都内の団地の北側にひっそりとある、ラブリ商店街。パン屋、美容室、精肉店、金物屋、薬局、焼き鳥屋などの多様な店舗がそろい、人が集う場所だったが、少し離れた街に大きなショッピングモールができて、客足が遠のきつつあった。父に反発し、後先を考えずに故郷を後にした「わたし」沢井西陽は、10年ぶりに街に戻ってきた。父がかわいがっていたあの犬はまだ生きているだろうか。「ブック」と呼ばれて商店街の人気者だった、赤毛のオスの大型犬は?(「青い犬」)
恋と夢に破れ、故郷に舞い戻った日本画家、ジャーマン・シェパードを連れた人妻に思いを寄せる少年、不安定な妻を気遣いながら、子犬を引き取る男、自信がなくて傷つけられてばかりいるパン屋の元店主、占いができなくなった占い師--。それぞれに惑う人々のそばにいつもいてくれたのは、利口なアイリッシュ・セッター犬のブック。いつのまにか商店街に居ついた野良犬だった。
〈飼い主もわからない、正確な年齢も不詳、名前の由来もみんな知らない〉。
ミステリアスな犬をめぐる、街の人間模様を描いた連作短編集。一編ずつが丁寧に紡がれ、犬好きでなくても感涙の物語だ。変わりゆくものの中にある、大切な記憶を描いた、珠玉の短編集。
2013年に83歳で死去した著者は、批評家として一家を成しても驕らず、「石ころ」のような「何でもないもの」とでも真摯に向きあい、新たな「私」を発見する営みを最期まで続けた。
本書は、2005年刊『批評の透き間』(鳥影社)以後に発表された文章を編んだ単行本未収録エッセイ集。絶筆を収めた遺作『「死」を前に書く、ということ』(講談社)に続く、最後の著作だ。
15歳のときに敗戦。大学時代、著者は仲間と集まっては、昼間から議論をし続けた。〈大人の誰が言う言葉にも耳を貸さず、知識人の言葉も疑い、信ぜず、すべての事を、自分達だけで考えようとしていた。生のかたちを、決めようとしていた〉(「食卓の歓談」)。そうして培われた批評眼は、明晰で強靭だった。晩年は苛酷な病と老いに直面したが、精神も文体も円熟の冴えを見せていく。
〈わたしは、「私」とは何か、という問題を追い続けた。したがって、一人の人間としてこう思う、というのが、思考の基本だった。好んで読んだ古代の賢人の言葉も、一人の人間として考える、あるいは、国家の一市民として考える、というのが思考の基本だった〉――。編者は、大阪芸術大学教授の長谷川郁夫氏。思索のよすがにしたいエッセイ集である。
栃木県で一人暮らしをする祖母を訪ね、智也は東北新幹線に乗りこんだ。家族の争いを招いてまで同棲に踏み切った相手を亡くした祖母は、弱音を吐かずに淡々と暮らしている。祖母と時を過ごしながら、智也は恋人のことを気にしている……(「モッコウバラのワンピース」)
6歳のときに両親が離婚をした律子は、父の仕事の関係で引っ越しが多かった。一方、由樹人の一家は、代々同じ場所に住み、地域づきあいが多いという。一緒に生きていこうと決め、律子は、由樹人の福島にある実家を訪ねる(「からたち香る」)
本書は、見舞いや法事、結婚式など、家族の営みで故郷に向かう人々の姿を描いた連作短編集。宇都宮、郡山、仙台、新花巻……と北上していき、最後に書き下ろしの表題作を収めた5編だ。
彼らがまず乗り込むのは東北新幹線である。東北地方は、2011年3月11日に発生した東日本大震災で、甚大な被害を受けた。2編目「からたち香る」は、原子力発電所の事故が起きた福島県を舞台にし、代々暮らしてきた地域で起きた出来事と向き合う人の姿を見つめる。
家族のしがらみは面倒なこともあるし、誰もが、時間や出来事による喪失を経験する。それでも、人々は希望を胸に、ふるさとを創る。
『ザ・ドロップ』
早川書房:刊
バーで働くボブ・サギノウスキは、クリスマスの二日後、近所の歩道で、ゴミ容器の中から鳴き声をあげていた子犬を拾う。近くに住み、獣医の助手として働いたことがあるというナディアが犬を預かってくれる。犬とナディアと出会ったことで、ボブの孤独な生活が突然華やぐ。
ボブの母方の従兄弟のマーヴは、もう何年も前にチェチェン人組織に店を乗っ取られ、ふたりが働くバーは、組織の裏金を一時的に預かる「中継所(ドロップ)」に使われていた。閉店後のバーに武装した男たちが現われ、売り上げを奪って逃走する。ナディアと出会い、人生に微かな光が差したのも束の間、ボブとマーヴは組織からの圧力で追い詰められていく。
クリント・イーストウッドが映画化した『ミスティック・リバー』、マーティン・スコセッシが映画化した『シャッター・アイランド』で知られ、2013年には『夜に生きる』でアメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)の最優秀長編賞を受けた、米ミステリー界の巨匠の最新刊。ボストンの裏町を舞台に、閉塞した生活を送る人々が織りなすドラマとそれぞれの運命を、情感豊かに描いた長編小説。大作でなくても、物語の奥行きは深い。生きる切なさが漂うエンターテインメント。
(C・A)