伊坂幸太郎
泥棒、異なるアジア人、動物虐待、エイズ――。社会に散らばるあらゆる断片が小説に詰まっている。楽しんで読み終えたとき、読者はつらつらと考える。暴力、死、異文化、性…。作者と読者は、現実の問題を共有している。
「社会について、僕なりにもやもやと考えていることがある。僕はこんなことを考えているんだけど、どうだろう? 小説にしてみたら、いろんな人に読んでもらえるのでは、と書いています」
昭和46年、千葉県生まれ。東北大学卒業後、仙台でシステムエンジニアをしながら小説を書き、平成8年、サントリーミステリー大賞で佳作を受賞。12年、『オーデュボンの祈り』で第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受け、デビューした。
「サントリーの賞は公開選考会で、おもしろいと思って書いた部分を全否定された感じでした。打ちのめされて、すごく反省したんですよ。まず文章について心を入れ替えました。奇をてらわず、自然な感じにしようと」
選考後、パーティー会場で小さくなっていると、北方謙三さんに声をかけられた。
「佳作でデビューするな。けなされても30歳になるまでたくさん書いて、ちゃんと賞をとって世に出ろ」。励まされ、仙台に帰って2日後にはまた小説を書いていた。
そして、“ちゃんと賞をとって”デビューすると一気に注目を浴び、昨年刊の『重力ピエロ』で直木賞候補。続く『アヒルと鴨のコインロッカー』で第25回吉川英治文学新人賞を受賞した。この5月、講談社から『チルドレン』が刊行されたところだ。
『アヒルと鴨の――』は、現在の「僕」、2年前の「わたし」の2人の語りで、交互につづられる物語である。
現在。「僕(椎名)」は隣室に住む青年・河崎に「本屋を襲おう」と誘われる。妙な申し出を思案しつつ乗ったバスで、痴漢にあっている女性を助けようとして、行動できなかった“痛苦”。
2年前。「わたし(琴美)」は、ブータン人のドルジとつきあっている。市内では約3か月前からペット殺しが続いている。ドルジとの小さな異文化摩擦&交流を重ね、動物虐待の非道に“憤る”。
現在と過去のエピソードが重ねられ、やがて2つの物語が交わったとき、「僕」が犯罪に荷担する現在、「わたし」が犯罪に怯える2年前、どちらの物語がこの世界を支えているのか、「どうだろう?」と問われるのだ。
「僕は、みんなで考えようよ、というスタンスで書いています。決めつける人に対する嫌悪感があって、たとえば“弱者を大切にしろ”といわれると、“弱者”という決めつけに抵抗感を覚えます。僕たちの世代は個人主義とかいわれて、確かに社会のために自分を犠牲にする行動はないけれど、ドロップアウトしているわけでもなく、何とか社会と接続しようとしているんですね。人のために行動する人としない人がいれば、する人が偉いと思うし、天網恢々疎にして漏らさず(天網の目は粗いが決して悪人を逃しはしない)の真理はあるだろうな、と思っています。世代の特徴とされる知識、クール、個人主義で開き直るのでなくやはり人の体温と熱気がある小説を書きたい。ただ、ミステリー、ファンタジーの形で書いて、断定はしない」
吉川英治文学新人賞で、伊集院静さんは『(伊坂)氏の作品の底流にあるものは“孤独と連帯”。孤独は拒絶、差別といった人間の愚かさを捉えなくてはいけない。この世界を書く場合ややもすると筆は陰惨になる。陰惨に人は目を背けがちだ。氏はそれを筆力で引き込む。独自の心理描写で世界に誘い、爽やかな読後感を与える』と、評した。
現在、現実では、英米兵士がイラク兵を虐待する陰惨な映像が、連日メディアに流れている。人は目を背け、“自分はその場にいなくてよかった”と個人主義に走る。問題は解決されない。
「坂崎乙郎さんの、“現実の世界の外側に、小さな宇宙を築く。この小さな宇宙が、ある何人かの人間に感化をおよぼしていく”という言葉を頼りにしています。小説で架空の革命を書いて、少しでも現実につなげていく。架空と現実がどこかリンクしている寓話的な小説です。事件を素材にせず、シーンも人物も想像したものばかりで書く。書いているときはいつも、暗い道を進む気分。目的地に無事たどり着けるかわかりませんが、もう少し歩いてみようという気持ちです」。
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※「有鄰」439号本紙では5ページに掲載されています。