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第80回 2009年8月20日

●執筆者紹介●
 
加藤泉
有隣堂 読書推進委員。
仕事をしていない時はほぼ本を読んでいる尼僧のような生活を送っている。

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〜編集者が語る田辺聖子作品の魅力〜 (2)

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  新町:   それがほんとうにどういうことなんでしょう。
私もいつもため息をついてしまいます。 乃里子三部作にしても『愛の幻滅』にしても『うたかた』にしても、携帯やパソコンが出てこないだけで、まったく古びていない。 それどころか、いわゆる「負け犬」と呼ばれている私たちの世代の「今」をこれほど明確に書いている作品ってなかなかないと思うんです。 田辺さんは「そんならモノの値段なんて書いてなくてよかったわ」なんて冗談めかしておっしゃるんですけれど、「恋する気持ち」や「食べる楽しみ」それだけではない「生きるうえでの楽しみ」、大切なことって、昔も今も変わっていないわけですよね。 その本質を柔らかい言葉なのにずばりと書いていらっしゃるから、古さなんてまったく感じないんでしょうね。
だからこそ、田辺さんの作品に関わる方々がみな、「こんないいものちゃんと残さなきゃ!」と燃えてしまうんではないかと思うんです。 私が手ぬぐいをもって販促活動をしているのも、本当に作品がよくて、一人でも多くの方に手にしていただきたい。 その思いだけですから。

 
  加藤:   『うたかた』所収の「大阪の水」という短編の中に大好きなセリフがあります。 自分の付き合っている男性が他の女性と結婚すると知った時、ヒロインが「勘定は合うてる。 損はしてない。 うちはそう思うてる」というセリフです。 このセリフを読んだ時、ああ〜、もうこれからは田辺聖子だけ読んでいればいいや、と思ってしまったくらい、今さらですが田辺聖子が大好きになりました。
 
  新町:   そのセリフ、私も大好きです! 嬉しい! 
 
  加藤:   新町さんが胸を射抜かれた作品やセリフはありますか?
 
  新町:   ほかのセリフはもうありすぎてありすぎて、どうしたらいいのかわからないので、スペシャルゲストとして、集英社で田辺聖子全集をお作りになった村田登志江さんと、「乃里子三部作」の担当でもある緑川良子にも登場いただくことにしました。 村田さんは『花衣ぬぐやまつわる……』も併走して一緒に作られた、田辺さんの担当の編集者としても私たちが敬愛する大先輩です。
まずは村田さんからいただいたメールをそのままご紹介します。

 
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 その1 『私的生活』 講談社文庫版あとがき
「もと愛し合っていた、あるいはやさしくし合っていた男と女のあいだに、冷たい言葉がはじめて出たときの心の衝撃は、世界のどんな大事件にも匹敵する。 もしまた、片方が夢にも思っていないとき、片方がそういう言葉で傷つけたとすれば、これは犯罪にひとしい。 しかも普通の犯罪とちがって、愛の問題におけるそれは、誰も裁くことができないから、むつかしい。 」

アフォリズムともいえないですが、遠い昔1981年に講談社文庫の、この「あとがき」を読んで、田辺先生の恋愛小説がなぜこんなに胸に響くのかがわかった気がしました。 私にとって、記念すべき一文。


その2 前者は『求婚旅行』 文春文庫
     後者は『鏡をみてはいけません』 集英社文庫
「子どもは転がしといたらいいねん。 そしたら勝手に育つから」

「うまい朝めし食うてたら非行なんか、せえへん」

子どもを持つことになったとき、前者の言葉が何よりの励ましでした。 実際、そのようにしか育てられませんでしたし・・・。 転がして育てた子どもにまいにち「うまい朝めし」を食べさせるのは大変でしたが、この本のレシピが大いに参考になりました。


 その3 『文車日記』 新潮文庫
「人生を生きるのに、愛するもの、好きなことを一つでも多く増やすのは、たいへん、たのしい重要なことです・・・」

この一文が田辺先生の文学と生き方を貫くもののような気がします。 やさしい言葉ですが、奥深い。 くたびれたり、怒ったとき、うれしいときにも心に効きます。 (人生を豊かにするアフォリズムを集めた『苦味(ビター)を少々』 集英社文庫に入っています。 )

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      その1の『私的生活』 講談社文庫のあとがきは、私もまさにこれだ!! と電流が走ったものです。 「人間はさびしいもので、共同生活者を求めながら、それでいてつねに、愛とプライドの重みを両手ではかって、苦しまずにいられない」とも書いていらっしゃいましたね……。 『鏡をみてはいけません』は、鴨居まさねさんがコミックにもした名作で、私も大好き。 村田さんが私たちとおなじように田辺さんの一言に救われてきたのだなということがよくわかります。 『苦味(ビター)を少々』は本当に宝物の一言が凝縮されていますから、私からもおススメします。 そして先ほどから話に出ていた緑川は、本日連れてまいりました〜。
 
  緑川:   新町さんのお話にチラホラ登場してます、緑川です。 10代で田辺ワールドにはまってもう20年以上…30代半ばを過ぎてその奥深さに改めてくらくらしています。 「射抜かれたセリフ」行きます!

1) 「苺をつぶしながら、私、考えてる。
こんなに幸福でいいのかなあ、って。
一人ぐらしなんて、人間の幸福の極致じゃないのか?」

「乃里子三部作」の三作め、『苺つぶしながら』冒頭1行目です。 なんという自由、なんという解放感! 舌なめずりせんばかりの乃里子の独白が、当時17歳の私を圧倒しました。 「だって、どんな仕事したって、健康で、やる気ある女なら、どこへもぐりこんでも口を糊することぐらいはできるんだから。 」と言い切って、「健康で、仕事もあって、男もいて——」の一人ぐらしを満喫する乃里子は、子どもだった私が見たこともなかった「女」であり、まぶしい大人そのものでした。 強烈に憧れ、同時に「こうやって生きてもいいんじゃない?」と励まされ。 読み進むにつれ、乃里子のその幸福は、苦い経験や自立への努力の上にあることがわかり、夢中で前作を読み進みました。 三部作の三作めと知らずに手に取ったものの、1行目と運命の出会いをしたわけです。

次に、『言い寄る』より、

2) 「男はもう余分なことは何もいわず、私の服のスナップを魔法のようにばらばら解いた。」

言い寄れないほど惚れぬいた「五郎」に焦れつつ、愛してないけど気があう「剛」と遊んでいる乃里子。 剛は山荘に乃里子を置いて別の女を追っかけるような遊び人です。 そうと知らずに剛を待つ乃里子を、隣の山荘の中年男・水野が嘘のような鮮やかさで口説くシーン。 紳士的に話している次の瞬間、こんな「男の動作」に。 私にとってはいまだに、世界的な色男俳優の演ずるラブシーンの上を行く色っぽさ、かっこよさなんです。

最後に、『苺をつぶしながら』より、

3) 「胸は脚よりもっとあったかかった。」

離婚後、再会した剛の前で、親友の死の知らせを受け取る乃里子。 必死で軽井沢から大阪へ帰ろうとする乃里子を剛は車で送ってくれながら、ふと車内で触れ合った脚と脚の温かみを感じる乃里子は、悲しみで感覚がさらに鋭敏になっているようです。 死が決定的になり、泣き崩れる乃里子を胸に抱く剛と、そのときの乃里子の感慨がこの一文です。
かつて自分を愛した人が、いままた、人間同士のいたわりを見せてくれた。 自分も、殻を作らずによりかかってしまえた。 剛のやさしさを繊細に受け取る乃里子にしびれ、人間っていいなあ、とまで思わされる文です。
ああ、三部作の中だけでも抜き出しきれません・・・結局全文引き写しになりそう。 また、集英社文庫『乗り換えの多い旅』での、田辺さんの祖母との回想のなかで、田辺さんが街の銭湯で新生児の入浴に出くわしたシーンも繰り返し思いだす名文です。 赤ん坊への慈愛が深まるあまり悲しいような表情で風呂に入れる女、くちゃくちゃでまじめくさった妙な生き物を「おお、可愛らしこと、なあ」と表現する祖母に、「これが可愛いということなんだ」と学ぶ幼い田辺さん。 「愛」を教わった瞬間を切り取った随筆は、いつ読んでもなんだか泣きたくなる温かみにあふれています。
田辺さんの表現には、底辺に必ず、このお祖母さんから伝えられたような人間への愛が流れているから、未来に不安いっぱいの10代から、現実に疲労しがちな30代まで、そしてこれからもっと、私を支え続けてくれるんでしょうね。

 
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