Web版 有鄰

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有鄰

平成21年6月10日  第499号  P3

○座談会 P1   原始・古代から現代まで 『開港150周年記念 横浜 歴史と文化』 (1) (2) (3)
高村直助/斉藤司/西川武臣/平野卓治/松信裕
○特集 1 P4   藤沢のはなし 藤谷治
○特集 2 P4   横浜開港150年・有隣堂創業100年
「横浜を築いた建築家たち」 (12) 川崎鉄三
 吉田鋼市
○人と作品 P5   青木淳悟と『このあいだ東京でね』
○有鄰らいぶらりい P5   乙川優三郎:著 『闇の華たち』塩澤実信:著 『文豪おもしろ豆事典』エドガー・アラン・ポー:著 『モルグ街の殺人・黄金虫』ロバート・ホワイティング:著 『ボブさんの誰にも書けないベースボール事件簿』
○類書紹介 P6   開国・開港と横浜…150年前の横浜の人びと、社会、風景をたどる。



座談会


原始・古代から現代まで
『開港150周年記念 横浜 歴史と文化』 (3)


 

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  ◇異国情緒ただよう町並みが展開
 

松信

 

開港によって国際貿易都市になった横浜は、明治にはどう発展していったのですか。

高村

 

よく言われることですが、西欧文化を受け入れ、取り込んで、さまざまな「もののはじめ」を生み出しますね。 身近なところでは石鹸とか、パンや牛乳といった食材、テニスも横浜が発祥です。 そして、中国人を含めた外国人が数多く住むようになって、異国情緒がただよう町並みが展開された。

西川

 
  横浜税関から大さん橋方面を望む
横浜税関から大さん橋方面を望む
横浜開港資料館蔵
 

しかしその反面、居留地の撤廃と市域の拡張が後に大きな問題になってきます。

横浜は、国内でも数少ない貿易都市として認定されていて、外国人と交流できるという特権を持っているわけですが、居留地が撤廃されるとその特権がなくなってしまうので、どうやって生きのびていくのかを考えなければならない。 これが明治20年代から40年代の横浜の大きな課題でした。

また、静岡県の清水や九州の門司のようなところが国際港になっていき、相対的に横浜の貿易港としての地位が下がってくる。 さらに明治30年代ぐらいから工業化計画が出て、沿岸地帯の工業地化は、市も国も一緒になってやっていくけれど、大きな企業がなかなか進出してこない。 原や茂木といった大きな貿易商たちが総合商社に転換を図ろうとするけれど、それもうまくいかない。 中央の東京資本の三井、住友などの財閥とも形が違う。 その中でどう模索するかという問題があった。

今回の本では、耕地整理の碑に注目した部分があります。 農業地域を区画整理して、工業地化を図る動きがあった。 事実、保土ヶ谷や戸塚の柏尾川周辺、鶴見川沿岸でも工業地帯が形成されます。

横浜を支えていたのは貿易ですから、開港以来、生糸や茶の生産地との経済関係が強かった。 周辺の農村部はもうちょっと地味で、日用消費物資を供給するような役割を果していました。 ところが、近代になり、居留地が撤廃されるころに、そういう地域を工業地化することで、横浜の中心部も生き残ろうとする動きがでてくるんです。


     開港場の労働者で賑わった伊勢佐木町
 

西川

 

横浜市ふるさと歴史財団では伊勢佐木町にこだわった研究もずっとやってきていまして、その成果も本の中に載せています。

松信

 

大阪の千日前、東京の浅草と肩を並べるほどの賑わいで、デパートは野沢屋も越前屋もあるという時代があった。 そういう盛り場はどう形成されたんでしょうか。

高村

 

当初の開港場はたちまち手狭になり、日本人にしても、裕福な貿易商人はとどまれますが、それを支える庶民といいますか、働く人たちはそこからはみ出していく。 彼らが元吉田新田に住み着きます。 人口構成を見ると、圧倒的にひとり者の青・壮年の男子が多い。 すると当然盛り場が栄えてくる。 明治の初めから、政府があの一帯を盛り場にしようという誘導政策をとり、芝居小屋がどんどんできる。 次の時代には映画館が建つ。 伊勢佐木町を追いかけたところは、この本の一つの特徴になったと思います。


     関東大震災を経て貿易の港都から工業都市へ
 

高村

 

近代の横浜は大きな挫折がありまして、関東大震災で横浜はだめになってしまうのではないかと言われたことがあった。 関東大震災の様子は、当時の記録映画を写真として紹介しています。

震災後の復興という部分に大きなウエートを置いているのも、今度の特徴だと思うんですが、「大横浜」ということが言われまして、旧来の横浜の復興だけではなく、もっと大きくするんだということで、市域の合併が第3次から6次まで次々行われます。

それと関連して、極端に言うと、本当の工業化はこの時期に進むと思うんですが、市が率先して海岸部を埋め立て、大企業の誘致を進めていきます。 その辺にスポットを当てたのも、この本の特徴かと思います。

松信

 

横浜は、開港期は貿易の港都であったのが、工業都市になっていく。

高村

 

特に重化学工業が急速に発達します。


  ◇大きな挫折−関東大震災と大空襲
 

松信

 

もう一つ忘れてならないのは、空襲と占領ですね。

高村

 

横浜には、大きな挫折がもう一つありました。 大震災からようやく回復したと思ったら、今度は空襲です。 昭和20年5月29日の大空襲で、またも中心部が壊滅状態になる。

しかも、その壊滅したところに占領軍が入ってきて、横浜は占領軍の拠点になるわけです。 沖縄を別にすると、一番大きな拠点が横浜でした。 したがって、復興は非常に難しく、ある意味で非常に悲惨な状況があったわけですが、そこからまた、立ち直った。 そればかりか巨大都市にまでなっていくという大変貌を遂げていきます。 この本では、その過程を大づかみに、戦争、占領と接収、そして復興から高度成長、巨大都市へということで取り上げております。

松信

 

有隣堂も空襲で焼失した店舗の敷地が接収され、約10年間、野毛で仮営業を続けて、昭和31年にようやく伊勢佐木町に戻りました。 横浜の商人の方々の多くが震災に遭い、空襲で焼かれ、占領にも遭った。 ひどい目に遭ったけれども、ようやく立ち直ってきたんですね。

高村

 

接収解除が本格的に始まるのは、講和条約が昭和27年4月に発効してからですね。

戦後の横浜を特徴づけるのは住宅地化です。 横浜市の人口は戦災で一時、100万人を割りますが、昭和26年には再び100万人を超え、43年には200万人を突破し、53年にはついに大阪市の人口を抜いて、東京に次いで第二の都市になります。

しかし、そこには急激な人口増加にともなうさまざまな歪みが生み出されることにもなって、都心臨港部の再開発や金沢地先の埋立、港北ニュータウンの造成などを盛り込んだ「6大事業」というプロジェクトが計画され、それに基づいて、みなとみらい地区が完成し、港湾施設の跡地を再開発して、赤レンガパークなどが誕生し、そこを会場の一つとして、150周年の催しが行われているわけです。


  ◇見て楽しい、歴史を旅するような本
 

松信

 

横浜では、開港50年に始まる記念の出版物をつくる伝統のようなものがありますね。

高村

 

1909年はちょうど有隣堂さんの開業の年でもありますが、今の「みなとみらい」の新港地区、新港ふ頭が埋め立て中で、その埋立地で開港50年の祝賀祭をやっているんです。 そしてそれに合わせて『横浜開港五十年史』、あるいは『横浜開港側面史』という本が出ている。 その辺から、横浜の歴史を振り返ろうという流れが出始めたのかなと思います。 そして昭和3年には『開港七十年記念横浜史料』が出されている。

開港50年祭に沸く賑町  
開港50年祭に沸く賑町
有隣堂蔵
 

特筆されるのは戦後で、昭和33年に「開港100年祭」があり、『横浜市史』の刊行が始まります。 当時の資料を見ますと、昭和33年は一般的には高度成長に入っていますが、横浜の場合は、まだ復興期とダブっているところがあります。 100年祭の国際仮装行列が行われたときは、開港記念横浜会館はまだ接収中で、その1ヶ月後ぐらいに解除になる。 それが横浜の姿だった。 それだけに歴史を振り返りたいという気持ちが強かったのではないか。

『横浜市史』はこのときの記念事業の目玉で、5年間で5冊出して完結する計画でした。 実際は28年かかったわけですが、市政の関係者を含め、横浜市の歴史をまとめるということに関して、非常に熱が高かったように思います。 結果、非常に立派な『横浜市史』ができます。 これは特に貿易を中心にした経済史とはっきり重点を決めておりまして、学会においても高く評価されました。

その後、市政100周年、開港130年を前に、『横浜市史Ⅱ』の編集事業が始まり、実際に1冊目が出たのは市政100周年、ちょうど「横浜博覧会」があったときです。 節目、節目に歴史を振り返るという流れがあったかと思います。


     海外で集めた写真や20年間の研究成果を盛り込む
 

高村

 
  露天の土産品を見る米軍兵士
露天の土産品を見る米軍兵士
米国国立公文書館蔵
横浜市史資料室提供
 

横浜は関東大震災や空襲があった関係で、市内の資料が乏しいものですから、『横浜市史Ⅱ』の編集の過程で、アメリカなど海外から資料を集めまして、横浜市史資料室に歴史的に貴重な写真も相当蓄えられました。 そういう中から、空襲ですとか、アメリカ軍が撮影した占領下の横浜の姿といったものを、この本では、図版で特集しております。

市史Ⅱに合わせて、横浜市は『図説・横浜の歴史』を、ちょうど今から20年前に発刊しました。 私事で恐縮ですが、そのまとめ役を私がやりました。 今回また、図版中心の横浜の歴史の本をつくることになって、どこに新しさを出せばいいかということは絶えず頭にあったわけです。

20年前は、歴史関連の施設は横浜開港資料館だけでした。 その後、横浜市歴史博物館ができ、横浜都市発展記念館もできて、組織として整ってきました。 そしてこの間に各施設の研究者たちが企画展示や図録などを通じて蓄積してきた成果をぜひ反映させ、今回の本に極力盛り込みたいということで進めてまいりました。

ただ、「歴史と文化」と名をつけたんですが、文化のところ、特に近代の部分では、ふるさと歴史財団の研究者ではどうしても力が及ばないところもあります。

そこで、明治期に横浜で製作されて輸出された陶磁器の真葛焼や、イギリスのコレクターが収集した銀細工とか芝山漆器、また三溪園を創設した原富太郎のもとに集まった近代日本画家たちの作品、あるいは大正・昭和の横浜の風景画などは、美術関係の専門の方々にご協力をいただきました。 おかげで、見て楽しい、歴史を旅するような本になったと思っています。

松信

 

横浜市民必読の書になるんじゃないでしょうか。

高村

 

そうありたいと思っているんです。

松信

 

きょうは本当にありがとうございました。






高村直助 (たかむら なおすけ)
1936年大阪市生れ。
著書『都市横浜の半世紀』 有隣堂 1,260円(5%税込)、ほか。

斉藤司 (さいとう つかさ)
1960年横須賀市生れ。
共著『近世神奈川の100人』 有隣堂 2,415円(5%税込)、ほか。

西川武臣 (にしかわ たけおみ)
1955年名古屋市生れ。
著書『亞墨理駕船渡来日記』 神奈川新聞社 1,470円(5%税込)、ほか。

平野卓治 (ひらの たくじ)
1959年東京都生れ。


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