Web版 有鄰

525平成25年3月1日発行

ボブ・ディラン ―その詞の世界― – 1面

中川五郎

ノーベル文学賞にノミネートの“噂”

ここ数年、9月の終り頃になるとぼくの周辺がちょっとだけ騒がしくなる。10月10日頃に発表されるノーベル文学賞の候補者としてボブ・ディランの名前が毎年挙がるからだ。ぼくはこれまでボブ・ディランの歌詞の対訳を数多く手がけ、2005年秋にはディランが1962年から2001年までの40年間に発表したほとんどすべての歌詞、全部で352曲が収められた『Bob Dylan Lyrics 1962-2001』(Simon & Schuster, New York)の翻訳書『ボブ・ディラン全詩集1962-2001』(以下『全詩集』)をソフトバンク・クリエイティブから出版している。

ボブ・ディラン/ソニー・ミュージック提供

ボブ・ディラン
ソニー・ミュージック提供

そんなわけでディランがノーベル文学賞の候補に挙がると、「もしも受賞したらすごいね」と友人たちとの間での大きな話題になるだけでなく、「受賞した時にはコメントや原稿をお願いします」という新聞や雑誌からの打診があったりする。

去年もボブ・ディランは村上春樹と共に何年か続けてノーベル文学賞の候補となり、発表の数日前にはあるテレビ局から受賞した時はぜひコメントをという連絡があったが、受賞者がわかったのとほぼ同時にそのテレビ局の人から、「残念でした。今年は中国の作家の莫言に決まりました」といち早く結果を知らされることになった。ちなみにイギリスやスウェーデンなど、ヨーロッパ各国のブックメーカーのオッズでは、村上春樹と莫言が一位と二位を争い、それにボブ・ディランが続いていた。

それにしてもノーベル文学賞の選考はスウェーデンの学士院であるスウェーデン・アカデミーが行ない、その選考は完全に秘密裡に行われ、選考過程は50年後に公表されるということなので、ボブ・ディランが候補に挙がった、ノミネートされたという話はいったいどこから出て来るのだろうか。確固たる拠り所はなくて、単なる人の噂にすぎないのかもしれない。50年後に選考過程が公表された時、ディランの名前はまったく挙がっていなかったという衝撃の事実が明かされることもありえるかもしれないが、すでに60代半ばのぼくとしては、それを知るすべはない。

ボブ・ディランがノーベル文学賞の候補に挙がっていないのではないかとぼくがつい邪推したくなるのは、そもそもディランの歌が文学賞の対象になるということにかなり奇異な感じを抱いてしまうからだ。もとよりぼくは賞というものにあまり関心がなく、この人はこんな賞を受けたからすごいとそれだけで判断するようなことは極力避けたいと思っている。それに何が文学で何が文学ではないのか、あるいは何が芸術で何が芸術ではないのかといったレッテル付けをするのもできるかぎり避けたいと考えている。

そしてノーベル文学賞のように、この世でいちばん文学や芸術といったかたちにこだわっているように思える賞をいざディランが受賞したりすると、たちまちのうちに彼の歌は文学や芸術の檻の中に閉じ込められ、ほかの歌とは違う、ほかの歌よりも優れていると、受賞したという事実だけで褒めそやされ、誉め倒されてしまうのではないかと危惧している。

翻訳した『全詩集』は歌を聞くためのテキスト

加えて小説家や詩人がノーベル文学賞を受賞すれば、まさにその作品である本が脚光を浴びるというのはよくわかる話だが、ボブ・ディランの場合、作品はあくまでもその歌で、厳密には実際にコンサートで歌われる生の歌そのものなのではないかという気がぼくにはする。アルバムはその生の歌を録音し、記録したものだから、それもまた作品だと言えそうだが、ぼくが翻訳した『全詩集』がいわゆる受賞作品のひとつと見做されるのには、かなり抵抗がある。

書影『ボブ・ディラン全詩集1962‐2001』

『ボブ・ディラン全詩集1962‐2001』
ソフトバンク・クリエイティブ刊

ボブ・ディランが詩人ならば、その全詩集はまさに受賞作品ということになるだろう。しかしディランは歌手で作詞作曲家で、彼が書いているのはポエトリーの詩ではなく、リリックスと呼ばれる歌詞なのだ。これはジャンルやカテゴリーにこだわっているということではなく、ボブ・ディランの言葉はそれだけでは作品ではなく、メロディやリズム、さまざまな楽器の音、そして彼の歌声とひとつになって初めて作品になるということだ。その歌を聞かずして、ボブ・ディランの歌詞だけを読んで彼の世界を知ったように思うようなことはゆめゆめあってはならない。

翻訳を手がけたぼくとしては、『全詩集』は、きちんとした作品でもなければ詩集でもなく、彼の歌という作品を聞く時のひとつの手引き、テキストなのだと思っている。もちろん詩もそうだが、歌詞も聞き手や読み手によってさまざまな解釈ができる。そしてボブ・ディランの歌詞の場合、意味が明確だったり、揺るぎのないメッセージが歌われていたりして、誰が聞いてもひとつの解釈しかできないものもあるが、気まぐれなイメージや心象風景、頭の中の世界など、曖昧で複雑で人それぞれどんな受け取り方でもできるものもある。酩酊したり、幻覚体験をしている時に書かれた歌詞など、本人以外、もしかすると本人すら理解できないと思えるものもある。

歌詞を翻訳する場合、いろんな解釈ができる作品であっても、本に収録できるのはたったひとつの解釈だけだ。そしてともすればそれが決定訳だ、それが正しいものだとぼくが主張しているように読者に誤解されてしまうこともある。しかしぼくが『全詩集』に掲載したのは正解でも結論でもなく、あくまでもぼく個人のひとつの解釈で、ぼくとしてはそれをひとつの叩き台にして、読む人それぞれが実際にその歌詞を歌っているディランの歌に耳を傾け、英語の原詞にもあたって、自分なりに解釈してほしいと願っている。歌というディランの作品に触れるためのテキストなので、それゆえソフトバンク・クリエイティブから出版された『全詩集』は、英語の原詞を収めた本と日本語に翻訳された歌詞を収めた本の2冊組となっている。

たとえばボブ・ディランが作った曲の中でも最も有名な曲のひとつ、1962年の「風に吹かれて/Blowin’ In the wind」のいちばん有名なリフレインのフレーズ、「The answer is blowin’ in the wind」は、直訳すれば「その答は風に吹かれている」で、ぼくもそう訳して本に収めたが、ディランの歌に耳を傾けると、答は風に吹かれているからいつになっても見つけることができないとも解釈できるし、答は風に吹かれているからいつかは自分のもとに舞い降りて来るとも受け取れる。そんなふうに聞く人によって、あるいは聞く時の気持ちによって、イメージがどんなふうにも広がって行く。それがボブ・ディランの歌の面白さであり、素晴らしさだとぼくは思っている。そしてその体験は単に文字を追いかけることによってはできず、歌として聞いて初めて味わえるものなのだ。

アメリカの大衆音楽が達成した最高峰のひとつ

ボブ・ディランは1941年5月24日にミネソタ州のダルースという町に生まれ、10代の頃からフォーク・ソングやブルース、ロックン・ロールなどの影響を受けて音楽の道に進み、アメリカ・フォーク・ソングの父と呼ばれるウディ・ガスリーに一目会いたいと、はたちになる直前にニューヨークに出てきて、その頃芽吹き始めたニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジを中心とするフォーク・シーンの中で歌い始めた。フォークやブルースを下敷きにして作ったオリジナル曲の数々で彼は注目を集め、たちまちのうちに時代の寵児となった。

1960年代前半のディランの歌はベトナム戦争や人種差別に反対する直截的なメッセージ・ソングが多かったが、やがて自分の内面や複雑な人間関係の綾を歌うようになり、60年代中頃にはロック・バンドを率いて活動し、その歌詞は難解でシュールなものとなっていった。

その後70年代後半には信仰の道に深く入り込み、聖書を熱心に読んで、ゴスペルと呼ばれる宗教的な歌ばかり歌うようになったこともあったが、歌い始めてから半世紀、フォークやブルースなどアメリカの民衆音楽に範を取りながらも、幾重にも解釈できるディランにしか書けない深く鋭く重い歌詞を書き続け、ディランにしか歌えない唯一無二の歌を歌い続けている。

仮にボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞するようなことがあれば、それは彼一人の名誉や功績ではなく、大衆芸能、エンターテインメント、娯楽、商業音楽と芸術や文学のひとつ下に置かれて低く見られることが多かったアメリカのポップ・ソングがその真価を認められたことにもなるのだとぼくは思う。

もっともこんな尊大な賞を受賞しなくても、ボブ・ディランの音楽がアメリカの大衆音楽が到達した最高峰のひとつであるということは、彼の音楽をずっと聞き続けてきた人にはわかりすぎるほどわかっていることだろう。しかし受賞がきっかけとなって、それまで彼の音楽に興味を抱かなかった人たちが、その存在すら知らなかった人たちが耳を傾けるようになるのだとしたら、それはとても素晴らしいことだとぼくは素直に思う。そしてぼくが翻訳した『全詩集』が、今はどこの書店でも見かけることができないが、増刷されたり、あるいはもっと手頃な価格となり、「ノーベル文学賞受賞」のオビを付けられて多くの書店の店頭に並ぶとすれば、こんなに嬉しいことはない。もっともこの本は作品ではなく、あくまでも歌を聞くための手引きでありテキストだと最後にもう一度念を押しておくが。

中川五郎氏
中川五郎(なかがわ ごろう)

1949年大阪生まれ。フォークシンガー、訳詩家、翻訳家、作家。訳書に『ボブ・ディラン全詩集1962‐2001』ソフトバンク・クリエイティブ(品切)、ほか著書、翻訳書多数。

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