Web版 有鄰

515平成23年7月11日発行

エンターテインメントと純文学のクロスオーバー
『コレクション 戦争×文学』刊行にちなんで – 1面

北上次郎

戦争がテーマの全集にエンターテインメント作品も収録

⑧『アジア太平洋戦争』・表紙

⑧『アジア太平洋戦争』

集英社の創業85周年記念企画として戦争文学の全集を考えている、との話を編集担当の方から聞いたのはもうずいぶん前のことになる。戦争をモチーフにした小説を全集としてまとめて後世に残すという意図は壮大だ。本が売れないこの時代にそういう全集を企画するとは営業的には大変勇気のあることだが、出版界の財産になるだろう。素晴らしい企画といっていい。しかし、私は三十年以上、エンターテインメントの書評や評論をやってきた人間で、戦争文学とは縁がない。なぜ私のところにそんな話がくるのか。

この先が驚きだ。戦争をモチーフにしたその全集にはエンターテインメント作品も収録したいというのである。そのために協力していただけないか、というのがそのときの担当者の弁であった。本当ですか、と驚いた。

エンターテインメント作品の全集はもちろんたくさんある。『江戸川乱歩全集』『吉川英治全集』などの個人全集は山ほどあるし、『日本推理小説全集』などのジャンル全集も少なくない。そして『国民の文学』のような大衆小説全般の全集にいたるまで、数多くのエンターテインメント全集がこれまでに刊行されてきた。

しかしいわゆる「純文学」と「大衆小説」を一緒にして、一度シャッフルし、そのうえで収録作品を選ぶという全集は皆無といっていい。各巻テーマ別のアンソロジーなら『ちくま文学の森』という例もあるが、戦争というテーマで全20巻(別巻1)を押し切るという全集に、エンターテインメント作品まで網羅する企画は聞いたことがない。

実に面白く、興味深い企画だが、しかし実際に取りかかってみると作業は大変だった。というのは、小説誌に載った作品を実際に読むことになったのである。単行本になった作品は人々の記憶に残っていることが少なくないが、発表された作品がすべて単行本になっているわけではない。小説誌に載ったまま単行本にもならず、そのまま埋もれている作品も多い。そういう作品の中に傑作があれば、それをこの機会にぜひとも収録したい。というわけで、小説誌を遡って読むことになった。

ちなみに、『オール讀物』の創刊は1931年、『小説新潮』は1947年、『小説現代』は1962年で、この小説誌御三家は昭和40年代にピークを迎える。一時期は三誌合計で100万部を超えていたから、今では信じられない。実は私、小説誌の歴史をその数年前から調べていた。というのは、戦後の大衆小説はどこから変化したのか、その具体的な境目を知りたいというのが個人的な宿題であったのである。

時代と併走する大衆小説は読者のレベルにあわせている

現在の日本のエンターテインメントは、欧米のエンターテインメントに比べてもとても高水準で、いわゆる文学との境界は曖昧になっている。この十年、小説すばる新人賞出身の花村萬月が芥川賞を受賞したり、文学畑の車谷長吉が直木賞を受賞したり、クロスオーバー現象が起きていることはここに書くまでもない。村上春樹の読者が、同時に伊坂幸太郎を読んでも不思議ではないのだ。戦争をモチーフにした小説の全集に、純文学にとどまらずエンターテインメントを収録するという発想も、そういう現実分析から生まれたのかもしれない。すなわち、読者はとっくの昔にクロスオーバーしているのである。

しかし、現在のエンターテインメントが高水準にあるとはいっても、昔からずっと高水準なのではない。というのは、またまた話が飛ぶが、昭和四十年度下半期の直木賞受賞作を読んだら、驚いたことがあるからだ。この作品が本当に直木賞を受賞したんだろうか、と疑いたくなるほどの出来だった。そこで、そのときの最終候補作を読んでみた。相手が弱くて恵まれたということもある。そういうケースなのかと思った。賞というのは運だから、そういうことだってある。その回の最終候補は9作。現在より多いが、そのうち同人誌掲載の作品が6作あり(そのうちの二編が受賞作だ)、いまとなっては同人誌は入手しづらいので、残りの3作を読んでみた。選評を読むと有力候補もその3作だから、それを読めば受賞作が相手に恵まれたかどうか判断できるはずである。

結論は、相手に恵まれたということではなく、そのころの大衆小説のレベルそのものに問題があるというものであった。たとえばそのころ一世を風靡した源氏鶏太がいる。文壇長者番付の常連だった当時のベストセラー作家だが、いま読むと描写もなく、地の文が説明に終始することに驚く。現代のエンターテインメント作家がこんな小説を書いたら見向きもされないだろう。

実は私、高校生のころその源氏鶏太を愛読していた。晩年の作品を除くとほとんど全作品を読んでいるのではないか。つまり、夢中になるほど面白かったということだ。大人になってから再読すると、描写というものがまったくなく、説明に終始していたことに気づいて驚いたが、当時はそんなことまったく気にならなかった。私の個人的な体験を一般論にしてはいけないが、時代と併走する大衆小説はいつも読者のレベルにあわせているのだ、と言うことかもしれない。

五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」が変化の瞬間

では、源氏鶏太が席巻していた昭和30年代まで、日本の大衆小説がそういうレベルにあったとして、いつごろから変化していったのか。それを個人的な宿題にして、小説誌を読み漁るようになった。その境目を知りたい。北方謙三、大沢在昌、船戸与一、逢坂剛、志水辰夫など「黄金の80年代」と呼ばれる作家たちが登場したときには、すでに日本の大衆小説は現代エンターテインメントに変貌していた。変化したのは明らかにそのときより前だ。「大衆小説」から「エンターテインメント」に変換した瞬間こそ、戦後もっとも大きなジャンピング・ボードといっていいが、それはいったいいつなのか。

このときの結論は、五木寛之が「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞を受賞した昭和41(1966)年こそ、その大きな変化の瞬間だというものだった。当時私は大学生だったが、この小説の斬新さにしびれたことがつい昨日のことのように記憶に新しい。新しい時代の作家がついに登場したと興奮したもので、当時の大学生が競うように『オール讀物』、『小説新潮』、『小説現代』などの小説誌を読むようになったのも、その「五木寛之シンドローム」の影響だろう。三誌合計で100万部を超えたのは、古い読者がまだいるところへ私たちのような学生まで殺到したからと思われる。そういうムーブメントを作ったのはまぎれもなく五木寛之だった。

ちなみに、大学生が競うように小説誌を読んでいた時代のことを、若い編集者諸君に話しても信じてもらえない。そんなバカなと言われてしまう。たしかに最近の小説誌はそういう状況にないから、信じがたいのだろう。私が個人的な宿題を始めたのも、若い編集者たちのそういう反応を見たからで、ならば記録として残しておきたいと考えたからである。数年たってもまだまとまらないが、いずれまとめたい。

実はそのとき、「さらばモスクワ愚連隊」を再読したのである。45年前に感動した小説であっても、それから半世紀近い年月が過ぎているのだから、もしかしたら無残かもしれないとおそるおそる読み始めるとびっくり。なんといまでも新鮮なのである。ジャズの演奏の場面が特に白眉。なんといまでも音楽が行間から聞こえてくるから素晴らしい。

昭和41年以前に、新しい作家がいなかったわけではない。松本清張も戸川昌子もいた。この二人は明らかに新しい時代の作家といっていい。そういう作家が古い体質の作家と混じり合っていたのが五木寛之登場以前の戦後だった。「さらばモスクワ愚連隊」はそういう混沌にはっきりと別れを告げる一編だった。そう言うことも出来るだろう。新しくなければもう生き残れない。五木寛之の登場は結果的にそういう宣言にもなった。

長編が圧倒的に多い戦争がモチーフのエンターテインメント

集英社の創業85周年記念企画として戦争文学の全集を考えている、との話を編集担当の方から聞いたとき、「さらばモスクワ愚連隊」が載った昭和41年以降の作品を小説誌であたりたいとまず最初に考えたのは、こういう理由による。戦後の大衆小説がエンターテインメントに変貌したあとの作品なら傑作が眠っている可能性がある。そう考えたのだが、のちにこの昭和41年という境目を超えたそれ以前の小説誌まであたることになった。3年間に読んだ短編は合計で2000編を超える。

もちろんこの『コレクション戦争×文学』には、小説誌に掲載された作品だけでなく、作品集として刊行された本からも厳選されて収録されている。エンターテインメント作品が文学と一緒に並んでいる光景は、やはり感慨深いものがある。

一つだけ言えることは、戦争をモチーフにするエンターテインメントには長編が多いということだ。個人的にはベスト1に推したい打海文三の『裸者と裸者』から始まる内戦三部作を始め、福井晴敏『亡国のイージス』、伊藤計劃『虐殺器官』、池上永一『シャングリ・ラ』、茅田砂胡『デルフィニア戦記』、佐々木譲『エトロフ発緊急電』、船戸与一『砂のクロニクル』、結城昌治『ゴメスの名はゴメス』と、数限りなくある。もちろん短編にも傑作は少なくないが、量的には長編のほうが圧倒的に多い。この全集を契機に、そういう長編まで手を伸ばしていただけると嬉しい。

北上次郎 (きたがみ じろう)

1961年東京生まれ。作家。芥川賞選考委員(第144回−2011年1月−から)。
1946年東京生まれ。文芸評論家。著書『冒険小説論』早川書房 2,330円+税、『記憶の放物線』幻冬舎文庫 600円+税、ほか多数。

『書名』や表紙画像は、日本出版販売 ( 株 ) の運営する「Honya Club.com」にリンクしております。
「Honya Club 有隣堂」での会員登録等につきましては、当社ではなく日本出版販売 ( 株 ) が管理しております。
ご利用の際は、Honya Club.com の【利用規約】や【ご利用ガイド】( ともに外部リンク・新しいウインドウで表示 ) を必ずご一読ください。
  • ※ 無断転用を禁じます。
  • ※ 画像の無断転用を禁じます。 画像の著作権は所蔵者・提供者あるいは撮影者にあります。
ページの先頭に戻る

Copyright © Yurindo All rights reserved.