Web版 有鄰

418平成14年9月10日発行

[座談会]グレート=ブックス=セミナー
−横浜市中央図書館の新たな試み−

横浜市中央図書館長/梅田 誠
横浜市立大学医学部教授/後藤英司
日本子ども家庭総合研究所母性保健担当部長/宮原 忍
セミナー参加者/増田節子
有隣堂会長/篠﨑孝子

右から増田節子さん、後藤英司・梅田誠・宮原忍の各氏と篠﨑孝子

右から増田節子さん、後藤英司・梅田誠・宮原忍の各氏と篠﨑孝子

はじめに

篠﨑本の読み方、楽しみ方にはさまざまなものがありますが、横浜市中央図書館では、古典を深くじっくりと味わう読書の方法を提案する「グレート=ブックス=セミナー」を開催し、新たな読書推進の活動をおこなっておられます。

そこで本日は、インターネットなどを通じて、手軽に情報を得ることができる時代に、あえてこうしたセミナーを始められた目的や具体的な内容をご紹介いただきながら、その成果などについてお話を伺いたいと存じます。

ご出席いただきました梅田誠様は医学がご専門で横浜市立大学長などを歴任され、現在は横浜市中央図書館長でいらっしゃいます。

後藤英司様は横浜市立大学医学部教授でいらっしゃいます。同大学では、横浜市中央図書館と協力して「グレート=ブックス=セミナー」を開催されていますが、先生は大学で医学教育などを担当され、このセミナーの推進者のお一人でもいらっしゃいます。

宮原忍様は、産婦人科医として活躍された後、東京大学医学部保健学科、横浜市立大学看護短期大学部教授をお務めになり、現在は、日本子ども家庭総合研究所母性保健担当部長(社会福祉法人・恩賜財団母子愛育会)でいらっしゃいます。

以上のお三方はセミナーを進行させていくモデレーター(進行役)として、この活動を推進しておられます。

増田節子様は、横浜市西区にお住まいで、熱心なセミナー参加者のお一人です。

アドラー博士が提案した古典読書のセミナー

篠﨑まず、「グレート=ブックス=セミナー」はいつ頃からはじまったのですか。

梅田「グレート=ブックス=セミナー」はアメリカの大学で取り入れられて非常に盛んになっているセミナーなんですが、モーティマー・アドラー博士を抜きにしては語れません。

アドラー博士は1920年にコロンビア大学に入り、21年にコロンビア大学のアーキンス先生の古典読書に出会うんです。古典というのは普遍的価値があるので読みつがれているわけですが、アドラー博士は、そのじっくりと読むセミナーに共鳴し、古典の読書がいかに大事かということを知るわけです。それで、アドラー博士は古典読書にどっぷりつかっていくわけですが、それがさらに発展するのは、1930年に、ハッチンスという人が30歳でシカゴ大学の学長になるんですが、その前から知り合いのアドラー博士を招いて、シカゴ大学で「グレート=ブックス=セミナー」を開講していた。

別の資料によると、ハッチンス学長が学生と一緒にセミナーで意見を述べ合うということで非常に有名になり、そういう勉強の方法がすごくいいということで、それ以後ずっとアメリカの大学に行き渡った、とあります。それで、1945年以降、またピークを迎えるわけですが、一番のピークは1965年頃と書いてありました。大学の一般教養がすべて「グレート=ブックス=セミナー」を取り入れるという形、一般教養のアメリカの原形みたいなものになっていったようです。

生涯教育やエグゼクティブのセミナーにも

梅田アドラー博士はアメリカの大学で、「グレート=ブックス=セミナー」を広めましたが、大学以外でも、卒業生に対する生涯教育やエグゼクティブのセミナーもやっていて、それから初等教育、高校生とか中学生のセミナーも大事だとしている。

喜多村和之『大学淘汰の時代』(中公新書)に書いてありましたが、結局、その後、「グレート=ブックス=セミナー」を中心にした大学の一般教養教育は、それだけでは成り立っていかないという風潮も出て、別の方向も出てきて、今は交錯している状態のようです。

でも全面的な古典だけではなくて、少し修正した形で本をじっくり読むという方向はアメリカでは続いています。

篠﨑欧米の場合は、グレート・ブックスの典型的なものは、やはりギリシャ哲学なんでしょうか。

梅田いや、ギリシャ哲学だけでなく、ルネサンス期の本もたくさんあるから、そういうのも含めての古典です。

後藤基本的にはホメロスが最初にあって、プラトンやアリストテレスとか、その辺が並びます。でもルソーとか、ベンサム、ミルらのフランスやイギリス哲学も入っています。

梅田読み継がれてきたのは、それだけ普遍的な価値があるからで、それを勉強しない手はないというのが、アドラー博士たちの古典を読む一つの考え方のようです。

公共図書館の役割を考え、独自の手法で始める

篠﨑梅田先生が「グレート=ブックス=セミナー」を中央図書館で始めようと思い立たれたきっかけは…。

梅田『グレート・ブックスとの対話』を書かれた松田義幸先生に、勧められたのです。かながわ学術研究交流財団(K-FACE)という長洲一二前知事を中心につくられた財団で、その学術研究の中にグレート・ブックスを広めるための研究会があり、松田先生が主宰しています。

僕は誘われてそこでのゼミナールに出席し、「いいですね」と言ったら、「図書館でやって下さい」と。だけどなかなかできなくて。それと図書館より大学でやったほうがいいんじゃないかと、初めはそう思っていたんです。たまたま病院で医療事故があり、「倫理ですよ。それでやろうよ」と後藤先生に話しかけたら、医学教育のコースでやりましょうと同調してくれた。

いい本の提示をして読書離れを止める役割

M.アドラー他『本を読む本』

M.アドラー他
『本を読む本』
講談社学術文庫

篠﨑図書館の試みとしては日本で初めてですね。図書館活動の大きな柱の一つに育てられるご計画でしょうか。

梅田今、図書館はそれこそ、貸本屋じゃないか、ベストセラーばかり購入して、とか批判されています。それで図書館の立場として、どうしたらいいかというのが一つ。

一方、「図書館は、蔵書を評価しないで均等に並べている」という議論があります。司書は、全部並べて全部出すのが図書館の役割であると。本の良い悪いは言わないと言うんです。僕にしてみれば、いい本はやっぱりいい本だから、がっちり読まなきゃいけないのではないかと。

もう一つは、今の読書離れをどうしたらいいか、とくに中高生の読書離れにどう対処したらいいか、考えていました。

その3つぐらいのことを考えまして、じっくり本を読むのも大事ではないかと。その前に、こんなにいい本がありますよと、まず提示をすることが先ですから、それでいい本を示して読んでもらう。特に学生に読んでもらうのが目的だったんです。しかし、なかなか問題がありました。

篠﨑アドラー博士の思想を基にした『グレート・ブックスとの対話』の著者、松田先生のお勧めを発展させたんですね。

梅田K-FACEで、毎年、東京近辺の学生に呼びかけて、セミナーを開いています。そこではアドラー博士のカリキュラムをそのまま日本へ持ち込んできて、ギリシャ哲学から始めています。本も同じにして、単に、日本語に変えてやるというプログラムでした。それを、公共図書館でおこなうことで少し独自な工夫を凝らして始めました。

篠﨑アドラー博士の本は『本を読む本』(講談社学術文庫)が翻訳されていますね。

医学教育に必要な問題解決型学習

F.ナイチンゲール『看護覚え書』

F.ナイチンゲール
『看護覚え書』
現代社

篠﨑後藤先生はこの「グレート=ブックス=セミナー」を横浜市立大学の医学部で、医学教育の一環として取り上げられているわけですね。

後藤今、教育の世界的な潮流としては、大きい講義室で一人の先生が一方的な授業をするのは具合が悪いということになっています。

欠席者が多いし、出席していても、眠っていることが多い。たとえ起きていても、全部わかっているかどうか、わからない。理解できた学生はパーセントから言うと限りなく低いけれど、講義しているほうは、恐らく皆理解しているに違いないと思って話をしているわけです。それをいわゆる教師の錯覚と言います。(笑)

私たちは授業の後で、学生に感想カードを書いてもらっているんです。そうすると、「これまでにない、いい授業だった。」「ぜひこれからも続けてほしい。」なんて書いてくるんです。そうすると、それを読んだ人は感激するわけです。素晴らしい授業を私もやったと。(笑)

ところが試験をやってみると、まるっきりわかっていない(笑)。ですから、学生は聞きっ放しで、テレビと同じような感覚で授業を聞いているのだと思います。

何が問題かを見つけその解決策を考える

後藤一斉授業はどうもぐあいが悪そうだというので、だんだん少人数で授業をやることになります。しかし、少人数でただ勉強するのではなく、何か考えるきっかけがあるのが一番大事だというのです。その課題についてグループで話し合い、その問題を解決していく。

つまり、学生に求められるのは、問題を解決する能力だろうということです。そのほかにも、何が問題かを見つけてくる。これは大変だと思いますが、課題を設定するというのが一つ大切なことです。

課題を設定したら、みんなでそれを解決するための知恵を出し合い、努力をして解決していく。

さらに、それからは実際にそれを実行することにつなげていかなくてはいけないんですが、そこまではできないとしても、何か学生なりの解決案をみんなで考える。そういう学習方式を問題解決型学習とか、問題基盤型学習と言いまして、プロブレム・ベースト・ラーニング(PBL)と言われています。

このプロブレム・ベースト・ラーニングは世界中で盛んにおこなわれています。ハーバード大学の医学部でも1980年代から導入しました。法学でも、MBAでも皆、PBLをやっています。それから、この前シンガポールでPBLの学会がありましたが、警察学校でもPBLでやっているそうです。

教養教育には方向を探る羅針盤をつくる役目が

後藤ただ観念的に非現実的なことを言っていても何の解決にもならない。現実的な具体案を出せるように教育をしましょうというのが、世界的な潮流なんです。その際、情報をいろんなところから集める必要がありますが、方向を探る羅針盤も、是非あったほうがいいということになります。

高校を出た学生にたとえれば、西も東もわからない。座標軸を頭の中にある程度描けるようにするのが、教養教育だと思います。頭に地図がなければ、どこに行ったらいいのかも何もわからない。

私は、「グレート=ブックス=セミナー」は海図的な要素があると思うんです。結局人間の共通課題というのは、特に人文的なものはソクラテスの時代から恐らくずっと同じで、基本的な問題は、すでにそこにあると思います。頭の中にぼんやりとでも海図的なものができればいい。そういう意味で「グレート=ブックス=セミナー」をやってみると、学生たちも教養で授業を聞くよりも、ずっと勉強になったというんです。一つの本をきっかけに、いろいろなものを読むことになったし、自分たちでいろんなものを初めて読もうという気になったと言います。ですから、そういう意味で効果はあると思います。

アメリカの大学で重要なのはディスカッション

R.カーソン『沈黙の春』

R.カーソン
『沈黙の春』
新潮社

宮原私はアドラー博士の話からではなくて、違うほうから興味を持ちました。1980年に私はアメリカへ留学しました。大学院生で入ったんです。アメリカの大学院は電話帳みたいに厚い講義のリストから選択してやるわけです。

それで、レクチャーと書いてあっても、大抵セミナーみたいなもので、私が一番世話になった先生は、大体リーディング・アサインメント(課題読書)は最初にリストが渡されるわけです。この講義にはこれだけのものを読んでこいと。1週間に1時間半ぐらいの授業で、大体100ページぐらいなんです。

そうすると、私たちにとって1科目のために英語を1週間に100ページ読むのは大変なんです。とにかくべそをかきながらやった。それに、その講義だけを聞いているわけじゃないから、ほか講義も、みんなそれぐらいあるから大変なんです。

とにかく、生徒が円卓ふうに並んでいて、それで先生が来て、「今日は何から話をしようかね」と言うんですよ。誰かが何かを言わないと始まらない。

「先生、誰それの論文は、方法としては納得しているけれども、あの結論には納得できない。あれは、どうなんですか」という話が誰かから出る。そこから話が始まるわけです。

要するに、どこから話が始まって、どういうふうに進んでいくかというのは前もってわからない。つまり読んでいないと、ちんぷんかんぷんで置いていかれるんですね。

それで、私と同じようにアジアから来た人がいて、ある日、怠けてあまり読んでいなかったのか、じーっと黙っていた。最後に、先生が「君、さっきから黙っているけど、君の意見はどうなんだい」と言われた。

ちょうど私がしゃべった後だったので、「アイム・アグリー・ウィズ・ミスター・ミヤハラ」と。反対だと言ったら、何か言わなくちゃいけない。(笑)

賛成だと言っておけば、後で何とか逃げられると思ったと、彼は言っていましたが、割にそういうセミナー形式が多いんです。

いい発言をして盛り上げれば評価は高い

宮原どんなに初歩的なことでも、とにかく何でも口に出す。それで学期の最初に先生が、このレクチャーは何単位であるけれども、評価をどういうふうにするかを宣言するわけです。おかしなことに試験は真ん中ぐらいにあるんです。

それで、試験が半分、クラス・パーティシペーションが半分と言うんです。クラス・パーティシペーションというのは、つまり、出席して何かしゃべらなきゃいけない。それでいい発言をして、ディスカッションが盛り上がれば評価は高い。欠席すれば当然悪いわけです。日本人は出席はよくするんだけど、しゃべらないから余りいい点をもらえない。

それともう一つは、統計学なんかだったら、かなりレクチャーをおこなうんです。わからないところがあれば聞きに来い、と。それで、助手の部屋にオフィスアワーズという時間帯があって何曜日の何時から何時まではこの部屋にいます、と。そこで予約をとって行くわけです。

それで、私も行ったんですが、助手が手に負えないと教授のところに行くわけです。教授が私と一対一で、この式は変形するとこうなる。わかるか? わかる。そうするとこれはこうなる。わかるか?と。それで試験が悪かったら完全に落とされる。

要するに教授がそれだけやっているので、愛弟子でも面と向かって怒られる。あなたはわからないと言って聞きに来なかった。なぜ来ないと言うんです。やっぱりあれだけやられれば、ほんとに頭が下がりますよ。

それと、学期の最後にはちゃんと評価される。私の先生は、学期の最後になると、いつも自宅に招いてごちそうしてくれて、その後に自宅で評価表を渡す。なかなかいい先生でした。

講義の途中で質問すると喜ぶアメリカ人

宮原いずれにしても、とにかくディスカッションがすごく重要なファクターになっていて、要するに一番最初に質問するのを「ブレイク・ザ・アイス」と言うんです。つまり、砕氷船みたいなもので、あなたの質問でディスカッションのきっかけができたというので評価が上がるんです。

ある人が言いましたが、ドイツ流とアメリカ流には違いがあり、講義の途中で手を挙げて質問すると、ドイツ人はすごく怒る。質問の時間を最後にやるから、それまで黙っていろと言うんです。

アメリカ人は、最後まで質問が出ないと、すごくがっかりする。途中で質問をするとすごく喜ぶんですよ。私も講義をするときに、そういう話をして、途中でもいいから何でも、発言しろと言うんだけど、日本人はしない。

篠﨑それが日本人の習性なのでしょうか。

後藤日本では、ただ教室で教わっていればいいと思っている。ディスカッションするためにちゃんと読まなきゃいけない。能動的な学生にならないといけない。そういう姿勢に欠けると思うんです。

「生命論理」をテーマにプログラムを作成

E.キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』

E.キューブラー・ロス
『死ぬ瞬間』
中公文庫

篠﨑中央図書館では、独自のバージョンを考えられたとお聞きしましたが。

梅田一番初めのシナリオは、私と後藤先生と2人でやりとりしながら決めていきました。テーマは初め「生命倫理」をやろうと決めていたんです。「生命倫理」はいいけれども、ベルナールの『実験医学序説』(岩波文庫)みたいに、医学では実験は絶対に必要だということがありました。それから今、脳のことがすごくよくわかってきて、脳の発想が倫理的な発想と、かなり関係している。それも入れたい。

それで脳のことを入れるとなると、最近の科学はどんどん進歩しているから、いわゆるグレート=ブックスで古い本だけを取り上げるわけにもいかない。サイエンスの新しい本も入れざるを得ないことがありました。

実験医学や脳の話は、直接生命倫理につながらないんですが、間接的に絶対つながるから入れたんです。

それから後は、文学的な考え方や、宗教的な考え方も必要だという話になって、その後から宮原先生に加わっていただいて、修正が入ってカリキュラムができたんです。

後藤最近の遺伝的な側面を含めた生命科学、それから進化論的な考え方とか、文系と理系をどううまくまとめるかというので、先生はご苦労されていました。

まず選んだのは『実験医学序説』と『脳のメカニズム』

篠﨑何の本を一番初めに選ばれたんですか。

梅田『実験医学序説』とか『脳のメカニズム』(岩波ジュニア新書)。宗教的な考え方については、宮原先生も小説でいいんじゃないかということで、曽野綾子さんの『神の汚れた手』(文春文庫)を選んでもらった。

あとはどうしても『ヘルシンキ宣言』に行きたい。これはヒトを対象とした医学研究の倫理的原則について1964年に採択されたものです。そのためには、1947年の『ニュールンベルク綱領』も知らなければならない。これはナチのアウシュヴィッツなどの問題を受けてできるわけですから、どうしてもナチの問題も討論しなきゃいけないということがありました。

それからロスの『死ぬ瞬間』(中公文庫)は、生命倫理では死というのがどうしても問題になるので選びました。

それで苦労したのは、『ニュールンベルク綱領』の前のナチの残虐行為について書かれた良い本はないかと探したのですが見つからず、やっと英語の論文が一つ出てきたんです。それが翻訳されていなくて、翻訳するのに大分苦労しました。古い英語でね。

増田『独裁制度下の医科学』といういい資料でした。

受講生に恵まれた図書館のセミナー

篠﨑増田さんは、昨年から参加されたんですね。

増田はい。私は、セミナーが始まった最初から参加したんです。図書館にパンフレットがありまして、生命も倫理も関心があったので。

あと、自分で勉強を進めていく上で勉強のペースメーカーになるようなセミナーが欲しかったんです。受講し始めたら予想以上にいいセミナーで、とても楽しんでいます。

篠﨑インパクトが一番強かったのはどんなことですか。

増田まず本を読んで事前にアンケートを出さなくてはいけないんです。それがかなりきついんです。ただ漫然と本を読んだだけでは答えられないような質問もかなり入っていまして。

それでアンケートを出す前日ぐらいは半徹夜になって。でもこのアンケートのおかげで、ただ漫然と読むのでなく「あっ、こんなこと考えてなかったな」とかモデレーターの先生の意図もよくわかり、苦しいけれど楽しんでやっています。

篠﨑授業の進め方は…。

増田セミナー方式です。皆さんものすごく勉強されていて、課題の本だけでアンケートに答えられないときは、関連する本を読んだりして。

参加者の皆さんはそれぞれの経験をお持ちですから、そういう視点からの切り込みがあったりとか。

篠﨑今、何名ぐらい参加していらしゃるんですか。

梅田市民の方は14、5人です。もう一つ、横浜バージョンで学生が一緒に入っているんです。大学だけでやっているグループと、図書館だけに参加している学生と、両方に分かれているんです。

篠﨑大学と図書館では、取り上げる本やテーマも違うんですか。

梅田図書館でのセミナーではいろいろな形でやっています。学生だけに宿題を出して、学生が発表して、それをベースにディスカッションを進めたりしています。おしなべて学生は、社会人に圧倒されて話せないんですよ。

宮原横浜バージョンというか、図書館のバージョンでラッキーなのは、参加者(受講生)にすばらしい人が集まったことですね。

モデレーターを中心に対話の中から結論を見出す

曽野綾子『神の汚れた手』

曽野綾子
『神の汚れた手』
文春文庫

篠﨑モデレーターは、たとえば『神の汚れた手』を具体的にどのように読んでいくのですか。

宮原小説というのはすごく使いやすいというか。たとえば『脳のメカニズム』とかを批判してみろと突きつけられても、素人には批判どころではなくて、そのとおりだと思いますという話になる。だけど小説は作者と意見が違っても構わないし、作者の意図についても、受け取り方が違うから発言しやすいだろうということが一つあるんです。

もう一つは『神の汚れた手』は医療倫理のケースブックみたいな内容なんです。ちょうど産婦人科の話ですしね。

アンケートづくりでは、大分苦労しました。作者が登場人物をどう見ているか、何人かの登場人物のうちで、作者に一番近いのはどれかといったようなところから始めて、人工妊娠中絶について、主人公と著者と、それからあなたの意見はどうだとか。それから不妊の問題がありますね。

そして最後に、「神の汚れた手」というのは何を意味しているかということでアンケートにしたんですが、いろんなご意見をいただいて、私も随分教えられたんです。

作者はカトリックの方なので神父さんも出てきますが、必ずしも作者は神父さんの考え方が正しいとだけで書いているのではないらしい。

もちろん医療倫理を問題にしたときに、どうするのが正しいということだけでなく、そこにある人間それぞれの矛盾とどう向き合うかがベースにあるんだと思うんです。そういうことで、小説は非常にいい材料になるのではないかと思ったわけです。

梅田アンケートをとったらいいんじゃないかという案は、『グレート・ブックスとの対話』には全くなくて、図書館員からの発案です。それが成功した。これは横浜独自のバージョンですね。

宮原『神の汚れた手』では、結局、妻の真弓というのが作者のカリカチュアなのかもしれないと思います。自分を批判的に見て。つまり小説というのは全部、作者の分身みたいなものですけどね。私が作者に会ったところで、こういう感じがしました。だから、そこが小説の面白いところだなと思いました。

梅田宮原先生のセミナーが一番評判がいいんです。

結論が参加者のほうから出てくるように導く

篠﨑実際のセミナーのときに、モデレーターの役割として、どのようなことに気を使われていますか。

宮原アンケートをもとにディスカッションをしますが私の努力は、話を引き出さなければいけないから、要するに皆さんが考えていることを裏切るような発言を、できるだけ探しているわけです。おやっと思わせる。

増田話の流れが傾きかけると、宮原先生がそれをひっくり返すようなことを言われて、そうなると話がもう一展開するという感じで、それがとても面白いですね。

宮原自分の意見をいうということよりも、どういう発言をしたら、相手がそれにレスポンスしてくれるかなというね。

篠﨑メンバーの議論を錯綜させながら結論へ。それがモデレーターの役割ということですね。

宮原ある意味で黒子ですから、正解はこうですよという話じゃない。そうすると、レクチャーになるから。

例えば、私が強調したい結論があるとすれば、その結論は参加者のほうから出てくることが大事なんです。

篠﨑そこへ参加者の発言を導いていく。

宮原それが一番理想的だと思うんですね。

篠﨑プラトンが対話編でやっていたことですね。

宮原そういうことです。つまり、ソクラテスの産婆術のようなものですね。

増田価値観を揺さぶられることが、すごく面白い。

古典にはなかった新しい問題も考える

C.ダーウィン『種の起源』

C.ダーウィン
『種の起源』
岩波文庫

篠﨑後藤先生の場合はどういうふうに。

後藤宮原先生はモデレーターとおっしゃいましたが、ティーチャーじゃだめだというのが一般的です。ティーチャーは教えるので良くないわけです。教育学でよく言いますが、先生は、獲物をとってきて直接子どもに与えちゃいけない。獲物のとり方を指導しなさいということですね。

私の場合はダーウィンを読んでもらったんです。ダーウィンは『種の起原』で有名ですが、『人間の進化と性淘汰』という原著では、人間の心とか道徳は原始の動物から人間になるまで、だんだん進化してきたんじゃないかと書いてあるんです。さまざま動物の記録、人間も未開人から文明人になるまで、いろんな事実が書いてあり、そういうものを根拠に道徳は進化してできたんだと考えるわけです。

つまり、道徳が生まれなかった社会的動物は、淘汰されて、つぶれていったというのですが、それを学生に読んでもらって、それと生命倫理が結びつくかということについて考えてもらったんです。

本当に集団で生活するために道徳みたいなものが自然発生的にできてきたのか。その辺のところを学生たちにいろいろ考えてもらうんですが、結局、自然に、道徳って一体何だろうという話になるんですね。かなり根源的なところから考えてくれるようになって、与える課題としては、なかなかいいかもしれないと思いました。

ただ、生命倫理に結びつくかというと、それはダーウィンの言っている道徳と、最近の生命倫理で話題になっている、例えば安楽死やクローンの問題はちょっと次元が違うんじゃないかと学生も言うわけです。ダーウィンの言っている道徳は、仲間が助け合わないと生きのびていけないという事情から道徳ができたという考え方なんです。ところが、生命倫理はそういうことだけじゃなく、患者の権利とか、ある意味ではもっと進化しているのかもしれないなどという意見もでてきました。

安楽死について根源的なことに立ち戻って考える

後藤安楽死は法律で決まっているから、よほどの理由がないとできない。それだけを授業で教えるのは比較的簡単にできます。「東海大学でこういう事件がありました。裁判所でこういう結論が出ました。安楽死の四要件と言います。こういう場合には許されます」。それをみんなに暗記してもらう。それが一般の生命倫理の授業です。

だけど、それだけではなくて、なぜ、そういう要件を考えなくちゃいけないのか。なぜ、安楽死の問題が出てくるのか。人を殺すというのは一体何故よくないのかということを、もっと根源的なことに立ち戻って学生たちに考えてもらいたいと思っているんです。そういう意味では非常に有効な方法だと思うんです。

篠﨑この本は社会人のセミナーでも取り上げられたのですね。

増田はい。『人間の進化と性淘汰』は、私にとってはすごく難しかったですね。人間の道徳と進化ということが、自分のなかでは、まだうまくつながらないんです。だけど、ダーウィンがそういうふうに考えていたというのを学ぶことで、宿題として抱えているような気がするんですね。そのうち、いつかわかるときが来るかなあみたいな感じで。

後藤原著って、やはりすごいと思うんです。そのほんの一部分を取り出して、皆さん、いろんなことを言うのですが、もっと大切なことがたくさん隠されている可能性がある。みんな気がつかないだけで。そういうものに触れるだけでも良いと思うのです。ニーチェの『神は死せれり』など、ほんの一部分だけとってきて、それだけが多くの人に伝わっているということがありますが、そのほかにも、もっと大事なことが書いてあるわけです。そういうのはじかに接して、はじめてわかるので大切かなと思います。

多様なカリキュラムとモデレーターの育成が必要

伊藤正男『脳のメカニズム』

伊藤正男
『脳のメカニズム』
岩波ジュニア新書

篠﨑今までセミナーを2年間おやりになって、今後の方向などを聞かせていただけますか。

梅田一番困るのは、本が入手しにくくなったということが一つです。ダーウィンの『進化論』はありますが。とくに、理系の本はどんどんなくなっていて、伊藤正男先生の『脳のメカニズム』(岩波ジュニア新書)を今年もやろうと思ったら、もう品切れなんです。

宮原これは新しいとは言っても、現代の古典と言えるぐらい素晴らしい本だと思うんですが、売れないのかもしれませんね。

篠﨑出版社が品切れにしてしまいますからね。

梅田20年、30年前の本は手に入らなくなるわけですよ。

篠﨑本屋も努力しなきゃならないんですが。

梅田やりたいことは、我々は「生命と倫理」でやったけど、大学の教養ゼミでもやってほしいわけです。

それには、「生命と倫理」だけではしようがないので、いろんなテーマでカリキュラムをつくりたいんです。この「生命と倫理」の次は違うテーマで、もっとやりたいんですが、いい本を見つけなければいけないし、いい本が入手しがたくなっている。カリキュラムづくりが大変です。そういう意味では非常に問題がある。

我々でできるのは環境、自然、生、死とか、いろんな問題が出てきます。そういうテーマでやったらいいと思うことがありますね。

それからあと、大学の他の学部で本当はやってほしいのですが、なかなかやってくれない。また、高校や中学ぐらいまで下げたい。そういうときには、今の受講生がぜひモデレーターをやってほしい。

篠﨑手を挙げる学校は必ずあると思います。新しい読書活動への意欲はとても盛んですから。

梅田今、学校では「朝の読書」をやっています。それは大いに結構ですが、ぜひ、「グレート=ブックス=セミナー」を、有志の生徒を集めてやってみたいんです。だから、モデレーター教育は大事だと思うんです。カリキュラムをつくることと、モデレーターの育成が大切ですね。

どういうテーマを掲げるかが課題

篠﨑宮原先生、今後の抱負などいかがですか。

宮原今は、一つのテーマで2時間プラス2時間で4時間です。本当はもっと時間をかけたいんですが、時間的な制約があって、今は仕方がない。本当を言えば、大きなものをもっとやりたいということです。

それからもう一つは、どういうテーマを掲げるか。最終的には、ブックリストである意味の知の体系みたいな、そういう感じですね。

たとえば、私にとって出版社のつくる『世界文学全集』のチラシが、一番面白いんです。つまり、どういうふうにリストアップされているかというところが。出版社によって、いろいろ違うでしょう。選者が古典と考えているものの体系のイメージを考えるのがすごく面白い。

すごくありがたかったのはドイツ語の授業で、1年に入ってアー・ベー・ツェー(ABC)をやり、夏休み前に文法を終え、秋になったら小説を始めるんです。三文小説。それで2年になったら、ゲーテの『ファウスト』を始めたんです。もちろんドイツ語がそんなに身についているわけじゃないけれど、インパクトがすごかったです。

フェイス・トウ・フェイスで意見をぶつけあう

篠﨑後藤先生は何かお考えはありますか。

後藤今、携帯電話やメールで、電子媒体を介したコミュニケーションにどんどん移行しつつありますが、フェイス・トウ・フェイスで先生と学生とか学生同志が、じかに自分の思っていることをぶつけ合う場を持つという意味では、非常に意義があると思うんです。

医療事故防止のためのカリキュラムも随分つくっていますが、1年生では福祉施設実習と並んで、これはカリキュラムの中の大きい目玉として今取り組んでいるんです。こういうところから、最終的には患者さんを大切にする心が自然に生まれて、それでいい医療に結びついたり、ひいては、ミスや医療事故を未然に防ぐのにつながってくれればと思っています。

篠﨑増田さん、参加された印象はいかがですか。

増田私は、自分の読書の幅を広げていただいて、ものすごく感謝しています。去年から受けていて、ことし『神の汚れた手』は2回目なんです。去年読んだときは、ストーリーを追うのがやっとでした。今年もう1回読んでみたら、見方が自分の中でも変わるんですね。作者が意図してやっていることとかがわかるんです。長く続けていただきたいなと思っています。

セミナーを広めることで古典の必要性や面白さを伝えたい

梅田やはり読書離れということに対して、どうするかという問題を考えなければいけないと思っているんです。それに対してこれが最善ではないかもしれませんが、一つのすごくいい方法であることは事実ですね。

それで、古典を読むのは本当に大事なんでしょうが、先ほどちょっと言いましたように、アメリカの大学でもそれだけでは成り立たない時代です。

だから、読みやすい形のものの中で我々がいい本と思えば、新しいものも読んでいかざるを得ない。

そういう形で修正しながら対話形式というのは非常にいいことだから、これは続けなければいけない。学生や生徒が能動的に読むという運動をしたいなと、最近ちょっと欲を出しています。

宮原先生がリーディング・アサインメントで、後藤先生が海図、チャートだと言われました。図書館がこういうセミナーを行うことの目的の一つには、図書館には本があって、図書館員がいる。図書館員の仕事は本を紹介することですから、その本の幅というものがあるんですね。

専門的なテーマの本については、モデレーターと一緒に読んで、もっと深めていくよう提案します。図書館の、図書館員の存在意義を高めたいというのが一番根底の思いです。

もちろん、中学、高校など学校だけではなくて、できればモデレーターの方をふやしていくことによって、中央図書館や横浜市立大学にとどまらず、地域の図書館やいろんな所で、「グレート=ブックス=セミナー」が広まっていくと、新刊だけじゃなくて、古典の必要性や面白さも伝わっていくんじゃないかと思っています。

篠﨑どうもありがとうございました。

梅田 誠(うめだ まこと)

1932年横浜市生れ。

後藤 英司(ごとう えいじ)

1948年東京生れ。

宮原 忍(みやはら しのぶ)

1932年東京生れ。

増田 節子(ますだ せつこ)

1958年川崎市生れ。

※「有鄰」418号本紙では1~3ページに掲載されています。

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