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有鄰


有鄰の由来・論語里仁篇の中の「徳不孤、必有隣」から。 旧字体「鄰」は正字、村里の意。 題字は武者小路実篤。

平成12年3月10日  第388号  P1

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 現代の人と住まい (1) (2) (3)
P4 ○桜花と陰陽五行  吉野裕子
P5 ○人と作品  森下典子と『デジデリオ』        藤田昌司

 座談会

「タンポポ・ハウス」にみる
現代の人と住まい (1)

   東京大学生産技術研究所教授   藤森 照信  
  隈研吾建築都市設計事務所   隈 研吾  
  早稲田大学理工学部建築学科助教授   田辺 新一  
              

はじめに

編集部
「タンポポ・ハウス」(藤森氏宅)全景
「タンポポ・ハウス」(藤森氏宅)全景
近年、「住環境」という言葉が盛んに用いられ、人と住まいに関する本も数多く出版されています。なかでも、藤森照信先生の『タンポポ・ハウスのできるまで』というご著書は、屋根にタンポポを寄生させた自宅を、ご自身で設計してつくられた体験をまとめたユニークなもので、建築の専門家のみならず、住まいに関心を持つ一般の方々に幅広く読まれております。

本日は、「タンポポ・ハウス」を建てられたお話を伺いながら、建築の歴史から見た現代の特色、また、生活習慣や社会形態の変化と住まい、あるいは建築とエコロジーの関係など、「住環境」に起きているさまざまな問題についてお聞かせいただきたいと思います。

ご出席いただきました藤森照信先生は建築史をご専攻で、ご著書『明治の東京計画』で毎日出版文化賞を受賞されています。また、路上観察による建築探偵としてもご著名で、近年、建築を「みる」ことから「つくる」ことへと活動の場を広げられ、「神長官守矢資料館」などの建築作品を生み出されております。

隈研吾先生はコロンビア大学客員教授を経て、現在、隈研吾建築都市設計事務所を設立され、建築家として ご活躍です。日本の住宅を十種類のパターンに分けて住宅と人間の関係を紹介された『10宅論』などのご著書がごいます。

田辺新一先生は早稲田大学理工学部建築学科助教授で、建築環境工学がご専門です。建築材に含まれる化学物質による室内汚染などを研究され、『室内化学汚染』などを執筆されています。


戦後は家の中心が床柱から流し台へ

編集部 現代の住宅事情は、どのように変わってきたんでしょうか。

藤森 基本的には第二次大戦が境です。戦前は基本的には男性の家。つまり家父長制でしたから座敷が一番大事で、座敷は日常的に使わない。家族が座敷を使う場合はハレの日や正月、法事、来客のときだけで、一番偉い人が床柱を背中にして、周りにずらっと並ぶ。女性はそういう時には絶対同席はしない。今でも長野の私の田舎では女性はほとんどサービスで、同席しませんね。料理は基本的に家でつくるから女性は全部そっちです。男性は座敷にふん反り返って飲み食いしている。
座談会出席者
左から隈研吾・藤森照信・田辺新一の各氏


それが第二次大戦で決定的に変わった。座敷にとってかわったのがダイニングキッチンです。2LDKとかいいますが、これは日本にしかないんです。ダイニングキッチンは公団が始めたもので、これにはいろんな意味がありますが、戦前との関係でいくと、台所を、食事をする場所と同じ所に引き出した。食事をする場所は、昔は、ある程度格が高かった。

要するに台所が家の中心になり、台所のそばで食事をする。その近くに居間、さらに個室が広がる。だからその逆転はものすごい。日本でもヨーロッパでも、台所は一番格の低い場所、作業空間だったのが、家の中心に出てきた。食事の部屋をちゃんととれない家のために公団はダイニングキッチンを工夫したわけです。そのかわり寝室をちゃんと確保してあげようという食寝分離論。これはマルクス主義者で有名な西山夘三先生が昭和十年代に主張して、戦後、実現した。

女性の社会進出とか、主人中心じゃない家族中心とか、戦後の社会が全部台所中心と合っていた。それは大きな家にまで影響を与え、建築家の好みにも合った。戦後の建築家は部屋を区切るのをいやがり、できるだけ広くしたい。それが今日まで来ている。

それをもっと象徴的に言うと、中心が床柱から流し台に移った。流し台は昔は「人造石研出(とぎだ)し」だったのを、公団は一気にステンレスにした。そして、流し台が床柱に勝った。今、システムキッチンは車なみで何百万円もします。室町時代以来の床の間中心の家が流し台にやられてしまったのが、歴史的には大きな変化だと思います。

 

  女性に絶対的権限を保障したダイニングキッチン

編集部 その辺は風俗史的な面ではいかがですか。

『10宅論』を書いたのは一九八五年です。あの頃までに、女性が住宅をつくる主役になって住宅が完全にファッション化された。ファッションも住宅も同列になったわけです。日本の専業主婦文化が確立されて、女性が主役になったんです。

高度成長で優秀な子供をたくさん育てる必要が生じ、専業主婦が社会から必要とされて、彼女たちが家の中で大きな権限を得た。経済的にも、家の文化を引っ張っていくうえでも、彼女たちが家の中心になることが高度成長文化の本質だった。

その家の中での絶対的権限を保障するのがダイニングキッチンだったのではないか。あれはフーコーの言う「パノプテイコンである」ということを唱えている社会学者もいますが、キッチンは家の中の一望監視空間。要するに刑務所で看守が全部の囚人を監視するように、家の中で専業主婦がキッチンから子供も旦那も全部監視して、それによって絶対的権力を獲得するための装置がダイニングキッチンなんです。

しかし彼女たちは、内部では絶対権力を持っても、社会的接点はマスコミ的なものしかなかった。そこが彼女たちの悲劇であり、喜劇です。マスコミによって幾つかのタイポロジーを与えられ、それを選択するという家のつくり方しかできなかった。そういうファッション的タイポロジー的な家のつくり方を茶化して書いたのが『10宅論』です。

今、それが解体し始めている。要するに、専業主婦のポジションが非常に危うくなってきている。そんなに子供を産む必要がなくなり、人口が急激に減少し始めた。それから女性たちも社会と接点を持つ必要に気づき始めた。そういう意味で、女の家が終わりつつある。そのときに藤森さんのやっていることは、まさに男の家の復活なんじゃないか。

 

  自分で考えて家をつくるのは新しい「男の復権」

男の復権といっても、家父長制的な復権ではなく、今度復権してきた男というのは、自分でかなりのことをする。家事もするし、家もつくる。ただ、その仕方は、いわゆるマニュアルを実践するというのではなくて、自分で見よう見まねでやる。シロウトくさくても自分だけで考える方法が新しい男性像として、ここ数年、急激に出てきた。

藤森さんの家のつくり方もそうだし、赤瀬川原平さんの言う「老人力」も、男が一人で復権するときの復権の仕方を象徴している。そういう新しい動きが急に盛り上がってきた。



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