Web版 有鄰

417平成14年8月10日発行

有鄰らいぶらりい

老いてこそ人生』 石原慎太郎:著/幻冬舎:刊/1,500円+税

<人生五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生をうけ、滅せぬもののあるべきか>

信長が桶狭間の決戦の前に一差し舞ったといわれる有名な幸若「敦盛」の一節だが、著者はこれに続く、<これぞ菩薩の種ならむ、これぞ菩薩の種なる>の一行こそ大切だと指摘。宇宙の時間の総量に比べたら、人生の寿命など塵のようなものにすぎないが、その実感を踏まえて生きることこそ、人間の生き方だというのだ。

こういう視点に立って、著者は人生の老いこそ、人生の仕上げのための熟成充実した季節と主張するわけだ。全編この視点で貫かれているのだが、単なる人生論ではなく、古今東西の哲学、文学から名言を引用し、また自身の青春時代からの豊富な体験を披瀝しているので、具体的で魅力に富む。

とくに老後と病気についての考察はユニークである。健康そうに見える著者もさまざまな病をかかえているが、そうした中での、さる名医の断食療法は、人体を根源的に立ち直らせる機能の回復法として、傾聴に値しよう。死を意識することは、<限りある人生の味わいの深さが増す>ことだという説も同感だ。

てるてる坊主の照子さん
なかにし礼:著/新潮社:刊/上下:各1,600円+税

鉄砲を持つのが嫌いだったという元陸軍経理将校と、見合いで結婚したヤルキ満々の女房のカップルを中心に展開するユーモア家庭小説。

復員後、岩田春男は大阪・池田市でパン屋を始め、それなりにヒットするが、そのころの街頭テレビの人気に注目した妻の照子は、家の一部を改造してテレビ喫茶を開店、大繁盛する。子供は春子、夏子、秋子、冬子と女ばかり4人。やがてすすめられて梅田のスケート・リンクにも支店を出すが、これはあてが外れたものの、長女の春子がスケートに凝り出し、照子もその運動神経を認めて有名なコーチにつけて特訓する。

すると、次女の夏子もスケートに興味をもち、リンクで滑りはじめる。春子は天才ぶりを発揮して、やがてオリンピックに出場するまでになるが、妹の夏子は、そのかわいらしさが注目されて梅田コマにスカウトされ、やがて、映画、テレビ、歌謡界のスターになっていく。そして、「ブルーライト・ヨコハマ」が大ヒット……。

と、ここまで書けばおわかりだろう。夏子は、石田あゆみ、春子は、その姉でフィギュアのチャンピオン石田治子。その末妹の冬子は作者の妻で、本作品は、その一家の実像を描いたモデル小説だ。

父・金子光晴伝』 森 乾:著/書肆山田:刊/2,800円+税

著者は詩人金子光晴、作家森美千代の一子。本書は書下ろし評伝「夜の果てへの旅」をはじめとするエッセーを集大成している。変人奇人とみられ、謎に包まれた巨大な存在感をもつ金子光晴についてこれほど充実した評伝は空前にして絶後であろう。

金子光晴は、明治28年愛知県津島市の素封家の一族に三男として生まれたが、父は山師で転々とし、生後2年で家を出された。奇跡の生還を遂げた横井庄一も、血縁だという。

学生時代から詩を書き、大学も卒業しないで、赤貧に甘んじた。美貌で、新進の詩人(後に小説家)の森美千代と出会い、結婚するが、生活は変わらず、そんなことから森美千代が評論家土方定一と深い仲になり、それを断ち切るため2人でパリへ放浪の旅へ出たことは有名だ。

著者は金子光晴について、父に対する敬愛の情はもちながらも、一定の距離をおいて冷厳も見つめいている。父のことはパンツのしみまで知悉しているというだけに、とくに、終生女にだらしなかった点など、よくぞここまでと思えるほど立ち入っている。

もちろんそうしたことも含めて、詩人としての金子光晴の人間像を余すところなく描いていて感動させられる。その周辺の人間も秘話を交えて明らかにし、一つの詩壇史の趣も。著者が完成をまたずに他界したのが惜しまれてならない。

町なかの花ごよみ 鳥ごよみ』 菅野 徹:著/草思社:刊/1,800円+税

手にとって、まず、巻頭のグラビアページの美しさに息を飲む。あかず眺めたくなる草花、神秘的な昆虫、幻想世界のような鳥の営み……。しかもそれらが、遠い秘境からの使者ではなく、ほとんどが著者の住む横浜の近くの雑木林でとらえたものだというから驚かされる。

著者は、住まいの近くの港区篠原町会下谷の雑木林で1981年12月12日からまる914日間、1日も休まずに、観察、記録したという。本書は、そうした体験から知りえた生物のごく一部、“消費税程度”を登場させたにすぎないというが、これほど自然の魅力、不思議さを告げてくれる本は珍しい。

たとえば「幻の名歌手」という項がある。春の雑木林でピョイピリリー、ピョイピーチュイ……と澄んだ声で鳴く鳥だ。5年がかりでその声の主がシロハラだったことを確かめる。残念なことにその林は開発され、シロハラは間もなく現われなくなった。だが、著者は近くの神社の林で、その幻の声の録音に成功する。

夏の原っぱなどで見かけるというカバキコマチグモの生態にも感動させられる。この母グモは、子グモに自身の体液を汲みとらせ死骸となるのだ。クモの身で“捨身飼児”。声高に自然保護を訴えるのとは違った、圧倒的な説得性をもっている。

※「有鄰」417号本紙では5ページに掲載されています。

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