Web版 有鄰

417平成14年8月10日発行

中谷そらと『ゆらゆら』 – 人と作品

少年と孤独な男の交流を通じて人間に秘められた魅力を描く

中谷そら
中谷そら

舞台は横浜の繁華街

中谷そらさんの、『ゆらゆら』(碧天舎)は、横浜の繁華街を舞台に、民族的アイデンティティを喪失した台湾出身中国人少年と、小さな酒場を経営する孤独な初老の男の交流を通じて人間に秘められた魅力を描いた書下ろし作品である。

2人が出会ったのは、伊勢佐木町の盛り場。ゆらゆらしながら歩いていた少年のグループが、もう一つのグループと肩がぶつかったとかで乱闘になった。5分もした頃、一人の少年が突然手を止めて、笑った。「なあ、もうやめようよ」。〈なんの含みもない、見事に脳天へと突き抜けていくような微笑みだった〉。男はその笑顔が忘れられなくなる。

男の名は金銅。生ッ粋の横浜ッ子だが、不惑になろうという年齢で家族もなく独り暮らし。中華街の近くにルーニーズという若者向けの酒場と山下公園通りの近くにゲイツという店をもっている。いずれもショットバーだ。ある夜、ルーニーズに、伊勢佐木町で見かけた少年が飛び込んでくる。顔に殴られた痕があった。少年の名はルゥ。中華街で働く母と2人暮らしの高校1年生の台湾出身者だった。

「ルゥは何人かの少年を複合して私が創った少年です。私の娘が台湾系の学校に行っていますので、このような少年はよく見かけるんです」

店の者の噂によると、ルゥは、クスリをやっているという。これは放置できないと、金銅が問い詰めていく。「やってないよ、俺」と否定したものの、小遣い欲しさに、頼まれて運び屋をやったことを認める。

その頃、伊勢佐木町から元町、そして中華街にたむろしている高校生の間で覚醒剤が回っているという噂が広まっていた。そしてまずいことに、金銅のルーニーズの店を溜り場にしている台湾系高校生が、それに手を出しているというのだ。その背後に福建省や上海あたりのマフィアの影も。粗悪品だから安いため、高校生でも手に入るのだという。

やがて中華街で、国慶節―双十節の祝典が近づくと、ルウは他の少年少女たちと一緒に、獅子舞の練習に熱中する日が続く。クスリに手を染めたルゥの、否定的な生活とは対照的な、陽気で絢爛豪華な祭りのドラマだ。〈爆竹の音は人の体の奥に潜む何かに火をつける。否応なしに体が煽られる、まるで麻薬にでも似た、そんな爆音だ。〉

生きているだけのことが嬉しくて仕方がないといった笑顔

金銅がそんな祭りを見に校庭を訪ねるのもやはり“あの小僧”ルゥに関心があるからだ。天涯孤独というだけでなく、40歳を迎えてそろそろ自分の生き方を再検討しなければ、と思いはじめていることと無縁でない。それは作者自身の思いと重なるようだ。「私自身、40になって人生にけじめをつけなければと考えているものですから……。もういつまでも舞台の先端に立っているべきではないと思うのです。結婚して、子どもも産んでいますから、強欲な意識は捨てて、他人に譲らなければいけないのですが、そんなとき、ルゥのような少年が現れて、ワキをおさえてくれたら助かるだろうなあ、と思うのです」

だが、これは現代社会にあっては少々謙虚にすぎないだろうか。「ええ、でも次の生き方は、舞台のセンターで大きな顔をしているのではなく、(自分の場所を)掘り下げて生きようと考えているのです」

この小説は、ルゥのクスリをめぐって、さらにサスペンスフルな展開となっていく。金銅が信頼してゲイツの店をまかせていたバーテンが、店でヤクザの兄とわたり合ってアイスピックで刺し殺してしまうのだ。しかもその兄というのは、金銅と親友の仲のいい男だったが、麻薬の取り引きにからんでいた。この男の最期がいい。自分が助からないと知ってピストルを出し、弟の足に発射する。犯人である弟のために”正当防衛”を演出してやるのである。金銅はその証人となって、バーテンを弁護してやる。そこにはルゥもいた。「ルゥ、逃げろっ。早く逃げるんだっ!」

バーテンは2年6か月の実刑ですむ。4歳のときから日本で暮らしてきたルゥは台湾に帰国する。「俺、日本人になりたかったなあ。ずっと日本で暮らしていたかった。」と言いながら。金銅は返す言葉を失う。〈出会うたびに見せられた、ルゥの脳天を突き抜けるような笑顔。生きているだけ、たったそれだけのことが嬉しくて仕方がないといった、戦地に生きる子供の笑みにも似たあれだ〉。この笑顔は、しばらく読者の胸からも消えないだろう。

(藤田昌司)

ゆらゆら
中谷そら/碧天舎/1,000円+税

※「有鄰」417号本紙では5ページに掲載されています。

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