Web版 有鄰

520平成24年5月2日発行

書店と私の関係
――『ビブリア古書堂の事件手帖』の源泉とは – 1面

三上 延

本と本屋がいかに楽しいか伝えたい

昔から本を読みなさいと説教されるのが好きではなかった。

言われるまでもなく勝手に読んでいたのだが、読書はあくまで楽しみであって、義務であるべきではないと信じている。私も誰かに本を読みなさいと説教したことはない。もちろん自分の著書を多くの人に読んで欲しいし、自分の著書でなくてもそうなって欲しい本は沢山あるが、それとこれとは別のことである。どんなことに興味を持つかは人それぞれだ。

しかし、本を読むのがいかに楽しいかを語るのは大好きだ。求められればいくらでも語り続ける自信がある。読書の窓口である本屋についても同様だ。

私はよく本屋に行く。

新刊古書を問わず「書店」の看板を見かけると中を覗いてしまう。初めての駅に降りて時間がある時は、商店街を一回りして書店を探す。はっきり目当ての本があるわけでもないのだが、脳が漠然と本を求めているのである。

なんとなく店内を一回りして、場合によっては一冊二冊買って外へ出る。もし書店にぶらりと入る頻度で統計を取れば、私は日本全国でもたぶん上位の部類に入る。ひょっとするとトイレに行く頻度に近いかもしれない。もっとも物書きなら本好きなのは当たり前で、この程度のことは自慢にもなりはしない。

ビブリア古書堂の事件手帖

左:ビブリア古書堂の事件手帖
右:ビブリア古書堂の事件手帖②
メディアワークス文庫

ただ、このところ『ビブリア古書堂の事件手帖』という、古書を題材にした小説を書いているせいか、取材やエッセイで読書について話をする機会が増えてきた。

今回もこうして「有鄰」紙からエッセイの依頼をいただいたので、書店についての個人的な思い出についてつらつら書いていこうと思う。

私は物心ついた頃から本の好きな子供だったが、同時に書店にやたらと行きたがる子供でもあった。自分の目で選んだ絵本でなければ読もうとしなかったからだ。

当時から子供の本離れが叫ばれていたので、本好きの子供を貴重だと考えたのだろう。いくらか迷惑顔ではあったが、両親は書店へ連れていってくれた。

といっても、家の近所に書店はなかった。私は横浜生まれだが、小学校低学年まで神奈川県中部の綾瀬町(現在は綾瀬市)に住んでいた。1970年代は書店の大型化が進み、個人経営の小さな書店は減り始めていた。だから私にとっての「本屋」は、最初からターミナル駅の周辺にある大型書店だった。

両親によく連れていってもらっていたのは、横浜駅西口のダイアモンド地下街にある有隣堂だった。週末に家族で買い物に行った時に立ち寄っていたのだろう。

入り組んだ地下街を進むと、突然真新しい児童書売り場が現れる。『有隣堂八十年史』によると、児童書売り場が改装されたのが1975年だから、ちょうどその直後あたりのことだと思う。レイ夫妻の『ひとまねこざる』のシリーズがずらりと並んでいたことが印象に残っている。

藤沢市に引っ越したのは9歳の時だった。駅前には大きな書店がいくつもあったが、一番品揃えが充実していたのは、南口を出てすぐの名店ビルにある有隣堂藤沢店だった。3階から5階まで渡る入り組んだ売り場を、エスカレーターや階段で行き来するのが好きだった。

自分の小遣いで文庫本を初めて買ったのもこの店だ。カラーの文庫カバー(当時はまだ7色だった)に驚いて、色を選ぶのに時間がかかってしまったのを憶えている。

ところで先ほどから有隣堂の名前が頻出しているが、「有鄰」紙面だからあえて強調しているわけではなく、神奈川で生まれ育った私にとって、大きな「本屋」とはまず有隣堂だからである。県民には通じる感覚だと思う。東京に住まいを移して10年になるが、近所に有隣堂がないことがなにより残念だ。文庫を買った時に「カバーは何色になさいますか」とレジで訊かれないと物足りない、そういう元神奈川県民は私以外にも大勢いるはずだ。

もちろん有隣堂にだけ行っていたわけではない。藤沢駅南口の名店ビルの隣には当時西武百貨店があり、その上階にはリブロがあった。10代の半ばあたりから、有隣堂の後でリブロを覗くことが増えていった。

当時の日記がないので間違えているかもしれないが、1980年代後半に改装され、サブカルチャーやニューアカデミズム、非英語圏の海外文学などのコーナーが急に充実した記憶がある。私がボルヘスやガルシア・マルケス、ボリス・ヴィアンの小説を買っていたのはこの店だった。

その頃の西武百貨店には「セゾン文化」と形容される独特の先鋭さがあり、地方都市の支店にもそれが漠然と伝わってきていたのではないかと思う。

その雰囲気をはっきりと肌で感じたのは、1992年、浪人生活後に大学へ進学してからだ。私の通っていた大学は江古田にあり、電車通学の行き帰りに池袋で乗り換えていた。当然のように西武百貨店地下のリブロに毎日立ち寄るようになったが、当時の池袋店は店長である今泉正光氏が作り上げた「今泉棚」という非常に独創的な品揃えを誇っていた。人文書全般、特に現代思想と海外文学がおそろしく充実していて、素人目にも明確な文脈で陳列されていた。藤沢のリブロの源流はここにあったのかとようやく合点がいった。

客層も普通の書店とはかなり違っていた。セリーヌやジャン・ジュネの全集、ドゥルーズとデリダの分厚い思想書が目立つ場所に積み上げられ、次々と売れていく書店など想像もしていなかった。「今泉棚」から私が学んだことは多い。

リブロを一回りしてから併設された美術書専門店のアール・ヴィヴァンを覗き、地上に出て道路を渡って音楽専門店のWAVEに立ち寄るのが私の巡回路だった。

私にとって「本屋」のイメージの源流は有隣堂とリブロにある。売り場が広く、品揃えが豊富で、担当者の個性やセレクトが感じられる店に出会うとわくわくする。

ここまで新刊書店にまつわる思い出をとりとめもなく書き連ねてきたが、古書店との関わりについても触れておきたい。

北鎌倉の架空の古書店が舞台

現在、私が『ビブリア古書堂の事件手帖』というシリーズものを書いていることはすでに書いた。

北鎌倉の架空の古書店を舞台に、該博な知識を持つ美人店主と、本について何も知らない青年アルバイトが古書にまつわる事件を解くという連作短編だが、デビュー前に私自身が、藤沢市の古書店で3年ほどアルバイトをした経験が基になっている。

働き始めたのは1999年の秋頃だ。もちろん、生活に迫られてのことで、取材のつもりなど全くなかった。主に古書を売買していたが、古書マンガや中古ゲーム、廃盤CDや中古同人誌まで扱う、マニア向けの総合中古ショップといった趣だった。

私は主に古書の担当で、3年のうちに買い取りや値付けのノウハウ、接客のコツや原価率についてなど、基本的な業務を教わった。

古書業界には個人経営の店が多いせいか、アルバイトとして働き始め、経験を積んで正社員になり、やがて独立するというケースが珍しくない。そういう将来を私も考えなかったわけではないが、結局は小説家の道を選んだ。率直に言って、私には古書業者としての才覚が欠けていたように思う。

それでも、当時見聞きしたことは『ビブリア~』の執筆に大いに活かされている。北鎌倉駅周辺を舞台に選んだのは、あの一帯のお宅に買い取りに行っていたからだ。近所に古書店がなかったせいか、やや離れた藤沢の古書店にも蔵書買い取りの依頼が来ていた。入り組んだ道路はところどころ狭く、車で辿り着くのに時々苦労させられた。

題材となる古書についても同様で、例えば藤子不二雄の長編デビュー作『UTOPIA最後の世界大戦』を扱ったエピソードは、ある古書店主氏が話して下さった体験談がヒントになっている。

1980年代、鶴書房版のオリジナルの『UTOPIA』が店に入荷したことがあったという。古書マンガの市場が確立しておらず、専門店も数えるほどしかなかった時代だ。世界にもほんの数冊しか現存していない貴重な古書と気付かずに、数千円で店頭に出したところ、狂喜したマニアにたちまち買われていったそうだ。

大きな取り引きを逃してしまったという笑い話ではあったが、もう一度入荷して欲しい、次は見逃さないという強い決意もこめられているように感じた。

古書店で見聞きした話には、金と人にまつわる現実的な教訓が多く含まれていた。今は完全に客として古書店に行っているが、その店の商品構成や採算性など、内側から見ようとする癖がなんとなく抜けない。

古書店での勤務経験を経て、私のイメージする「本屋」には、若干ではあるがリアルな色彩が加わった気がする。ビブリア古書堂という架空の店も、そのイメージを源泉にしている。

最近、私はネット書店を利用することが多くなった。大抵の本は注文すれば次の日に届くので非常に便利なのだが、自分の足で書店に行くことが少なくなったわけではない。以前と特に変わらない気がする。

欲しい本が決まっているなら、ネットで検索するのは簡単だが、私の場合は脳がなにを求めているのか自分でもはっきり分かっていないことが多い。分からないものを探すには、多くの本を一度に目にして、自分のアンテナが反応するのを待つしかない。

目についた書店にいちいち入っていくのはそういうわけである。一日に同じ書店に二度入ることもある。さっきとは違う本に関心を持つかもしれないからだ。

意外な自分の関心に気付かせてくれるような書店が、私にとっては「いい本屋」である。そういう店がなくならない限り、新刊古書を問わず、売り場に出没し続けると思う。

三上延氏
三上 延 (みかみ えん)

1971年横浜生まれ。作家。著書『モーフィアスの教室』電撃文庫 590円+税、『ビブリア古書堂の事件手帖』メディアワークス文庫 ①巻:590円+税、②巻:530円+税、ほか多数。

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