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有鄰


平成15年2月10日  第423号  P4

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 横浜みなとみらい21 (1) (2) (3)
P4 ○たましいのこと  早川義夫
P5 ○人と作品  山本一力と『深川黄表紙掛取り帖』        藤田昌司



たましいのこと——

本屋から歌手にもどって

早川義夫
 


  歌を歌っていた18歳から21歳

早川義夫氏
早川義夫氏

本屋の夢ばかり見る。店を閉めてからもう7年も経つのに、いまだに見る。たとえば、妻が通路に編物の本をずらーっと並べてしまうので、何やってんだよと怒ったりするような、そんな夢で、目が覚める。

よっぽど苦労したからだろうか、それとも楽しかったからだろうか。わからない。とにかく、僕の中ではいまだに本屋が続いているのである。

18歳から21歳ぐらいまで、僕は歌を歌っていた。売れなかった。グループは解散し、制作の仕事に回ったが、やめた。勝手な言い草だが、いわゆる、ふざけたり、かっこつけたりする若者の顔が無性に嫌になった。23歳だった。早く、おじいさんになりたかった。

ファンであったという人から、「もう歌わないんですか?」と尋ねられた時、「なぜ生きているんですか?」と問われているような錯覚に陥ったが、「50か60になったらまた歌いますよ」と僕は冗談まじりに答えた。しかし、それは案外本気だった。どんなに月日が流れても、僕は何一つ変わらない。いつの時代も変わるのは風景だけだ。


  25歳で小さな本屋を川崎で開業

25歳で店を持った。本屋を選んだのは、風呂屋の番台のように、猫でも抱いていれば、毎日が過ぎていくだろうと思ったからだが、それは、まったくの大きな勘違いであった。

そんな苦労話や笑い話は『ぼくは本屋のおやじさん』という本に書いたことだが、小さな町の小さな本屋は、本を揃えたくとも、欲しい本は入って来ないのである。考えてみれば、しかたがないことであった。たとえば、初版5,000部の本をどうやって全国20,000軒の書店に行き渡らせることが出来ようか。

時々、「俺は本が好きだぞ」みたいなお客さんから「新聞広告が出ているのにどうしてないの?」とバカにされることはあったが、そのたびに僕は、街を作るのも、店の棚を作るのも、同じ街に住んでいる人たちなのになーと思った。


  本屋は楽しかった。でも、若いころに戻りたい

幸いいいお客さんに恵まれ、気さくな本屋仲間ともめぐり逢い、本屋は楽しかったが、このまま終っていいのだろうかと思った。もしも、このまま死んでしまったら、自分の身体はちゃんと燃えないのではないかと思った。かつて、音楽を中途半端な状態でやめてしまったという、気持ち悪さがあったからだ。

何かやり残していることがあるような、自分が何者なのかを知りたくなったのだ。笑われても構わない。これから下り坂という時に、今度は若いころに戻りたくなってしまったのである。


  伝えたい人がいれば、歌は生まれて来る

恋をした。僕は再び歌を作るようになった。ブランクとか技術とか才能は関係ない。へただっていい。伝えたいことと、伝えたい人がいれば、歌は生まれて来るのだ。もしも、歌いたいことがなければ、歌わないことが、歌っていることなのだ。僕は「歌わなかった20数年間、実は歌っていたんだね」と思われるように、歌を歌いたかった。


  自分の求めている場所だとわかった歌の世界

復活後の最初の仕事はBSテレビの収録だった。僕は緊張のあまり、何度もトチッてしまった。逃げ出したくなるほど恥ずかしかった。ところが、その時、ディレクターから、「早川さん、全然おかしくありませんから。僕はこの歌が好きになって、何度も聴けて幸せだと思っているくらいですから。途中でやめてもいいですし、プロとして最後まで歌ってもいいですし、 時間はいくらでもありますから」と勇気づけられた。

僕は下を向きながら、ああ、僕の求めている場所はここなのだ、と思った。この綱の上を歩いていけば、そこに、たどりつけるような気がした。本屋での「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の世界には、そんな感動はなかったからだ。


  閉店の日、お客さんから学んだ日常の感動

しかし、それはとんでもない間違いであった。閉店の日、僕は泣いてばかりいた。棚を見ているだけで、涙がこぼれて来た。これまでに、一度も喋ったことのないお客さんからも「寂しい」と言われたり、「残念です」とか「元気でね」と声をかけられた。花束や手紙をもらった。いつもよりずっと長くいて、棚をひとつひとつ丁寧に見て回る人もいた。何も語らず、たくさん本を買っていく人もいた。

本屋での「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の世界にも感動はあったのだ。小説や映画やステージの上だけに感動があるのではない。こうした何でもない日常の世界に、それは、目に見えないくらいの小さな感動なのだが、毎日積み重なっていたのだということを僕は閉店の日にお客さんから学んだ。


  寂しいから悲しいから歌うのだ

このことは、一生忘れない。なにも歌を作ったり、人前で歌ったりすることが素晴らしいことでも、ましてや、かっこいいわけでもない。日常で歌が歌えていれば、それに越したことはない。日常をいきいきと暮らし、毎日が幸せなら、わざわざ歌を作って歌う必要などない。

寂しいから歌うのだ。悲しいから歌うのだ。何かが欠けているから歌うのだ。精神が普通であれば、ちっともおかしくなければ、叫ぶ必要も心をあらわにする必要も楽器を震わせる必要もない。歌わざるを得ないから歌うのだ。


  知識や技以上に重要なたましい

先日、ある本屋で、つり銭を手のひらにポトッと落とされたことがある。思わず、お金が落ちそうになったので慌てた。「えっ、俺の手、そんなに汚いの?」と思った。その話を他の人にしたら、「私もされたことがある」と言っていたから、どうも僕だけではないらしい。レジにいた女の子は、潔癖症なのだろうか。

その逆に、ある大きなマーケットのレジで、「ありがとうございました。またお越しくださいませ」と頭を下げながら、おつりを渡された時、手のひらを両手で包まれたことがあった。その時は感激した。「あれ、俺のこと好きなのかな」と思った。一瞬、ポカンとしてしまった。

でも次のお客さんに対しても同じように丁寧でてきぱきとしていたから、僕の勘違いだったのだが、それでもなごりおしく、「お友達になりたいな」と思ったものだった。

後日、同じマーケットに行き、レジを見渡したが、彼女を見つけることは出来ず、おつりを両手で包んで渡してくれるのは、結局その人だけだった。店の方針とか店員教育ではなく、人柄だったのだ。たましいだったのだ。


  「この人はひょっとしたら観音さまかもしれない」

美味しいとか美味しくないとか、商品が揃っているかいないかは、もちろん大切だが、それ以上に、接客態度は重要だ。僕などは、たとえ美味しくても、いくら商品が揃っていても、感じが悪ければ二度と行かない。別にお得意さんを大切にというのではない。むしろ逆だ。お得意さんのふりをしている人には、なるべく事務的にし、いわゆる手のかからない、普通のお客さんに対してこそ、優しくする店がいい。サービスは幸せと同じように、求めないとやって来るのだ。

瀬戸内寂聴の「この人はひょっとしたら観音さまかもしれない」という言葉を思い出した。嫌だなと思った人のことを、もしかしたら、観音様なのかも知れないと思えば、嫌でなくなるというのだ。悟ったわけではないけれど、人を観音様だと思うことは、自分が観音様になれる道なのではないだろうか。


  心やたましいはいつだって黙っている

最近、思ったこと。すべての過去は、あれで良かったのだと思うようになった。数々の失敗も、出会いも別れも、その道を選んだのも、あの道を選ばなかったのも、すべてあれで良かったのだと思うようになった。もちろん、あの時、ああすれば良かった、こうすれば良かったというのはあるけれど、そして今、特別幸せなわけではないけれど、今の僕があるのは、僕の過去のおかげなのだ。

いいものは、うるさくない。月や太陽のように黙っている。もう二度と会えぬ人たちも黙っている。耳を澄ませば聴こえて来るかも知れないけれど。考えてみれば、僕たちの心やたましいは、いつだって黙っている。本のように、黙っている。



 

 
 
はやかわ よしお
1947年東京生れ。 元歌手、元書店主、現在、歌手。
グループサウンズやフォークソングが流行しはじめた1960年代後半に、フォークロックバンド「ジャックス」のリーダーとして活動。
1970年に音楽業界から引退し、1973年、川崎市中原区に早川書店を開業。
1994年に音楽活動を再開し、1995年に22年続いた書店をたたむ。
アルバムに「この世で一番キレイなもの」(ソニーレコード、1994年)、「歌は歌のないところから聴こえてくる」(同、2000年)、最新作に「言う者は知らず、知る者は言わず」(アゲント・コンシピオ、2002年)がある。
 
著書『ラブ・ゼネレ−ション』シンコ−・ミュ−ジック(品切)
ぼくは本屋のおやじさん』晶文社 1,470円(5%税込)、『たましいの場所』晶文社 1,785円(5%税込)
 


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