Web版 有鄰

498平成21年5月10日発行

柳 広司 と『虎と月』 – 人と作品

虎になった男をめぐる物語

yanagisan
柳 広司

中島敦の『山月記』に想を得る

――父は虎になった。

そう聞かされて育った「ぼく」は、10年前に失踪した父の消息を求めて旅に出る。『虎と月』は、中島敦の名作『山月記』に想を得て書かれたミステリー小説である。

「『山月記』は、高校の教科書で初めて読みました。“隴西の李徴は博学才頴……”という字面を見たとき、漢字ばかりでとっつきにくいと思いましたが、音読するとリズミカルで、めっぽう面白い。詩が好きで、中也や賢治の詩を諳んじていた延長線上で、『山月記』も全文覚えて暗唱していました。奥さんも子供もいて、勝手に虎になったのか、という感想も抱き、そこから時を経て、虎になった男をめぐるこの《別の物語》が生まれたんだと思います」

14歳になった少年は、父の旧友を訪ねて唐の都、長安へ行く。そして、14年前の安禄山の乱の後、匪賊がはびこっているという南へ向かい、酒家で一篇の漢詩を見つける。その筆跡は、まさしく父のものだった――。

「『山月記』自体が、中国の説話『人虎伝』をもとに書かれた小説です。両方を読み比べ、中島敦がオリジナルに対して取ったスタンスを自分も取り直して、この小説を書きました。『人虎伝』を読まなくても『山月記』が楽しめるように、『山月記』を読まなくても楽しめる小説にしようと考えた。李徴は杜甫と同時代の人だから、杜甫の作品や人生を調べ、その人生観が面白くてさらに調べ、ひと通り資料にあたった結果、見えた世界を書きました。“これまでに書かれたすべての物語は、互いに響きあっている”といいますが、この作品は『山月記』『人虎伝』と響きあって生まれた話です。ヤングアダルト向けのレーベルとはいえ、自分に見えた世界を全力でそのまま書きました。小説を書き始めたときから、17歳の自分と50歳の自分、どっちが読んでも楽しめるものを書こうと思っています」

役人と対立したり、村人たちに殴られて木に吊るされたり、試練を経て、少年は詩に秘められた「真実」を知っていく。酒家で出会った趙老師は、「正しい答えを得るためには、正しい質問を見つけなければならん」と言う。物語は、“父が虎になった”謎を解くミステリーであり、少年の成長譚でもある。ユーモラスな場面もたくさんある。

「座右の銘は“ユーモアと愛”で、クスッと吹き出したり、ニヤッとしたり、ゲラゲラ笑ったり、いろいろな笑いの要素がある小説が好きで、書きたいと思っています。子供の頃から、字で書かれた本の世界を、直接見たり、聞いたり、触れたりする現実と等価なものだと感じていて、むしろフィクションの方にリアリティを覚えてしまう。この小説も、柳広司という作家が確かに見た世界として書きました。読む場合もそうで、『坊っちゃん』を読んで“これは日本初のハードボイルド小説だ!”と思ったし、学生時代に村上春樹さんの『ノルウェイの森(上・下)』を読んで、“犯人はこいつだね”と感想を言って、友人に呆れられました。自分にはそう見える」

物心ついたときから本を読んでいた

1967年、三重県生まれ。神戸大学法学部卒。2001年、『黄金の灰』でデビュー。同年『贋作「坊っちゃん」殺人事件』で朝日新人文学賞。本作を含めて14作を発表。昨年8月刊の『ジョーカー・ゲーム』が、「このミステリーがすごい!2009年版」の2位に、「2009年本屋大賞」の3位にランクインし、第30回吉川英治文学新人賞を受賞した。

「“作家は読者のなれの果て”といいますが、物心ついたときから、暇さえあれば本を読んでいました。26歳のとき、3週間ほど本が手に入らない状況に置かれ、読む本がないのが辛くて、その頃好きで文体を覚えていたチャンドラーのパスティーシュを書き、新人賞の最終候補に残りました。それから書き続けてデビューしたものの、なかなか本が売れず、これならどうだと、次々カードを切ってきました。今回受賞して、これでまだちょっと書いていけるかなと、まぁ、ほっとしました。33歳で死んだ中島敦の作品が、70年後も多くの人に読まれているのは、凄くうらやましいですね。もしそれで自分の作品が70年後の人たちに読んでもらえるなら、喜んで魂を悪魔に売る。そんな気持ちです」

歴史上の事件や人物に材をとったミステリーを書きながら、幅を広げてきた。8月に『ジョーカー・ゲーム』の続編が刊行予定。現代ミステリーの依頼も受けている。

(青木千恵)

『虎と月』・表紙

虎と月
柳 広司/理論社/1,400円+税

※「有鄰」498号本紙では5ページに掲載されています。

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