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有鄰

平成20年8月10日  第489号  P2

○座談会 P1   箱根火山 噴火の新しいメカニズムをさぐる (1) (2) (3)
高橋正樹/萬年一剛/山下浩之/松信裕
○特集 1 P4   源氏物語一〇〇〇年 藤井貞和
○特集 2 P4   横浜開港150年・有隣堂創業100年
「横浜を築いた建築家たち (2)」 ブラントン
 吉田鋼市
○人と作品 P5   吉行和子と『老嬢は今日も上機嫌』
○有鄰らいぶらりい P5   瀬戸内寂聴 著 横尾忠則 画 『奇縁まんだら』井上ひさし 著 『ボローニャ紀行』北村慶 著 『排出権取引とは何か』三宅勝久 著 『自衛隊員が死んでいく』
○類書紹介 P6   裁判員制度…いよいよ来年から導入される制度を、正しく理解するために。



座談会


箱根火山
噴火の新しいメカニズムをさぐる  (2)

 

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  ◇23万年前からの爆発的噴火でカルデラができる
 

高橋

 

23万年前からは噴火の活動様式が変わり、カルデラができるような大規模で爆発的なプリニー式噴火をするようになります。 同時に比較的小規模な火山からなる単成火山群がつくられます。

箱根火山の特徴の一つに、噴火が爆発的だったり穏やかだったりと、あらゆるタイプの噴火様式がみられるということがあります。

23万年前以降は、大規模で非常に爆発的な噴火をするようになり、その結果カルデラの原型みたいなものができます。 現在は浸食が進み、カルデラの縁が外輪山として残っているだけなので、当時どういうものがあったのかよくわからないんです。

萬年  

箱根のカルデラは、直径が南北11キロ、東西が8キロの、縦長の楕円形の大きな穴ぼこです。 周囲にある金時山、三国山、明神ヶ岳、明星ヶ岳などが外輪山です。

  仙石原から見た金時山 神奈川県立生命の星・地球博物館提供
  仙石原から見た金時山
神奈川県立生命の星・地球博物館提供
   
松信  

カルデラというのはどういうものですか。

萬年  

火山にできる大きな穴のことで、日本の場合、直径2キロ以上の穴のことを言います。 成因は何でもいいんです。 スペイン語で「鍋」の意味です。 スキヤキ鍋みたいなものが火山体にボコッとあいていればカルデラなんです。


    須雲川沿いに見られる200枚以上の岩脈
 

山下

 

この時期には外輪山の南東側や北西側の山腹に単成火山群や溶岩ドームがたくさんできます。 真鶴岬もこのときに流出した溶岩ドーム群です。 それらが北西―南東方向に直線的に並んでいます。

高橋

 

この時期にできたもので非常に不思議なものに岩脈群があります。 地下からマグマが上昇してくるとき、大部分は割れ目を通じて上がってきます。 その割れ目を満たしたマグマが冷えて固まったものが岩脈で、岩脈はマグマが侵入してきた跡です。

そうした岩脈群が須雲川沿いに見られます。 箱根新道をつくるために須雲川沿いの斜面を削ったとき、道路沿いの露頭に215枚あまりの岩脈が出てきました。 当時、工事現場を調査した久野先生が発見したものです。

岩脈が入ってくると、その幅だけ大地が開いて元に戻らない。 これが大々的に起こっているのが中央海嶺という海洋プレートをつくっているところです。 中央海嶺で割れ目ができ、上がってきたマグマが冷えて固まると、その分だけ海底が拡大します。 それが積み重なると海洋プレートが両側に移動します。 これが海洋底拡大によるプレートテクトニクスのしくみです。

箱根でも、平均的な厚さが3メートル程度の200枚もの岩脈があって、全部マグマが固まったものであるということは箱根地域が600メートルも拡大したことになります。

岩脈の延びの方向(走向)はほぼ北西―南東方向で、単成火山群もほぼその方向に配列しています。 岩脈はこれらの単成火山の火道だった可能性が高いのです。 岩脈の拡大方向は、伸びの方向に直交する方向、すなわち北東―南西方向になります。 ということはカルデラができた時期、すなわち岩脈群ができた時期は箱根全体が北東―南西方向に引っ張られて、その開いたところで大規模な爆発的な噴火が起きてカルデラができ、同時に単成火山群が活動していたということになります。


  ◇前期中央火口丘の形成と6万5千年前の大噴火
 

高橋

 

13万年前ころから、それまで外輪山の山腹を含めて起きていた火山活動が、カルデラの内側だけに限定されるようになり、外側での火山活動がなくなります。 これは大きな出来事ですね。

それから大体8万年ぐらい前まで、頻繁にプリニー式噴火を繰り返し、同時に大量の溶岩を出して浅間山[せんげんやま]、屏風山[びょうぶやま]、鷹巣山などの台地状の楯状火山をつくっていきます。

山下

 

この時期のマグマは箱根火山のなかでも特徴的で箱根に普通に見られる安山岩に加えてデイサイト質、あるいは流紋岩質の溶岩が大量に見られます。 従来はこれらは新期外輪山と呼ばれていましたが、現在は、カルデラの中にできているので前期中央火口丘と呼んでいます。


    6万5千年前の噴火は箱根でベスト3に入る最大級の噴火
 

高橋

 

その後、6万5千年ぐらい前に非常に大きな爆発的噴火が起こり、「東京軽石」と呼ばれる軽石を堆積させ、カルデラができたと考えられます。 その後、大体4万年前ごろまで、同じような爆発的噴火が続きます。

山下

 

6万5千年前の噴火は、箱根の噴火の中ではベスト3に入るほどの最大級のプリニー式噴火で、火砕流(軽石流)を伴っていました。 1991年の雲仙普賢岳の火砕流よりずっと規模の大きなものです。

高橋

 

テフラには2種類あって、1つは降下火砕物で、1回噴煙として空に舞い上がったものが地表に降ってくるもの、もう1つは地表をはって流れる火砕流起源の火砕流堆積物です。

このときは、最初に降下火砕物の「東京軽石」が空から降って、次に火砕流が流れてきました。 神奈川県のほぼ全域が、この火砕流でやられています。 「東京軽石」は、神奈川県だけでなく東京に至るまで、南関東の広い領域を覆いつくしました。

「東京軽石」の分布「東京軽石」の分布  
(町田,1971に加筆)
神奈川県立生命の星・地球博物館特別展図録『箱根火山』より
凡例1 …東京軽石の厚さ(m) 
凡例2 …現存する軽石流堆積物
凡例3 …軽石流の推定到達範囲
 
山下  

この火山灰を「東京軽石」と呼ぶのは、1940年代に、最初に東京で注目されたためです。

高橋  

当初は、どこからきた火山灰かわからなかったのですが、1960年代に、箱根火山のこの噴火のときのものだということがわかってきました。

非常に特徴的な降下軽石なんです。 東京で2、30センチ堆積しています。 東京に降った降下火砕物としては富士山の宝永噴火のものが有名ですが、「東京軽石」の規模はそんなものではありません。

山下  

横浜では40センチくらいですね。

萬年  

千葉のほうでも見られます。


    海を渡り城ヶ島まで達した火砕流
 

山下

 

同時に起きた火砕流は、静岡県富士宮市、伊豆半島の船原峠方面から横浜市保土ヶ谷区、三浦半島の城ヶ島など、ほぼ神奈川県に相当する範囲を覆っています。

松信

 

城ヶ島へは、どういうふうにきたのですか。

山下

 

相模湾を横切って流れたと考えられています。

高橋

 

海まで来たときに海中に入ったものもあるし、海を渡るものもある。 それは火砕流の密度によるんです。

山下

 

遠くまで来ているのは火砕サージという爆風みたいな密度の小さい火砕流で、そういうのは海を渡る。 ただこの時期は氷河期なので、海面がもっと低かったのかもしれません。 だとすると、陸を来たのかもしれない。

高橋

 

今、起きたら神奈川県は全滅ですね。

山下

 

大磯丘陵中部の遠藤原という台地は、この火砕流で谷が埋められてできた火砕流台地なんです。

大磯丘陵には「東京軽石」層や火砕流の数メートルの地層など、箱根起源の火山灰の地層がたくさん堆積していまして、今回の特別展のために、そういう地層を5メートルにわたって剥ぎ取り、展示してあります。

地層に特殊な接着剤を直接吹きつけて剥がすと、地層の表面と全く同じものが剥ぎ取れて、本物の軽石とか火山灰層がくっついてきます。 5メートルもの大きさのものは珍しいですね。


    ボーリングの資料でカルデラの陥没に疑問を
 

松信

 

最近、箱根のカルデラのでき方について、新しい考えが出されているようですね。

萬年

 

先ほど話しましたように、箱根カルデラは南北11キロ、東西8キロの楕円形をしていますが、久野先生は最初、これと同じくらいの大きさのマグマ溜まりが地下にあったと考えられていた。

箱根には、軽石流が出るような大噴火を起した時期が2度ありましたが、そのときにマグマがたくさん噴出してしまったため、このマグマ溜まりがからっぽになった。 そうすると、上に載っている山々を支えきれないのでストンと陥没する。 こうしてできたと考えられてきました。

高橋

 

これはアメリカのクレーターレークカルデラのでき方として提案されたもので久野先生のモデルもこれに影響をうけてます。

萬年

 

その後、箱根カルデラ内で温泉の掘削が行われるようになり、それが確かめられるようになってきました。

神奈川県温泉地学研究所ができた1961年ごろは高度成長期で、箱根でも掘削が盛んに行われていて、当時の所長の大木靖衛さんが、あちこちのボーリングコアをたくさん集めていたんです。 それを久野先生も研究された。

そうしてみると、カルデラが単に陥没したのならカルデラの所のボーリングから昔の山が出てくるはずなのに出てこない。 そのかわり湯ケ島層群と思われる基盤の地層が出てきたのでカルデラは陥没していないのではないかということになった。 これが1960年代後半ですが、久野先生は69年に亡くなられたので最後の仕事になりました。


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