Web版 有鄰

557平成30年7月10日発行

有鄰らいぶらりい

5時過ぎランチ』 羽田圭介:著/実業之日本社:刊/1,300円+税

ガソリンスタンドに勤めて3年半になる萌衣は、仕事で窮地に立たされたことが何度もある。その日、遭遇したのは初めてのタイプの窮地だった。やくざ者らしい男に「トランクを開けるな」とすごまれたのだ。男の注文をこなして送り出し、休憩、残業と働く萌衣は、部長から社員にならないかと言われるが(「グリーンゾーン」)

“標的”を張り込んで午後2時から水も固形物も摂らないまま8時間を過ごしたリョウジは、帰り道、行きつけの小料理屋で刺身定食を食べた。翌日、向かった先は大学病院だ。6年前の訓練中に発症して以来、リョウジはアレルギー体質に悩んでいた(「内なる殺人者」)

かれこれ1時間近く、助手席の窓から夜の青山通りを眺め続ける紀世美。朝から別の現場にいたところに応援要請があり、高所得者層が集うこの一帯に午後7時半頃に駆けつけた。有名人のカップルネタをとらえるために……(「誰が為の昼食」)

ガソリンスタンドのアルバイト、殺し屋、写真週刊誌の女性記者。時間外労働もこなす人々の日常を切り取り、優れた文章で描き出した3編を収める。近年流行の「お仕事小説」を、サスペンス色を交えた変化球で繰り出す。芥川賞作家の才気を堪能でき、どこか胸がすく短編集だ。

瑕疵借り
松岡圭祐:著/講談社:刊/単行本:1,900円+税 文庫版:660円+税

母子家庭で育ち、公立大学に進学して薬剤師を目指す吉田琴美は、コンビニエンスストアでアルバイトをして学費を捻出していた。2011年暮れ、クリスマスケーキのノルマが捌けずに自腹を覚悟したところ、通りがかった男性が残り全てを買い取ってくれる。以降、何かと助けてくれる男性に好意を抱くが(「土曜日のアパート」)

40歳を過ぎて無職の状態で、実家で鬱々としていた牧島譲二に、不動産業者から連絡が入る。小遣い稼ぎの名義貸しで、いつの間にか貸借契約の連帯保証人にされていた。賃借人が滞納した家賃を払うように言われるが(「保証人のスネップ」)

56歳で失職の危機に直面する梅田昭夫に、長男の勤務先から連絡が入る。かれこれ1週間、出社していないと言われ、息子が住むアパートに問い合わせると……(「百尺竿頭にあり」)

傷や欠陥のことを瑕疵といい、賃借人が死亡したり、事件や事故が起きるなど、「訳あり」になった不動産を瑕疵物件という。前述の3編と「転機のテンキー」の計4編を収めた、賃貸ミステリー短編集。訳あり物件をめぐり、人々が謎の男、藤崎達也と出会う。物語を通して現代社会が描き出され、物件に秘められたドラマに胸打たれる。

その話は今日はやめておきましょう
井上荒野:著/毎日新聞出版:刊/1,600円+税

『その話は今日はやめておきましょう』・表紙

『その話は今日はやめておきましょう』
毎日新聞出版:刊

夫の昌平は72歳、妻のゆり子は69歳。娘と息子が巣立ち、夫婦ふたりきりの暮らしになってもう16年が経つ。営業本部長として65歳まで勤めた昌平は、その後も嘱託として週に2、3度出社し、数年前にリタイアした。クロスバイクを生活に取り入れ、天気の良い日は遠出をしてしゃれた店を見つけては外食を楽しんでいたが、ある日、昌平が事故に遭い、リハビリを必要とする後遺症が残ってしまう。

一方、自転車店でアルバイトをして気ままに暮らしていた一樹は、26歳。オーナーを殴って解雇され、総合病院で働くかつての女友達に生活費を借りに行き、退院する昌平とゆり子に出会う。自転車に詳しい一樹に好感を抱いたゆり子は、昌平のリハビリが進むまで、家でアルバイトをしないかと持ちかける。毎週木曜に3時間ほど手伝いをして1回7000円。家事の一部を任せて生活が好転し、老夫婦は喜んだが……。

青年の出現により揺らいでいく夫婦の暮らしを、直木賞作家が手練の文章でスリリングに描く。堅実に働き、築いてきた生活では接点がなかった社会の怖さに出会うさまが、ゆり子、昌平、一樹の視点から浮かび上がる。「定年後」と「老い」に着目した、著者の最新長編である。

わたしの本の空白は』 近藤史恵:著/角川春樹事務所:刊/1,500円+税

目を開けると、殺風景な白い部屋が見えた。わたしの部屋ではないと、自室を思い出そうとして凍り付く。自分の部屋の記憶が浮かばず、昨日何をして、どこで就寝したかも思い出せない。今いるのは病院のようで、40代ほどの看護師が立っていた。「ミナミさん」と呼ばれたが、わたしの名前だろうか。

〈三笠南。それがわたしの名前だった〉。3日ほど何も食べていなかったと言われて重湯を与えられ、記憶を呼び戻そうとしていると、大柄な男性が病室に入ってきて、わたしの夫なのだという。わたしは26歳で、彼は33歳。主治医の判断で通院治療に切り替えられ、私は帰宅することになる。

わたしたちが住んでいたのは大阪の郊外で、2階建ての2世帯住宅に義母、義姉、わたしたち夫婦の4人暮らしだという。記憶をなくし、不安にまみれながら退院する道すがら、義姉が言った。〈つまり、うちの家にはふたり、記憶に問題を抱えた人間がいるってこと〉――。

自分も、夫をはじめ一緒に暮らしていた人々も、記憶を辿ると複雑な人間模様が広がっていた。記憶をなくした女性が、過去と真実に近づいていく。『サクリファイス』「ビストロ・パ・マル」シリーズなどで知られる著者の、新たな長編サスペンス。

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