Web版 有鄰

537平成27年3月10日発行

『昭和天皇実録』を読む
戦後70年、戦争の歴史を学ぶ – 1面

半藤一利

満州事変に始まる歴史を学ぶ

今年は戦後70年、敗戦から70年の節目にあたる。それで新聞・雑誌・テレビとやたら引っぱりだされて忙しい思いをしてきた。なるほど、いまの日本、戦争体験のちょっとでもある世代(敗戦時に小学生以上)は総人口の10パーセント台前半であるという。私のように東京大空襲で九死に一生を得たものは、いくらかは各メディアの役に立つということであったようである。

そして求められたのは、あの戦争から70年の時間をかけることによっていかなる教訓を得たのか、また、それをどう日本の明日のために生かしたらいいか、というむつかしい問いに答えることであった。折から、今上陛下は「新年に当たり」という感想を発表された。これが各新聞で大きく報じられるのを読んで、私は深く感動した。

「各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」(抜粋)

陛下が戦場や空襲で亡くなった人々にたいして心から慰霊を捧げ、平和で穏やかな日本の明日を祈ることは決して今年に限ったことではない。しかし、「満州事変に始まる歴史を十分に学び」と、われら国民に昭和史がどこからあらぬ道を歩んでしまったかに具体的にふれ、歴史に学ぶことの重要さを国民に訴えたのは、恐らくはじめてのことではなかったかと思う。

今まであいまいであったことを“事実”として明らかにする

その戦後70年に合わせるかのように、『昭和天皇実録』(以下『実録』)第1回配本が3月に東京書籍から出版される。1万2千ページ全19巻という大冊である。一気に読み通すというわけにはいくまいが、この『実録』が100年後、200年後の私たちの子孫が読んで、近代日本の激動期の昭和天皇の実像とその時代とを知ることができる、そういうスケールの大きさをもつ史実であることに間違いはない。

では、驚天動地の新事実に満ちたものであるか、ということになると、やや消極的にならざるを得ない。私は『昭和史』(平凡社ライブラリー刊)という著作を出しているが、この『実録』によって書き換えねばならないところが多く出たか、と問われれば、ノーと答えることになろう。ただ、今まであいまいであったことが、“事実”としてあらためて確認できたことは確かであり嬉しいことであったが。

大元帥服を着用された昭和天皇
大元帥服を着用された昭和天皇
昭和18年

たとえば、さきの陛下のお言葉にある「満州事変に始まるこの戦争」の昭和6年(1931年)9月に起きた満州事変である。この事変が関東軍司令部のみならず、陸軍中央部も巻きこんだ陸軍の謀略であることは明らかであるが、天皇いや大元帥陛下にはそのことがまったく知らされていなかったのか。参謀総長が不穏な空気があることぐらい奏上していたのではないか。そんなことがこれまではいろいろと推理も交えて論ぜられてきた。ところが『実録』はまことにあざやかに“事実”を明らかにしている。

「午前9時30分、侍従武官長奈良武次より、昨18日夜、満洲奉天付近において発生した日支両軍衝突事件について奏上を受けられる。奈良はこの日の朝、自宅にて新聞号外によって事件の発生を知り、奏上の際には事件が余り拡張しないことを信じる旨を申し上げる」(昭和6年9月19日)

どうであろうか。天皇に事件のことを最初に報告した侍従武官長その人が、事件そのものを知ったのが新聞の号外によってであった、というこの事実。国民が知ったよりも遅いことになろう。統帥大権をもつ大元帥は完全にいわば蚊帳の外におかれていたことを意味するではないか。このとき天皇は31歳である。参謀総長金谷範三大将は58歳、陸軍大臣南次郎大将は57歳、以下省部(陸軍省と参謀本部)の幹部には40代、50代がごろごろしていたのである。

そこで『実録』に書かれているある事実を想起することになる。大正10年(1921年)3月から天皇は皇太子殿下のころ長期にわたりヨーロッパを旅行している。そして6月に第一次世界大戦の激戦地ベルギーのベルダン古戦場を訪ねた。このとき、戦争とはむごいものだ、してはならないことだと語った、ということが今まで伝えられてきた。その事実が『実録』で明らかにされているのである。「皇太子は戦跡御視察中、戦争というものは実に悲惨なものだ、との感想を漏らされた」(6月25日)

これはお付きの武官が聞いて日記に残してあった言葉なのである。武官からみれば「この皇太子は腰抜けだ」と映じたに違いない。それはまた陸軍軍人に共通する思いであったであろう。そして仮説になるが、陸軍がのちに大元帥陛下をかなり無視して行動するようになった伏線がこのときにあったと思うのである。

さらにそのことが太平洋戦争終結の“聖断”を下すことにもつながっている。実際にその眼で戦場の悲惨さ無残さを見ているかどうか、これは人間的に大きな差となる。のちの言動に影響するところ大なのはいうまでもない。

そういえば終戦に関してはもう一つの発見もあった。昭和20年(1945年)8月12日の『実録』の記載に思わず眼を惹きつけられたのである。ホーッと思わず声も出たほどに。

「日曜日午前0時12分空襲警報発令とともに、新型爆弾搭載の米軍爆撃機B29侵入との情報接到につき、直ちに皇后と共に御文庫付属室に御動座になる。同30分、空襲警報解除につき、御文庫に還御される」

当時、原子爆弾のことを新型爆弾と日本側が呼称していたことはご存じのとおり。つまりこのB29は原爆を搭載して東京に投下せんと飛来してきたのであった。事実としては、テニアン島の原爆投下部隊にはヒロシマ、ナガサキのあとの原爆はまだ本国から届いてなく、したがって一発もなく、単なる威嚇あるいは訓練でしかなかったのであるが、そうとは知らぬ日本の指導層がこの情報に浮き足立ったのであろうことは容易に想像できる。ポツダム宣言の受諾問題をめぐって、いろいろ折衝しているとき、そこまでアメリカはやろうとするのかという戦慄的現実が、さぞや天皇をはじめとする和平派要人の背中を押したことであろう。ただし、焦土の東京に在住していた国民はそんな一大事のことを毫も知るところはなかった。

「神は細部に宿る」という言葉にあらためて気づく

そのほかにも、たとえば昭和11年(1936年)の二・二六事件の起きたその日は、天皇はどのくらい眠られたか、そんなこともハッキリわかる。午前1時45分に床につかれ、翌朝7時には本庄繁侍従武官長を呼び出している。では、その間はよく休まれたのか、となると、はてと首を傾げたくなる。『実録』の27日の冒頭にはこうあるからである。

「この日午前2時50分、緊急勅令を以て、一定の地域に戒厳令中必要の規定を適用の件が勅令を以て、戒厳令第9条及び第14条の規定を東京市に適用の件、並びに戒厳司令部令が官報号外にて公布され、即日施行される」

これでは勅令の裁可のために天皇は起こされているはず、とみるほかはない。深く眠ることなどはできず、仮眠状態で、事件の4日間に天皇は正面から向き合い、収拾のために“戦い”ぬいたということになろう。

昭和天皇実録
『昭和天皇実録』
東京書籍:刊 第1回配本

また、『昭和天皇独白録』(文春文庫)には「三国同盟に付て私は秩父宮と喧嘩をして終つた。秩父宮はあの頃1週3回位私の処に来て同盟の締結を勧めた。終には私はこの問題に付ては、直接宮には答へぬと云つて突放ねて仕舞つた」とある。この秩父宮にはもう「答へぬ」と突っぱねた日がいつか特定できず、私はずっと気になっていた。それが『実録』で見つかった。昭和14年(1939年)5月12日のこととしていいようである。「午前10時より約1時間にわたり、裏御座所において雍仁親王と御対面になる。親王は防共協定強化促進など時局重要案件につき進言するも、天皇はその内容に対し御言葉を返されず」

ここには明確には書かれていないが、「もうこの件には答えぬ」と天皇は言い切った、そのことを『実録』は「御言葉を返されず」とややぼかして記している、と私はそう見る。『独白録』の強い言い方は決して誤ってはいなかったようである。

太平洋戦争時の連合艦隊司令長官山本五十六大将を天皇はどう見ていたかにも、私は興味津々であった。16年12月3日、対米開戦と決して山本が、いよいよ出陣の挨拶に宮中に参内する。勅語をいただき山本が、連合艦隊の将兵は粉骨砕身、誓って出師の目的を貫徹する旨の奉答文を奉呈する。

「天皇は、奉答文を1度御朗読の後、3度ほど繰り返し熟読される。翌4日、連合艦隊司令長官の出発に際し、侍従武官鮫島具重を海軍省に差し遣わし、『今回ハ真ニ重大ナル任務ニテ御苦労ニ思フ、充分成功シテ無事凱旋ヲ祈ル』との御沙汰を特に伝達せしめられる」

奉答文をみずから1回朗読し3回も熟読する。天皇の山本に対する信頼と期待とが十分に察せられるであろう。山本と新潟県立長岡中学校同窓の後輩としてありがたく思えたことであった。

『実録』にはこうして細部に面白い事実がいっぱい記されている。天皇が夏目漱石『坊ちゃん』を愛読されていたことも初めて知ったし、拙作を原作とする「日本のいちばん長い日」の映画を観ていることにぶつかったりして思わず口もとがゆるんだりする。まさしく「神は細部に宿る」という言葉の正しいことに、あらためて気づかせられるのである。そして新しい研究の展開もここにあると思うのである。

半藤一利さん
半藤一利 (はんどう かずとし)

1930年東京生まれ。作家。
著書『昭和史』全2巻 平凡社ライブラリー 各900円+税、『日本のいちばん長い日 決定版』文春文庫 600円+税、ほか多数。

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