Web版 有鄰

537平成27年3月10日発行

私の選択 – 海辺の創造力

柳 美里

横浜の山手にある中・高一貫のミッションスクールを退学処分になってから、30年の歳月が過ぎた。

当時のわたしにとっては、学校に通うことは苦痛でしかなかった。学校の最寄駅の石川町駅で降り、乙女坂と呼ばれる坂道をあがる途中で過呼吸に陥り、やっとの思いで校門をくぐっても、教室には行かずに保健室に向かい、そのまま早退することも度々あった。

15歳の時に、自分には学校は向いていないのだといったんは諦め、物書きとしての人生を自分で構想し設計して、この30年間がむしゃらに書いてきたが、どこかで諦め切れないものがあったのだと思う。

2年前に、息子の高校受験の参考書を探すために訪れた書店で、自分用の英検4級の問題集を衝動買いし、その夜から英語の勉強をはじめた。

2014年2月に4級の試験を受けて合格し、7月に3級の試験を受けて合格した。

中学生の時に学んだはずの英文法をほとんど憶えていないということに気付き、息子の英語の参考書を借りて英文法を学び直している。

高校受験を目前に控えた息子は、新聞に発表された公立高校の志願状況を見て、志望校の競争率が思ったよりも高かったので、志願変更をするかどうかで迷いはじめた。

今朝も玄関で靴紐をわざとゆっくり結びながら、「どっちにすればいいのかなぁ」と言っていたが、わたしはもう何も言わない――。

わたしは母親の叶えられなかった願望を叶える形で、小学校の頃から進学塾に通い、彼女が決めた「お嬢様学校」を受験して合格したが、母親だとは言え他人の願望の中で生きるのは、苦しいことだった。

高校を退学処分になってから息子を出産するまでの15年間、わたしは母親との音信を絶った。母親に対する憎しみと恨みを解くことができなかったのである。

息子は、30年前のわたしと同じ歳になった。

わたしは思う。自分の選択が自分によるものであれば、それは、いつでも、最終的なものであり、後悔をする余地はないし、自分や他人を責めることはない、と――。

わたしには、夢がある。

息子が大学を卒業する年に、高等学校卒業程度認定試験に合格して、大学を受験する。

53歳から4年間、大学で勉強をする。

そのためには、当面は英検準2級合格を目指して勉強しようと思う。

勉強を続けるコツは、勉強し過ぎないことである。

わたしは、勉強開始と共にキッチンタイマーのスタートボタンを押して、15分で終了することにしている。

固茹で卵が完成する時間である。

それでも着実に前に進み、あと一章で中学2年の参考書が終わる。

わたしは46歳になって初めて自分の意志で勉強をしている。

Late, but not too late.

(ゆう みり・作家)

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