Web版 有鄰

553平成29年11月10日発行

藤野千夜と『編集ども集まれ!』 – 人と作品

芥川賞作家が編集者としての日々を22年ぶりに振り返った自伝的小説

藤野千夜さん
藤野千夜

漫画への愛と自我の悩み

中、高、大学の10年間、漫画サークルに属していた小笹一夫が、青雲社の漫画編集部で働き始めたのは1985年のことだった――。漫画をこよなく愛する著者による、自伝的長編小説である。

「高校時代の漫研合宿の話を連載していたら、双葉社の編集者から『出版社の話を書きませんか』と提案されたのが端緒でした。高校時代は遠くなって、ようやく書くことができましたが、出版社に勤めていた頃のことは二十数年経ってなお生々しく、難しい気がして迷いました。昔通勤した街を訪ねて連載1回目を書き、探り探り進めていきました」

2015年4月、作家の笹子は、東京神田J保町を訪れた。昔勤めていた出版社がある街で、解雇されて以来22年間、足を踏み入れずにいたのだ。なつかしいカレー店や漫画専門店をみて、過去を思い出していく。

「高校時代を描いた『D菩薩峠漫研夏合宿』のように、過去に入り込んで一人称で語る手法を考えましたが、出版社時代は高校時代ほど相対化できていませんでした。一人称ではつらくなってしまうので、記憶や漫画と繋がる場所を歩きながら、過去を綴るかたちにしました」

1985年、漫画編集部の契約社員として働き始めた小笹がまず任されたのは、午前中の電話番だった。代理の原稿取り、写植貼りなど次々と仕事を振られ、すごい、と興奮しながら取り組んでいく。配属された週刊漫画誌で梶原一騎・引退記念作品の連載が始まり、アート色の強い季刊誌ではつげ義春、やまだ紫ら錚々たる漫画家の新作が掲載されていた時代だった。

「漫画が好きだったんだなと、楽しかったことがたくさん思い出され、膨らんできた記憶や気持ちを描いていきました。文章で引き出していくと感情は高ぶるし、いいこともいやなことも思い出して檻に繋いでいた怪物をだしたなという感じでした(笑)。感情を生々しく書く手法もあるのですが、私はそれが苦手で、一定の距離をおいて事実としてどう描くかを普段から考えているので、今回の書き方になりました」

幼い頃から性別に違和感を覚えていた小笹は、入社して数年経った頃から外見を“笹子”へと変えていく。1993年春、スカートで出社して問題視され、同年11月に解雇されてしまう。そして……。小説が締めくくられる、ラストが秀逸だ。

「そろそろ連載が終わるという頃、出版社時代からの昔なじみと一緒に、亡くなった友人が働いていたバーを訪ねたんです。そこでドラマのような出来すぎな光景を目にし、ラストに描き込みました」

漫画の魅力にあらためて注目してほしい

1962年、福岡県生まれ。千葉大学教育学部卒。1995年「午後の時間割」で第14回海燕新人文学賞、1998年『おしゃべり怪談』で第20回野間文芸新人賞、2000年『夏の約束』で第122回芥川賞を受賞。ほかの著書に『ルート225』『時穴みみか』などがある。

「幼い頃から漫画が好きで、描くよりも読む側でマスコミを志望しました。解雇されて本を買うお金がなく『ポッピズム』『ガープの世界』などの蔵書を繰り返し読み、新人賞を目指して小説を書き始めました。想像以上に鬱々とする作業で、短編をひとつ書くたびに疲れ果てていました。芥川賞を受賞した頃から少し前向きに転じ、これから先も書いていきたいと思うようになりました」

作家になって20年以上が経ち、出版界は変化している。個性的な人々が集い、熱気があふれていた80、90年代の漫画業界を、本書で生き生きと描きだした。

「自分たちが楽しんだ昭和の漫画が遠くなっていく感覚があります。漫画の魅力に改めて注目してもらいたい気持ちが膨らみ、出版社時代を語り始めたら楽しくなりました。自分のことを書くつもりなのに周りの人のことばかり書いていて、だったらいちばん特徴的な人を主人公にして起承転結のある小説を書いてみたらどうかなんですけど、そうは考えないんです。狭くて平坦なところを描き取り、小説としてどう楽しんでもらえるようにするか考える。今回も、連載時は“出版残酷物語”というサブタイトルをつけて残酷な話をたっぷり書こうと思いましたが、そうはなりませんでした。今回の作品で大きなものをひとつ書き切った気持ちがあります。今は次に書くものをリストアップしているところです」

(青木千恵)

編集ども集まれ!・表紙

編集ども集まれ!
藤野千夜/双葉社/1,700円+税

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