Web版 有鄰

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有鄰


平成16年3月10日  第436号  P3

○化粧坂の声   P1   藤沢周
○座談会 外国人が詠む日本語俳句   P2 P3 P4   宗 左近ドゥーグル・J・リンズィー原 千代藤田 晶司
○人と作品   P5   綿矢りさと『蹴りたい背中』

 座談会

外国人が詠む 日本語俳句 (2)


 

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  ◇最初の出会いは小学生のとき
 
藤田

リンズィーさんの俳句との最初の出会いはどうだったんですか。
 

リンズィー

最初に俳句に触れたのは、小学生のときだったんです。 11歳ぐらいだったのかな。
 

藤田

もちろんまだ日本にいらしてないころですね。
 

リンズィー

そうですね。 授業の中で、みんなで俳句をつくりましょうというんですが、それが一番いけないんですよね。 先生がちゃんとわかっていないで、小学生に教えている。 英語でも五七五でつくるんですが、俳句らしいものができなくて、ただ、数えて、自然を詠むことが紹介された。
 

海外の小学校で俳句を教わったのは、リンズィーさんにとってはあまりいい思い出ではないようですけれど、環境教育のようなものの一つとして、自然に目を向けるきっかけが俳句というのも悪くないなあと思いますね。 指導する先生によって逆効果の場合もあるでしょうけれど。

『ちきゅうのうた』
日航財団:編
『ちきゅうのうた』
ブロンズ新社刊
 

ちきゅうのうた』という世界23か国の子供たちが詠んだHAIKUの本を読んで、とても気持ちがよかったんです。

たとえば「キリンは太陽に1番近いだからそばかすがいっぱい幸せ者ね」(ロシアの13歳の女の子)や、「海はまるでドーベルマンいつも月につながれて逃げ出そうとしている」(ニュージーランドの男の子)などにハッとしました。 文明に汚染されていない子供にはやっぱりかなわないなあ、と思う。

俳句は小さな発見だそうだけれど、その点でも十二分にHAIKUだと思うんです。 子供の俳句は面白いですよ。
 


    日本名で加藤楸邨の「寒雷」に投句
 
リンズィー
ドゥーグル・J・リンズィー氏
ドゥーグル・J・リンズィー氏
 

私は小学校では一句ぐらいしかつくっていなくて、次が日本に来てからだったんです。

日本の俳句に出会うまで、外国の俳句はほとんど読まなかったですね。 慶應義塾大学の別科(日本語科)に入学したときのホームステイ先が、たまたま季刊「芙蓉」、芙蓉俳句会を主宰している須川洋子という、俳句の先生だったんです。

私は英語の詩に興味を持っていて、現代詩も少し読んだんですが、古いものばかり、シェイクスピアのソネットが集まっている分厚い本とかをかなり読んでいたんです。 それで須川洋子さんのところで俳句に出会って、お願いして基本を教えてもらって、加藤楸邨[かとうしゅうそん]の「寒雷」に、彼がまだ生きていたときに日本人の名前で投句していたんです。

外国人だとわかってしまうと、作品自体はあんまりよくなくても点数が入ったり、逆に外国人だから入らないとかいうことがあるんじゃないかと思って、リンズィーという私の名字がタータンチェックの1種類なので、織物と、田の字がチェックみたいな形なので、織田夢鷹という名前で出していたんです。 20歳のときです。
 


    季節が逆のオーストラリアから俳句を送り続ける
 
リンズィー

その後オーストラリアに帰ってからも須川さんにファックスを送って、季節が逆なのでおかしかったんじゃないかと思うんですけれど、彼女のアドバイスを受けながら投句を続けて、1年あけて、また日本に戻ってきたんです。

それで、実は私は外国人ですということを加藤楸邨に言おうと思ったら、彼はもう入院していたんです。 私がまだ日本人だと思われていたときに、私の「牡丹雪正座の足を伸ばしけり」という俳句が、彼は非常にいいと思っていたらしくて、「これは私の一番若い弟子がつくった作品ですよ」という話をしていたそうです。

それからドゥーグルという名前で投句し始めて、そのうち田川飛旅子[たがわひりょし]の「陸」、金子兜太[かねことうた]の「海程」にも投句したり、俳句道場に参加したりして、そこで現代詩の影響がかなり出てきたんです。
 


    加藤楸邨亡きあと金子兜太に出会う
 
藤田

金子兜太さんと言えば、季語を踏まえているけれど、どちらかというと革新派の俳人ですね。 そのあたりに惹かれましたか。
 

金子兜太
金子兜太
 
リンズィー

楸邨から兜太って、結構ギャップがありますよね。

楸邨の作品は非常に好きなんです。 楸邨の俳句は全部読んで翻訳してみたりもしたんですが、亡くなられて、次にどの人から学ぼうかなと思ったときに、この人は新しい世界があるというか、これを取り入れたいなと思ったのが兜太だったんです。

須川さんと楸邨のところで基本をちゃんとやって、それで兜太に出会った。 基本ができていないときに兜太に出会っていたら、どんな感じだったのかなと今は思うんですけれど、彼も弟子のそれぞれの個性を育てながらやってくれるので非常にいいんです。
 

藤田

この二人がリンズィーさんを俳句の世界に導き入れたといえると思いますが、特に記憶に残っている作品はありますか。
 

リンズィー

例えば楸邨の「おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ」とか「雪夜子は泣く父母よりはるかなものを叫び

兜太は幾つもあるんだけれども、「霧に白鳥白鳥に霧というべきか」とか「あけびの実軽しつぶてとして重し」。
 

藤田

やっぱり、どちらにも影響を受けていらっしゃいますね。
 


  ◇人間の魂を詠んだ加藤楸邨
 
加藤楸邨
加藤楸邨
 

加藤楸邨は後になればなるほど、その存在が大きな意味を持っていたことを知られるような、極めてすぐれた俳人だと思うんです。

鰯雲ひとに告ぐべきことならず」、戦争中に詠んだ句だと思うんですが、これが俳句というもののある本質を語っている作品だと思います。

もちろん作品そのものとして、鰯雲と向かい合っていて、人に告ぐべきことではない大きな深い苦痛を自分は抱いている。 そして、鰯雲という、自然のつくった自然を超えそうな美しさと向かい合っているというおののきを語っているんだけれども、同時に、「ひとに告ぐべきことならず」という思いが自分を占領してしまう。

そのことが、俳句というもの、つまりは詩というもの、日本の俳句もヨーロッパの詩も全部合わせたポエジーというものの本質を語るものとして、楸邨さんはちゃんと理解していて、その線に沿って数々の名句をつくった人だと思うんですね。

この「ひとに告ぐべきことならず」という思いが、実は俳句の中心の精神であると同時に、それがヨーロッパの人を強く打ったところなんじゃないかと思うんです。

ヨーロッパには、合理主義精神と非合理主義精神が渦巻いて、その中心には、デカルト以来の近代的自我というものがあった。 それが世の中を動かしてきたんだけれども、20世紀になって、それに対しての強い批判が巻き起こっていたんです。

理性とか、文明というものでは救い得えない人間の魂、「ひとに告ぐべきことならず」というものが中心にあって、それをどう表現するか。 それにどう近づくかということを教えてくれるのが俳句であろうというとらえ方が、一部かもしれないけれども、ヨーロッパにはあったのではないかと思う。
 

私は、現代詩をやっていながら、フランスの象徴詩に俳句が影響を与えたことを知りませんでした。 でも、芭蕉を読んだり句作をしていると、とても近いものがあってしっくり来ますね。 異国で俳句を詠む人もこんな気持ちなのかなあと思います。
 


    自然と向き合いたい気持ちが、西洋で関心をよぶ理由
 
リンズィー

俳句の精神の生き方というか、楸邨は非常に俳句に生きたという感じがするんですよ。 作品もいいと思うんですが、こうやって生きるんだと見せてくれたところに非常に惹かれるのも確かなんです。

西洋では、今まで破壊してきた自然と向き合って、また親しくなりたいというので、俳句を始める人がたくさんいるんです。 それは非常に重要な気持ちだと思いますし、初心者でもいい句をつくるんですけど、ほとんどの人が文学的価値があるものをつくろうとはしていないんです。

英語で俳句はどこまでできるか。 すぐれた作品をつくろうということが、何か薄いような気がするんです。
 


  ◇季節感をなくして自然界を詠みたい
 
藤田

『むつごろう』の中では、季語については余り断定していらっしゃらないですね。 季語などにこだわらなくても、非常に豊富な語彙で日本の自然や心象の風景をよくとらえていらっしゃると思うんですけれども、季語についてはどんなふうにお考えになっていますか。
 

リンズィー

季語といっても季節をあらわさなくてもいいと思うんですよ。 自然界の何かを指す言葉という意味でとらえたい。 「歳時記」に、文化とか、人に関するような祭りとかいう季語がたくさんあるんですけれど、これらは自然界に存在するものではないんですね。 俳句で追求すべきものとは余りにもかけ離れているような感じがするんです。 だから、俳句で真実を追求しようと思ったときに、祭りみたいな季語に真実はないですね。 全部なくしてほしいぐらいです。
 

藤田

それで、こだわる必要はないというお考えなんですね。
 

リンズィー

そうですね。 今の世の中は季節感がほとんどないようなところもあるわけですし。 私が生まれた南半球のオーストラリアは、雨季と乾季しかないので、強いて季語になりそうなものといえば、「ワニさかる」とか「サンゴの産卵」とか。

今まで、季語をこう使えばいい俳句ができるみたいなところがあったわけじゃないですか。 花散るとかですね。 そうじゃなくて、もっと基本にあるところを追求していきたいんです。 季節がごちゃごちゃになった今の世の中を詠んで、逆に季節感をなくして、自然界に存在しているものだけに向かってつくれたらなと思っているんです。
 


    叙事でも叙情でもなく俳句は叙「宙」詩
 

僕も今のご意見に大賛成ですね。 特に昭和以降の俳人たちは、芭蕉のときにはなかったようなもろもろの約束事で身をよろっているというか、締めつけていて、俳句をくだらなくしていると思う。 その要因のひとつが、季語をどうしても使わなくてはいけないという迷信を抱いていることですね。

季節というのは極めて大切なものだけれども、それをあらわす一つの言葉の中にのみ存在するとは思わない。 むしろ、芭蕉などが考えている造化随順ということでしょう。 造化に従うということ。 造化って宇宙ですね。 宇宙の力に従う。 宇宙の力のあらわれの一つが季節であるととらえることが、俳句の重大な約束事だというならば、よくわかるんですけどね。

季節の中に内在する大きな命と、宇宙をつくり動かしている命、それに迫ろうとするのが俳句であり、詩であり短歌であると思う。 そういう芭蕉の中心にある造化というものを学び取ることが、俳句の眼目だと思うんです。

今までの詩の区別、ジャンルには叙事詩、叙情詩というのがありますね。 俳句は、叙事でも叙情でもなくて叙宙詩だと思う。 叙宙詩が俳句ではないだろうか。 その典型がリンズィーさんの作品群です。 だから、世の中の一般の俳句を勉強する人は、ぜひリンズィーさんの作品を読んでほしいと思う。
 


    季節が教えてくれる「私とは他者である」ということ
 

ランボーは「私とは他者である」と言った。 私は私ではないということですね。

私が私であるというのは証明を必要としない真理で、公理と言うんです。 その公理を否定することが、「私とは他者である」ということですね。

僕らは、僕らが生まれる前からあった公理を否定することから、生きることが始まるんじゃないかと思う。 恋愛なんてその一つですね。 あるいは世の中に出て出世しようというのも、私じゃないものになりたいということです。 その「私とは他者である」という認識が、詩というものの基本にあると僕は思うんです。 そして「私とは他者である」ことを一番教えてくれるのが季節なんじゃないか。

春、私は桜の下で涙を流した。 けれど冬、桜はもうないではないか。 そういう自然の変化と対応している私の変化に気がつくことが、宇宙とは何かということに気づくことの一つであって、それを気づかせる力が俳句ではないか。 広い意味ではポエジーではないかと思うんです。

ただ、この僕の考え方は、大変偏屈であるらしくて、言っても俳人の誰も信用しません。 しかし、それは真実だと僕は思っています。
 


    宇宙の真実を人間を通して表現した一茶
 
藤田

一茶については、例えば外国での評価はどうなんですか。 青眼さんは一茶に心酔したというお話でしたけれど、リンズィーさんは、一茶はどうですか。
 

リンズィー

そういう世界もあるなという感じですね。
 

一茶は立派な作家だと思いますが、宇宙の真実そのものに直進して、それを求めようとした人でない。 人間を通して求めようとした人。 迂路を通っているので、衝撃力が弱いんですよ。
 

リンズィー

そういう意味で、西洋で一茶の俳句はかなり好かれているんですよ。 人間から行きますからわかりやすい。
 

一茶はヴェルレーヌ、芭蕉はランボーぐらいの違いがあるわけです。 芭蕉はボードレールと言ってもいいけれどもね。
 


    土や石に命があるという、縄文の精神が俳句の基本
 

9世紀に、良源という比叡山の偉い人がいまして、一種の仏教革命を行ったんです。 草木国土悉皆成仏ということを言ったんですね。 これは無生物が命を持つという意味の言葉です。 どこが革命かというと、インド仏教や中国仏教では、無生物が仏となることを言えなかった。 それを言ったんですね。 石とか岩、草木にも仏があるんだ。 命が宿るんだということを唱えたわけです。

それは今の日本にも伝わっていて、家を建てるときは必ず神主さんを呼んで、お祓いをしますね。 土地の神様に使わせてくださいと言っているわけです。

なぜこんな話をしたかというと、土や石に命があるという思想が俳句の基本の思想なんですよ。 これは縄文の精神です。 だから、この考え方を無視しては、俳句は語れないんじゃないかなと思っているんです。
 

リンズィー

植物とか石とかに魂があるというのは、自分が思っている自然界に存在しているもののあり方というか、存在を把握するのと、非常に響き合っているような気がして納得しました。
 

藤田

リンズィーさんはいわゆるキリスト教的な伝統の中にお育ちになったわけですね。 そこには、自然の中に生命を見るといった考え方はあるんでしょうか。
 

リンズィー

キリスト教の中ではないと言っていいですね。 人間は、ほかのものを支配するためにいると聖書に書いてありますからね。(笑)
 


    外国の俳句は「俳句モーメント」で一瞬をとらえる
 
藤田

リンズィーさんは俳句の世界に入って、そういう精神もだんだん取得してこられたという感じがいたしますね。俳句の一瞬をとらえるというところへの関心はおありになったんですか。
 

リンズィー

外国でこれぞ俳句というのは、一瞬をとらえる。 俳句モーメントと言うんですが、一瞬をとらえるだけにみんな走っているわけです。 なにかを踏まえてとか、意味だとかを一切考えない。 西洋は、今までそういう俳句ばっかりなんですよ。 でも考えてみたら、そんな悪い考え方でもないような。
 

禅宗の伝統では、一瞬即永遠、永遠即一瞬という考え方がありますから、やはり俳句はそれを受け継いでいますよね。
 

リンズィー

外国では、そうじゃないものは俳句じゃないという考え方だったんですが、今、そうじゃないものも俳句になり得るというのに気づき始めているところなんです。 それである程度、違う作品もつくって、やっぱり一瞬だなと戻ってくるかもしれないし、そうじゃないかもしれないし、それはちょっと時間がたたないとわからない。
 

今、海洋生物学を専攻されているから言うんではないけれど、大宇宙の命に目覚めたのは、多分もっとお若いときだと思えますね。 それと俳句に入るのは全く自然で、学問と芸術とは違いますが、同じことだと思います。
 

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