Web版 有鄰

555平成30年3月10日発行

有鄰らいぶらりい

煙のようになって消えていきたいの
斎藤明美:著/PHP研究所:刊/1,400円+税

1929年(昭和4)の秋、養父に連れられて松竹蒲田撮影所に行った5歳半の秀子は、子供たちの列の最後尾に立たされた。やって来た映画監督の野村芳亭に選ばれ、野村の次回作「母」の子役オーディションに合格する。たまたま撮影所を訪ねた養父の思いつきが、のちの大女優、高峰秀子を誕生させたのだが、この出来事に対して後年、高峰本人が言い放った言葉は「災難」だった。〈災難です、災難!大災難〉。

55歳で引退を果たすまで、半世紀にわたり日本映画界を牽引し、数々の映画賞に輝いた高峰秀子は、なぜ女優業の出発点になった出来事について「災難」と言ったのか?

彼女は、女優の仕事を好きになれなかった。どれだけ働いても血縁に収入を吸い上げられ、「普通の生活」ができなかったのだ。それでも己という人間を見失わず、自分にふさわしい幸せに向かって生き抜いた。

〈わざわざ映画館まで足を運んでくれて、自分の財布からお金を出して、私が出ている映画を観てくれた人達、その一人一人が、私の勲章です〉など、高峰秀子が遺した言葉を、高峰夫妻と親しく、2009年に養女となった文筆家が記す。〈人間、死ぬまで勉強です〉。本が好きで博覧強記だった稀代の名女優の言葉に胸打たれる。

たゆたえども沈まず』 原田マハ:著/幻冬舎:刊/1,600円+税

たゆたえども沈まず・表紙

『たゆたえども沈まず』
幻冬舎:刊

1886年1月、開成学校でフランス語を学び、首席で卒業した加納重吉は、花の都、パリに到着した。開成学校の3年先輩で、パリ10区のオートヴィル通りに「若井・林商会」を構える美術商、林忠正に誘われ、専務として雇われたのだ。林は日本美術を扱い、パリの美術市場に「ジャポニスム」という名の新風を巻き起こしていた。

一方、人気画廊「グーピル商会」のモンマルトル大通り支店では、オランダ人の若き支配人、テオドルス・ファン・ゴッホが絵を売りさばいていた。オランダ南部に生まれたテオは、4歳上の兄フィンセントと共に画商の道に進んだ。絵が好きだが描こうとは思わなかったテオに対し、兄のフィンセントは画商を辞め、新興の画家の一派「印象派」に関心を覚えて、自ら絵を描くようになる。「ジャポニスム」にも魅了された兄弟は、林忠正や加納重吉とパリで出会う――。

新しい表現を追い求めるフィンセント・ファン・ゴッホと、兄を支えるテオ。不思議な絆で結ばれた兄弟と日本人画商との交流を通し、芸術を愛する人々の情熱、ゴッホの傑作「星月夜」の誕生を描く。ルソー、ピカソら芸術家の生き方を描いてきたアート小説の旗手が、孤高の画家ゴッホの壮絶な人生に迫る。傑作長編小説である。

モモコとうさぎ』 大島真寿美:著/KADOKAWA:刊/1,500円+税

3度結婚し、入籍せずに家族同様、一緒に暮らした人もいた母に育てられたモモコは、母がつき合う相手の懐事情に応じて生活環境が変転してきた。お金持ちの父がいたときは私立小学校に編入して学力が伸び、大学受験まではうまくいったが、就職活動が難航してしまう。ついに就職先が決まらず、バイトも首になる。引きこもって縫い物ばかりしているのを現在の父(小説家)に咎められ、翌日、家出を敢行する。

家出したモモコが最初に頼ったのは、大学の近くに暮らす西尾さんだった。モモコが不採用だった保険会社に見事採用された西尾さんは、入社前研修のストレスでだんだん不機嫌になっていき、うさぎのぬいぐるみを見て怒り出す。追い出されたモモコは、別の友人の唄ちゃんの家にもぐりこむが、彼女には大いなる欠陥があった――。

〈この世界は、わたしに関係なくあるのかな?/だからちっとも世界はわたしを受け入れてくれないのかな?〉

大学を卒業した22歳のモモコは転々として行く。そして、彼女がたどり着いた場所とは?世の中と少しずれた境遇で、さまざまな人や現実と出会うモモコの道行きが流麗な文章で描かれ、凝り固まった心がほぐされるアンチ・お仕事小説。モモコの運命に引きこまれる。

海馬の尻尾』 荻原 浩:著/光文社:刊/1,600円+税

舞台は、自爆テロで飛行機が原子力発電所に衝突、2度目の原発事故が発生してから2年を経た日本である。景気は回復せず、不安が蔓延して、主人公の及川頼也が属する暴力団の業界はむしろ息を吹き返している時代だ。

3年前に2度目の服役を終えた及川は、暴力沙汰が絶えず、アルコール依存症の治療を若頭に命じられる。大学病院に行き、医師の桐嶋から〈恐怖に対する概念が薄い〉と言われる。「椅子」と「愛」の区別がつかず、「血」と「花」の違いがわからない。診断名は「反社会性パーソナリティ障害」だった。

〈手短に言えば、あなたには良心がないということです〉。他者に対する共感力の欠如や、過ちから学ぶ能力のなさを指摘された及川は鼻で笑うが、抗争で身を隠す必要が生じ、8週間の治療プログラムを受けることにする。研究所には、遺伝子疾患を抱える少女、墜落した飛行機に搭乗して生き残った男など、多様な人々がいた――。

人間はどのような存在なのか、どこまで変われるのか?

若年性アルツハイマーを題材にした『明日の記憶』(2004年)でブレークした著者が、新たな視点で「脳と心」に切り込む。不安な世の中を放埓に生きてきた男の未来は?直木賞作家の筆力に唸る、力作長編小説だ。

(C・A)

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