箱根の山の神である。 その一つは僧形である。 一体は宰官[さいかん]形で、威儀をただしたお姿です。 もう一つは、婦女形という女性のお姿であると、自分たちの姿を言っている。
 

濱田  

瓊瓊杵尊[ににぎのみこと]と木花咲耶姫命[このはなさくやひめ]、彦火火出見尊[ひこほほでみのみこと]ですね。
 

薄井  

まさにこれは、僧形神、男神、女神という箱根の三所権現の具体的な姿を写したもので、鎌倉時代の製作と判断していいと思います。
 


  ◇彩色が残る平安後期の男神・女神像
 
薄井  

今回出てきたその他のお像は、拝見するなりびっくりしてしまったのですが、なかにそれ以前の時代だと思う像があったんです。 つまり、三所権現をつくるようになったのは中世に入ってからで、中世以前はもっと古い姿のご神像がもともとの形としてあったのだろう。 それが今回確認された二体の男女神なんです。

製作年代は、作風から見て、平安後期の早いほう、10世紀後半から11世紀前半と考えて間違いないと思います。

特に男神像は、この手の神像のなかでは保存状態が抜群によくて、彩色も、朱と冠の黒とコントラストがすばらしくよく残っている。

何とも威厳があるお顔立ちで、眉が濃くて、目がカッと開いています。 そして跳ねるような口ひげがかいてあります。 横から見ますと、非常に鼻高で、見ようによっては異国的な顔ですけれども、神奈川県下ではほかに類例はもちろんないと思います。

もう一体は女神像で、頭につけている髪飾りの形が、仏像で言うと天部像の兜の前立てみたいに見えるんですが、カチューシャのような冠の前飾りだろうと思います。

彩色でわかるんですが、衣を胸前で打ち合わせていて袖が膨らんでいます。 腹の部分がU字型の飾りのようになっていて、大変仏教色の強い唐形の服装です。 ただ、髪の結い方とかが大変個性的で、これも全国には類例があまりないんじゃないかと思います。
 


   箱根の山岳信仰の神駒形・能善権現をあらわした可能性も
 
薄井  

ともに一木造で、彩色です。 時代はほぼ同じと見ていい。 この二像は万巻上人像に次いで箱根神社の古い歴史を示すことになるんじゃないかと思います。
 

濱田  

本当の宝物だね。
 

薄井  

大きさは、仏像で言うところの三尺(立像で約90センチ)に相当するぐらいの坐像です。 神像にはそんな巨大なものはないので、神像彫刻としては極めて本格的です。

この二像はいったい何の神様なのか。 もしかすると駒ヶ岳、駒形[こまがた]、箱根のもともとの山岳信仰の中の神様に相当するんじゃないかなという気はしています。
 

濱田  

駒形、能善[のうぜん]。
 

薄井  

空想めいていますけれども、女神が能善権現、男神が駒形権現というのがふさわしいかなと思っています。
 

編集部  

平安期の信仰の形態として二体の坐像、鎌倉時代の別当行実のあたりの段階で三体の立像になったということですか。
 

薄井  

一つの仮説なんですが、そういう解釈もどうかなと思っています。
 


   天鈿女命と思われる女神像「袖隠」は鎌倉中後期製作か
 
薄井  

さらにすごいのは、その後に袖隠という女神像が出てきたんです。 これも全国に例を見たことはまだありません。 唐衣[からごろも]をつけた、巫女[みこ]さんのような姿をしています。 大磯の高来[たかく]神社や、金沢区の瀬戸神社の女神もこのような形ですが、何より変わっているのは、両袖の袂で手を隠して、片手を額の上にかざしている。 よく見ると歯を出して笑っているような、ちょっと不思議な表情をしています。 何のお像なのか、よくわからないんです。
 

濱田  

天鈿女命[あまのうずめのみこと]ですか。
 

薄井  

なるほど。 舞っている姿でしょうか。 何とも不思議なお像です。
 

濱田  

顔がふくよかでね。
 

薄井  

伊豆山神社の別当寺であった般若院の木彫の伊豆山権現像が、置物みたいな、かわいらしいお像で、あれと作風が一脈通じるんです。 時代も多分同じぐらい、鎌倉中期から後期にかけてですね。

さらにもう一体は銅でできている男神像です。 巾子冠で束帯形のお像で、大変若々しい顔立ちをしておりまして、恐らく若宮神像みたいな感じを受けるかと思いますが、これ自体も大変珍しいんです。
 


  ◇時代が異なる二つの『縁起絵巻』
 
編集部  

絵画でよく知られているものに『箱根権現縁起絵巻』がありますね。
 

柘植  
『箱根権現縁起絵』 部分 (鎌倉時代)
『箱根権現縁起絵』 (部分) 鎌倉時代
箱根神社 蔵

 
   

通称『箱根権現縁起』といわれる『箱根権現縁起絵巻』は国指定の重要文化財ですが、この絵巻の最初の部分はかなり欠落しておりまして、正式名称はわからないんです。 ただ、内容から見ると、箱根権現の縁起を示してあるということです。

当神社には、三つ縁起がありまして、一つは『箱根権現縁起絵巻』で、ビジュアルな見る絵巻です。 それとは別に、『筥根山縁起並序』という物語絵巻があり、これには白文本と訓読本と二つがあり、この三点が一つのストーリーとなって伝わっています。

『筥根山縁起並序』は、当社の沿革を淡々と述べている縁起ですが、『箱根権現縁起絵巻』は、どちからというとお伽草子に近いような物語です。 神様が二人の王子、また二人のお姫様に仮託されて、箱根権現の鎮座のいわれを説いています。

その内容は、神様の本地を示した本地物語で、それを絵巻化した作例は、ほかには見られない。 つまり、今のところ日本で一番古いものではないかと言われています。

また、最後のところには、この絵巻ができた当時の箱根権現社の社頭の景観図が載っていて、歴史絵画史料としての価値がそこに見出されると思います。 製作年代は、鎌倉末期と言われています。
 


   ご神体のように厨子の中にあった平井家本の絵巻
 
柘植  

江戸時代の『新編相模国風土記稿』の中の当神社の修験の記録に、正覚院というのがあります。

5、6年前、山北町の平井さんというお宅で、家の中にある祠[ほこら]を調べたところ、それが正覚院だった。 正覚院は代々伝わっていて、平井さんのお話では、修験がさびれた後は、神主さんをされていたということです。

この祠の中に小さな神棚のようなお厨子があって、ご先祖様の遺言で「絶対あけてはいけない、見てはいけない」といわれていたそうですが、お堂が古くなったので修理をすることになり、初めて今のご当主がお厨子の扉をあけたら、絵巻が二本入っていた。 箱ではなく、神棚の形のお厨子の中にご神体のように立てかけてあったんです。

「箱根大権現」という字が読めて、湖もあるので、これは箱根神社ではないかということで、ご一報いただきました。 伺って拝見しますと、平井家本は二巻本で、伊豆山、箱根、三嶋まで色鮮やかに残っておりました。 時代は箱根神社のものよりは新しい、後世のものですけれども、天正年間、戦国時代の年号もありました。

内容には、箱根神社本にないものが載っておりまして、つまり、もともとの箱根神社本を見ないとかけない。 完本を見た上でつくったという形ですから、反対に平井家のものから追っていくと、神社本の全貌がわかるという相互の補完関係にある重要な絵巻だと思います。

箱根神社の絵巻だけでも結構注目されていたんですけれども、平井家の絵巻が出てきたことで、今、研究が非常に活発になってきています。

今回の企画展では、平井さんにお願いいたしまして、箱根神社本と平井家本の両方を展示できることになりましたので、一度に見られる機会として、研究者の間では、今から楽しみにされている方もいらっしゃるようです。
 

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