Web版 有鄰

427平成15年6月10日発行

有鄰らいぶらりい

バカの壁』 養老孟司:著/新潮新書:刊/740円+税

亡くなった山本夏彦氏は、いわゆる進歩的文化人やマスコミをからかった自分のコラムについて、「分かる人には電光のごとく分かり、分からない人は百万言をついやしても分からない」から、文章は短いほどよし、とした。

著者は冒頭に「話せばわかる」は大嘘、と書き、「自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断して」いる。これが「バカの壁」だと言っている。

夏彦氏同様、著者も過激で昨今のはやりというか、文部省から日教組までが大声で合唱している「個性」とか「自己」とか「独創性」についてもおかしい、と言う。

文明というのは人類の「共通了解」を広げることで進んできたのに、「個性尊重」など矛盾する。だいたい、現代社会で存分に「個性」を発揮している人がいたら「精神病院に入れられてしまうことは必至」というわけである。

本来の「個性」は、初めから誰でも身体に与えられているもので、共通性を追及する脳にはないのに、それが逆に考えられている。したがって若い人に「個性を伸ばせ」などと馬鹿なことを言わず、人の気持ちをわかる人間になれと言った方が、よほどまともな教育という考え方である。

銭とり橋』 澤田ふじ子:著/幻冬舎:刊/1,600円+税

高瀬川から船漕ぎの掛け声が聴こえてくるほどの京の町筋にある居酒屋。そこのあるじ宗因は、今も武士言葉が抜けきらない。じつは尾張藩の藩主だったのだが、わけあって町人になっていた。店は角倉会所の人や船頭たちで賑わっている。

そんななか、隠岐の島へ流されていた生薬屋の嫁のお蕗が、半年ぶりに戻ってくることになる。お蕗は道楽者の夫の罠にはまって、遊び人を殺害してしまったのだが、許されて帰国することになったのである。お蕗は婚家には戻らず、角倉会所に勤める。

そのころ京の町に、いかにもみすぼらしい托鉢の僧が現われ、木賃宿に泊まって毎日托鉢に廻っていた。お蕗は休みになると、この僧を訪ねていることがわかる。2人は、意外にも豪壮な寺に入り、経をあげるのだった。経が終わると、お蕗が流麗に笛を吹きならした。……

全6話を収めた連作シリーズの、これが、第1話「短夜の笛」。この作者の京を舞台にした時代小説は、背景に精通しているだけでなく、史料も駆使して裏打ちしているので安心して楽しめる。

宗因の焼く泥鰌の蒲焼きの香ばしい匂いが伝わってくるような雰囲気のなかで京の人情話が語られ、心に沁みる。

英傑たちの三国志』 伴野 朗:著/NHK出版/1,400円+税

三国志で活躍する英傑たちのビビッドな列伝。まず登場するのは姦雄・曹操だ。初めての天下統一の野望を遂げようとした英傑で、ついに赤壁の戦いで諸葛亮(孔明)の舌先三寸に敗れたが、治世の能臣、乱世の姦雄だったいわれる。

面白いことに曹操には2つのコンプレックスがあったという。一つは祖父が宦官だったこと。もう一つは非常に短身だったことだ。狂暴ぶりは、そこに根ざしていた。しかし曹操の作戦の特徴は、情報を重視したことだという。噂をすれば影のごとく現れ、千里眼、地獄耳の持ち主として知られた。曹操は魏王とはなったものの、帝位にはつけず敗退した。

三国志の主役は諸葛亮である。天下三分割の計を実現した。諸葛亮は13歳のとき、一生忘れられない惨事を体験した。曹操による徐州一帯の虐殺で、「鶏犬すら尽き、廃墟に人影なし」といわれた事件である。

本書は三国志を面白おかしく物語化した羅貫中の『三国志演義』に依拠せず、『正史三国志』を読み解き、さらに著者自身の史観で斬り込んでいる。故事成語の解説が随所に挿入されているのも、楽しい。たとえば「檄をとばす」の語源など。

「文藝春秋」八十年傑作選』 坪内祐三:編/文藝春秋/2,500円+税

体裁は雑誌(マガジン)だが、単行本(ブック)としての内容をそなえ、息長く売ろうという、いわゆるムックである。この手のものがベストセラーに入るのは珍しく、さすが菊池寛いらいの雑誌の王者の貫録と思わせる。

冒頭が同誌で現在も続いている「巻頭随筆」、武者小路実篤の「日米戦争はまさかないと思うふが」。開戦を17年後にひかえた大正13(1924)年7月号の掲載だが、左翼イデオロギーからはむしろ敵視されていた白樺派の作家は、「(戦争すれば)結果は見えすぎている。(略)悲観しなければ馬鹿である」と手厳しく、当時の良識を思わせる。

同じ巻頭随筆に谷崎潤一郎の「阪神見聞録」、芥川龍之介の「文藝雑談」(のち「侏儒の言葉」)が載っており、とにかく登場人物が豪華である。

同誌の独創という座談会では、「出版界批判」に広津和郎、土岐善麿、辰野隆、直木三十五ら、関東大震災を前提にした「復興大東京」に泉鏡花、小林一三、菊池寛、久保田万太郎、久米正雄ら、「文藝春秋三十年の思ひ出」に小林秀雄、吉川英治、川端康成、宇野浩二、永井龍男とケンランたる名前が並ぶ。最新が長部日出雄、田中小実昌、野坂昭如による「さらば青春のゴールデン街」(昭和61年12月号)。名前だけでも売れるわけである。

(S・F)

※「有鄰」427号本紙では5ページに掲載されています。

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