Web版 有鄰

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有鄰

平成19年4月10日  第473号  P2

○特集 P1   第三の故郷 佐藤多佳子
○座談会 P2   横浜開港と五雲亭貞秀 (1) (2) (3)
横田洋一/木下直之/桑山童奈/松信裕
○人と作品 P5   小沢章友と『三島転生』
○有鄰らいぶらりい P5   パオロ・マッツァリーノ 著 『つっこみ力』渡辺淳一 著 『鈍感力』なかにし礼 著 『戦場のニーナ』夏樹静子 著 『四文字の殺意』
○類書紹介 P6   「いじめ」に関する本・・・深刻化する社会問題を映し出した小説・児童文学・絵本。


座談会

横浜開港と五雲亭貞秀 (1)

関東学院大学文学部教授 横田洋一
東京大学大学院教授   木下直之
神奈川県立歴史博物館学芸員   桑山童奈
 有隣堂社長    松信裕
 
貞秀の顔
貞秀の顔
「扇橋文池堂社中席書之図」より

貞秀「横浜本町并ニ港崎町細見全図」   「神名川横浜新開港図」
貞秀「横浜本町并ニ港崎町細見全図」
万延元年4月
神奈川県立歴史博物館 蔵
  貞秀「神名川横浜新開港図」
万延元年2月
神奈川県立歴史博物館 蔵

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    はじめに
 
松信  

横浜は、2年後の2009年に開港150周年を迎えることになり、既にいろいろな形で、イベントなどが計画されております。 安政5年6月(太陽暦=1858年7月)、日本とアメリカの間に修好通商条約が結ばれ、翌安政6年(1859年)6月に、横浜は長崎・函館とともに開港することになりました。 ペリーの来航から6年後のことになります。

黒船の来航や横浜開港への関心が高まる中で、浮世絵はそれらをジャーナリスティックに紹介するものとして、膨大な数の作品が江戸の浮世絵師によってつくられました。

本日は、横浜の浮世絵を描いた絵師の中で、最もすぐれた作品を数多く残している五雲亭貞秀[ごうんていさだひで]について、また、当時浮世絵が果たした役割や浮世絵史の中での位置づけなどをお聞かせいただきたいと存じます。

ご出席いただきました横田洋一先生は、関東学院大学文学部教授でいらっしゃいます。 日本近代美術史をご専攻です。 神奈川県立歴史博物館に長く勤務され、有隣堂が出版いたしました『集大成横浜浮世絵』刊行の際には、中心になってご指導をいただきました。

木下直之先生は、東京大学大学院人文社会系研究科教授で、19世紀の日本美術に関心を寄せていらっしゃいます。 ご著書『美術という見世物』(平凡社)で1993年度サントリー学芸賞を受賞なさいました。

桑山童奈さんは、神奈川県立歴史博物館学芸員でいらっしゃいます。 浮世絵に描かれた神奈川の名所絵を中心に、月岡芳年など、明治期に活躍した浮世絵師なども研究されています。
 

桑山童奈氏 横田洋一氏 木下直之氏 松信裕
左から、桑山童奈氏・横田洋一氏・木下直之氏・松信裕


  ◇江戸の版元が「横浜」に注目して売り出す
 
松信  

まず、横浜浮世絵とはどういう作品を指しているのでしょうか。
 

横田  

「横浜浮世絵」という名前は昔からあったわけではありません。 幕末に横浜が開港して、特にヨーロッパ系の人たちが横浜に来る。 それによって、浮世絵はある意味でジャーナリスティックな要素がだんだん大きくなってくる。 目ざとい江戸の出版資本が"横浜"という町と、そこに大勢来ている日本人が見たことのないような異国の不思議な姿・形をした人を描いて売り出せば儲かるのではないかと考えたわけです。

それから、横浜は急に開港したわけではなくて、ペリーの来航や、それ以前にもほかの外国船が日本の近海に来ていますから、それぞれ関心を持って海外情報や知識を集めていたと思うんです。 つまり日本が鎖国を解いて、海外に向けて初めて門戸を開いたという大事件に絵画的な要素をうまくからめて、啓蒙的といいますか、日本の人々に知識を与えようという意図もあって製作された浮世絵のことを横浜浮世絵と呼んでいます。

外国人が我々とどう違うのか。 今、日本に来ている人たちは、東洋の我々とどこがどう違って、どこが違わないのかを絵画的に表現して伝えようとしたわけです。
 


    万延元年2月の貞秀の作品で始まり明治5年に終わる
 
横田  

人間の一番の基本的な関心は、人間そのものにあるわけで、自分たちと違う異国の人を表現した。 これがまさに人々の興味を引いて、万延元年(1860年)、文久元年(1861年)という、開港した翌年、翌々年の2年間で400〜500種、点数にしたら相当な数が出版されて、爆発的な売れ行きだった。 人々の要求にぴったりで、なおかつ、明治になっていくなかで、日本文化の中に異国文化を取り入れる基本的な土台をつくった。 そういう意味で、横浜浮世絵は非常に大きな役割を果たしていると思います。
 

松信  

時代はいつからいつ頃までですか。
 

横田  

浮世絵の流れで言えば、末期浮世絵に入ります。 始まりは、五雲亭貞秀の万延元年(1860年)2月の作品「神名川横浜新開港図」です。 終わりは、これは私の解釈なんですが、開港以後、横浜では、欧米のさまざまな人との異文化交流の中で生まれた、いわば自然発生的な民の文化があり、横浜浮世絵もそこに位置づけられる。 その後明治になって明治政府による施策、つまりお上からお仕着せの文化が主流になっていく。 制度的なものも含めてそうした基盤が出来上がったのが明治5年という年で、それを象徴するのが新橋−横浜間を走った鉄道の蒸気車だろう。 そういう意味で、横浜浮世絵の終焉は明治5年としたい。 それ以降は文明開化絵といいますか、東京を中心とした文明開化の様子を描いた浮世絵になっていく。
 


    突然出現した刺激的な町「横浜」を描く
 
木下  

横浜浮世絵というものが短期間に大量に出回り、なぜこれほどの商品価値を持ってしまったのかということを考える、それは横浜の出現ということにつきます。 ある時期に突然横浜という町が生まれ、大変な注目を浴びる。 それまでの日本に全くなかったような経済活動が起こり、それに伴って新しい文化が起こる。 とんでもなく刺激的な場所が短期間の間に出現したという感じがするんです。

開港から1年ぐらいで、町ができ上がっていますね。 ほかの日本の都市とは比較にならないでき上がり方をしている。 その姿をかく絵師がいる。 そうした横浜浮世絵の面白さに非常に関心を持ってきました。
 

桑山  

「浮世絵」と言われるものは、そもそも情報が多い版画だと思うんですけれども、横浜浮世絵はさらに、見たことのない外国人とか、横浜の新しい町をかく。 特に貞秀は赤い短冊で、ここは本町何丁目とか、こちらは海岸通とか、しつこく書くんです。 さらに貞秀以外の浮世絵師になりますと、アメリカはどういう国だとか、異国言葉で、例えば「月をまアんといふ」というようなことをかいています。 横田さんがおっしゃった「啓蒙的」という意味もあり、当時の人にとっては絵もあるし、言葉でも情報が入ってくるし、とても面白いものだったと思います。
 


  ◇横浜開港を契機に才能を開花させる
 
松信  

力作が一番多いのは貞秀ですか。
 

横田  

点数の多さでは芳虎[よしとら]、芳員[よしかず]という順序で、貞秀が一番ではない。 それでも100点以上も描いていて、貞秀はまさに横浜開港を契機に才能を開花させた絵師といっていいと思います。
 

松信  

貞秀はどういう系譜に位置する絵師ですか。
 

横田  

横浜浮世絵の絵師で一番多いのは歌川国芳系で「芳」がつくんです。 芳虎、芳員、芳幾、芳盛…と20人近くいる。 それだけにたくさん作品を残しています。 貞秀を我々はふつう、五雲亭貞秀といいますが、「五雲亭」は号で、正確には歌川貞秀というのが学問的なのかもしれません。 けれども、貞秀を生んだ国貞門下は同じ歌川派でも系統が違う。 国貞、すなわち三代豊国門下は、貞秀以外にも何人かいますけれども、大した絵師は出ていない。

貞秀の作品はほかの絵師の作品と並べると、抜群に心にヒットするというか、訴えかけるものがある。 ですから、貞秀が横浜浮世絵の第一人者というのはずっと前から言われている言葉です。 亡くなられた石井光太郎さんという横浜の生き字引みたいな人が、「貞秀、いいよね」と言い続けていたぐらいですから。
 


    下絵が細かく彫師仲間の鼻つまみ者
 
横田  

貞秀の特色は、若いころから海外に関する知識が頭の中に入っていて、ある本によれば、洋書、多分、外国の新聞や雑誌の切り抜きだと思うんですが、そういうものもたくさん持っていたようです。 非常に勉強家で、性格的には、どっちかというと心煉り・むっつり型で余り人に好まれない。 神奈川県立歴史博物館の展覧会図録『横浜浮世絵と空とぶ絵師五雲亭貞秀』の裏に貞秀の横顔を載せました。 「扇橋文池堂社中席書之図」という自分の絵の中に出てくるんですが、頭にたんこぶが二つある。 どうも一筋縄ではいかないような顔をしている。 これは私の感じです。

いろいろエピソードはありますけれども、一つのことを徹底的にやるタイプだったようです。 特に出版社泣かせといいますか、彫師泣かせといいますか、貞秀は下絵を非常に細かくかく。 それを版木に彫るのは彫師なんです。 貞秀の作品は別にすごく売れるわけじゃないのに、こんなにいっぱい彫らなければいけないということで「どうかもうちょっと省略してかいてください」と言うと、「わかった」と言って持ってくるのが、また同じようで、彫師仲間の鼻つまみ者だったと言われている。 これは文献が残っているんですが、それくらい一生懸命やった。

それから、『横浜開港見聞誌』という本は、横浜の町の案内だけではなくて、外国や外国人についてすごく勉強した形跡がその中にある。

彼は、情報源として、国芳系ほど海外の資料を手に入れることができず、また駆使することもなかったと思うんです。 それで自分なりに工夫して、一生懸命努力して自分で探して見つけた。 ですから、最初の彼の浮世絵は、それ以前に長崎にあった、オランダ人をかいた長崎版画をうまくごまかして使って、いかにも横浜浮世絵にしたという要素があります。 これはなかなか見抜けないぐらいすばらしいできで、とにかく丹念に、丁寧に、人の何倍もエネルギーを費やして作品に取り組むということが、見た人にとって印象深く入ってくる。

もう一つは、後で「空とぶ絵師」という形で話しますけれども、横浜浮世絵で、彼は鳥瞰図的なものを開花させるわけです。 「御開港横浜之全図」というものすごい大作を何度も改訂して描く。 また非常に細かい人物像を描く。 これは国芳系の絵師とは全く違う絵画的な印象を与える。 美術としてすぐれていたので、横浜浮世絵の第一人者と言われてきたんだと思います。  

「御開港横浜之全図」
貞秀「御開港横浜之全図」
万延元年頃
神奈川県立歴史博物館 蔵
 

    版本の挿絵でスタートし、10年ほどで一流に
 
松信  

横浜浮世絵をかくまでは、貞秀はどんなことをしていたんですか。
 

横田  

貞秀は文化4年(1807年)、下総(千葉県)の生まれです。 国貞の門人になったのはいつなのか、はっきりわかりませんが、最初の作品は文政9年(1826年)です。 19歳のときに、『彦山霊験記』の版本の最終丁のところに「えびすと大黒」という挿絵をかいています。

文政11年には、国貞門下11名の中で上から4番目に位置するわけですから、かなりの出世です。

それから、曲亭馬琴の有名な『傾城水滸伝』という、大当たりした本がありますが、その挿絵は、当代の一流絵師たちが描いているんです。 貞秀もそれを担当していますから、天保6年(1835年)の時点で、すでに一流の絵師になっていたんだろうと思います。

初期の作品は、本の挿絵がほとんどで、天保末期から一枚絵の独立した版画をかくようになります。 このころの作品は、ほかの絵師と同じように武者絵であったり、美人画であったり、花鳥画であったりで、別にどうということはない絵です。

嘉永元年(1848年)に版本としてちょっと有名といいますか、結構売れた本で『海外新話』という阿片戦争を取材した作品がありまして、これの挿絵もかいています。

嘉永2年の浮世絵の番付では、全体の浮世絵師の中で5番目にランクされ、さらに明治元年には、錦絵の部で番付表のトップになります。
 


    鳥瞰図や国絵図は嘉永年間の富士登山が影響
 
横田  

嘉永年間というのが非常に大事で、嘉永の初めに貞秀が富士登山をする。 5、6回続けて行ってるんだと思いますが、富士の頂上から見た眺めが、それ以降の彼の作品に大きく影響するんです。

一つは、高いところから見下ろす視点の、鳥瞰図、俯瞰図という要素ですね。 もう一つは、富士山の頂上から見渡すと、遠くのものが具体的には見えません。 幾何学的、セザンヌみたいに円筒とか円錐に見えるとは貞秀は言っていませんが、要するに幾何学的に見えるということが、彼の考えの中にぴたっと入ったのではないか。

それ以降、だんだん版本類が少なくなっていって、一枚絵というものの中で、鳥瞰図や、いま幾何学的と言いましたが、国絵図という、甲斐国とか、武蔵国、相模国とかの普通の地図に興味を持つようになる。 その二つの特徴が出てきます。

ちょうどそのころ"横浜"という新しい、今まで見たこともないような、どこにもない町がたった1年でつくられて、さらにその町並みがどんどん進化していくわけです。 その町の上空を鳥のように自由に飛び回って、空から横浜を描きまくる。

全体的にみると、貞秀は初期の段階では人物を結構かきますが、比率から言うと、人間よりむしろ事物的なものに興味があったのではないかと思います。
 

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