Web版 有鄰

525平成25年3月1日発行

有隣堂 – 海辺の創造力

渡辺真理

文庫本のカバーは有隣堂のじゃないと嫌だと思っているのです。

まだ読んでいない中身を想像しながら、どの色が合いそうかレジ横で少し考えてから、店員さんに色を伝える…。本を選ぶ時や読み始める時よりも、なぜかわくわくするちょっと不思議な時間です。

しかし、有隣堂発行の本紙に有隣堂礼賛の寄稿をするのも気が引けています。職業柄、情報を伝えるときは出来るだけニュートラルでありたいと願う癖や、一主婦としては目にするCMや広告に「その褒め方はどうなの?」と勝手にひとりで突っ込んでいる日常の手前…。ただ、有隣堂は特別なのです。

伊勢佐木町の元松坂屋前の角、知らない本がたくさん詰まってる大きな建物は子供のころの私にとって魅惑の館でした。桜木町に母方の実家にあたる耳鼻咽喉科があり、有隣堂本店には週末ごとに連れていってもらいました。一歩なかに入ると目に入る大理石の床や壁、少しひんやりとした空気、一階から二階へ抜ける高い天井、綺麗なカーブを描く階段の木の手すり、鼻の奥をつく懐かしく静かな紙の香り。子供の背丈から見上げるとそびえるように高い本棚の間を歩くと、”今”でも”此処”でもないどこか別世界に迷いこんだような感覚を抱いたものでした。

我が家は祖父の代から横浜市民なので、関東大震災や戦災を身内から伝え聞き、また自分が大人になってからは開港時の資料などを見るにつけても、横浜という街への敬意と愛着は増します。元居留地もホテルニューグランドも三溪園の欠けてしまっている狛犬も、”横に長い浜”が東京の防波堤として開港して以来培ってきた強さや明るさやしなやかさ、そして過ごしてきた時間そのものを無言で物語っているようで愛おしく感じます。そんな地元への想いの真ん中に有隣堂本店もあるので、母の手料理の味と同じように特別な感覚を持ち続けるのかもしれません。(馬車道にあった「ユーリンファボリ」という文具館も大好きで、いつまでも飽きずに文房具を見ていました。勉強は好きじゃないのに、子供ってどうしてあんなに文房具が好きなんでしょうね。)

そんな愛着に加えて、インターネットや電子書籍が普及する昨今、有隣堂の魅力は私のなかで実は深まっています。ネットショッピングの便利さにはあやかりながらも、実際に足を運んで、書籍の香りに包まれながら目当ての本を探し…つい隣の本を手に取ってページをめくっている豊かな時間。目と指だけ使うPCと違って、耳から入る店員さんの詳しい話や手に取った本の重さ、気づくと穏やかに五感を刺激されている心地よさ。例えると、面倒でブラックコーヒーばかり飲んでいたある日、ふとカフェオレを口にして、知っていたはずのミルクの甘みに驚きつつ和むような贅沢な感覚です。だから、いつまでも横浜の歴史と香りをまとった有隣堂には、そこに佇んでいてほしいと願っているのです。

(アナウンサー)

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