Web版 有鄰

502平成21年9月10日発行

松井今朝子と『道絶えずば、また』 – 人と作品

歌舞伎の世界に生きる男たちの修羅、家と血の絆を描く

松井今朝子
松井今朝子

名女形、沢之丞の不可解な死

江戸後期。名女形、三代目荻野沢之丞を中心に、芸に生きる男たちの修羅、家と血の絆を描いた長編時代ミステリーの完結編である。1作目『非道、行ずべからず』で描かれた中村座炎上から5年。70歳を過ぎた沢之丞が、一世一代の「道成寺」を演ずる初日、舞台から落ち、不可解な死を遂げる。覚悟の自害だったのか?北町奉行所同心の薗部理市郎が、謎を追う。

「私はミステリー的な展開をする話を読むのも書くのも好きで、特に歌舞伎などの特殊な世界を扱うとき、歌舞伎にあまり縁がない読者も真相を知ろうと読んでくれるのではないかと。1、3作目は理市郎、2作目『家、家にあらず』は瑞江と、特殊な世界を驚きを持って眺める人物の視点を使っています。その世界を説明しやすいですし、ワンダーランドを歩く“冒険”になるんですね」

沢之丞には、二人の息子がいる。長男市之介はおっとりとした気性と顔立ち。次男宇源次は天分に恵まれて妖しい美貌だが、気性が荒い。どちらが沢之丞の名跡を継ぐのか?程なく、大道具方の甚兵衛が首吊り死体となって見つかる。彼は熱心な法華信者で、その頃江戸では谷中の感王寺が勢いを増し、信者を集めて賑わっていた。

「寺院が処罰を受けた事件を踏まえて、何か話を作ってみたいと思っていました。このシリーズと絡めたのは、洋の東西を問わず古来から、芸能と宗教が分かちがたく結びついてきたからです。オウム真理教事件を考えても、宗教は人を救う面もあるけれど、怖い面もある。宗教を求める人は、何か繋がる先を求めているのかもしれない。今の時代、人の繋がりが横軸ばかりになってしまって、師弟関係などの縦軸のなさが、人間を凄く不安定にさせている。私たちが歌舞伎役者の世界にどこか憧れを抱くのは、親子で同じ仕事をしたり、縦の繋がりがある世界を見て、ほっとするからだと思います」

唐突に訪れた、沢之丞の死。放蕩児ながら心底では父思いだった宇源次は迷い、感王寺に近づく。芸に生きる宇源次が求めていたのは、肌と肌ではなく、魂と魂の激しいこすれ合いだ。

<自らを励まし、鍛え、時には奈落の底に突き落とすような苦しみを与える相手にめぐり会いたいという切ない望みが、常に心の底で蠢いている。それこそが自らの深い闇だと、宇源次はすでに気づいていた。>

「シリーズを通して、家族について考えていました。沢之丞もそうですが、孤独な人がいっぱい出てきて、家族を作っていく話でもある。沢之丞は父親であり、師匠。この小説に描いた人間たちの世界はある種のユートピアなんですが、血の繋がりに拠らない家、これからの共同体とはどんなものだろうと。“人情”なんて安直な言葉は使いたくない。人情って、簡単なものではなく、情が濃い関係は、実は凄く大変です。情が薄い方が楽ですが、その代わり孤独や不安定さがある」

歌舞伎の脚色・演出を手がけた後、小説デビュー

1953年、京都祇園生まれ。早稲田大学大学院文学研究科演劇学修士課程修了。歌舞伎の企画・制作に携わった後、故・武智鉄二氏に師事し歌舞伎の脚色・演出を手がける。’97年、『東洲しゃらくさし』で小説デビュー。同年『仲蔵狂乱』で第8回時代小説大賞、’07年『吉原手引草』で直木賞。著書に『そろそろ旅に』『果ての花火—銀座開化おもかげ草子』『辰巳屋疑獄』『今朝子の晩ごはん』シリーズなどがある。

「肖像権についての問題提起を時代小説風に書いてみたら本になり、次作が賞を受けて小説家になりました。恵まれたデビューでしたが、習作や書きためがないから、依頼を受けてすべて一から書いていくのは綱渡りで、シビアでした。集中力はありますね。だから、書き終わった後はすごく疲れます。だらっと書けません。おざなりでできるとは思っていませんね」

幼い頃から歌舞伎に接していたが、小学6年のとき六代目中村歌右衛門の舞台を観て凄さに圧倒され、のめり込んだ。今回の3部作は、1作目の連載開始からおよそ10年がかりの仕事となった。

「小説連載に初めて取り組んだ作品が1作目で、物語を閉じさせることができるか心配でした。それが3部作になって完結して、とても感慨が深いですね。愛着のあるキャラクターたちを、しっかり書くことができました。沢之丞は、中村歌右衛門さんを思い浮かべて書いた、部分的オマージュ。3部作の群像劇、全体の主人公は沢之丞です」

(青木千恵)

『道絶えずば、また』・表紙

道絶えずば、また
松井今朝子/集英社/1,800円+税

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