Web版 有鄰

512平成23年1月1日発行

仏像と象の話 – 海辺の創造力

清水眞澄

昨年の6月後半、私は奈良に居ることが多かった。勤務する三井記念美術館で開催する特別展『奈良の古寺と仏像〜會津八一のうたにのせて〜』(7月20日〜9月20日)に展示する仏像の借用と梱包に追われていたからで、法隆寺、東大寺、大安寺、室生寺など二十ヶ寺の寺院に感謝する一方で、その責任の重さに極度に緊張した日々を過ごした。奈良の自然は美しい。緑の濃淡に彩られる山々、清流のせせらぎ、池や田畑の周囲に群れる草花が一体となって、古都を包むこの風土を多くの人が愛してきた。

50年も前の学生時代に、恩師亀田孜先生に連れられて来た研修旅行で、これが奈良の寺だ、奈良の仏像だと初めて見たことに感激したが、その中身についてはほとんど理解していなかったように思う。それでも、法隆寺の金堂や五重塔、夢違観音像、室生寺金堂の仏像群や弥勒堂の釈迦如来坐像などの印象は、壮大な伽藍の柱や甍とともに強烈に今も残っている。その時から仏像は美しいけれど、信仰の対象であることを抜きにしては語れない、という考えは変わらない。人が生に求める心の原点といってもよいだろう。

話は変わるが、私は動物園が好きで、年齢も職業も違う知人たちを誘って、時々「動物園を歩く会」を楽しんでいる。首や鼻が長かったり、縞があったり、足が短かったりと色々の形の動物が、走ったり、食べたり、寝たりする動きが何とも面白く、立体造形と演劇を一緒にした不思議な世界だと、動物園本来の目的とは別のところに関心を寄せてきた。

昨年11月、上野動物園で開かれた動物園協会の委員会に出席し、終わると直ぐにそのまま事務所から園内に出た。空は青く、さわやかな風が木々の間を通り抜ける秋日和である。ここは会議とは別世界、思わずゴリラとトラの森の坂を登った。毛布をかぶったゴリラににんまり、普段表門から入るのと逆の道を象舎に向かうと、ダヤー、スーリヤ、ウタイの三頭の象がのんびりとゆったりと鼻を揺らせながら歩いていて、辺りに親子連れや幼稚園の子供たちの歓声が響いていた。

仏像は、信仰の対象として造られ、何百年もの歴史を通して人間の精神的な支えとなり、美的鑑賞の作品とされてきた。そして、これからも長く遺る。動物園の象(象だけではないが)は、形の面白さはあるが、それ以前に歩き食べ、生と死という仏像にはない生物の必定がある。仏像と象を同時に並べてみると、人間が生きてきた証としての造形と自然が生んだ姿、人間の生きている根源としての心と生命という、深く広い世界が見えてくる。

こんな初夢を願いつつ、最近の逼塞した社会を抜け出して、心静かに仏像の前に立ち、動物園で象に声をかけてみてはいかがだろうか。

(三井記念美術館館長)

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