Web版 有鄰

539平成27年7月10日発行

没後50年、時代を超えて読み継がれる乱歩
――探偵小説・推理小説・ミステリー – 1面

新保博久

自身より年少の読者に語りかけるように

横着して「とうのけいご」と入力しても「塔の警護」でなく、思いどおり「東野圭吾」と変換される。それほど今をときめく東野圭吾だが(単にワープロの学習機能のせい)、その東野氏が初めて自発的に小説を読んだのは高校1年生のとき、小峰元の江戸川乱歩賞受賞作『アルキメデスは手を汚さない』(1973年)だったらしい。それまで漫画くらいしか読んでこなかった氏が推理小説の面白さに目覚め、しかしガイドブックなどない当時、次に何を読むべきか思案に余って、乱歩賞受賞作を次々読破、やがてみずからも応募を思い立ったという。

小峰元作品は現在、その『アルキメデス…』くらいしか新刊で買えないが、ほぼ青春推理ひとすじ、若いファンを中心に一時期ずいぶん読まれた作家だ。『週刊読売』1985年11月17日号「日本ネオ・ミステリー(65以降)90人の作家」特集のブーム解剖座談会で、佐野洋はこう評している。

「小峰元さんの『アルキメデスは手を汚さない』は、赤川次郎さんの前駆ですね。ぼくなんかが小説を書きだしたときには、自分より年上の読者を想定したものだけど、自分より若い世代に合わせて書いたのは、おそらくあの人が初めてでしょうね」

この特集のあと擡頭してきた新本格、さらに推理小説に限らないがライトノベルなど、若い作家が主に同世代の読者に向けて発信する傾向が顕著になる。それらの作家作品で風雪に耐えたものは、さらに後の世代に読まれ、結果的に作者より年下の読者にもファン層を生みだしてゆく。

江戸川乱歩
江戸川乱歩
立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター提供

それにしても、作者より若い世代に向けて執筆したのは本当に小峰元が最初だろうか。むしろ先人として江戸川乱歩を挙げるべきではないか。乱歩が少年探偵団シリーズを書いたからではなく、ここは児童書を除いての話だ。新潮文庫や岩波文庫の一巻選集に入っている最初期の短編はともかく、長編時代に入ってからの乱歩は大人向きの小説であっても、自身より年少の読者に読み聞かせるように書いている気がする。初期短編でも「屋根裏の散歩者」をはじめ、ですます調の小説を何度か試みているのも、読者に語りかける効果を計算したかのようだ。

カルトとポピュラリティ両面から支持

そもそも乱歩自身、探偵小説の面白さに開眼したのは1902年、新聞連載されていた菊池幽芳の「秘中の秘」を母親に読み聞かせてもらったことだった。現在は論創ミステリ叢書63『菊池幽芳探偵小説選』として復刊されているが、いくら早熟でも小学1年生が理解するには、相当に噛みくだかれる必要があっただろう。翌年、学芸会の演壇に立ってこの複雑なストーリーを口演しようとして、乱歩が失敗したというのも無理からぬところだ。だがこのときすでに、お気に入りの物語をリトールドしようとする志向が見て取れる。

菊池幽芳の延長で黒岩涙香の作品に親しみ、「……私が小学校に入ってから後は、母も涙香ものの話をやや詳しくしてくれるようになったであろうし、それの引きつづきで、いつとはなく自分で読むようになり、今度は近所の子供達を集めて、私が涙香小説の話をする番になっていた」(『探偵小説四十年』)。後年、涙香の『白髪鬼』や『幽霊塔』をリライトしてみせた素地がすでに生まれている。

1910年、旧制中学時代には日露戦争における旅順海戦をパノラマ化したような見世物を友人と観て感激のあまり、自宅の離れの四畳半に暗幕を垂らして、観てきたばかりの旅順海戦館をさらにミニチュア再現してみせた。「出来上ると、近所の小さい子供等を集めて、見物させた。黒布のうしろから、私の友達の得意のせりふが響くのだ。小さい子供達がどんなに喝采したことか。私という男はまあ今でも、こんなおもちゃなら拵えて見たい気がするのだ」(「旅順海戦館」)。

そうした夢の再現をやがて文章のみによって果たしたのが、乱歩小説にほかならないのではないか。その材料は自分の考えた物語が望ましいが、他人の作ったものでも乱歩が気に入ればよいのだ。その、聞いて聞いてという無邪気な興奮が、もちろん語り口のうまさあってのことだが、道行く人の耳をもそばだたせる。

カルト性とポピュラリティは相反する要素だが、例外的にそれを統合し得たのは、たとえば夢野久作の場合、没後になってからのことだし、山田風太郎も創作活動の後期になってようやく果たした。ひとり江戸川乱歩だけが、デビュー数年後から亡くなるまではもとより、没後50年の今日に至るまでカルトとポピュラリティの両面から支持されつづけている。そうして得た名声と収入を推理界に還元する意味で基金100万円を投じて江戸川乱歩賞を制定、そこから小峰元も東野圭吾も登場してきた。ひとくちにミステリーブームといっても個々には栄枯盛衰を免れない。

根源的でやましい欲望を作品化した乱歩は時代を超える

ところで江戸川乱歩がデビューした当初は、まだ探偵小説と呼ばれていた。戦後、文学的探偵小説どころか多少とも推理味のある文学作品もひっくるめて「推理小説」という概念を木々高太郎が提唱したが、折りしも「偵」の字が当用漢字外とされて新聞などで「探てい小説」と表記されるのがみっともないので、「推理小説」は探偵小説の適当な代替語に定着してしまった。

創刊当初のハヤカワ・ミステリ
創刊当初のハヤカワ・ミステリ 筆者提供

一方ミステリーという用語も普及しはじめ、最初ではないが1953年、早川書房がポケットブックで用いたあたりから親しまれるようになった。創刊当初は「A HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOK」と表紙や奥付などに刷られていただけで叢書名らしくないが、第4回配本から「世界探偵小説全集」と明記されている。その内容見本の推薦文では「ハヤカワ・ポケット・ミステリー」と呼ばれており、現在のように「ハヤカワ・ミステリ」(通称ポケミス)と音詰まりが正式名称になったのはいつだか、いま調べている余裕がないが、3年後に援護射撃的な意味も兼ねて雑誌EQMMの日本版が出たときは『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』で広告ページでも「ポケット・ミステリ」と音詰まり。エラリーはエラリイと表記するのが早川流だが、えらりいくいーんずみすてりーまがじんと長音が続いては間が抜けてしまう。釣られて「まーがじん」と発音しかねない。このときミステリに縮められたのかもしれない。

EQMM日本版創刊号
EQMM日本版創刊号 筆者提供

EQMM日本版創刊の半年前、この世界に参入した東京創元社は早川書房の「世界探偵小説全集」を意識したのだろう、より新鮮な語感のあった「世界推理小説全集」をスタートさせ、のちの創元推理文庫の母胎となった。しかし推理小説という呼称に最も固執したのはたぶん講談社で、一種の子会社である東都書房の「日本推理小説大系」「世界推理小説大系」をはじめ、「現代推理小説大系」「世界推理小説大系」(東都書房版とは別物)「推理小説特別書下し」、年度版「推理小説代表作選集(現在は「ザ・ベストミステリーズ」)」などを刊行、「これが推理小説だ」と謳った統一フェア帯を既刊推理作品に巻いたこともあったと記憶する。

しかし1970年代、風俗小説化しはじめた推理小説に反発するかのように、松本清張登場以前のロマン性の強い作風に共感して、意識的に「探偵小説」を用いる評論家、編集者も出現してきた。そして1977年末、『週刊文春』が初めて日本推理作家協会員へのアンケート集計をもとにした年間傑作ランキングを発表したさいの謳い文句は「傑作ミステリーベスト10」、このあたりで「推理小説」という呼称は決定的に旗色が悪くなった。このころは翻訳ものも日本作家の創作も混合のベストテンだったが、その首位は『シャドー81』、翻訳ものに限れば次は『百万ドルをとり返せ!』で、2冊ながらに新潮文庫が積極的に海外ミステリに進出しはじめた尖兵であった。それ以前、海外の新作ミステリの紹介はほとんど早川書房、東京創元社の寡占状態(その他は角川書店がわずかに『笑う警官』『ジャッカルの日』などを出していたくらい)だったのが、この年、大手出版社が乗り出し、大手週刊誌がベストテンを発表するという転機を迎えて現在に続く。

『シャドー81』は冒険小説、『百万ドルをとり返せ!』は犯罪小説と銘打たれ、それらを包含するには推理小説よりも探偵小説よりも「ミステリー」がふさわしかった。ちなみに同年の翻訳第3位はスティーヴン・キングの吸血鬼小説『呪われた町』。オピニオンリーダーでもあった江戸川乱歩が、探偵小説と怪奇小説は別物であると規定した区分けは完全に失効した。

だが作家としての乱歩自身はその両方を書いていて、両方ともに人気を博していたのである。そして、好事家の占有物的であった探偵・推理小説から、とにかく面白い小説を読みたい読者に向けて「ミステリー」が幅を利かせるようになっても、変わらず乱歩作品は求められつづけている。下宿館の屋根裏をはい回って他人の部屋をのぞき見する、椅子になって好きな異性が腰掛けてくれるのを待つといった、誰も実行まではしないが、ちょっとやってみたいような欲望を鮮やかに切り取って作品化する、その欲望は時代が移っても変わらない根源的なものだから。

新保博久さん
新保博久 (しんぽ ひろひさ)

1953年京都市生まれ。ミステリ評論家。
著書『ミステリ編集道』本の雑誌社 2,000円+税、編著『泡坂妻夫引退公演』東京創元社(品切)、ほか多数。

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