Web版 有鄰

519平成24年3月10日発行

有鄰らいぶらりい

楽園のカンヴァス』 原田マハ:著/新潮社/1,600円+税

1983年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)アシスタント・キュレーターのティム・ブラウンは、1通の封書を手にした。それは、名画を数多く所有する伝説のコレクター、コンラート・バイラーからの「招待状」。私蔵するアンリ・ルソー作品の真贋調査のために、スイスの自宅に来てもらいたいという。

翌1984年から開催されるルソー展の企画者は、ティムの上司トム・ブラウンだ。トムをティムと間違えた上司宛の招待状と思いつつも、バイラー所有のルソー作品を「新発見」したい一心で、ティムは夏休みを利用してバーゼルに向かう。すると、バイラー宅にはもうひとり、新進のルソー研究者、早川織絵が招かれていた。ティムと織絵は、鑑定の手引き書として一冊の古書を渡され、1枚の絵とひたすら向き合う、濃密な7日間を過ごすことになる。

MoMA所蔵の「夢」と似て非なる絵画「夢をみた」は、真作か贋作か?古書に書かれた物語をよすがに、若き研究者ふたりが「鑑定」に火花を散らすなりゆきはとてもスリリングで、読みだしたらとまらなくなる絵画ミステリー。貧困にあえぎながら描き続けたルソーと、その絵の素晴らしさをいち早く見抜いていたピカソ。芸術家と芸術を愛する人々の情熱にほだされる。傑作小説である。

あんぽん』 佐野眞一:著/小学館/1,600円+税

あんぱん:表紙

『あんぽん』
小学館 刊

ソフトバンクグループの創業者、孫正義氏(以下、敬称略)の評伝作品である。

昨年3月11日に起きた東日本大震災は、本書にも多大な影響を与えている。『週刊ポスト』での連載は昨年1月から始まり、第1部最終回の校了翌日、大震災が発生した。第2部連載は同年七月から始まり、脱原発を唱えて奔走する孫のエネルギッシュな行動と、大災害があぶりだしたリーダーなき日本の不幸をも描くことになった。

著者が孫の評伝を執筆したそもそもの動機は、在日3世で”あんぽん”と揶揄された安本正義が、孫正義に生まれ変わるまでの軌跡に関心をもったからだった。著者は、孫の血脈を3代前まで遡って調べあげ、孫はもとより、現存する父方・母方の親族に会い、ルーツを追って韓国まで取材の足をのばした。JR鳥栖駅の近く、大雨が降ると汚水が家の中に流れ込む住環境で孫は生まれた。父の安本三憲は、財を築いて息子を世界へ送り出した。

風雲児は一代にして成らずと実感させられて、読みごたえ抜群。著者の取材力も一朝一夕で培われたものではない。自らの仕事をし続けてきた者同士がぶつかり合って生まれた本書は、日本の現在を照射してすばらしく面白い。

巡る女』 山本甲士:著/中央公論新社/590円+税

その日、魚貫めぐるは、公務員試験に向かう途中で突然の雨に降られた。雨宿りをしたが、やむ気配はない。選択肢は3つ。駅まで走るか、少しようすをみるか、引き返してタクシーを探すか。

3つの選択肢のうち、走っためぐるは、ずぶ濡れになりながら試験に間に合い、12年後のいま、早浦市役所で働いている。残業や休日出勤をこなすうちに35歳になった。このまま働き続けて人生が終わるのかと人知れずあせりを感じていたころ、後輩の宮内優奈が脚本家を目指し、シナリオコンテストで入選を果たしたと知る。めぐるは、小学校のときに抱いていた夢を思いだす。童話作家になりたくて、おじいちゃんの話をつづっていたのだ。そんな折り、同期の平山美緒からある話を持ちかけられる。

中学生になる前には「現実」というものを知り、夢を自然消滅させて無難な方向を選び、淡々と進んできためぐる。話すテンポは遅くて、何につけても迷い気味。とはいえあの朝、別の選択肢を選んでいたら、別の人生があったのだろうか――?

「分岐点」から枝分かれした3つの人生を描く、ファンタジックな長編小説。大切な記憶を胸に、それなりに前進している心温かなヒロインが魅力的。「物語」に胸打たれる、文庫書き下ろし。

トライアウト』  藤岡陽子:著/光文社/1,500円+税

主人公の久平可南子は、38歳。社会部記者だった8年前、父親の名を身内にも明かさずに出産した。宮城県の両親に息子の考太を預けて東京で働く日々の中、運動部に異動する。初仕事で「プロ野球十二球団合同トライアウト」を取材した可南子は、ひとりの選手に目を留める。15年前、甲子園の優勝投手だった深澤翔介。可南子は取材を申し込むが、すげなく断られてしまう――。

新聞社に勤めるシングルマザーと、戦力外通告されたプロ野球選手の物語だ。恋人に捨てられ、スキャンダルに巻き込まれて以来、両親や妹に対しても心を閉ざしていた可南子と、もう一度、プロの世界で野球をしたいともがく深澤。ふたりの人生はやがてシンクロしていく。

ふたりをはじめ、人物一人ひとりの感情の動きが繊細に描写されていて、物語に引き込まれる。プロ野球を素材にしているが、スポーツ小説ではなく、日常的なやり取りの中でそれぞれの人生が変わっていく、家族小説の味わいが濃い。〈辛い時はその場でぐっと踏ん張るんだ。そうしたら必ずチャンスはくる。チャンスがこない人は辛い時に逃げる人なんだ〉、〈これからは自分との競争をする〉といった、起死回生をはかる深澤が吐露する言葉は、多くの人に通じるものだと思う。

(C・A)

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