Web版 有鄰

542平成28年1月1日発行

永井紗耶子と『横濱王』 – 人と作品

昭和初期の横浜を舞台に原三溪の素顔に迫った長編小説

永井紗耶子さん
永井紗耶子

貿易商の青年が触れた三溪の偉大さ

関東大震災発生後、横浜市復興会長として、私財を投じて横浜の復興を牽引。生糸貿易で財を成す傍ら、芸術支援、「三溪園」の造園と無料開園などを行った原三溪。希代の豪商の素顔に迫る、書き下ろし長編小説である。

「取材でビジネスマンの方々に会う中で、近代の文化的財界人として原三溪、益田鈍翁、松永耳庵の名をたびたび耳にしました。私は横浜出身で、子供の頃からなじみ深い三溪園を作った人物を調べ始めたら、凄い人物だと分かり、原三溪を書いてみたいと思ったのが端緒でした」

昭和13年(1938)10月。28歳の貿易商・瀬田は横浜に向かう船の中で、事業を広げたければ、原三溪の出資を得て信用度をあげろと言われる。三溪と号する原富太郎は、横浜で最も名の知れた実業家だ。瀬田は原三溪に近づこうと、次々と伝手をたどっていくことにする。

「資料を調べながら、原三溪は俗世を超越した大人物だと思ったので、私の目線に近い主人公を立て、彼を通して語ることにしました。震災発生直後の、横浜市復興会創立総会での原三溪の演説を読んで感動し、三溪が震災復興で果たした業績をぜひ書きたくて、瀬田が最初に会う人物に語ってもらいました」

瀬田は、1年半ぶりに訪れた横浜の街を歩き回る。〈桟橋へ向かうと、その視界には華やかな横濱の街が広がっていた。色とりどりの服装の人々が迎え、どこからともなく、ジャズの音楽が流れている〉。行き交った若い女・絵里子は、新進の歌手。映画『愛染かつら』の主題歌が流れる路地の奥にバーがあり、主のお蝶は、昔“らしゃめん(異人相手の遊女)”だったという個性的な女である。

「当時のポスターや資料を見ると、昭和13年頃の横浜は、ジャズやダンスホールなど異国情緒あふれる街だった。数年のうちに戦禍にさらされる前の、幻の都のような横浜も書きたかった。震災から見事に復興したのに戦争でまた焼失してしまう、わずかな間だけ存在した華やかな街を、青年たちが野心を胸に歩いていたと思います」

果たして瀬田は、原三溪に会えるのか。昭和14年、原三溪は70歳で死去する。〈これから、どうなるんだ〉。作中で瀬田は、葬列を見送りながらつぶやく。

「政治の世界と一線を引いていた原三溪は、昭和13年の近衛声明に対しては、取り消しを求める書付を残しています。自身は海外にでたことがなかった原三溪ですが、原合名会社は海外に支店を広げた国際企業でした。今の日本人以上にグローバルな感性を持ち、国益まで考えて世界と渡り合おうとした人だったと思います。また、三溪園に茶室『蓮華院』を作ったように、仏教の造詣も深かった。『自灯明・法灯明(自らを灯火とせよ、自らを拠り所とせよ)』という仏教の言葉が、原三溪の思想を表すのにいちばんしっくり来るのではないか。趨勢に流されずに考え、世界を見ていた人だった」

歴史小説を執筆する楽しさとは

横浜生まれ、横浜育ち。慶應義塾大学文学部卒。新聞記者を経て、フリーランスのライターとして、雑誌、新聞の記事を執筆。2010年、第11回小学館文庫小説賞を受賞し、『恋の手本となりにけり』の題名で刊行しデビュー(文庫化に際し『部屋住み遠山金四郎絡繰り心中』と改題)。ほかに『旅立ち寿ぎ申し候』『帝都東京華族少女』などがある。

「子供の頃から文章を書くのが好きで、小説家になりたいと思っていました。取材をする中、数値やデータで割り切れない、裏づけがなくて記事にならないものにも関心を覚えて、フィクションで書いてみたらどうだろうと。うまく言葉にできないようなものを感じてもらえるように、小説を作りたい。楽しく読んだ後に、ひとつでも何か感じてもらえたら、それほど光栄なことはないですね」

NHK連続テレビ小説「あさが来た」の主人公のモデル、広岡浅子の人物像に迫るノンフィクション『広岡浅子という生き方』(洋泉社)も10月に刊行したところだ。

「ぼんやりとしたイメージを持ちながら資料を調べるうちに、ピースが1つずつはまっていき、はっきりした全体像が見える瞬間が面白い。歴史ものの執筆は推理する楽しさがあります。原三溪、広岡浅子を書く中、近代史は未整理の資料が膨大で、定説がない分、書き手の価値観が問われると思いました。当面は時代ものを書きますが、現代小説にも関心があります」

(青木千恵)

横濱王・表紙画像
横濱王

永井紗耶子/小学館/1,500円+税

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