Web版 有鄰

519平成24年3月10日発行

夜景都市ヨコハマ ―― 過去・現在・そして未来へ – 1面

丸々もとお

ライトアップ先駆けの地

横浜に住んで20年が経つが、埼玉で育った私にとって横浜は憧れの地だった。小学校の頃から自転車に乗って夜景を探し出す日々を続けていたが、大学生の頃に車を乗るようになると、週に2、3度という頻度で横浜の夜景を眺めに訪れた。

1980年代当時、港の見える丘公園一帯は週末ともなると大渋滞。元町方面からワシン坂を抜けるまで1時間もかかるほどだった。ぼんやりと浮かぶ港の光。少しほろ苦い夜風で届く風情溢れる光は、夜景というよりは“灯”の集合体のようで、光の裏側にある影の部分にさえ、危うげな魅力をはらんでいた。とかく好んでいた場所(視点場)は、新山下の埠頭周辺。当時赤らんでライトアップされていた横浜マリンタワーや青く光る横浜ベイブリッジを眺めながら会話を楽しんだ。

「ヨコハマ都市空間演出事業(ライトアップ)」は1986年に始まった。神奈川県庁・横浜税関・横浜市開港記念会館といった歴史的建造物はもちろん、「山下・港エリア」では、氷川丸、横浜人形の家、大さん橋ビル等、「関内・中華街エリア」では、関帝廟、横浜海岸教会、横浜銀行協会等、「山手エリア」では、外交官の家、エリスマン邸、山手十番館、ベーリック・ホール等、さらに「みなとみらいエリア」を含めると、現在では約50箇所がライトアップされている(節電のため消灯あり)。

今でこそ、全国各地で“町まるごとライトアップ”が当たり前になっているが、横浜はまさに先駆けの地。その取り組みに感動し、当時、雑誌記者であった私は横浜市役所内の都市デザイン室に取材をし、ライトアップの特集記事を書いたことを今でも覚えている。全国に先駆けていた横浜市は見事だが、横浜と夜景の関係はそれだけではない。もう少しその歴史を紐解いてみよう。

夜景からみた横浜の歴史

東海道が整備されると、「神奈川宿」付近の袖ヶ浦は東海道有数の景勝地で、日本橋を明け方に出発した旅の第1日目は日本橋から32キロの保土ヶ谷宿の利用が多かった。そう考えれば、日が暮れ始める神奈川宿周辺からは横浜の海の夜景が楽しめただろう。その証拠に、1858年に刊行された初代広重の『神奈川台石崎楼上十五景一望之図』の左上には「横浜漁火」の文字が記されている。海の夜景と言えば、1648年に浦賀には銅製灯明皿による灯台も初登場している。

ペリーが来航し異文化が流入。『珍事五ヶ国横浜はなし』『横浜奇談』には、当時横浜で暮らしていた外国人の暮らしぶりが書かれている。ここに「夜は灯台にギヤマンの覆いをかけるので、髪の毛1本も見落とすことがないほど明るい」とある。その光とは、シェードをかぶせられた石油ランプのことらしい。

同じく不夜城ほどの明るさと言えば、「岩亀楼」が有名。開港の頃は港崎町と呼ばれ遊郭があった。客寄せのために夕暮れから煌々と石灯篭に火が灯され、当時の夜を輝かした場所である。その中で最も豪華絢爛だったのが「岩亀楼」で、特上の間・扇の間には扇面の唐紙、岩亀楼名物のシャンデリアがあった。

このように町には多くの光が溢れ始め、港町・横浜の夜景が形成されつつあったが、その一方で、現在で言うところの夜景スポット(視点場)にも人気が集まった。例えば、「伊勢山皇太神宮」は小高い山上にあることから、エキゾチックな開港場を眺められる眺望の名所として大いに賑わった。また、今はない「元町百段」も横浜港が一望できる展望台として有名になった。明治初期の1872年10月には、大江橋から馬車道、本町通りにかけて、日本最初のガス灯が点灯。同年には300本に達する街灯が設置されていたため、ガス灯による夜景も各所の高台から俯瞰的に鑑賞できたことだろう。

1889年に横浜共同電灯会社が設立され、同社により翌年から横浜に初めて電灯が灯った。1899年になると関外の大火後の区画整理で伊勢佐木町の賑わいに拍車がかかった。商家の旗や提灯が眼につく繁華な町と島崎藤村は描いている。

その後、1911年に新しい「吉田橋」の開通。夜は祝開通のネオンが輝き、1930年に「山下公園」が開園。1932年にはイセザキ(伊勢佐木町)が「エロとネオンサインとジャズとアルコールの世界」(『横浜貿易新報』)と呼ばれる。イセザキの夜の光景が有名になり、中華街では板看板から電照看板へと移行し続けた。

その後、戦時下の灯火管制で横浜の光は減少したが、戦後の1961年、「横浜マリンタワー」が完成し、翌年には「港の見える丘公園」が整備。戦後復興と同時に夜の横浜に明るさが戻ってきた。

しかし、横浜の夜のイメージが強烈に広がったのは1968年、ブルー・ライト・ヨコハマ(日本初のミリオンセラー)の大ヒットによるところは大きいだろう。「街の灯りがとてもきれいね……」で始まる歌詞はもちろん、それまで色彩的に夜景を表現すること自体が皆無だったため、その印象は鮮烈で、初めて横浜の夜景の色が表現されたのである。

一方、「スカイビル(横浜駅東口)」が完成し、最上階には回転展望レストランが登場。高度経済成長とともに夜景の見えるレストランも続々オープンするようになった。そして、前述した“町まるごとライトアップ”への取り組みへとつながっていった。

バリエーションが無限大な横浜夜景

このように、夜景という観点で横浜の歴史を振り返ると、横浜と夜の関係も理解できて面白いが、「みなとみらい」も忘れてはならない。現在の若者にとっての横浜の夜景と言えば、「みなとみらい」が知名度が高く、世界中の夜景を眺めている私にとっても実に興味深い対象である。

横浜大さん橋から眺める「みなとみらい」の夜景

横浜大さん橋から眺める「みなとみらい」の夜景
撮影/丸田あつし

というのも、一般的に「夜景」と言うと日本三大夜景のような山上から眺める俯瞰型である。しかし、「みなとみらい」における夜景は、横浜大さん橋国際客船ターミナルの展望デッキや臨港パークや新港パークのような公園が主な視点場。つまり、三菱造船所の跡地に都市計画と共に生まれた“作られた夜景”は、高いところに上らなくても、十分楽しめてしまうという訳だ。“夜景は低い場所からでも十分感動できる”という夜景鑑賞におけるエポックメイキングな価値の誕生は、その後、レインボーブリッジの誕生とライトアップによって都心部でも開花し、全国に普及していく。1992年に私が初めて上梓した夜景ガイド『東京夜景』では、東京という書名ながら横浜エリアから内容が始まっているが、新たな鑑賞価値を横浜が切り拓いたという事実に対して敬意を表している。

さて、現在の横浜夜景の魅力とはいかなるものだろう。過去と未来が絶妙なハーモニーを奏でる光景が特徴的ではあるが、交錯する時代性だけではなく、星屑が大地に舞い降りたような大パノラマから、都市夜景、郊外夜景、海夜景、アミューズメント夜景、埠頭夜景、工場夜景等、実に豊富な夜景の種類が楽しめてしまう。高層・中層・低層といった視点はもちろん、ライトアップや日没から深夜までのシークエンス(移ろい)による色彩も加えれば、さらに楽しめる夜景のバリエーションは無限大。1晩、2晩ではとても制覇できないほどである。

特に、横浜大さん橋国際客船ターミナルからの夜景はいかにも現在の横浜らしい光景だ。全国でも希な“作られた夜景”である「みなとみらい」を中心に、手前には赤レンガ倉庫が展開。眼下から前方へと見渡すと、横浜港の海の青さ、赤レンガ倉庫のオレンジ色、観覧車の極彩色、ランドマークタワーやクイーンズスクエアのオフィスに瞬く白色光。暖色や寒色が重層的に展開することで、遠近感が見事に創出されているのだ。

地産地消の“横浜エコ夜景”を

さて、今後の横浜夜景はどこへ向かえば良いのだろう。現在、函館・日光・金沢・東京・大阪・神戸・山口・長崎・鹿児島等…全国では夜景を滞在型観光に直結する観光資源とした地域活性化が進んでおり、横浜としてはそれらの取り組みを超えた何かを提案していかなくてはならない。そこで、横浜人の私も幾つかのプランがあるが、そのひとつが、新たな電力源を活用した“横浜エコ夜景”である。首都高速道路の「五色桜大橋」で実現しているが、通過する車の振動を利用した「振動型発電」を横浜市のメイン観光地に採用する計画だ。例えば、JR桜木町駅付近から伸びる汽車道や、みなとみらい線・馬車道駅から赤レンガ倉庫のある新港地区の歩道下に振動型発電機を設置したらどうだろう。観光地を散策する人々の振動で、周辺道路の街灯や施設の明かりが点灯。人々が集まるほど煌々と観光地の夜が輝いていく訳だ。

「観光」とは「国の光を観る」が語源だが、「観光地の光を観光客が生み、そして自らが作った光を観る」という理想的な関係も実現可能で、まさに夜景も光も地産地消。そんな時代がすぐそこまで来ているのかもしれない。

丸々もとお氏
丸々もとお  (まるまる もとお)

1965年埼玉県生まれ。夜景評論家・夜景プロデューサー。著書『夜城』世界文化社 2,600円+税、『日本の夜景』エンターブレイン 2,500円+税、『世界ノ夜景』ダイヤモンド社 2,500円+税、ほか多数。

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