Web版 有鄰

422平成15年1月1日発行

有鄰らいぶらりい

深追い』 横山秀夫:著/実業之日本社:刊/1,700円+税

作者は今や警察小説の第一人者だ。前著『半落ち』は、巧みな展開でベストセラーになっているが、今度の短編集『深追い』も、緻密な構成で読みごたえがある。

表題作の主人公・松葉は地方都市の警察署の交通事故係主任の巡査部長。30過ぎだが独身で、寮生活。かつて交通違反のバイクを追跡して事故死させ、マスコミに“深追い”と叩かれたことがあり左遷された。

その秋葉が扱うことになった交通事故死の事件が、意外な謎をはらんでいた。事故死した中年男のポケットにポケベルが入っていて、そこには妻からのメッセージが入っている。「コンヤハ カレーデス」「コンヤハ オサシミデス」……。

死んだ男の妻・明子は秋葉の小中学校時代の同級生で、美人だった。秋葉は熱を上げたことがある。明子は夫を愛し、晩ご飯のメッセージを送り続けていたのか。

しかし、調べてみると、夫婦の間は冷え切っていたという。明子は勤め先の上司と不倫をしていたということも明らかになってくる。しかも秋葉が返しそびれたポケベルには、なぜかその後も晩ご飯のメニューが送信されてくる。作者がよく人間を見つめている点がいい。他6編も秀逸。

恋火』 松久 淳+田中 渉:著/小学館:刊/1,200円+税

『花火』は「天国の本屋」のPART2。前著では、就職も決まっていない大学3年の男の子がコンビニで不意におじさんに腕をつかまれた瞬間、失心し、気がつけばそこは“天国の本屋さん”だったという設定で、奇想天外なことが次々と起こるファンタジーだが、「恋火」はオーケストラをリストラされた若い男性ピアニスト健太が主人公。リストラを言い渡された夜、健太は酒場でかなり飲んで、意識不明に陥った。目が覚めたところは、見おぼえのない場所。そこは“天国の本屋さん”だったのだ。

「天国の本屋」でおなじみの派手な服装のおじさんが現われて、その説明によれば、飲み屋で知り合ってアルバイトに連れてきたのだという。人間の天寿は100歳と決められているが、もし20歳で死ねば、あと80年は天国で生きるのだという。天国の本屋では、本の読み聞かせを行っており子どもたちに人気の的だ。そして、さまざまな事件が起きる。天空を彩る花火と、そこに登場する若い女性ピアニストとの恋……。

導入部は地上から見上げたその不思議な光の場面から始まる。一瞬美しいピアノの旋律が聴こえ、その旋律にのって夜空からグランドピアノが舞い降りてくるのだ。大人のためのファンタジーとして楽しめる。

やまない雨はない』 倉嶋 厚:著/文藝春秋:刊/1,300円+税

気象キャスターとして有名な著者は、5年前に妻をガンで亡くした。悲嘆に暮れる毎日が続き、63キロあった体重は半年で47キロまで激減した。ついに死を決してマンションの屋上に上がり、柵をこえて飛び降りようとした。飛び上がったところまでは覚えているが、気がついた時は屋上にいた……。愛妻を亡くした男の悲しみが切々と伝わってくる手記だ。

著者は気象庁予報官時代、同僚だった女性予報官と結婚した。彼女はレッドパージで追放されたばかりだった。結婚後、これほど愛し合っている夫婦は珍しいが、2人の間に子どもが生まれなかったことも、結びつきを強固にしたのかもしれない。

その妻が胆管細胞ガンと診断されて入院するや、著者は文字通り、寝食も忘れて看護する。だが、妻は入院してわずか24日後に急逝してしまう。それからの著者の人生は木枯らし、時雨の季節となる。自殺しようとして果たせず、うつ病となり、抱えていた仕事もすべて断り、アウシュビッツの囚人のような生活が続いた。だが、やまない雨はないという。著者は今、小春日和のなかで静かな余生を送っている。愛妻物語として感動的。

いつか記憶からこぼれおちるとしても
江國香織:著/朝日新聞社:刊/1,200円+税

<10人の女子高生がおりなす、残酷でせつない、とても可憐な6つの物語>と帯に記されている。

無邪気な高校生活の一方、通学電車のラッシュの中で、派手な感じの中年女性の冷たい指で体を触れられる柚という子の体験を描いた「指」が、冒頭に収められている。触れられた柚は、毎朝この女と会うことを期待するようになるがその後事件には発展しない。こうした危うい日常性がつづられていく。

「緑の猫」はノイローゼになったエミという同級生の話。「私は緑の猫になりたいな。生まれかわったら」などと言っていたが、だんだん症状が悪化し、ついに入院する。

他の作品も思春期の女子高生の、不安定な心理を描き、タイトルのように、いつか記憶から消え去るような日常性をつづっているとばかり思いきや、書き下ろしで加えられた最後の1編「櫛とサインペン」には驚かされた。これはボクサーくずれの若い男の視点からとらえた女子高生の性的狂態である。男はラーメン屋で見かけた女子高生を1杯のラーメン代だけでくどき落とし、薄汚れたアパートで性交を繰り返す。女子高生は爆弾だった。狂ったように男の性に奉仕する。30人もの男と交わったというが、金目当てではない。これは不思議!

(S・F)

※「有鄰」422号本紙では5ページに掲載されています。

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