Web版 有鄰

439平成16年6月10日発行

[座談会]話題の新人作家たち

作家/黒井千次
文芸評論家/清原康正
読売新聞文化部記者/鵜飼哲夫
文芸評論家・本紙編集委員/藤田昌司

はじめに

右から鵜飼哲夫・黒井千次・清原康正・藤田昌司の各氏

右から鵜飼哲夫・黒井千次・清原康正・藤田昌司の各氏

藤田芥川賞を史上最年少の女性作家が受賞して話題になり、それがきっかけになって新人の作品が売れています。また、全般的に文芸書の人気が上がってきているという現象も見られます。

そこで、本日は、最近の新人の作家たちが、なぜそれほど話題になっているんだろうか。どういうところに人気の秘密があるのかということを、話しあっていただければと思います。

ご出席いただきました作家の黒井千次さんは、日本文芸家協会の理事長でもあり、芥川賞の選考委員を長いことお務めになっておられます。

清原康正さんは、主として大衆文学を中心に、文芸評論家として活躍されております。

鵜飼哲夫さんは、文芸ジャーナリストとして読売新聞の文芸欄を長年担当していらっしゃいます。

若い女性ふたりが芥川賞を受賞

金原ひとみ『蛇にピアス』

金原ひとみ『蛇にピアス』
集英社

藤田『蹴りたい背中』の綿矢りさ、『蛇にピアス』の金原ひとみが、若い作家のブームのきっかけをつくったと言っていいでしょうね。

黒井先回の芥川賞が綿矢りさと金原ひとみの2作受賞となって、しかも、その2人が20歳前後の若い女性だったので、非常に評判になりました。選考過程でも、もう少しもめるかと思ったら、意外にすんなりと、さしたる反対もなく決まった経緯があります。もちろん賛成しなかった人もいますけれども、全体としては余り長い時間がかからなかった。

綿矢りさ『蹴りたい背中』

綿矢りさ『蹴りたい背中』
河出書房新社

作者が若いということが1つはあると思うんですけれども、出てくる人物もそれぞれ若い。『蹴りたい背中』は高校の女生徒で、『蛇にピアス』は、何をやっているのかよくわからないけれども、いずれにしても主人公の若い女性が、今を生きている姿を非常にストレートに表現している。その内容が一種時代の共感を呼んだということじゃないかと思うんです。

日ごろあまり小説を読んでいない人に会うと、なぜあれが芥川賞になるんだと文句を言われたり、ひんしゅくを買ったりすることもなくはないんですけれども、僕としてはそういう作品が出てくるのは必然であって、それぞれいい作品だと思っています。

島本理生『リトル・バイ・リトル』

島本理生『リトル・バイ・リトル』
講談社

ほかにも、島本理生という人は、『リトル・バイ・リトル』と『生まれる森』で2度芥川賞候補になっているんですが、芥川賞の2人と年齢がほぼ同じで、同じ時期に飛び出してきた。この3人は、元気のいい作家で、先が楽しみですね。

栗田有起『お縫い子テルミー』

栗田有起『お縫い子テルミー』
集英社

すばる文学賞の『お縫い子テルミー』を書いた栗田有起も比較的若い女性だと思いますし、『袋小路の男』でつい最近、川端康成文学賞を受賞した絲山秋子という女性もいます。

共通しているのはひたすらさと純愛

藤田『蹴りたい背中』はどちらかというと心理的な作品で、『蛇にピアス』は、もう少しどろどろしたセックスの世界と、自虐的な世界も書いている。内容が対照的な感じがしますね。

黒井ほんとうのところを言うと、2つはそんなに対照的じゃないのかもしれないという感じがするんです。例えばセックスということで言うと、綿矢りさのほうは高校生の女の子と男の子の2人の間に肉体的な接触はほとんどない。金原ひとみのほうはやたらに接触する。

しかし、どちらも性というものがそんなに大きな主題にはなっていない。露悪的か、禁欲的かの違いはあるけれども、成熟した大人の男と女の関係は、ここにはないわけです。とにかく走っている、疾走している感じはあるけれども、人間の男と女にとって、性というのは一体いかなるものかを問題にしている小説ではないところがある。

いずれにしても、この人たちの書くものは、屈折はしているんだけど、ある種訴えかけるもののストレートさが、鮮烈に表現されているところが共通しているように思うんです。

もうちょっと含みを持った意味で言うと、いずれも純愛だという傾向があるように思うんです。とにかくひたすらに何かにとらわれて、そこに突き進んでいく感じがある。『蹴りたい背中』は、女子高校生の男子高校生に対するある種のひたすらな関係があるし、『蛇にピアス』は、自分の体を痛めつけていくことによる、一種の自己確認みたいなものと、それから男に惹かれていくところの、哀しみを含んだ、一種の純愛、ある特殊な形における純愛ものであると。

『蛇にピアス』は、やたらに肉体関係が出てくるけれども、『蹴りたい背中』も、島本理生の作品も、そんなに肉体関係が前面に出てくるものではない。けれど、底に流れているものはみんな似たような傾向があるのではないか。

『袋小路の男』は高校のときの男の子に、ずっと大人になっても惹かれっ放しみたいな話で、『お縫い子テルミー』も、流しのお縫い子のテルミーというのが、禁欲の中で、ある男にひたすら惹かれ続ける。一種のひたすらさ、その勢いで書いているところはいずれも共通しているんじゃないかと思います。

鵜飼僕も芥川賞の2作については、あまり違いは感じなかった。むしろ、同系じゃないかと思います。

書き手だけでなく読む人にも意識の変化が

藤田最近の若い女性の小説は、過激な表現というか、汚い言葉が多いように思うんですが。

鵜飼かつてで言えば安部公房や石原慎太郎、大江健三郎や、村上龍が芥川賞を受賞したときがそうでしたが、若くて先鋭的な人が登場すると、えてして「こんなひどい文章はない」と言われましたよね。今回は、反発というか「これが通るようならやめる」という意見がまったく出てこなかったのが意外と言えば意外だった。若い書き手の変化もあるけれども、読み手側の意識の変化も若干あるのではないかと思いました。

『蹴りたい背中』は100万部を超えるベストセラーになっていますが、綿矢さんはもうすでに売れている作家で、芥川賞を取る前に『インストール』が30万部以上売れています。いろんな青春小説があるけれども、同世代の代弁者が欲しいという欲望が若い世代のなかにはあるんじゃないか。

一方金原さんの本は、年配がすごく読んでいる。「今の子供はわけがわからん」から知りたいと読んでみたら、やっぱりよくわからん(笑)。そういう感想も多いようなんですが、その辺の読まれ方の違いは、おもしろいですね。

読後に残る澄んだ音のような悲しみ

鵜飼綿矢さんのほうが、ご自身の声のつぶやきがあると思うんです。文章ははっきり言って読みにくいところがあって、何ともひっかかりのある書き方ですが、独特の呼吸とポエジーがある。ある意味では綿矢さんにしか書けないような文章で新鮮でした。この文章のリズムに、恐らく若い世代は共感できるのではないか。

金原さんについては、『文學界』の3月号で村上龍さんが金原さんと対談して、「わりとありふれた言葉が続いている」と欠点を指摘していますが、展開の仕方とかに小説家としての本能があると言っているんです。

一読者である僕には、小説家の本能というのはよくわからないんですけれども、たとえば、ある種キラリと光るものとか、何かゾクリとするものを選考委員の方は感じられたんでしょう。

黒井『蛇にピアス』について言えば、一番残るのは、舌に穴をあけたり、刺青をしたりと、いろいろ出てくるわけだけれども、最後に鳴っているある澄んだ音みたいなものが、まぎれようもなく鈴の音みたいなものが聞こえてくる。その調べに悲しみみたいなものがある。そんなふうに書けるのは、ある種の才能だろうと思います。

藤田それは恐らく計算して出てきたものではなくて、彼女の素質みたいなものじゃないでしょうか。

黒井そうでしょうね。あれは計算して出るものじゃない。

青春の困惑を表現するとマイナス方向に

雨宮処凛『EXIT』

雨宮処凛『EXIT』
新潮社

鵜飼庄司薫さんの『赤頭巾ちゃん気をつけて』を、三島由紀夫さんが「まさに青春とは困惑だということで書いている」と言った。今度の芥川賞の2作も、困る、惑うというのを非常にうまく書いている。ただ、書き方がマイナス方向なんです。何かをやろうとして困惑するんじゃなくて、今いる空間に、居場所がうまく見つけられない。『蛇にピアス』では、自分自身を傷つけたり、むちゃくちゃな生活をする中で、マイナス方向でようやく自分というものを見つけていく。

『蹴りたい背中』はそこまで激しくはないにしても、学校の中である意味ではのけ者になっている子が、その中で自分の居場所を探す。これはどの世代の子供たちにもある種共通する感覚はあると思うんです。思春期は、一方で群れたがる部分もあるけれど、群れることに対する何とも言えない拒否感もある。そのへんの青春の普遍的な心理が、今はポジティブな方向ではうまくいかない。社会も本人も閉塞していて、マイナス方向にいってしまう。そういう意味で同系統の作品が多いように思いますね。

たとえば、雨宮処凛さんの『EXIT』という本は、自傷系サイトに登録する男の子や女の子たちが、お互いの自傷行為を競い合うという話なんです。結果的にはサイトが暴走し始めて、1人の女の子を死に追いやってしまう。普遍的な青春の困惑を書きながら、その書かれ方が変わってきている。むしろ違いがあるとするなら、島本理生さんはそういうマイナス部分ではなくて、時代の中での明るさとか光というものを探し求めて描いている。特に『リトル・バイ・リトル』はそうだと思うんです。文章においても、一番素朴なのが島本さんじゃないかと受けとめています。

黒井全体的に見ると、やや女性のほうが優位で、それに対して男性作家のほうは、歩が悪いという感じもありますけれども、男性は男性なりにいろんなことを試みて頑張っています。若い女性の作家たちのストレートさでは書き切れないようなことを、何か書こうとしている。そのためには作品に構造と構成がなければいけないし、その姿勢と対象との切り結びみたいなものが、今の世の中は複雑であるだけに、女性たちのように直線的でないだけにうまくいかない。成果を上げにくいところがあって、そこで苦闘をしているようなんですね。でも、可能性としては、ここら辺からおもしろいものが出てくる感じはかなりあります。

エンターテインメントは男性のほうが自由に書ける

藤田男性作家は、大衆文学のほうでは元気があるんじゃないですか。

清原今の黒井さんのお話をなるほどと思って聞いていたんですが、エンターテインメントのほうでは、男性作家のほうがそれを自由にやっているところがあるみたいに思えますね。

横山秀夫にしても、福井晴敏にしても、行き過ぎるとちょっとオタク的になるような部分で踏みとどまっている。男性のほうが、社会の座標軸の中に自分の位置を確認したり、社会的な存在ということをまだ濃厚にひきずっていて、そうした意識の中で、事件だとかアクションだとかを媒介としていますから、男のほうがかえって書きやすいのかなという感じはしますね。

藤田横山秀夫はすごく売れていますね。『半落ち』で直木賞の候補に挙がって、彼の作品はミステリーというか警察小説ですが、書くものはすべてベストセラーになっている。

「平成の松本清張」というキャッチフレーズも出てきているぐらいです。彼は、東京生まれの東京育ちですが、群馬の上毛新聞社の記者になって、警察廻りをずっとやっていたそうですね。

鵜飼特ダネ記者というのか、非常に強い記者だったらしいですね。

藤田だから、警察の内部についてはよく知っていまして、最初に有名になった松本清張賞の『陰の季節』では、主人公は警察官なんだけれども、人事をやっている管理部門のほうなんです。

鵜飼普通、警察と言うと捜査一課とか、二課を使うんですが、彼は教養課とか、鑑識とか、あんまり普通の記者が回らないところをしっかり押さえて書いていますね。

日航機事故の騒動に巻き込まれた新聞社の内側を描く

清原『クライマーズ・ハイ』では、作者自身の新聞記者の体験に照らして、中央紙と地方紙との現場での張り合いがすごくうまくとらえられている。そのあたりから「平成の松本清張」というキャッチフレーズも出てくるんでしょうけれども、文体がかなりきびきびしていますね。

藤田新聞記者の文章ですね。センテンスが短い。

日本航空の御巣鷹山事件のときの地方紙のてんやわんやの大騒動を書いたのが『クライマーズ・ハイ』ですね。主人公は現場の編集キャップにさせられて、まるで灰神楽が立ったような編集局の内部を書いて、彼自身、実際にあの事件を体験しているんでしょう。なかなか迫力のあるいい長編だった。

鵜飼これは山本周五郎賞の候補になっていますね。

清原あの作品がおもしろいのは、いきなり事件から書かないでしょう。ほとんど素人なのになぜか山に登るところから書き始めて、事件に入って行く。普通だと新聞記者の功名心というか、その辺からいきなり書きたいはずなんですよ。それをぐっと抑えたところがいいと思うんです。

松本清張さんの作品とちょっと違うところは、社会に対するひがみというか、ゆがみというか、それがないんじゃないかな。

鵜飼全くおっしゃるとおりだと思います。

藤田社会批判が清張さんの場合には非常に強い。

清原それが先に出ているんですね。

人間群像を通して事件を解き明かす横山秀夫の作品

鵜飼横山さんの短編は、ミステリーと言っても組織小説の色彩が相当強いですね。1つの事件をめぐって、いろんな部署が派閥の争いをしながら解決していくさまを見つめている。そこに1つの筋として人間ドラマを据えている。

『半落ち』もそうですけれども、1つの事件にいろいろな人がかかわってくるんです。その人間群像が今の時代をありありと映し出している。

清原『看守眼』もいいですよね。着想というのかな、事件を切り取っていくやり方が、今までの社会派とは全く違うところがある。今までにも社会派の犯罪小説なり、推理小説がありましたね。組織を切るとか、外側からの視点とかは似ているはずなのに、読んでいて全然違うなという感じがありますね。そこに現代性があってアピールするのかな。読んでいてしんどくないんですよ。

黒井この人の作品は短編が多いんですね。大体ミステリーというと長編でしょう。短編であるというのはどういう意味があるんですか。

鵜飼『陰の季節』のシリーズは、主人公は同じ人が多いんですよ。その人がかかわる事件の断面を追いかけていく。

黒井一種の連作ですね。

鵜飼『半落ち』も長編なんですが連作形式で、最初に取り調べた警察官、検事、裁判官、新聞記者らが、妻殺しをした警官が自首するまでの「空白の二日間」に迫っていきます。時間の経過に沿いながら、まるでモザイクをつくるようにピースをあてはめ、1個のミステリーにする。

とくに前半はものすごくおもしろいと思います。クイクイクイッと持っていく力が非常にあるし、話者が変わることによって主人公の複雑な内面、苦悩が陰影深く浮かび上がってくる。『陰の季節』のシリーズもそうですが、よくあるミステリーの、1つの事件を1人の人間が捜査して、犯人を上げて、種明かしをしておしまいということではないんですね。

今までのミステリーでは飽き足らない人たちがおもしろがる要素はあるし、変な言い方ですが、大人が読んで十分に楽しめる。

清原そのあたりは、清張さんが出てきたとき、それまでの探偵小説に飽き足らなかった連中が、社会派ということで引き込まれたというのに似ているかもしれませんね。

石田衣良が描く少年たちが成長していく姿

石田衣良『4TEEN』

石田衣良『4TEEN』
新潮社

藤田私がいま、注目しているのは石田衣良なんです。『4TEEN』は月島に住む14歳の4人の少年の、青春小説といったものですね。

清原最初の作品が『池袋ウエストゲートパーク』ですね。月島にしても池袋にしても、東京は東京なんだけれども、新宿とか渋谷とはちょっと違う雰囲気がある。特に月島はそうですね。片方に超高層マンションが建っていて、もう片方に古い家や、もんじゃ焼きの通りがあって、新旧が混在している。

若い人が描く東京の活きのよさというのかな。『4TEEN』を月島ハックルベリ・フィンだと言った人がいて、僕もそうだと思いますが、少年たちが成長していく過程を真っ向から描いています。あの素直さというのかな、あれがすごくいいんじゃないですか。

藤田『池袋ウエストゲートパーク』でも、情景描写がなかなかうまいし、同時に若い世代の風俗というものをよく書いていますね。

鵜飼彼は『娼年』のような作品を書いたり、青春小説を書いたり、とても幅が広いし、視線に優しさがあって非常に不思議なところがあると思います。

『4TEEN』は今度ドラマ化されますね。『池袋ウエストゲートパーク』はテレビドラマになりましたし、横山さんの『半落ち』や桐野夏生さんの『OUT』は映画化された。直木賞系の作品は映像化になじみやすいという共通点があるのかもしれません。

区別しにくくなった純文学と大衆文学

藤田『4TEEN』は去年の直木賞ですけれども、青春の小説と言う意味では、芥川賞の作品にも一脈通じるところがあるようで、大衆文学と純文学という境界がなくなってきているような感じがしてきているんです。

鵜飼今、若い編集者たちが非常に注目している若い作家の中に、嶽本野ばらさんや舞城王太郎さん、伊坂幸太郎さんがいます。

嶽本さんは必ずしも純文学の本流から出てきた人ではないんですが、編集者は純文学として押し出している。

舞城さんも講談社のノベルズから出てきた人ですが、三島由紀夫賞をとりました。伊坂さんはミステリーでデビューしたけれども、とてもおもしろい味があります。

黒井いわゆるエンターテインメントと言われるものと、文芸誌に載る小説との境界が、昔はある形で自然に決まっていたようなところがあったのが、その区分が難しくなってきているのだと思います。

たとえば角田光代は、芥川賞の候補に何度もあがったけれど、直木賞候補にもなりましたよね。これからはだんだんそうなっていくのかなという感じはしますね。

鵜飼芥川賞は、対象が短編作品という制限もある。

黒井そういう問題もありますね。三島由紀夫賞や野間文芸新人賞がそこをカバーしてくれているというところがあるようにも思えますね。

派手さはないが人気がある個性的な作家たち

堀江敏幸『雪沼とその周辺』

堀江敏幸『雪沼とその周辺』
新潮社

鵜飼先ほど絲山さんの話が出ましたけれども、最近、川端康成文学賞はひところと少し変わってきていて、堀江敏幸さんや町田康さんら、若い人が取るんですね。その人たちの特色と思われるのは、文章で、ある独特の空間とか、ある種の何とも言えない時間の流れをつくるうまさがあって、それは爆発的なベストセラーにはならないけれども、とても味があって、いい線をいっているんじゃないか。

堀江さんの川端康成文学賞作品を収録した『雪沼とその周辺』は、架空の雪沼を舞台にして、その周辺に生きる人たちの、生きたり、病気をしたり、死んだり、別れがあったり、はっきり言えば何ということもない、だからどうしたということではあるけれども、そこの田舎に流れている生きている時間と死んでしまったものの時間がうまく一緒になるように書かれている。町田康さんの文体もですが、作家の持っている個性で書いていく。

それから、川上弘美さんの『センセイの鞄』や『龍宮』『溺レる』などの文章も、とても奇妙な味があります。

保坂和志さんの本も最近売れているんです。派手ではないんですけれども、去年の作品の『カンバセイション・ピース』は3万近くいっているみたいですし、地味だけれども、そういうものが動いてきている。

「本屋大賞」1位の『博士の愛した数式』

小川洋子『博士の愛した数式』

小川洋子『博士の愛した数式』
新潮社

鵜飼小川洋子さんの『博士の愛した数式』は、本屋大賞で1位になりましたね。

わずか数時間しか記憶を持たない天才数学博士と、そこにお手伝いさんに行った女性と子供との友愛を書いたんです。

8時間たつと博士は全部忘れてしまうので、全部一から人間関係をやり直し、何回やってもやり直さなくてはならない。そういう時間的にも閉ざされた中における友愛というものを非常にうまく描いている作品なんです。もちろん文学的ではあるのですが、そこにはジャンルの枠をこえた普遍的なおもしろさを感じます。

黒井この本はずいぶん出ているんですか。

鵜飼去年の12月段階で5万部出て、その後、読売文学賞を取ったりとか、本屋大賞を取ったりとかで、今16万だったかな、相当いっていますね。

清原今まで、数学者が文学的なことをやっていたというのはあったんですが、文学者が数学をやるという意味では、おもしろいなと思いました。もちろん別に数学者でなくてもよかったわけだけれども、8時間で全部消える。営々とやり直しをやる。そこのところに着目した着想がおもしろかったですね。

書店員が売りたい本を投票して選ぶ

藤田本屋大賞はこれからも続くんですか。

鵜飼今年が第1回で『本屋大賞2004』というんですが、これからも毎年続くみたいですね。

文学賞とか書評に頼らないで、書店員さんたちが、自分が「売りたい」と思う本を選ぶんです。『本の雑誌』が代表的な形で事務をやっているんですが、あとはボランティアです。全国の書店に呼びかけて、それに応じた書店が参加して、20代、30代ぐらいの若い書店員が中心らしいんですが、投票で候補作を選ぶ。そのうちの上位10点で2次投票をして、今度はランキングを決めるんです。

今年の最終結果は、第1位が『博士の愛した数式』で、第2位が『クライマーズ・ハイ』、第3位が伊坂幸太郎さんの吉川英治文学新人賞を取った『アヒルと鴨のコインロッカー』。伊坂さんの作品は第5位にも『重力ピエロ』が入っています。

藤田こういう賞は読者のためにもいいことですし、賛成ですね。それから書店員さんに本の勉強をしてもらうためにもいい。

鵜飼最近、本屋発のベストセラーが多いですね。『白い犬とワルツを』も、実は『博士の愛した数式』もそうなんですが、紀伊國屋書店が最初に目をつけて、店頭に普通よりも2倍の数を置いたところで動き始めた。『いま、会いにゆきます』という市川拓司さんの作品もそうです。

藤田片山恭一さんの『世界の中心で、愛をさけぶ』もそうだったんですよね。

黒井書店が、そういう意味で非常に積極的な機能を発揮しているんですね。

独自の世界を持つ女性作家たち

藤田4年ほど前になりますけれども、山本周五郎賞の受賞作で、岩井志麻子の書いた「ぼっけえ、きょうてえ」というのがありますね。これは、岡山弁で「とても、怖い」という意味らしいですけれども、いわゆるホラーとは違った怖い小説なんです。明治時代に岡山の山の中の貧しい家の女の子が、16になって女郎に売られる。双子の姉妹として生まれたんだけれども、姉のほうは障害を持って生まれて死んでいる。そういう伏線があって、女郎として自分の身の上話を客にするという設定です。最近の山本周五郎賞の中では出色の作品だと思うんです。

鵜飼もともと日本ホラー小説大賞でしたね。

清原その後で彼女は作風が分かれていくんですよ。ベトナムや韓国の男の話と、戦中の話を書くのと、今2つ作風を持っているようなんだけれども、その一方の、戦中のことを書いたものは、ゴシックロマンといわれているんですが、結構おもしろいんじゃないかと思いますね。『女學校』とか『偽偽満州』という作品がある。

鵜飼山本周五郎賞のときは、岡山弁で記者会見をやって、おもしろかったですね。破天荒な感じの、何かが出てきそうな人ですね。

清原ある意味では久しぶりの女文士のような感じがあって、人にどう思われようと勝手だみたいなところがありますね。でも、『偽偽満州』は、満州へ男を追っていく話なんですが、結構ちゃんと調べているんですよ。はちゃめちゃに見えて、そういうところはきちっとやっている。いろんな可能性のある人で、これからまた新しい境地を開拓していくんじゃないかな。

具体的なものを積み上げて書く田口ランディ

田口ランディ『富士山』

田口ランディ『富士山』
文藝春秋

藤田田口ランディは、最近『富士山』が出ましたが、力のある作家ですね。

鵜飼文章はすごく力のある人だと思います。もともとインターネットの世界で作品を配信していたコラムを、編集者が「これはおもしろい」ということで、次々に本にしていったんです。

彼女が最初に書いた長編小説は『コンセント』という、実話に基づいた作品なんですが、お兄さんがひきこもりになった末に亡くなってしまった。そのことが人生にどういうふうに形を与えてくるかというのをモチーフにしているんですが、それでは非常に精神的な作品なのかというと、彼女は、ある種の困惑というものを、極めて具体的に書く力がある。しかも、その人々の持っている悲しみ、悲しみというよりも痛みですね、その書き方が非常に身体の感覚に基づいている。

小説では、えてして想像力というものが大切にされるんですが、ランディさんの想像力は頭の世界の力ではなくて、より即物的でリアルなものです。生きている人間とのかかわり合いの中で何ができるのかという、非常に具体的なところを積み上げながら書いていくのがいいと思うんです。

藤田ネット作家だったということに関係があるのかもしれないけれども、文章の感性が非常にいいですね。

鵜飼よくわからないことがあると、宙づりにしてあいまいにしてしまいたいところってありますよね。彼女は、はっきり書けないけれども、少なくとも宙づりになっている状態のところまでしっかり持っていって、読者の中で同じようにもやもやしている痛みとか、困惑とかを、ある種の形として出す力があるのかなと思います。ただ、まだ構成ということにおいては弱いところがあるようですけれども。

人物の扱いがうまい諸田玲子

諸田玲子『其の一日』

諸田玲子『其の一日』
講談社

清原時代小説でも女性がたくさん出てきている。その中で目を見張ってよくなったと思うのは諸田玲子ですね。『其の一日』で吉川英治文学新人賞を取っています。

藤田清水次郎長の子孫なんですよね。

清原そうですってね。次郎長ものでは、2代目お蝶を書いて、その後、大政とか小政を書いています。

だけど以前には、向田邦子さんの『阿修羅のごとく』のテレビ脚本のノベライゼーションをやっているんですね。だから、人物の出し入れがうまいんですよ。

初めは女性が書く任侠小説というので、希少価値というか、奇異というか、そういう感じで受けとめられていたようだけれども、その後いろんなジャンルを書いています。『其の一日』は4編の作品集で、これで彼女は短編の手法みたいなものをつかんだなという感じがあった。

長編もありまして、例えば『犬吉』は、生類憐みの令で中野に造られたお犬小屋で犬の世話をしている女の子とか下積みの連中がいやいや仕事をやっているんだけど、その朝に赤穂四十七士の討ち入りがあって、みんなが異常に興奮するという話。お犬様に仕えているという一種の屈辱感が、どういう形で解放されるかというときに、「忠臣蔵」を持ってくる。あの発想のよさは結構おもしろいなと思っているんですよ。今までは実験作もあったけれども、だんだん方向性が定まってきたようで、この先が楽しみですね。

最近の時代小説のもう1つの傾向として、諸田さんもそうですが、この10年位、女性が捕物帳を書くんです。今までは、捕物帳は男の世界だったんですが、平岩弓枝さん以降だと思います。その典型が『御宿かわせみ』ですね。ただ女性は、やはりアクション場面は苦手なんでしょうね。どうしてもホームドラマになってしまうところはありますね。

経済小説や児童文学からも注目の作家が

藤田そのほかにも注目すべき作家をあげていただけませんか。

清原やはり女性なんですけれども、幸田真音がいますね。債権ディーラーの経験がある人で、これまでも『日本国債』とかを書いています。経済小説では、すでにそれなりに定評があるんですが、今度『藍色のベンチャー』という作品で、彦根の湖東焼と井伊直弼を絡めて幕末の経済を書きました。ただ、初めての時代小説だったものだから、主人公の運命と時代潮流の描写との兼ね合いがちょっと弱かった。

藤田でも、新しい挑戦ですね。

清原そうですね。今年はペリー来航から150年だそうですが、たとえば、幕末期に日米修好通商条約が結ばれたということを、僕たちは歴史の授業で習いましたね。

でも、佐藤雅美さんの、新田次郎文学賞をとった『大君の通貨』を読んで、なるほどと思ったんですが、よくよく考えてみたら、貿易をするわけですから1ドルが幾らかというレートを、そのときに決めなくてはいけない。結局、1ドルを1両にする。そこのところを、幕閣の下にいる小栗上野介だとかの幕臣たちが西欧列強とせめぎ合ってやっていたわけですよね。そういうおもしろさが、今までの歴史小説の中では余りなかったんです。

藤田いいところに目をつけましたね。

清原幕末には、外交だけじゃなくて、経済的なもの、日米修好通商条約による貿易摩擦や関税の問題、通貨の問題とかもあるわけで、幸田さんはそのあたりもきちっとできるはずなんです。

これまで、経済小説というと、佐藤雅美さん、清水一行さんや城山三郎さん、高杉良さん、やはり男性作家が多いでしょう。そこへ女性が、それも国際金融の現場にいた人が参入してきて、新しい感覚で書いていくというのはおもしろいと思います。そういう形でやっていけば、今までの歴史経済小説とはまた違うものがでてくるんじゃないか。幕末だけじゃなくて、大正モラトリアムとか、明治期の疑獄事件でもいいわけで、題材はたくさんあるはずですからね。

藤田これからの活躍が期待できますね。

自分の言葉でそれぞれの空気をつくっていく

森絵都『永遠の出口』

森絵都『永遠の出口』
集英社

鵜飼今、遠く、近くに戦争があったり、正義だとか、自己責任だとか、言葉がどんどん大きくなってきていますね。景気が悪かったり、自殺がふえたり、そういう実情を見つめて、自分の言葉で、何か空気をつくっていける若い作家たちがいるような気がしているんです。

何人か挙げますと、まず湯本香樹実さん。『西日の町』で1度芥川賞候補になっていますけれども、もともと児童文学から出てきた人です。子どもをテーマにして書かれていますね。

それから、本屋大賞で第4位の『永遠の出口』を書いた森絵都さん。この作品では、主人公の女の子の小学3年生から高校卒業までの9年間を9編の短編の連作で描いています。この人も児童文学から出てきた人で、『カラフル』が知られています。

井上荒野『森のなかのママ』

井上荒野『森のなかのママ』
集英社

章ごとに語り手が変わる構成の連作のかたちで家族を描いた、角田光代さんの『空中庭園』は、何か新しい境地をつかまれたなという感じがするし、井上光晴さんの娘さんの井上荒野さんの『森のなかのママ』も、ほんとに何げなく日常の中で生きているけれど、実際にはいろんなことがあって、人生はそれでも続いていくというところを、淡々と描いている。

そういう手づかみできない言葉を、大きい言葉や観念ではなくて書こうとしている作家たちは、これからも注目していきたいですね。

中堅の作家たちにも新しい可能性を期待したい

黒井今回、芥川賞を2人の若い女性が受賞したこともあって、どうしても女性や、若い作家たちに関心が集まってしまう傾向があると思うんですが、いろいろなことを試みている作家たちは、男性の中にも、それから、すでに賞をとっている人たちの中にもいると思うんですよ。

たとえば、これはちょっと感心したんだけれども、『パーク・ライフ』で芥川賞を受賞した吉田修一が、まだ本にはなっていないんですが、『ランドマーク』という小説を「群像」5月号に書いているんです。大宮のほうに建てる巨大ビルの建築のことを、現場の作業者と、設計した人間の両方から書いている。なかなか野心作で、おもしろいと思いました。

鵜飼吉田さんの、今の時代の空気をカラリとつかむ文章は、とてもいいですね。

清原作風も、どちらかというと地味な感じで、あまり声高に言ってないですよね。

黒井そういう意味で、表にまだ出ないものまで含めて見ると、なかなか豊かな時代になりつつあるという感じがします。

藤田直木賞のほうも、ここ数年の受賞者でいえば、藤田宜永とか乙川優三郎、京極夏彦といった作家たちは、もう今や不動の地位を占めたと言えるとは思うんですが、彼らのこれからの作品も楽しみですよね。

鵜飼桐野夏生さんも、ものすごく力量があって、どんどんいろんなものを書いています。現実の中に生きている人間、とりわけ女性の持っている何かをグイグイ描く。それから小池真理子さんの耽美性はたまらない。

清原江國香織さんも、今後さらに期待したいですね。まだまだ可能性がある感じがします。

全体的に見ても、かつてに比べたら透明感がある作品がふえていますよね。そこが、今の若い人たちに受けているのかなとも思いますね。

黒井女性も男性も、ベテランも若手も問わず、一時期よりも今、活況を呈してきているという印象はたしかに受けますね。

藤田どうもありがとうございました。

黒井千次 (くろい せんじ)

1932年東京生まれ。
著書『石の話』講談社文芸文庫 1,200円+税、『羽根と翼』講談社 2,000円+税、ほか多数。

清原康正 (きよはら やすまさ)

1945年旧満州生まれ。
著書『山本周五郎のことば』新潮新書 680円+税、『新選組アンソロジー』(上・下)舞字社 各1,980円、ほか。

鵜飼哲夫 (うかい てつお)

1959年名古屋市生まれ。

※「有鄰」439号本紙では1~3ページに掲載されています。

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