Web版 有鄰

537平成27年3月10日発行

有鄰らいぶらりい

インドクリスタル』 篠田節子:著/KADOKAWA:刊/1,900+税

山梨県甲府市にオフィスと工場を構える水晶デバイスメーカー「山峡ドルジェ」の社長・藤岡は、インド・クントゥーニ産の天然水晶を探してインドに赴く。惑星探査機用・高精度水晶振動子の開発を依頼されての、マザークリスタルの買い付けだった。取引先のデリー駐在員で旧友でもある徳永とインド東部の町を訪ね、宿泊先で使用人兼売春婦として働く少女、ロサと出会う。何気なくチェスを始めた藤岡は、ロサの驚くべき能力に気づく――。

インドの辺境の村を主要舞台にしたビジネス&冒険小説だ。藤岡の社運を賭けたビジネスの成否と、謎めいた少女・ロサの運命が並走して描かれる。”夢追い人”でもひねくれたアウトサイダーでもない、社と家族のために働く真面目人間の藤岡と、神秘的なロサの造形が際立ち、ドキュメンタリー風の明晰な筆致で、原稿用紙1250枚の大作を一気に読ませる。

先進国の価値観を自明のものとして行動する人々にとり、ロサは不可解な存在だ。彼女が背負う不幸は、因習、貧富や地域間の格差、政治状況など、インド社会の現実に加え、グローバル化が進む時代の資本と搾取の構造がかかわっている。物語は、ビジネスと少女の運命を追い、未来の糸口を問う。著者の力量を堪能できる傑作である。

歌に私は泣くだらう』 永田和宏:著/新潮社:刊/460円+税

2000年9月、左脇に大きなしこりがあると、妻が気づいたのが始まりだった。大学病院を受診し、自分を見る夫の表情から容易ならざる事態だと察知した妻は、歌人として境涯をこう詠んだ。

〈何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない〉

本書は、戦後を代表する女流歌人として活躍し、2010年8月に64歳で亡くなった河野裕子さんの闘病の10年を、歌人で細胞生物学者の夫が綴った長編エッセイ。乳がんの宣告を受けて手術をした妻は、過剰な服薬のために精神的に不安定になり、家族の生活はきしむ。懊悩の日々を乗り越えて平穏さを取り戻すが、8年後、がんが再発。〈まぎれなく転移箇所は3つありいよいよ来ましたかと主治医に言へり〉。今度は驚くほど冷静に事態を受け止めた妻は、女流歌人として新たな境地へと進み、夫と子供たちに命を込めた歌を遺す。

「この世」にいる短い時間を、大切な人と生きる。〈さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ〉。死の前日まで紡がれた歌の数々と、起きた出来事を美化せずに書き置いた著者の誠実な文章は、死と宿命的に向き合わざるを得ない人々の経験と共振する。第29回講談社エッセイ賞を受けた名作の、待望の文庫化。

時空超えた沖縄』 又吉栄喜:著/燦葉出版社:刊/1,800+税

著者は1947年、アメリカ合衆国占領下の沖縄で生まれた。戦火を避けて各地に避難していた村人を収容するため、米軍が張ったテント集落の一角で産声をあげ、少年の頃は、今ではもう存在しない不思議な空間で仲間たちと遊び回った。琉球王国発祥のグスク(城)、防空壕、闘牛場、珊瑚礁の海、米軍基地、「Aサイン」バー街、行く手を阻むギンネム林……。

砲弾跡の大穴の水溜りで溺れかけ、戦時中に米軍が残したボンベでけがをした。また、心身ともに傷ついた戦争被害者を見かけた。不条理で活力に満ちた世界を記憶したが、その「原風景」は、本土返還や都市化にともなって変貌していく。20代で肺結核のため入院した著者は、生命の原風景を求め、文章や物語を書くようになった。

1975年、老漁師と少女の物語「海は蒼く」で第1回新沖縄文学賞佳作を受賞後、1980年に『ギンネム屋敷』で第4回すばる文学賞、1996年に『豚の報い』で第140回芥川賞を受けるなど、40年間創作を続けてきた著者の、本書は初のエッセイ集。「原風景」「自然」「戦争」「米軍基地」「祈り」の章立てで、著者の人生をはぐくんできた沖縄固有の精神風土と、土地の変化を読むことができる。人間の活力と、自然の大切さが伝わってくる。

狗賓童子の島』 飯嶋和一:著/小学館:刊/2,300+税

狗賓童子の島
『狗賓童子の島』
小学館:刊

弘化3年(1846年)、隠岐諸島の「島後」に、数え15歳の少年がやって来る。その少年・西村常太郎は、九年前の大塩平八郎の乱に加わった河内の豪農・西村履三郎の子で、死んだ父の罪に連座して、15になった年に遠島の刑に処せられた。松江藩の統括下で細々と暮らしていた島の人々は、西村履三郎の心意気に共感し、遺児の常太郎を温かく迎える。

庄屋の黒坂弥左衛門は、医師の村上良準に常太郎を託し、捨て置かれた流人の身でありながら、常太郎は島の人々を救う使命を感じ、医術を学ぶ。流人の杉本惣太郎や、廻船業の長田作治ら気骨ある人々と知りあい、島に深く根を下ろす。時代は幕末。嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊来航で幕府が揺らぎ、翌年明けから伝染病が流行。天変地異の連続で安政と改元される中、コレラが再流行し、隠岐にも上陸する。常太郎は医師として奔走する。

『雷電本紀』『神無き月十番目の夜』など、寡作ながら入魂の作品群で知られ、2008年刊行の前作『出星前夜』で第35回大佛次郎賞を受けた著者の、6年ぶりとなる新作。否応なく動乱にさらされる島と流人の少年の数奇な運命を、史実と照らし、魅力的な周辺人物とともにダイナミックに描く。読みごたえ十分の幕末歴史長編。

(C・A)

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