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有鄰


平成13年8月10日  第405号  P3

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 神奈川近代文学館 (1) (2) (3)
P4 ○箱根宮ノ下「奈良屋」旅館  岩崎宗純
P5 ○人と作品  早乙女貢と『会津士魂』        藤田昌司

 座談会

神奈川近代文学館 (3)



児童文学−鈴木三重吉『赤い鳥』、芥川龍之介『蜘蛛の糸』など

三木 当文学館の特色の一つは、日本の近代児童文学のいいものがどかっとあることです。

中野 今年の四月に開催した「子どもの本の世界展」はとても評判がよかった。

三木先生も編集委員でしたが、八五年に一度、児童文学の大きな展覧会「日本の子どもの文学展」をやりました。そのときは徹底的に文学史をとらえてやりました。

三木 翌年には「鈴木三重吉没後五十年記念展」で『赤い鳥』をやっている。児童文学展は今度で三回目で、そういうことも一応踏まえています。

例えば教育学者で児童文化研究者だった滑川道夫さんのコレクションには、桃太郎の関係書など、恐らくその時代の基礎的な大事な文献がたくさんあるはずです。

ご覧になったら、きっとなつかしいものがいっぱいあると思います。立川文庫なんかもあります。

篠崎 純文学も大事だけどそういうものにも視線が行っているのはいいですね。

安西 そうなんです。ほかにないですから。

 

  小川未明らとの書簡もある関英雄の資料

三木
芥川龍之介
芥川龍之介*
『赤い鳥』創刊号の表紙
『赤い鳥』創刊号の表紙*
ベースになっているのは滑川道夫さんの文庫だと思います。明治のころからずうっと、それこそ立川文庫のようなものまで含めた雑誌と本です。

僕が子供のころ、もう彼は小学館あたりの選者でしたから、すごい偉い人だったと思っていました。だから、お目にかかったときに、あんまりお若いんでびっくりしたんです。そういう意味ではとても大事な人だと思います。

もう一つ大きいのは鈴木三重吉と彼が創刊した童話・童謡雑誌『赤い鳥』ですね。

『赤い鳥』は全号ここにそろっている。三重吉と白秋、三重吉と漱石の手紙、書簡類もかなりまとまったものを持っている。三重吉という人はみんなにいろいろ働きかけた人ですから、そういうものを見ることは、なかなか面白いことだと思います。

それと貴重なものでは、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』に三重吉の朱筆が入ったものもありますね。

『赤い鳥』の大正七年七月号に掲載されたものですね。三重吉の細かい加筆修正の跡が見られて興味深い。

篠崎 児童文学者では関英雄さんのコレクションもたくさん入っているそうですね。

原稿、日記などをはじめとして、小川未明らとの書簡などもあります。

 

  藤田圭雄文庫には『ビルマの竪琴』の原稿なども

三木 藤田圭雄さんは戦後ずっと児童文学の編集者でしたので、その間、現場でやってきたもの、それから児童文学の文学賞の選者をなさっていたので、本がずっと送られてきていた。それがここに入っていますから、これもまた相当貴重なものがあると思います。 竹山道雄の『ビルマの竪琴』の原稿なども入ってます。

中野 藤田さんは貴重なものをたくさん持っていたからね。あの人は最後まで持ってて、それで寄贈してくれた。三万六千点を越えました。

三木 文庫というのは、資料をいろいろ見ているとわかるんですが、最初にこれだけ寄贈して、またこれだけ寄贈してと、それぞれの文庫がだんだん成長していく。一遍にポンと寄贈されるわけではない。この館がやっぱり信用されているから、そういうことになるんだと思うんです。  例えば先ほどの木下杢太郎も、『百花譜』が入ってきたのは一番最後なんですね。

中野 遺族が最後までとっておくんですよ。

三木 児童文学は精神文化の基礎になる部分ですから、そこをしっかりまとめていくことは、館の仕事としては貴重なことだと思います。

そういう意味でこの館が児童文学を重視しているのは大きな特徴です。大阪にもいいのがありますけどね。

 

  平塚武二の原稿を長崎源之助氏が寄贈

中野 藤田圭雄さんは理事会のたびに文句を言った。

安西 必ず出席され、必ず発言されて。その熱心なことね。それが印象的でした。

中野 僕は、何でこの人はこんなに言うのかと思っていたら、それだけ執念が深かった。だんだんわかってきた。

安西 あのぐらいおっしゃらないと、なかなか意見は通らない。

三木 ですから、藤田、滑川両先輩は、本当にここの児童文学の基礎をつくってくれた功労者です。

あと児童文学では、那須辰造の文庫に資料が約八千点あります。それから長崎源之助さんから寄贈いただいた平塚武二の『童話集 ながれぼし』の原稿などは貴重ですね。

また、『魔女の宅急便』などで知られる角野栄子さんも開館直後にご著書や児童文学書を寄贈されています。


評論家、歌人、詩人、挿絵画家たちの資料も

篠崎 美術評論家の矢代幸雄さん、文芸評論家の寺田透さんの資料が入っているのも非常に貴重ですね。

中野 寺田さんは生まれも育ちも横浜の人だから当然な気もしますが、全部ですからね。未亡人がここしかないということで。

篠崎 矢代さんは、三溪園の原富太郎の長男善一郎の友人でタゴールが来たとき通訳も務めていますね。

矢代さんのときはお声がかりで鎌倉の県立近代美術館、県立図書館、当館の三者で見に行きました。それで、近美の収蔵庫はここのようにきっちりしていないから、美術資料中心だけれど、神奈川近代文学館でということになりました。文学者との交流もありましたし、横浜生まれの横浜育ちの方ですので遺族も一番それを望まれた。設備もいいということで。

資料は『日本美術の特質』の原稿や草稿類のほか、特に書簡は、大佛次郎、川端康成、志賀直哉、原三溪、前田青邨、横山大観ら、文学者、画家との交流を示すもの、あわせて約二千通あります。

 

  寺田透のクラシックな暮らし

篠崎 寺田透さんはすごくクラシックな暮らしをしておられると聞いていました。それこそ薪でお風呂を沸かしたりとか……。

三木 東京から寺田さんの所に行くときは大変だった。寺田さんの家は磯子の旧道を入ったすぐの所でしたが、横浜駅から市電で一時間ぐらいかかるんですよ。

中野 僕は何度か行って酒を飲んだ。あの人は、電話なし、テレビなしなんです。僕は今、寺田さんと同じような暮らしをしています。

篠崎 先生は、『清貧の思想』そのままやっていらっしゃるんですね。

中野 寺田さんの著書に、『北窓の眺め』というのがあるけど、ほんとに北側に窓があって、うち自体も古いし、質素ですよ。暮らし方も昔のままで。僕はとてもいいと思った。

それでいつか青山のお葬式で、ああ、いい方だなと思う人が前を歩いていた。古い麻の上下とパナマなんだ。パナマも服も古くて両方黄色くなっている。それが寺田さんだった。いいなと思った。寺田さんという存在がそうだったじゃない。 うちも暮らしぶりも考え方がそうだしね。あの人の資料がここに入るのは、それはうれしいですよ。

 

  中村光夫の二葉亭四迷コレクション

篠崎 鎌倉にお住まいの方は非常に多いですね。

安西 文芸評論家の中村光夫さんとか。

三木 館の設立時、五人委員会の一人でした。中村光夫さんの二葉亭四迷のコレクションはやはり宝物じゃないでしょうか。『二葉亭四迷伝』のノートなど第一級の資料ですよね。

それに永井荷風、谷崎潤一郎論や戯曲、小説の原稿など総計四千点です。

安西 寄贈された脚本家の木庭久美子夫人はその後、東京に行かれましたね。

里見とん(該当漢字表示不可「ゆみへん」に「亨」を書く”弓亨”)さんは?

入ってはいます。四男の山内静夫さんから原稿と文机、文房具などを寄贈いただいています。

篠崎 里見とんさんと獅子文六さんは変なつながりがあるそうなんです。

里見さんは月岡町のお生まれです。現在の野毛の横浜市中央図書館の近くで、里見さんの父、有島武郎が税関長官舎に住んでいらした。その官舎の跡を獅子文六さんのお父さんが一時借りていた。ですから、お二人の住所が同じなんです。

中野 資料散逸の点で、井上靖は非常に損しているんですよ。あれはあっちにやり、こっちにやりで、結局一か所にまとまっていないから。

三木 旭川にも、伊豆にも金沢にもある。

結局、最終的には原稿類など主な資料はここに、ということになりました。

 

  歌人、吉野秀雄や添田父子の資料も

中野 歌人の吉野秀雄の資料も最初は図書だけだった。それで肝心な自分の著書、その他原稿はなかった。去年の暮に、先年亡くなったご子息の壮児さんの夫人が最後になって著書と原稿と硯などを寄贈された。

歌集『苔径集』『含紅集』の原稿なども。吉野秀雄は群馬県の出身ですが、昭和六年に鎌倉の小町に住んだ。鎌倉短歌会をおこして、鎌倉アカデミア文学部の教授を、昭和二十一年から廃校までの四年間勤めています。お墓は鎌倉の瑞泉寺にあります。

中野 それから添田唖蝉坊と知道父子の資料も貴重なものです。

演歌師の唖蝉坊は大磯生まれです。明治、大正期に風刺に富んだ作風の演歌の作詞と実演で一世を風靡しました。長男の知道も少年期に大磯に住んでいます。知道あての書簡は一万五千通以上で、荒畑寒村、山本周五郎など幅広い交友関係がわかります。

三木 僕は、一九四三年に新潮社文芸賞を取った添田知道さんの小説『教育者』を子供のころ中国で愛読していたんですよ。そのノートなどがここにあるんですね。

 

  詩人、富永太郎と彼の人間関係を示す資料も

中野 詩人では富永太郎資料も大事なものでしょう。富永太郎は、中原中也と同じ時代で、その当時は中原よりもはるかに上の人と言われていた詩人です。結核で死にました。大岡昇平の友だちです。それで書いたものとか、絵とかが大岡家にあって、自画像とかがここに来ているわけです。 富永太郎は今でもファンがたくさんいます。

三木 京都で中也とつき合っているんです。その辺でいろんな人に会っているんですね。例の長谷川泰子とか。

中野 その辺は小林秀雄から、大岡昇平からみんな関係がごっちゃになってる。

三木 そういう中の一人です。一覧表を見ただけでぞくぞくしてくるようなところがありますね。人間の関係とか作家の情熱とか、そういうものが渦巻いているんですよ。

横浜にゆかりの深い詩人では、父親が三井物産横浜支店長で、夭折した北村初雄の資料も入っています。

中野 山本太郎の原稿などは、どこに行っているんだろう。僕は同級生なんだ。残っていれば欲しいね。

三木 それと、昭和のモダニズム詩人の近藤東さん。

佐多芳郎『樅ノ木は残った』の挿絵原画
佐多芳郎『樅ノ木は残った』
(山本周五郎著)の挿絵原画*
神奈川の詩壇に尽された近藤東さんの文庫一万八千点は、詩の資料の中軸になっています。寄贈は近藤さんの生前からの遺志でした。

その他、日本画家の佐多芳郎の挿絵原画など、挿絵資料も増えつつあります。

 

  肉声を聞くような印象を与える肉筆原稿

篠崎 そういった文学資料をご覧になって、どういうふうに感じるのでしょうか。

中野 見て一番印象的なのは原稿ですね。今、執筆がみんなワープロやパソコンになっているでしょう。これじゃどうしようもない。将来文学館なんか意味がなくなる。今、最初の何枚か書いてもらっているけど、そんなの意味がないわけです。

三木 ワープロで打つと、十年もたつと消えるんです。そうすると、もとがなくなっちゃうんですね。

篠崎 例えば先生方は、先輩に当たる作家の方たちの原稿などから受けた印象とか、何かございますか。

安西 前に、大佛次郎さんが新聞にエッセイを連載されて、その原稿をまとめて展示されたのを見たことがあります。晩年で、目が余りよくなかったらしいですね。 「読みにくいけれども」なんて説明が入っているんです。実に肉声を聞くような気がして、ああ、こういうふうに仕事をされたんだなと、大変感動したことがありました。それはやはり原稿のよさでしょうね。

三木 僕も、当館の中野重治さんの原稿の字を見て、まだこのころはしっかりした字を書いていらっしゃるんだなと思いましたね。僕が日本読書新聞の編集者として伺った最後のころの字は、もっと読みにくい字になってました。 それで僕は一生懸命校正したのに中野さんに「誤植だらけだ」なんて怒られました。「それなら、もうちょっとちゃんと書いてくださいよ」と言いたくなったことがありました。

中野
谷崎潤一郎『痴人の愛』の原稿
谷崎潤一郎『痴人の愛』
の原稿*
谷崎潤一郎
谷崎潤一郎
(雑誌『苦楽』から)
「谷崎潤一郎展」を九八年にやったとき、谷崎の『痴人の愛』の原稿を見て、谷崎は一字書くのに何分かかるのかな、と思うぐらいに一生懸命書いている。なるほどこうやって書くのかと思って感動しましたね。それで手紙は、達筆でツーッと書くわけよ。 原稿は一字一字をとてもていねいに書いている。あれだけゆっくり字を書く人は、もう今の作家にいないんじゃないかな。

三木 戦後の詩人もかなりのものをここへ収めてくださっている。戦前のコレクションもいいんですが、戦後のコレクションもかなりあって、これからどんどんふえていくと思います。それもきっといい形になっていくんだろうなと楽しみにしているんです。

篠崎 きょうは、館蔵資料のほんの一部をご紹介いただいたという感じですが、ありがとうございました。




 
なかの こうじ
一九二五年千葉県生れ。
 
あんざい あつこ
一九二七年兵庫県生れ。
 
みき たく
一九三五年東京生れ。
 
くら かずお
一九三九年和歌山県生れ。
 




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