Web版 有鄰

437平成16年4月10日発行

有鄰らいぶらりい

代行返上』 幸田真音:著/小学館:著/1,800円+税

いま国会などで問題になっている厚生年金を取り上げた経済小説である。厚生年金とひと口に言っても、その中身は基礎年金(国民年金)、厚生年金、厚生年金基金の3段階に分かれている。厚生年金は国が直接、運用する部分と企業の代行部分に分かれており、また企業が独自に年金を上乗せしている厚生年金基金は、同時に代行のため企業が作った別法人の名称でもあるから、ややこしい。

表題は、この代行部分を国に返上しようというもの。理由は簡単で、これまで利益をあげていた年金の運用が、低金利時代に入って逆に企業の足を引っ張りかねない事態になってきたからだ。一昨年度から実施、本年度がその本番というから、同時進行小説である。

話は、この返上にともなう株式市場の混乱を利用して大儲けをたくらむ外資のヘッジファンドから始まる。

事の重大さや繁雑さを知らぬまま代行返上を急ぐ上役の圧力に悩む厚生年金基金の常務理事や、祖父の創業した証券会社を救うべく、体当たりで金融界に挑む女性などが登場。その中から、国民の利益をよそに、国と企業の都合だけで事が運んでいる代行返上をはじめとする、厚生年金改革の疑問点があぶり出されてくる。

一葉』 鳥越 碧:著/講談社:刊/1,900円+税

近く新札の肖像としてお目にかかれることになっている明治の女流作家、樋口一葉の、文学一筋に生きた薄幸な生涯をたどり、感動的な伝記小説である。

樋口一葉、本名夏子は士族の出身と伝えられていたが、出自は甲府の農民で、両親が出奔して江戸に出てきて士族の株を買い、父が八丁堀の同心となったのだという。時代はたちまち明治維新となり、父は下役の警察官となるが、なかなか商才にたけていたらしく、家屋敷を転売しながら財をふやした。ところが急死してみると、残ったのは借金だけ。長兄も病死、弟は荒れて家財を勝手に処分。しかし母親が最後まで“士族”の気位を失わなかったため、生活は赤貧洗うがごとくだった。

そうしたなかで文学にめざめた一葉は当初、華族の令嬢たちの間で人気の高かった中島歌子の萩の舎に入り、歌人として頭角を現すものの、何とかして文学で生計が立てられないかと考えた末、当時、新聞小説で活躍していた半井桃水の指導を受ける。

しかし、桃水との間にあらぬ噂が立ち、一葉はその師弟関係を断念せざるを得なくなる。やがて純文学作家として開花するころ、病を得て夭折してしまうのだ。

名山の日本史』 高橋千劔破:著/河出書房新社:刊/2,600円+税

日本の名山四十を歴史と文化の両面からたどった名著。一読して日本の山に日本人の魂が宿っていることがわかり、ミステリーの世界に入っていくような興味を覚える。

東北、関東、中部、近畿、中国・四国・九州と地区別に分類されてはいるものの、どこから読んでもいいだろう。かつて自分が登ったことのある山に関しては、再発見することが多いし、まだ未踏の峰ならば、一度は登ってみたくなる。たとえばみちのくの、月山を中心とする出羽三山の霊妙な世界には、日本人ならだれもが魅かれるだろう。

もちろん“霊峰富士”については、3章にわたって詳述されている。富士が日本の象徴となった歴史、源頼朝の富士の裾野での大巻狩り、女人禁制の山に最初に登った女性はだれだったのかなどなど、これを一読すれば山の話題に事欠かない。

天下の嶮といわれた箱根についても多面的に取り上げられている。足柄山の金太郎の寓話がどうして生まれたか、そのモデルは源頼光の四天王の一人と称された坂田金時であったことなど、著者の筆は自在に及ぶ。歴史の裏表に通じているだけでなく、自らトレッキングをしている著者ならではの仕事。

それぞれの芥川賞 直木賞』 豊田健次:著/文春新書:刊/720円+税

ことしほど芥川賞・直木賞が話題になった年はなかったが、本書は創設以来、今回の金原ひとみ、綿矢りさ、江國香織、京極夏彦まで、両賞の歴史のなかで、芥川賞の野呂邦暢(第70回、昭和48年度下期)、直木賞の山口瞳(第48回、昭和37年度下期)、向田邦子(第83回、昭和55年度上期)の3人に焦点を当てて、それぞれの経緯を詳述している。

この3人に焦点をしぼったことにはわけがある。著者は文藝春秋入社以来30年間、芥川賞・直木賞の担当者として作者と作品に密着してきたが、とりわけ野呂氏とは、その処女作以来、密接な関係を保ち、作品に惚れ、何とかして芥川賞を受賞させようと導き、ついにそれを実現させたからだ。

と同時に、著者のもとには長崎・諫早在住の野呂氏から120通にものぼる手紙が来ており、それを手がかりに作者の内面をたどることができたからだ。

一方、山口瞳氏の場合、親交をもっただけでなく、『週刊新潮』連載の日記シリーズ「男性自身」があり、それが手がかりになっている。このなかで、まだ放送作家だった向田邦子に小説を書くようにすすめたのが、山口氏であることも洩らされている。また選考委員会の内幕など“企業秘密”もちょっぴり描かれているのにも興味がもたれる。巻末の資料も貴重である。

(S・F)

※「有鄰」437号本紙では5ページに掲載されています。

『書名』や表紙画像は、日本出版販売 ( 株 ) の運営する「Honya Club.com」にリンクしております。
「Honya Club 有隣堂」での会員登録等につきましては、当社ではなく日本出版販売 ( 株 ) が管理しております。
ご利用の際は、Honya Club.com の【利用規約】や【ご利用ガイド】( ともに外部リンク・新しいウインドウで表示 ) を必ずご一読ください。
  • ※ 無断転用を禁じます。
  • ※ 画像の無断転用を禁じます。 画像の著作権は所蔵者・提供者あるいは撮影者にあります。
ページの先頭に戻る

Copyright © Yurindo All rights reserved.