Web版 有鄰

524平成25年1月3日発行

星野博美と『島へ免許を取りに行く』 – 人と作品

五島列島での合宿免許の体験を描いたノンフィクション

星野博美氏
星野博美

行き詰った日常に風穴を

愛猫を亡くし、人間関係はズタズタ。行き詰った日常に風穴を開けようと、長崎県五島列島で合宿免許を取ることにした。その経緯を描いたノンフィクションである。

「2010年初頭、人間関係で憔悴し、生まれたときから世話をしていた猫のゆきが亡くなり、茫然自失状態に陥りました。猫の思い出がある場所を離れ、どこかで気持ちを切り替えないと、とても前に進めない状態でした」

若い頃、免許を取りたいと思ったことがない。クラブ・サークル活動もしたことがなく、合宿経験なし。そんな自分に、合宿免許が取れるだろうか?見つけたのが、五島列島にある自動車学校。馬場があり、乗馬体験ができる自動車学校という。猫を失った悲しみを癒すのに、動物がいることは得がたい環境に思えて、入校を決めた。

「傷を癒すために免許を取りに行き、高圧的な教官に遭遇して傷を深める事態になるのは避けたかった。その点で、島の教習所の先生方は大らかな人ばかりで、感謝しています。うまくできると、『うまかですよ。その調子、その調子』と誉めてくれる。標準語で言われたらガクッと落ち込むような注意も、方言で言われると温かみがある。方言というのは、土地柄や気候をすべて背負ってできた言葉で、凄いなと思いました」

優しい先生方でも、運転技術の評価は厳格だった。4月下旬に入校し、最短で16日間、連休明けには卒業のはずが、滞在は延びた。福岡や北九州から来た教習生、厩舎で働く長子ちゃん、買い物に出かけて迷った際、助けてくれたおじいさん。出来事や出会った人の表情が、ほのぼの鮮やかに描かれている。

「人生のピンチを乗り越えられるか、私的な理由で五島列島に行き、本を書く気持ちはまったくありませんでした。最初から何か書くつもりなら、話す相手を選んだり”作為”が入ったと思いますが、そんな余裕はなかった。書くことになり、連載中はずっと不安でした。免許を取る話が面白いのだろうかと」

確かに、免許取得は珍しいことではない。ところが、星野さんの視点と文章で描きだされると、優れたノンフィクションになるから驚きだ。免許取得後、編集者と仕事中にたまたま合宿免許の話になり、「書いてみませんか?」と言われた。『すばる』2011年5月号から2012年3月号まで、隔月で連載した。

「滞在中、毎日つけていた日記を見て書きました。私が書くものは、常に自分の人生と表裏一体になっています。喜ぶこともあれば落ち込むことも多々ある。書くことを通して、そんな日々を少しでも前向きに生きていきたい。人間関係で行き詰ることってあるよね、自分も免許を取るとき苦労したと、読者の方はそれぞれに接点を見つけて、私の書くものを読んでくださっているのかもしれない」

“記憶の記録”の日記が作品の原型

1966年、東京都生まれ。会社員、写真家・橋口譲二氏のアシスタントを経てフリーに。2001年『転がる香港に苔は生えない』で大宅壮一ノンフィクション賞、2011年『コンニャク屋漂流記』で読売文学賞随筆・紀行賞を受賞。著書に『謝々!チャイニーズ』『銭湯の女神』『のりたまと煙突』、写真集に『華南体感』『ホンコンフラワー』などがある。天正遣欧少年使節とキリシタンがテーマの連載「みんな彗星を見ていた」を、『文学界』2013年1月号から開始したところだ。

「学生時代、とりあえず何かをしていると、周囲にアピールする気持ちで日記を書き始めました。それが習慣化して、その日あったことを全部書く。すると、書かないで忘れることが怖くなる。その日を写真に撮り収める、”記憶の記録”のような感じです。留学時代の日記を引っ張りだして、発表するあてもなく書いたのが『愚か者、中国をゆく』(2008年)の原型になった作品。記憶が書けるのだなと、そのとき認識しました。
数百年前のキリスト教に対する関心は、かなり前から抱いていました。私の関心はいつも漠然としていて、ある人物や事件にスポットを当てず、いろいろなものを同時に見ていたい体質。この漠然とした関心は何だろう、何か理由があるはずだから、おろそかにせずに考えて想像してみたい。雲をつかむようで途方にくれますが、潜在的な引っかかりを解明したい。自分の関心という、見えないが確かにあるものを書くことは、自分を探す、記憶を書くことにつながると思うんです」

(青木千恵)

『島へ免許を取りに行く』・表紙

『島へ免許を取りに行く』 
星野博美/集英社インターナショナル/1,500円+税

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