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有鄰


平成13年9月10日  第406号  P2

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 北方「水滸伝」の魅力 (1) (2) (3)
P4 ○井伏氏の原稿  出久根達郎
P5 ○人と作品  逢坂剛と『重蔵始末』        藤田昌司

 座談会

北方「水滸伝」の魅力 (2)



『水滸伝』を借りて自分の青春の熱さを再現

藤田 北方さんのは中国の古い歴史小説ではなく、現代の熱い息吹が伝わってくる小説ですね。

北方 読む人は現代の人なのですから。『水滸伝』には原典が三十いくつもあるといわれ、いろんな人がいろんな話を集めてきた説話ですが、最終的に『忠義水滸伝』にまとめられる。

藤田 施耐庵(したいあん)と羅貫中(らかんちゅう)によってまとめられたといわれている。 

北方 長さも、七十回本、百回本、百十回本、百三十回本といろいろあるんです。招安といって、叛乱軍が政府軍になってしまうまでを書いたものと、政府軍になる前までを書いたものとある。

 

  原典を換骨奪胎して自分の説話を書く

北方 説話はある意味では稗史(はいし)、つまり正史に対して、民間から集めて記録した歴史書ですね。『正史三国志』を基本にして『三国志』を書いてみて、これはこれなりに、結構面白いものも、呼応することもありましたが、このとき、小説家は稗史を書くべきじゃないかと思ったんです。『水滸伝』は説話だから、例えば武松(ぶしょう)という鉄みたいなこぶしを持って、虎を殴り殺すやつが登場するけれど、場面によって人格が全部違うんです。それは、説話を持ってきた人たちが違う話を持ってきているので、全部変わっているわけです。

北方謙三氏
そうすると、僕がまず考えたのは、『水滸伝』という形を借りて、俺の説話を書けばいいんだと。俺の説話は何かというと、自分の青春の熱さの再現である。青春期に、何かを変えられるかもしれないという可能性を信じられた自分、そういう青春の熱さを小説家だったら再現できる。小説家だからこそ再現すべきだと。そうすると、原典のストーリーとかに関係なく、一応換骨奪胎して書いてもいいだろうと。

百八人の男が生きる。彼らに対する敵方もきちんと男らしい生き方をしていく。その中に女が出てきて、恋愛もあるし憎しみ合いもある。自分の青春の熱さの再現を『水滸伝』でやりたいと思っているんです。


闇の「塩の道」を創作し権力と反権力の戦いの小説に

藤田 “北方水滸”を拝読しながら、非常にリアリティーがあるなと思ったのは、塩の闇の道が軍資金になっていることですね。

北方 これは手柄だと自負しているんですが、原典には塩の「し」の字も出てこないんです。

藤田 これは北方さんのアイデアですね。

北方 アイデアというよりも、中国史を勉強したところによると、当時、権力者が全部集めて分配する専売のシステムがあって、鉄とか塩がそうだった。ですから塩は完全に権力の象徴だったんです。塩を軍資金にしているというだけで反権力なんです。塩の密売は当時は死罪だった。

宋代の塩のことを書いた専門書によると、塩は一定の地域でしかできなくて、特に蜜州という遼東半島の辺だけで大量につくられていた。あとは成都あたりに岩塩が出るという状態でしかない。それも政府が全部管轄している状態でしたから、まさしく権力の象徴だった。その塩を買い取って、自分たちの塩の道をつくるのは反権力闘争にもなった。

藤田 中国は領土が広く、海水がとれる所が少ないから一番大切なものは塩ですね。それを軍資金にしているから単なる盗賊ではない。軍隊であると言われていますね。

北方 ですから、塩の闇の道を考えたとき、僕はこの小説は権力と反権力の戦いの小説として、政府との権力闘争をやっているという形で書けると。

 

  革命の形で書くことで百八人の存在意味が

北方 『忠義水滸伝』という原典を読んでみると、皆、どこかで人を殺して逃げてきたり、物を盗んで逃げてきたりという、ならず者です。ならず者が集まって、ワッーと政府軍と戦うわけですが、最後に招安といって、政府が、罪を問わないで「お前たちに官位をやるから、俺たちに味方しろ」と言ったときにスッと政府のほうへ行ってしまうわけです。行ったら、今度は政府にいいように使われて、歯が抜けるようにどんどん死んでいく。そういう物語なんです。

ですから、招安を受けてからは、原典の『水滸伝』はつまらなくなる。そのあたりもすべて反権力闘争という形にすると、違う形で招安も書けるだろうと思っています。

藤田 それが結局、「替天行道(たいてんぎょうどう)」の天に替わって道を行う、ということになるわけですね。

北方 そうです。ですから『忠義水滸伝』を読んでみた限りでは、百八人はもちろんいますが、その下に部下がいっぱいいる。彼らはどこかに行って、略奪して食っていたとしか思えない。それだと、義賊に近いけれど、盗賊になってしまう。

志に基づいて国家を改革をしようという、ある意味では革命の形で書くことによって初めて百八人の存在の意味みたいなものが、僕にとっては出てくるんです。

隋・唐の時代は官が主導した文化だから、余り腐敗も起きなかった。ところが宋代になると、民の文化・文明がワーッと規模が大きくなった。それで今まで官がやっていたことを民が引き受ける。つまり、今の郵政三事業を民営化するようなもので、民のほうがワーと努力し、文化的にも熟れてくる。

篠崎 生産性が上がった。

北方 ええ。それで、官のほうがそれまで持っていた権益を全部奪われて、貧乏になった。民間のほうは、権限はないけれども、非常に豊かになってきた。そうすると、役人が持っているのは権限だから、権限で不正を働いた。

藤田 賄賂ですか。

北方 そうです。そういう経済的背景の中で宋代の混乱は起きたけれど、現実には宋代は豊かな時代だった。それで豊かになった民が自分たちの意思を通そうと思ったら、役人の権限を使ってもらうしかない。そのために賄賂を使う。いわゆる人間社会の一番ありふれた構図が宋代にあったんだと思います。


日本人の感性として受け入れられないことは書かない

藤田 『水滸伝』は登場人物が非常に多いのですが、すごい人間だなと思う人が何人か出てきます。

放浪のお坊さんは、最後には捕らえられ、左腕を鎖でつながれるけれど、腕を切って逃げ、そして、自分の手を食べるんですよね。

北方 魯智深(ろちしん)[花和尚(かおしょう)]ですね。中国には人肉食の習慣が結構あったらしいんです。でも、それを露骨に書いてしまうと、日本の読者には受け入れられない。

魯智深は自分の手をピッと切って逃げ、その後、逃亡生活を続けるのですが、途中で腕が腐りかかってくる。それで梁山泊の医者が来て腕を切り落とし、腐敗がやっと肩で止まって助かる。

そのとき、目の前にある自分の腕を、林冲(りんちゅう)と二人で焼いて食うんです。そうすれば、余りひどい人肉食ではない。魯智深は「うまいな」とか自分で言いながら食って、林冲は、「金に困ったらもう一本売れよ」なんて言っているわけですから。

藤田 辛亥革命のころまでは、実際に子供の肉を市場で売っていたらしいということですから、これはありうる話だなと思いました。

北方 原典の『忠義水滸伝』などには、ミンチにして饅頭にされそうになったりというのは、よくあるんです。それから、どこかの盗賊の首領が肝臓を引きずり出して刺し身にして食ったりとか。でも、そういうものは書かないと決めたんです。これは、日本人の感性として受け入れられない。同時に、中国人の感性で受け入れられないことは書かれてないんです。

 

  現代の日本のリアリティーに基づいて書き込む

篠崎 例えばどんなところですか。

北方 親を殺すとか、子供を殺すとか、いわゆる儒教思想に反することは一切書かれてない。不貞をした妻を殺すとか、間男を殺すとかはよく出てきますが。

ところが、今の日本の社会の中では、親を殺す人間、子供を殺す人間はリアリティーがないわけではない。幾らでもいますから、僕はそういうことは書いていこうと。現代のリアリティーに基づいて書こうと思うんです。

たとえば、戴宗(たいそう)という江州の牢役人は神行法の甲馬という札を足に張ると一日に何百里と飛んでいくというんですが、それを書いてしまうとおかしい。それで、牢役人をしながら飛脚屋をやって、情報を即座に伝達する専門家にしたんです。それから、致死軍の創設者の公孫勝(こうそんしょう)は妖術を使って、現れるはずもない所に現れたりする。これは特殊部隊にしました。潜行の専門家です。

それから、原典にはちょっとしか出てこない人間が、小説を書いていてパッと膨らむことがしばしばあるんです。

例えば魯智深が旅をしていると鮑旭(ほうきょく)という若いコソ泥が強盗しようと出てくるんですが、逆に魯智深にやられる。

鮑旭は幼いころから盗む、奪うでなければ生きていくことができなかった。その鮑旭をめった打ちにしながらも、魯智深は自分の食べ物を半分分けてやり、一緒に旅をしながら、王進(おうしん)という武術師範の所に連れて行く。

王進は禁軍の武術師範だったんですが、叛乱に加担したとして捕縄されそうになったため、母親を背負って逃げた男です。その母親が、鮑旭がおなかが減っていたら「自分は年寄りだから、こんなに要らないから、あなた食べなさい」と分けてあげる。それから、字が書けるようになるようにと手を添えてくれる。手を添えてもらうこと自体、その青年にとってはすごく大変なことなんです。そうやって人間の心を取り戻していく鮑旭は、原典では、ちょっと出てきて終わりなんです。

 

  原典とは違った人物像を創り出す

藤田 王進も、原典には余り出てきませんよね。

北方 母親を背負って逃げたとしか出てこない。

篠崎 先生の小説では重要な人物になっていますね。

北方 そうなんです。反政府軍の道場というか、武術師範となって、梁山泊で使いものにならないやつを鍛える。

篠崎 特訓に出すわけですね。

北方 そうです。九紋竜(くもんりゅう)の史進(ししん)という庄屋の息子も強いけれど、人の心をうまくつかめない。それで魯智深は史進を王進に預ける。王進の所で二人で農作業をしたり焼きものをつくったりしながら、人の心をつかめるような人間となって少華山に戻り、仲間に迎えられる。六巻にそれが出てきます。

篠崎 今は修行中ですね。

北方 修行中です(笑)。百八人いますので、タイムテーブルをそろえるのが大変でして。

藤田 お話を伺っていると一人がつくった物語とは違って、うまくできている所とできていない所があるものに、北方さんがうまく整合性を与えたという感じがしますね。

北方 整合性を与えたというより、自分でつくったといっていいでしょうね。魯智深は、原典ではただの飲んべえで暴れ者として書かれているんです。

藤田 北方さんの本では、宋江の有力なオルガナイザーとして、同志を集める役割を担って、全国を飛び回るんですね。


男の愚かさ、純粋さ、一途さなども含めて男と男の関係を

北方 人物については個人個人で書き込んでいける。

例えば武松が虎を殺そうとしたところですが、原典では単に酔っぱらって、虎なんか怖くない、虎とあったらぶっ殺すという場面になっていますが、私の作品では、兄嫁に幼いころから密かな思いを抱いていて、煩悶して、どうにもならなくて、あるとき犯してしまう。「いつから私のことを好きだったんですか」と彼女に聞かれて、「初めて声を聞いたときからずっと忘れられない」と言った瞬間に彼女が受け入れてくれる。ところが、受け入れたことによって、兄嫁はお兄さんを裏切ったことになって、自分で命を絶つんですが、そのときに盗賊に襲われて乱暴されたと書き残すんです。彼女は武松を守るためにそういうふうに書き残したのに武松はそれが理解できず、自分がけだもののように犯したからだ、と思う。そして、「何で盗賊に襲われたなんてことを書いたんだ、自分はただの賊としか思われなかったのか」と、駆け回って死のうとするけど、死ねない。虎が出てきて、やっと死ねると思って虎と戦うわけですが、そこでも勝ってしまう。

そういう、男が恋をするときの悲しさをギュッと凝縮して書きたかったんです。僕にも若い頃そんな思いがなかったわけじゃないですから。

藤田 ハードボイルド的な人間のキャラクターの極致が書かれているという感じがしますね。

北方 僕は、自分ではハードボイルドを書いているつもりなんです。男として、男の愚かさ、純粋さ、一途さ、そういうものをすべて含めた形で。

例えば武松という人間を書き、その愚かさと一途さのために、兄嫁が死んでしまうという事態を招きながら、それでも志というものが一つあって、ずっと宋江について旅をしながら宋江を守っていく。

だけども、宋江は宋江で武松を見て、その眼差しの中に時々どうしようもない、救いようのない悲しみの光みたいなものを見てとる。そういう男と男の関係みたいなものを書いてみたいんですよ。

 

  登場人物は名前を借りただけの場合も

藤田 登場人物は、大体原典に出てくる人間ですか。

北方 全員出てきます。

篠崎 架空の人物はいないんですね。

北方 名前を借りただけの場合が多いです。名前は借りたけれども、原典の人格とはまるで違うという部分もあるし、また、原典の人格と合っている部分もあります。

例えば二竜山(にりゅうざん)と桃花山(とうかざん)の叛徒の頭目になる楊志(ようし)[青面獣(せいめんじゅう)]などは原典の性格と合っている部分があると思います。

藤田 あの男もすごいですね。斧を片手に持って、むちゃくちゃに切ってくる。

篠崎 一人の人間があんなに何十人って殺せるものなのかなと、読みながら思ったんですけど。

北方 それは、どこまで小説的なリアリティーが許されるかという問題があって。

眠狂四郎が正宗で五十人切っても、そのぐらいのリアリティーは小説の中で許されるのではないか。

小説の中で許されないのは例えば、五百人対一人で戦って、五百人全員を殺してしまった。これはちょっと荒唐無稽になると思うんですよ。

ところが、百五十人に襲われて、すさまじい戦いを繰り返して、百人近くは切ったけれども、やがて倒れていったとなると、これはリアリティーが持てると思うんです。

青面獣楊志もかなり重要な人物で、原典ではもっとずっと長生きするんですが、僕の小説では、非常に重要な役割を果たしそうなときに死ぬんです。百八人もいますので、少しずつ死なせていかないと整理がつきませんので。



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