Web版 有鄰

513平成23年3月10日発行

書くことと生きること – 1面

黒井千次

短篇小説への研鑽

ある時、一心に歩いていてふと立ち止まり、周囲を見廻すと、近くにいるのが男女の老人ばかりであるのに気づいて驚いた。

実際に老人の雑踏にふみこんだわけではない。5年ほど前であろうか、その頃までに書いた短い小説12作を短篇集『一日 夢の柵』としてまとめようとしていた折の話である。

とりわけの意図をもってその1冊を編む仕事に取り組んだ、という意識はなかった。まだ単行本に収められていない近作を集めて選択し、それを1冊の短篇集にまとめ上げようとする作業の中で、それまでほとんど考えてみたこともなかったような事態にぶつかった。

その1つは、結局12篇を収録することにしたそれらの作品は、作者の60代半ばから70代半ばにかけてのほぼ10年の間に書かれたものであった点である。他の仕事にもかかっていたという事情はあるにせよ、それでも1年に1作程度の短篇しか書いていなかった自分の仕事振りに呆れたり、強い不満を覚えたりもした。

短篇小説とは小説形式の芯にあるものであり、何よりも小説の芸術性・文学性(社会性・娯楽性などではなく)と作品深部で強く繋っているものであり、小説の仕事を押し進める上での基本動作を含むものだ、と常々考えているからに他ならない。

短篇小説は、ただ短いことによって成立しているのではない。長くはないことが必要条件であるとしても、ただそれだけでは生れない。当の短さの中で何が確かめられるかこそが、充分条件なのだと考えられる。短さが鑿となって刻み上げ彫り上げた世界が、短篇小説を生み出す。

としたら、小説を書くという営みにおいて、短篇小説への研鑽は常に小説の質を問い、純度を高める働きを遂行するに違いない。そのような作品の創造が1年に1作程度で良かろう筈がない。

次に問題として意識にひっかかったのが、冒頭で触れた、登場人物達が老人ばかりである、という点であった。

この問題に関しては、作品の内容を検討する上で重要な契機がその裏側にひそんでいることを見逃すわけにはいかない。――どうしてこんなに老人ばかりが登場する短篇小説を書いたのか。

答えは簡単である。作者がその間、急激に老い続けたからである。どのあたりから老いの意識が自分の中に生れたか、を見定めるのは難かしい。およその見当でいえば、60代の前半あたりから少しずつそれは始まり、最初は冗談のようにオレはもう歳だから、などと呟いていた言葉が、いつか冗談の枠を越えて日常生活の中に眞顔で忍び込むようになる。そして本当に歳を取ると、次第に年齢そのものより、健康状態や転倒、物忘れや思い違いといった具体的障害が問題となる。そんな形で老いは成熟するのだ、ともいえるかもしれないが――。

いずれにしても、老いそのものが切実なテーマとして暮しの中に出現する。老いて生きる人々の姿が、身のまわりから、頭の中から消えなくなる。これはごく自然の話である。なにしろ作者自身が老いているのだから。

現在進行形の三面鏡

小説を書き始めてからの自分の歩みを振り返ってみても、老人達の作品への登場は納得のいく経過である。書くという営みの芯には、常に現在進行形の自分が坐っていた。その時、その時を生きている自分の切実な課題、避けられぬ問題や宿題が主題として登場した。たとえば幼年時代、少年時代といった遠い過去を描く場合にしても、その過去の記憶や悔恨、悲傷や甘美を呼び戻し、それらを確めなおしたり味わい返したりしようとする欲求は、他ならぬ現在に発するものである。思い出は、思い出そうとする人がいる時にだけ姿を見せる。という意味では、思い出は過去に属すると考えるより、むしろ現在に依拠していると認めねばなるまい。思い出は常に現在進行形で生きている。

遥かな過去でさえ進行形のものとして現在に生きているのだとしたら、現在そのものは一層身近に迫って本人を脅かす。つまり、それは暮しの中の生命の形を示す契機となり、作品のモチーフとなり、更にはテーマへと成長していくものであるに違いない。

とするなら、これまで書き続けて来た自分の小説とは、現在進行形という名前の三面鏡の如きものであったか、と思い当る。ただこの場合、3つの鏡面は空間的に開くというより、むしろ時間的に相互を映し合うといった働きがより重要なのかもしれないが。

10代半ばまでの少年時代は、級友達と作った同人雑誌に小説の習作らしきものを発表し続けた。20枚から3・40枚程度の長さの作品である。当初はウソを含む作文程度の気持ちで書いていたような気がするが、それが次第に自分にとって大切なことを書く場へと変った。後から思えば、その過程は自己表現という営為への第一歩であり、そのための基礎体力づくりでもあったのだろう。内容は少女への憧れを描くような、まだ恋愛小説とも呼べないような淡彩画に似たものであったり、家族関係、兄弟や親との関りを中心とするもの、学校生活や友人との間の出来事などを書くことが多かった。

10代も後半にかかり、受験勉強と小説を書くことのいずれを優先すべきか、などと考えたりした時期もあったけれど、結局は大学に進んで文学サークルに所属した。ただ、このサークルはあまり文学的雰囲気をもたず、むしろ1950年代前半のメーデー事件に見られるような政治の季節の中で、文学には何が出来るか、と模索する社会主義リアリズムの影響を強く受けた集団だった。

旧制中学から新制高校までの6年間、主として学校の仲間達との同人誌に小説の習作を発表していた時期が、いわば自然発生的な自己表現のための体力づくりの時であったとしたら、大学にはいってからの作品活動はいささか理論重視の弊に陥ったようなところがあり、また学生運動、政治活動といった動きの激しいものをどう捉えればよいかもわからず、結局は中学、高校時代のような素朴ではあっても伸びやかな作品を書けずに終った。小説を書くという視点から見れば、大学時代は谷間を思わせる停滞期であった。ある意味では、素朴で自然発生的な自己表現が、より高い意識のレベルで花開くための準備の時期であった、とはいえるのかもしれないが。

人はなぜ働くか

そして次に訪れたのが、就職の季節であった。この生活の変化は大きかった。都会での気儘な学生生活から地方の工場に勤務する暮しへと変ったのだから、カルチャーショックは二重に振りかかった。1つは経済的に独立した自活の暮しへの直面であり、他の1つは地方の小さな町での寮生活の日々をいかに過すかという問題であった。

いや更に大きいのは、自分が今、どこにいて何をしているかをしっかりと把握する必要の出現であった。学生時代とは異る、時間に縛られ、時間が経済的表現となるような企業内に身を置いて、自分の仕事がいかなるものであるかを掴まねばならぬ、と焦った。

新しい環境に戸惑いながら、それでもなんとか小説を書き続けようと努力した。もし何かを作品の形にまとめることが叶うなら、そこに今の自分を探る手がかりが得られるかもしれぬ、と考えた。しかし企業という場の中に置かれた自分を捉えるのは難しく、たとえば工場というその枠組を抽象的な形で描いてみるのがせいぜいだった。

企業の中に身を置いて生きる人の姿を掴むには、組織内の人間関係などを通してではなく、何よりもその人の仕事によらねばならぬ、と思い当ったのは、就職して4・5年が過ぎ、与えられた仕事の輪郭がはっきり見えるようになってからであった。ある仕事をまかされ、責任をもってそれを遂行するに及んで、初めて仕事は自分の中にはいって来た。同時に、人はなぜ働くか、という自問も生れていた。自問に答えようとする作業が、企業内に生きる人々の欲望や失望を取り出すことに繋がった。

会社勤めを続けながら小説を書く生活は楽なものではなかった。時間が乏しく、体力の消耗も甚しかった。就職して15年経ち、30代の後半に達した時に会社勤めにピリオドを打った。書くことを中心に据えた文筆生活にはいったわけである。

老いのテーマ

すると、今度は企業内で働いていた人物ではなく、家の中に共にいる人々、つまり家族の存在が急に重いものに変って来る。結婚や子供の出現がその変化を促したのだ、ともいえる。父親、母親と考えていた人達が、自分の子供達にとっては祖父や祖母という存在に変容している。そして更に齢を重ねれば、前の世代はいつか退場し、こちら自身が親の跡を継いで祖父母に転じている。つまり、老人の世界を生き始めている。それは、10代の半ばに思春期の環の中にあり、20代にはいって企業内の生活に直面し、30代、40代と家族を見つめながら暮してきた者にとって、自然の成り行きであるというしかない。各年代ごとに直面して来た課題をテーマにし続けて来たのだとしたら、そろそろ70代も終って80代に手がかかろうとしている昨今、老いのテーマを避けて通るわけにはいかない。老いを直接描かないとしても、それは世界を見る眼の中に宿り、触れる物から与えられる感覚の底に隠れている。周囲に溢れる老人達がそれぞれの仕方で老いの影絵を見せてくれる。

だからもうしばらくは、老いとの縁は続くものと考えている。老いはまぎれもない現在進行形の生命だからである。

黒井千次氏
黒井千次 (くろい せんじ)

1932年東京生れ。
作家。著書『高く手を振る日』新潮社 1,400円+税、『時代の果実』河出書房新社 1,700円+税、『一日 夢の柵』講談社文芸文庫 1,400円+税、ほか多数。

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