Web版 有鄰

500平成21年7月10日発行

草風 夏五郎と『地上にて』 – 人と作品

架空の講演会の形式で、人間存在の意味を語る

kusakazesan
草風夏五郎

19年前のバブル期に書いた原稿

作家“草風夏五郎”が聴衆に語りかける、架空の講演会の形式で書かれている。著者名は草風夏五郎だが、実はベストセラー小説『セイジ』などで知られる小説家、辻内智貴さんの別名である。

今から19年前、作家になる前の辻内さんが「草風」の名で書いた原稿が、時を経て本となった。

「一気呵成に1週間足らずで書き、特に読み返すこともなかった原稿のことを思い出して、編集者に渡しました。出版が決まりましたが、デビュー前に書いたものですし、すでに本を何冊も出している物語作家・辻内と区別するつもりで、別名で出すことにしました」

原稿を書いたのは1992年8月頃。バブル景気の最中だった。効率優先、大量生産大量消費が加速するなか、60代の作家「草風」はこう語る。

<私達は、この便利さ、快適さへの支払いを、私達自身の心を削り取ってゆく事で賄っているんじゃないかと、そんな気がしてきます>

「浮ついた世の中に対し、どこかおかしいという気持ちはありました。ただし、世相は背景に過ぎず、俺はどうするんだ?と、自分の生き方を確認したくて書いたと思います。夢中で書き、できあがってみると『生き方の本』になっていた。自己肯定のみに陥らないよう極力客観的に、自分のだめなところ、卑小なところを見据えて書き進めた」

文明社会を眺め、自身の来歴や人との出会いを振り返り、思索を広げて、人間存在の意味を導き出していく。

<それぞれが互いを「研磨」しながら、そのそれぞれの、いのち、は、わずかずつではあっても、そこに黄金への輝きを増してゆくのでしょう>

「例えば、ずっと家庭を顧みない男だった友人は、子供が障害児だと分かり、子供のそばにいるために会社を辞めて小さな店を開きました。そいつは、子供によって磨かれたんですよね。人によって、気づくための出来事が与えられる時がある。僕は30代前半で生活に行きづまり、こりゃあ死ぬしかない、40まで生きられないだろうと思いました。こうなりたいという望みもなく、ただ時間に任せて町や人を眺めていたら、見えてくるものがあった。明日どうしようと不安な人と順風満帆な人がすれ違ったり、老人と孫が遊んでいる風景なんかを見ると、それぞれの時間が一緒になって世界ができている、互いに研磨しあって、生きているんじゃないかと」

そして「草風」は、苦しかった時期について<幸福だった。(略)あの時期ほど、この地上を愛した事は無かったように思います>と、語っている。

「直感的にこうじゃないか、ああじゃないかと考えて、その後、宗教に詳しい友人と話して、そうか、昔から宗教的にも同様に語られているんだなと、再確認する事がよくありました。釈迦が『生老病死』と言ったように、人生は、相対的に“苦”ですよね。でも多分、苦を本当に受け容れたところで楽になる。死を自覚して初めて、生きている事が明確になるんじゃないか。地上では全てが表裏一体で、溺れても、じたばたせず力を抜くと、ぷかっと浮かんで楽です。浮かんで流れていると、岸から『大丈夫か?』なんて声がかかるもんです」

シンガー詩人・辻内智貴としても活動

1956年福岡県生まれ。バンド活動を経て、2000年に「多輝子ちゃん」で太宰治賞受賞。著書に『青空のルーレット(「多輝子ちゃん」収録)』『ラストシネマ』など。

草風夏五郎名のこの本の冒頭、<19年前の「草風」さんが憂えたことは今ますます深刻な状況になってきています>と、担当編集者が刊行意図を記している。

「19年前の文章が現在の時世にそぐうのは、文章自体が読まれる時を待っていたんだと思います。僕はこの原稿を書いていた時が一番枯れていた(笑)。やがて小説を書くようになりましたが、僕の小説はこの原稿を母体にしています。日本はまた不況になり、自分らがあてにしていたものはこんなに脆かったんだと、多くの人が気付いてきたんじゃないでしょうか。大多数の人が忙殺されて考えないような事を、僕ら少々特異な生き方をしている奴が考えて、提供する共生活動ですね。いずれにしてもこの文章を母体にした物語を、また辻内の名で書いていくでしょう」

シンガー詩人・辻内智貴としても活動。2009年春、自作詞・曲によるファーストアルバム「ZeRo」を、沖縄のインディーズレーベル、ハイウェーブよりリリースした。

(青木千恵)

『地上にて』・表紙

地上にて
草風夏五郎/光文社/1,500円+税

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