Web版 有鄰

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有鄰

平成19年4月10日  第473号  P4

○特集 P1   第三の故郷 佐藤多佳子
○座談会 P2   横浜開港と五雲亭貞秀 (1) (2) (3)
横田洋一/木下直之/桑山童奈/松信裕
○人と作品 P5   小沢章友と『三島転生』
○有鄰らいぶらりい P5   パオロ・マッツァリーノ 著 『つっこみ力』渡辺淳一 著 『鈍感力』なかにし礼 著 『戦場のニーナ』夏樹静子 著 『四文字の殺意』
○類書紹介 P6   「いじめ」に関する本・・・深刻化する社会問題を映し出した小説・児童文学・絵本。


 
座談会

横浜開港と五雲亭貞秀 (3)

 

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  ◇「空飛ぶ絵師」貞秀の想像力は科学に匹敵
 
松信  

横田先生は貞秀を「空とぶ絵師」と命名され、その作画を特徴づけていますね。
 

横田  

「三国第一山之図」という、これは絵かなと思うような、何かすごく変な不思議な絵があるんです。 そこに「登山成就時玉蘭斎貞秀写」、自分は富士登山したと書いてある。 あと「大日本分境図成」という版本の富士山を特集した部分に、自分は富士山に登って風が心地よかったとか、そこへ行った状況を書いている。 嘉永の初めから嘉永7年(1854年)、安政元年ですが、そこまでの間に登った。 これは信じていいんじゃないかと思います。

神奈川県立歴史博物館で貞秀の「富士山真景全図」を立版古にして売っています。 それは、富士山を真上からかいているんです。 計算によると600〜700メートルとか、そのぐらい上からだという。
 

木下  

上空。
 

横田  

それで、円錐状の余白の辺はのりしろになっていて、張り合わせると立体的な富士山ができ、「胎内巡り」もできる。 これはある意味では「起こし絵」でもあるのと同時に、富士信仰のミニチュア版で、「胎内巡り」までできちゃうんですから、すばらしいです。
 

木下  

立体的にできる。 富士信仰の信者たちが、こういうものを持っていたり、実際に信仰の場で使われるものだったのかな。
 

桑山  

大きくて、1辺が1メートル近くはあるので、結構豪華版じゃないですか。
 

  「富士山真景全図」
  貞秀「富士山真景全図」
嘉永初期
神奈川県立歴史博物館 蔵
   

    ほぼ正確に伊豆韮山の上空500メートルの視点
 
木下  

真上からというのはすごく貴重な視点だと思いますが、明治になって富岡鉄斎が、真上からの「東盡山頂全図」を大きな屏風にかいていますね。 関係あるんですか。
 

横田  

これは私の説なんですが、鉄斎のは貞秀の「大日本富士山絶頂之図」が下敷きになっている。 非常によく似ているんですね。
 

木下  

鉄斎の作品は、六曲一隻の屏風で、火口の絵とかなり離れた遠方図と、両方をセットでかいたことを、美術史家の高階秀爾先生が近代的な視点だと評価されているんです。 でも貞秀は50年代に、その視点を手に入れている。 この二つの視点でとらえることができたというのはとても面白いし、山頂の風景を体験していないとかけないですね。
 

横田  

他に「箱根山富士見平御遊覧諸所遠景之図」の視点がどのあたりにあるか、国土地理院の数値データを使って測定できるんです。 神奈川県立生命の星・地球博物館の新井田秀一さんが調べてくれたら、ほぼ正確に伊豆の韮山上空500メートルだった。 つまり貞秀はそこに飛んでいたということになるんです。
 

「箱根山富士見平御遊覧諸処遠景之図」  
貞秀「箱根山富士見平御遊覧諸所遠景之図」
安政4年
神戸市立博物館 蔵
 
   
桑山  

あと、貞秀には雲がないんです。 「横浜道中見物双六」は、ちょっとあるのが気になるんですが、このタイプには雲がほぼない。
 

松信  

雲でごまかさない。
 

桑山  

それはすごいと思います。
 



    高度を自由に操り、低空でも空間が歪まない
 
横田  

日本の絵画の要素の一つとして、俯瞰的な構図は『源氏物語』の吹き抜け屋台からずっとあるわけですが、一覧図としては、身近なところでは北斎ですね。 北斎は朝鮮半島までかいてしまう。
 

木下  

そういう意味では北斎はすごく高度が高い。 (笑)
 

横田  

50センチ四方の中に、日本から朝鮮半島までかいている。
 

木下  

貞秀は高度を自由自在に操る。 まるでトンビのようですね。 だから、低空飛行ができる。 高輪を通っていく行列の真上の、かなり低いところからの視点も面白いですね。
 

横田  

遠近を使った「東都高輪勝景」ですね。
 

桑山  

それで崩れない、空間が歪まないというのはすごいと思います。 二代広重が「神名川横浜港真景 横浜海岸図会」という横浜の鳥瞰図をかいていますけど、正確さは貞秀に及ばない。 雲もいっぱいあるんです。
 

横田  

あと北斎の松島図とか、鍬形惠斎の「江戸一目図屏風」といった伝統もあるわけですけれども、貞秀は、木下さんが言ったように自由自在にえがいていますね。
 

松信  

「改正横浜細見図」の本牧あたりの切り立った崖の内側、山を越えたところなどのイメージはどうやってつくったのかなと思います。
 

桑山  

これは通りなんかがちょっと歪んでいるみたいですね。 きちっとしていないような気がします。
 

横田  

貞秀は、現代の横浜で言えば、マリンタワーの高さから見たり、ランドマークタワーの高さから見たり、平気で視点を変えることができたんですね。 あそこに上ってみたら、私は貞秀と結構近い視点で見られましたよ。 (笑)

貞秀の頭脳というか、想像力と、科学との差があまりなかったんでしょう。
 


  ◇広重の風景版画と異なる独特な世界
 
松信  

浮世絵の流れの中で、貞秀はどういう位置づけなのでしょうか。
 

桑山  

横浜浮世絵という部分で見ますと、1849年に北斎、58年に初代広重が亡くなります。 国芳は61年に亡くなるので、開港したときには生きているんですが、ほとんどかいていない。 元治元年(1864年)に浮世絵師の中で一番多く作品を残したと言われる三代豊国が亡くなりますが、この人は美人画、役者絵が売りで、横浜浮世絵はあまりない。 ちょっとあいた時期に、貞秀という人がうまくはまったような印象もあります。 ちょうど地図、絵図などの需要があったという時代背景もあるのかと思います。

浮世絵はそもそも美人画と役者絵という人物画中心に発達したもので、実は風景版画は本当に最後の天保年間に人気が出てきて、ジャンルが定着すると言われている。 それで最後に貞秀が出てくるのは非常に面白いんです。

貞秀の絵は、一覧図とは言えるんですけれど、浮世絵の名所絵とか、風景に位置づけられるかどうかは、かなり疑問なんです。 広重があんなに受け入れられるのは、空間表現とかはうまくないかもしれないんですが、雨とか雪の情景とか、お花がきれいとか、お祭りとか、日本の四季をうまく取り入れているんです。 貞秀は、横浜は港崎遊廓をかけば桜があったりしますけれども、あとのところは季節感みたいなのがない。 これはちょっと独特なんじゃないかなと思っています。
 


    横浜という町そのものが事件だった
 
木下  

横浜浮世絵は、横浜という事件を伝えていると思いますね。 単に珍しい風景ではなくて、横浜という町そのものが出来事ですから、浮世絵の持っている時事性というか、当時の出来事をどこまで伝えられるか、ぎりぎりのところまでやっている。 浮世絵師によってはやっていると思うんです。 将軍の徳川家茂が上洛する場面もかいていますし、下関をイギリスなどの4カ国の連合艦隊が砲撃した事件を、「源平八島檀之浦長門国赤間関合戦之図」として、別の時代に見立ててかいていますね。
 

横田  

そうですね。 末期浮世絵の中には時事性という問題が、つまり事件が多発するので出てくるわけです。

貞秀に限らず、浮世絵の持つジャーナリスティックな要素がかなり増えてきたということじゃないですか。
 

木下  

美人画にせよ、役者絵にせよ、時事性はあるわけですね。
 

桑山  

ありますね。
 

木下  

浮世絵は一番庶民的なメディアであることは間違いない。 幕末の浮世絵のニュースメディアという性格に、貞秀も触れていますね。
 

松信  

貞秀の横浜に関する最後の作品はどれですか。
 

桑山  

横浜の鉄道をかいたものはないんですね。
 

横田  

横浜浮世絵としては明治3年の「横浜鉄橋[かねのはし]之図」と明治4年の「横浜弌覧[いちらん]之真景」が最後ですね。 版本類では、横浜じゃないけれど、もうちょっと後まであります。 それと、貞秀はいつ亡くなったのかわからないんですよ。
 

木下  

それが何か意外ですね。 明治の初めにはすごく評価されていた人なので。
 

横田  

明治11、2年ころと言われています。 ほかに三重県鳥羽に伝わる話があります。 中田政吉が書いた鳥羽の茶話にある『浮世絵師貞秀の終焉』が芝居として上演されているようです。 『仇討奇譚走り鐘心中』という脚本も残っていて、それによると、貞秀は明治4年に切腹の末に亡くなっていますから、史実とは大分異なっています。
 

  「横浜鉄橋之図」(部分)
  貞秀「横浜鉄橋之図」(部分)
明治3年8月
神奈川県立歴史博物館 蔵
   

    貞秀の絵は現在もその場所が確認できるほど正確
 
松信  

2年後に横浜は、開港150年を迎えますが。
 

木下  

開港前、まず1854年に日米和親条約が結ばれます。 しかし、58年に調印された修好通商条約は全然レベルが異なる条約で、現実に外国人が日本人と一緒に暮らし始めることを前提としている。 きょうのお話にあったように、容姿や服装はもちろん生活習慣や文化がまったく異なる両者が、横浜で実際に生活を始めるわけですから、いろんな衝突が起こる。 多分、貞秀はそこで実際に生活が繰り広げられているところにグーッと目を向けていった人だなと思います。
 

桑山  

横浜は、町の形自体は埋め立てた部分が増えたりはしているんですけれども、今も昔もそんなに変わっていない。 貞秀の絵を見ると、正確だからですけれども、この場所は今もあるというのが本当によく確認できます。

きょうはお話しに出ませんでしたが、「横浜鈍宅[どんたく]之図」とか「御開港横浜大絵図」の続編と考えられている「外国人住宅図」など、優れた、また歴史資料として活用できる作品も数多く残しています。 貞秀は横浜浮世絵を象徴するんだなというのがわかるように、必ず1点は展示に出すように心掛けていますから、ぜひ博物館に足を運んで見ていただきたいと思います。
 

横田  

横浜浮世絵というよりも、江戸末期の日本人が持っている海外の知識、たとえば情報提供する仮名垣魯文みたいな人たちは、ナポレオンも、ピョートルのこともワシントンも知っている。 それからヨーロッパの都市のロンドンなどもすべて知っている。

ある意味では、我々が考える以上に詳しいと言ってもいい。 鎖国と言いながらも、魯文のような人たちはかなりの海外知識を持っていたということは、ぜひとも言っておかなければいけないんじゃないかと思います。
 

松信  

きょうは、ありがとうございました。
 




 

横田洋一 (よこた よういち)
1941年群馬県生れ。
著書『横浜浮世絵』 有隣堂 3,048円(5%税込)、他。

木下直之 (きのした なおゆき)
1954年静岡県生れ。 『世の途中から隠されていること』 晶文社 3,990円(5%税込)、他。

桑山童奈 (くわやま どな)
1969年東京生れ。

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