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有鄰


平成12年9月10日  第394号  P4

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 氷川丸・70年の航跡 (1) (2) (3)
P4 ○鎌倉彫  薄井和男
P5 ○人と作品  米沢富美子と『二人で紡いだ物語』        藤田昌司



鎌倉彫
薄井和男





中世後期にさかのぼる鎌倉ゆかりの工芸品


薄井 和男氏
薄井 和男氏
 鎌倉彫は身近な漆工芸品として、また、古都鎌倉の特産品としても全国に知られている。その歴史は古く、 伝統は現代にも引き継がれ、工人による制作が脈々と続けられている。また今日では教授会などをとおしての 趣味の鎌倉彫制作も盛んであり、愛好家は数万人といわれている。

 しかし、この鎌倉彫の起源を探ろうとすると、必ずしも明白ではない。一般にはその名から想像されるように、 鎌倉時代に鎌倉で始まったと認識されているようであるが、それを明確に証明する、鎌倉期の史料や遺品は存在 しないといえる。

 では、鎌倉彫の起源はどのように考えられているのであろうか。

 まず、鎌倉彫の名称については、元禄七年(一六九四)成立の『萬寶全書』に「鎌倉雕(ぼり)」の名が明記されており、 「唐物に似たれども内乃(うちの)つくり日本物と見ゆる也」とあって、鎌倉彫が中国風の和物であることがしめされるとともに、 江戸時代の早い時期には鎌倉彫の呼称が定着していたことがわかる。

屈輪文大香合
屈輪文大香合
(永禄8年・1565)
鎌倉・円覚寺蔵
神奈川県指定重要文化財
 これより早い中世においては、室町時代後期の公家の日記である『実隆公記』(さねたかこうき)に「堆紅(ついこう)盆 鎌倉物 一枚」 (長享元年・一四八七)、「盆 香合 鎌倉物」(永正五年・一五〇八)、「居盆 鎌倉物」(大永四年・一五二四)の 記載がみられ、器類に「鎌倉物」の名がある。

 「堆紅」は中国では罩紅(とうこう)とも呼ばれ、木器に錆地(さびじ)を盛り文様を彫り朱漆を塗ったものや、彫木器に朱漆を かけたものを指すが、これと彫木彩漆(ちょうもくさいしつ)(木彫漆塗り)の「鎌倉彫」とが技法的にも完全に一致するかは問題もあり、 「鎌倉物」イコール「鎌倉彫」であるのかは断定できない。

 しかし、近世の鎌倉彫との関連は、状況からみて濃厚であると推測でき、名称の起源は明白ではないが、中世後期 より鎌倉ゆかりの彫木彩漆の工芸品を、ひとつのジャンルとして括っていたように思われる。

  中国風の文様彫りと漆塗りの組み合わせが古典鎌倉彫の特徴

 では、こうした鎌倉ゆかりの彫木彩漆はいつ頃から興ったのであろうか。

 鎌倉彫は木器に文様を浮き彫りし、朱漆または朱と緑などの色漆を塗り分けて仕上げた、彫木彩漆の技法により つくられた工芸品ととらえられている。

 現在遺っている古典的な作品、たとえば室町時代の香合などをみると、そこに彫られた文様は、中国で富貴の 象徴とされる牡丹や、屈輪(ぐり)(倶利)と呼ばれる独特の幾何学的な渦巻文などが主であり、いわゆる唐文様であることが わかる。
椿文笈
椿文笈(室町時代)
神奈川県立歴史博物館蔵
神奈川県指定重要文化財


 一方、漆塗りの技法は日本でも古代より伝統のあるなじみ深いものである。この中国風の特徴的な文様彫りと 漆塗りの組み合わせが古典鎌倉彫の特徴であり、鎌倉彫の当初の姿に近いものと想像される。

 鎌倉彫の起源を語るとき必ず引用されるものに、江戸時代中期に書かれた『櫻塢漫録』(おううまんろく)(『古事類苑』産業部)が ある。「鎌倉彫は四條帝の御宇、運慶の孫‥‥康圓、陳和卿(ちんなけい)と共に法華堂の佛具を彫りたるを始めとす、鎌倉彫は、 康圓より康誉‥‥・宗阿彌・淨阿彌相傳ふ(下略)」というものである。

 鎌倉時代の巨匠運慶の孫の康円と、東大寺大仏再興に従事し鎌倉にも下っている中国宋の工人陳和卿が協力して 鎌倉の法華堂の仏具制作をしたのがその始まりだという内容である。この記述は、そのままでは信じがたいものと 認識されているが、この起源譚のなかに鎌倉彫発祥を解明する手がかりがひそんでいる点も指摘されている。

  禅宗の移入を契機に鎌倉に独自の宋風文化が開花

 鎌倉は源頼朝の幕府開設以来、文化的にも次第に発展を始める。当初は京都の文化の移入・模倣であったが、 十三世紀半ばよりは鎌倉地方独自の道を歩むようになる。その大きな要因として、本格的な禅宗の移入があり、 これを契機として中国宋代文化が招来され、その影響を受けた、いわゆる宋風文化が開花する。

 それは絵画・彫刻・工芸といった美術分野にも顕著にあらわれ、禅宗寺院では宋風建築が建ち並び、菩薩半跏像・ 法衣垂下像といった宋風の特徴的な彫刻が流行する。

 こうしたなかで、寺院の仏具、仏器などにも輸入された唐物が用いられたが、堆朱(ついしゅ)・堆黒(ついこく)を代表とする唐物の 彫漆器は、漆の多積層に屈輪などの文様を刻みつけた手間のかかる高価なもので、簡単には手に入らない高級品で あったと思われる。

  中国の彫漆を木彫漆塗りの技術を使って模倣

 こうしたことが引き金となり、やがて鎌倉びとの貪欲ともいえる唐物志向の需要を満たすため、彫漆の模造が つくられるようになった。それは堆朱・堆黒などの彫漆品のかわりに、木器に唐文様を直接彫りつけて漆を塗ると いう簡便な方法による漆工芸品の制作であった。

 『櫻塢漫録』に書かれていることは、歴史的事実は別として、宋風文化のイメージの代表として宋人陳和卿が 登場し、運慶を祖と仰ぐ優秀な彫刻技術をもつ鎌倉仏師が陳和卿と協同して、鎌倉彫の基となる仏具制作にあたったと 解釈されるものである。

 これは、仏像だけでなく、台座・光背といった荘厳具をもつくっていたであろう鎌倉仏師が、中国彫漆の模造品を つくったと解釈することができ、鎌倉彫が鎌倉の地で発祥し、しかも中国宋文化の影響でつくられた宋風の産物で あることをも指している。

 つまり鎌倉彫は、中国彫漆を、日本に伝統があった木彫漆塗りの技術を使って模造したもので、最初、禅宗の 本拠地である鎌倉で興り、禅宗の発展とともに各地に広がったものであろう。そして、こうした唐様の彫木彩漆、 ないしその周辺の工芸品に「鎌倉」の名が付され、それが次第に整理され、鎌倉彫として一般化していったと いえるだろう。

  鎌倉彫の起源に関わる名品を展示

 このたび神奈川県立歴史博物館で「鎌倉彫名品展・古典から近代鎌倉彫まで・」(八月二十六日〜十月一日)を 催すこととなった。この展覧会には鎌倉彫の起源に関わると思われる古作品が多く出品されており、そのいくつかを 紹介する。

前机
前机(応永35年・1428) 鎌倉・建長寺蔵
鎌倉市指定文化財
 まず、鎌倉彫の源流としての仏具のひとつに、建長寺に伝わる須弥壇があり、もと食堂(じきどう)に据えられたもので あるという。いわゆる唐様(宋朝様)の形式をなす最古の遺品であり、甲板(こうはん)の四角に逆蓮頭(ぎゃくれんとう)のついた柱を立て、 高欄(こうらん)を前側面に付している。甲板と基壇の中間にひかえた腰間部に三匹の唐獅子と牡丹の文様が浮彫りで嵌め込まれており、 後世の鎌倉彫に多く使われている獅子牡丹文の祖形をここに見ることができる。円覚寺にも同様の古い須弥壇が 伝わっている。

 円覚寺と建長寺の前机もまた、同じく唐様で、共に甲板下脚間の欄間には牡丹文の透彫りが生き生きと彫られ、 表面は黒漆地に朱漆を上塗りしており、その意匠、技法とも鎌倉彫の源流を成すものと考えられている。建長寺前机 には応永三十五年(一四二八)に建長寺西来庵(せいらいあん)公用として、建徳寺(厚木市金田)の第四世明翁聡(昭)見が、 寄付した旨が記されている。

 こうした鎌倉彫の祖形といわれる仏具とならんで、古典鎌倉彫の代表的器物といえるものに寺院蔵大香合がある。

 京都・金蓮寺の屈輪文大香合(文明十三年銘)、京都・知恩寺屈輪文大香合(永禄六年銘)、鎌倉・円覚寺屈輪文大香合(同八年銘)、 京都・泉涌寺屈輪文大香合、京都・南禅寺牡丹文大香合、大阪・来迎寺鳳凰文大香合などである。いずれも古典鎌倉彫の優品であり、 鎌倉彫の唐物との関連、また鎌倉彫の和物としての成立を語る際、欠かせないものばかりといえる。

 このほか、室町から桃山時代の鎌倉彫技法の展開と地方波及のなかでとらえることのできる木製笈(おい)のうち、 岩手・中尊寺椿蓬莱文笈なども古典鎌倉彫の優品である。

 古典鎌倉彫には、彫り、塗りなどの技法のほかに、唐物の雰囲気、気配といったものがあり、これが彫木彩漆の 技法による美術工芸品のなかで鎌倉彫を形作っていると思われる。それは鎌倉彫の意匠の原点が中国彫漆にあることの 証でもあろう。

  廃仏毀釈により日用雑器の制作に始まる近代鎌倉彫

   近代鎌倉彫は、仏像・仏具の制作に携わっていた鎌倉仏師が、明治初年の廃仏毀釈によって仕事の大半を失い、 日用雑器としての鎌倉彫制作へと、その主力を移したことに始まる。これら近代鎌倉彫は古典鎌倉彫のベースの うえに新規の技法や意匠の模索が試みられ、その本質にあらたな展開が加えられたといえるであろう。

 現在も、鎌倉彫の世界ではさまざまな模索がおこなわれている。図案や意匠、技法などに新領域を開いた作品も 多いと聞く。こうした努力は鎌倉彫の伝統継承と発展にあらたなエネルギーを注ぐものと思われる。

 しかし一方では、古典鎌倉彫がその起源にそなえていたであろう唐物感覚を保守的に受けとめ、継承してゆく ことも鎌倉彫にとってきわめて重要なことではないかと思われる。今回の展覧会が古典鎌倉彫を鑑賞し、ある 意味では見つめ直すよい機会となれば幸いである。





うすい かずお
一九五二年神奈川県生れ。
神奈川県立歴史博物館主任学芸員。
論文「一遍と遊行」−『図説日本の仏教 (4)鎌倉仏教』新潮社10,500円(5%税込)、ほか。





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