Web版 有鄰

532平成26年5月10日発行

アート・イン・ホスピタル – 1面

山本容子

父の死をきっかけにアーティストの目で病院に関心をもつ

病院という公共の場所を、多くの人が見直すきっかけになるといい。そのような意図から、『Art in Hospital スウェーデンを旅して』(講談社)という本を昨年9月に出版しました。「アート・イン・ホスピタル(=病院の中のアート)」の本場、スウェーデンを取材して知ったさまざまな実例と、2005年と2013年に、国内の2つの病院で天井画と壁画を描いた制作プロセスなどを1冊にまとめました。取材旅行はNHKの「旅のチカラ」という番組になって大きな反響がありました。さらに本の出版から半年が経ち、アート・ イン・ ホスピタルに関心を持つ方は確実に増えているようです。


『Art in Hospital』
講談社:刊

私がアート・イン・ホスピタルに関心を持ったのは約20年前、父の死がきっかけでした。平成3年(1991)、病院での長い闘病生活の末に父は亡くなり、看取った後、私はつい先ほどまで父が横たわっていたベッドの上に寝転んでみました。見あげて目にしたのは、ぶつぶつの穴が空いた、機能的なパネルが貼られた天井でした。ああ、このような天井を見ながら父は死んだのか、もっと違う風景もあっただろうに…と思ったとたん、悔しさややりきれなさを覚えて、涙があふれました。アーティストは、自分が創作したい絵を描くだけでなく、人の日常に彩りを添え、苦しみを和らげる場面でも力を発揮しなくてはいけない。私はそのとき初めて、アーティストの目で病院という空間を見たのです。

以来、アート・イン・ホスピタルへの関心を深めていった私は、医療関係者に会うたびに、「機会があれば、病院で天井画を制作させてください」と話しました。ようやく実現したのは、2005年。中部ろうさい病院(名古屋市)の全面改修を期に、堀田饒先生が天井画を描く機会をくださり、特別室2部屋の天井に絵を描きました。さらに2013年3月、和歌山県立医科大学附属病院の総合周産期母子医療センターで、廊下の壁に2つの壁画を描きました。樋口隆造・副センター長(当時)からメールを頂いてすぐに病院に行くと、そこは大勢が忙しく行き来し、授乳する母親もいれば、不安で泣いている女性もいる、混沌としたエリアでした。そこで、ぶつかったり、汚れたりしてもふき取れる、タフな壁画にする工夫をしました。病院の中のアートというと、壁に架けられた絵を想像する方が多いと思います。絵を飾ることを否定はしませんが、私が考えるホスピタル・アートは装飾ではなく、病院にふさわしい環境を整えるためのもの。病院という空間の中にあるべくしてあり、そこにいる人たちの心を温かくし、「治る力」を引きだすものです。絵の保護のためにガラスをかぶせたら、温かみが喪われてまう。時代とともに病院は変わっていきますから、空間にそぐわない状況になったら、むしろ消してしまえる絵でいいのです。

2011年に訪ねたスウェーデンは、「公共の建物は、建築費の1%をアートに使うべし」という法令がある国です。法令に基づいて70年代に建てられたフッディンゲ病院(ストックホルム県)は、約2000床の大病院で、約7000点ものアートを所蔵しています。病院そのものが芸術的で、消化器内科や外科など各科ごとに大胆な色分けがされ、それぞれ使われているアートが違います。集中治療室の入り口付近には、天井に光ファイバーがアレンジされたスペースがありました。私が見学しているとき、集中治療室から出てきたドクターが、キラキラした天井をしばらくじっと見つめ、また室内に戻っていきました。

スウェーデンの小児病院の心を癒す空間づくり

病院は、痛みや不安、死が傍らにあるシリアスな場所です。患者さんも医療従事者も、家族も緊張を強いられますから、どのような人がどのように病院に滞在しているのかをよく考えて空間づくりをしたほうがよいと思います。取材を通して知った日本とスウェーデンの違いは、病院の空間づくりについて、かかわる人たちの間でよく討議され、コンセンサスをとった上でホスピタル・アートを導入しているところだと思いました。日本の病院では、趣味で描いた絵が架けられていたり、地域の子供たち“みんな”で病院の壁に絵を描いたりしています。小児病棟では子ども向けアニメのキャラクターや、千羽鶴や造花が飾られたりしている。よかれと思ってのことなのでしょうが、それらが本当に患者さんや、そこで仕事をする人たちの心を癒す力を発揮しているかどうか。善意のお仕着せ、業者にお任せ、ではなくて、かかわる人たちそれぞれのプロフェッショナルな力を持ち寄って、病院という空間をよりよくしていったほうがよいのではないかと思います。


スウェーデンのアストリット・リンドグレン小児病院の図書館
森を模した空間で司書が子どもたちの相談に応じる

スウェーデンの小児病院で、児童文学作家のリンドグレンが晩年に設立したアストリット・リンドグレン小児病院(ストックホルム県)の空間づくりには驚かされました。廊下に描かれた絵は、ドアの継ぎ目や壁のでこぼこなどお構いなしにずっと連続していて、そこを歩くことが楽しく感じられる配慮がなされています。病室に飾る絵を自分で選べる貸し出しギャラリー(アートテイク)や、図書館もありました。私が訪ねたとき、入院中の男の子がひとり、図書館の椅子に座り、本を読んでいました。なぜ、図書館やギャラリーが設けられているかというと、そこにある本や絵が、外の世界とのつながりを感じさせるからなんですね。院内に置かれた帆船の模型は、ストックホルムの「ヴァーサ号博物館」に所蔵されている、世界で唯一現存する17世紀の帆船のミニチュア版です。病気で博物館に行けなくなってしまった子どものために、ミニ・ヴァーサ号を病院に持ってきた。病院と博物館との間で連携がとれていて、子供の気持ちを理解してこそできることです。

このようにアート・イン・ホスピタルについて学んできた私は、ひとつでも多くの事例を積み重ね、いろいろな話し合いの場に参加していくつもりです。これからの病院づくりの大切さに気がついてほしいし、私も知らないことがあったら気がつきたい。これまでの経験から、アート・イン・ホスピタルにおいては、まず、現場を知ることがとても大事だと言えます。クリエイトする側の人間は、必ず現場に行って取材をし、その場に求められるものを提供する心構えから始めなくてはいけない。アーティストとしての力量が大いに試される場です。たとえば絵を見る、本を読む、音楽を聴くと、触れた人の心が動く。芸術には共通して、「生きていてよかった」と思わせる作用がある。それを芸術の力、ハート(心)と呼ぶならば、そのハートを病院という空間で生かしていくのです。たとえ死が近づいていたとして、それでも前向きに生きられるかどうかは、その人のハートにかかわる。患者さんの心を癒し、「治る力」を引きだすための空間づくりが求められます。そう考えるとやはり、真剣に考えられた、専門的な力であるべきだと思います。

強烈な個性やスタイルより、みんなに愛され求められるものを

そして、病院にふさわしいアートとは何かと考えると、アノニマス(匿名性)であること。アーティストは唯我独尊で、人を不快にさせてもアートだという哲学もありますが、病院という空間にはそのようなアートは不向きです。強烈な個性やスタイルは、ホスピタル・アートにおいては後回し。むしろ聞き流せるような、バック・グラウンド・ミュージック(BGM)でいい。聞き入ることもできるが、聞き流すこともできる。何もなく殺風景で、機能一点張りであるよりは、はるかに人間味があるもの。私の場合、たまたま自分の作風が“ファニーでありながら鎮静効果のある絵”と言われるものでしたから、ホスピタル・アートの事例づくりに自分で取り組むことができました。

今後、高齢化社会がさらに進むと、病院という空間は、多くの人にとって日常的な場所になってきます。だから、みんなで意見を述べ合い、少しずつ病院をよくしていかなくてはならないと思う。よく話し合い、自分たちで病院を育てていく過程が大事だと思います。「予算がない」なら、壁紙ひとつ、すわり心地のよいソファひとつから、空間全体の方向性を考えながら、やれるところからやっていくといいと思います。

本の出版後、アート・イン・ホスピタルに対して、高齢の方よりも、若い人たちからの反響が大きいのは興味深いところです。日本人の場合、医療が「施されるもの」だったからでしょうか。病気を治してもらえればいいと、殺風景でも我慢をして過ごす場所だった。しかし、患者さんだけでなく医療従事者にとっても、へんな我慢をせず、より前向きに過ごせる空間になっていくほうがいい。若い人たちの間では、もっと変わってほしいと願う意識変革がすでにあるのでしょう。

高級ホテルのスウィートルームのような病室も登場しています。たしかに豪華で過ごしやすいのでしょうが、一般の人は入れません。私は、公共の病院全体が、より過ごしやすい場所になってほしいと思います。日本人の大多数が、病院で死を迎えている今、なるべく多くの人が、この問題を考えていくべきタイミングなのではないでしょうか。

(インタビューをまとめたものです。聞き手・文責/青木千恵)

山本さん・写真
山本容子 (やまもと ようこ)

1952年埼玉県生まれ。銅版画家。
著書『山本容子のアルファベットソングスラブレター』集英社 1,500円+税、『山本容子版画集 PRINTS 1974‐2009』阿部出版 6,000円+税。ほかに装丁・挿画作品など多数。

『書名』や表紙画像は、日本出版販売 ( 株 ) の運営する「Honya Club.com」にリンクしております。
「Honya Club 有隣堂」での会員登録等につきましては、当社ではなく日本出版販売 ( 株 ) が管理しております。
ご利用の際は、Honya Club.com の【利用規約】や【ご利用ガイド】( ともに外部リンク・新しいウインドウで表示 ) を必ずご一読ください。
  • ※ 無断転用を禁じます。
  • ※ 画像の無断転用を禁じます。 画像の著作権は所蔵者・提供者あるいは撮影者にあります。
ページの先頭に戻る

Copyright © Yurindo All rights reserved.