Web版 有鄰

501平成21年8月10日発行

有鄰らいぶらりい

阿修羅のごとく
向田邦子:著/岩波現代文庫:刊/1,100円+税

「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」と言ったのは故・山本夏彦だが、氏は一方「芸術家もまた生きているうちが花なのである」とも書いている。

1981年(昭和56年)に亡くなった、その向田の小説と随筆を収録した全集(新版)が文藝春秋から出され、岩波では残るシナリオ(脚本)集全6冊を出している。

没後30年近い出版が珍しい上に、シナリオの刊行自体が異例である。『阿修羅のごとく』はその第2集だが、その「巻頭エッセイ」(「放送作家ニュース1979年2月)で向田自身が書いている。

「ごくたまに、タレントと呼ばれる若い人と世間ばなしをすることがある。
デビュウ作品を伺うと、十人が十人、はっきり覚えていて、すぐに題名を教えて下さる。ところが、
「脚本はどなた?」
と聞くと、十人のうち九人が、「え?」
と素頓狂な声を立てる。
「台本を書いた人の名前」
追い討ちをかけると、座頭市のような白目を出して考えこんでしまう」

「阿修羅—」の初放映(NHK総合)は、1979年1月13日土曜日の午後8時。毎土曜日に3話、翌80年に4話を放送している。四姉妹を中心に、その父、夫、不倫の恋人などを、嫉妬心や猜疑心が強いとされるインドの鬼神、阿修羅にたとえて描いた作品。

鬼の跫音』 道尾秀介:著/角川書店:刊/1,400円+税

第140回の『カラスの親指』につづき、第141回(2009年上期)直木賞候補になった著者初の短編集。

分類すれば、推理小説の中の、いわゆるホラー(恐怖)小説にあたるのだろうが、読者の意表を衝くどんでん返しの手法が際立っている。

冒頭の「鈴虫」は、大雨による崖崩れのため11年前に埋めた死体が発見される話。

風雅と思われている鈴虫の音による恐怖を重ねており、冒頭に置かれているためか、とくに意外な結末に驚かされる。一見、ミステリーのルール違反かと思えるほどの意外性だが、読み返してみると、周到に計算して描かれていることが分かる。

次の「ケモノ」は、ひっくり返して壊した椅子の脚の断面に彫られた文字を見つけるところから始まる話。「僕」が鴉に狙われていると思ったモンシロチョウを遠くへやろうとしたら、逆に頬にぶつかり、驚いてたたらを踏んで椅子にぶつかったのだ。

椅子は刑務所で自殺した一家殺しの受刑者が作ったものだった。「僕」は残された文字の謎を解くため、殺人事件の現地へ出かける。事故で両脚を切断して職を失い、子連れで路頭に迷っていた男のもとへ、名家の一人娘が嫁ぐという設定に無理があるが、やはり意想外の展開と、思い切ったどんでん返しがある。

他4編、直木賞はともかく一定のレベルに達した作品群である。

櫻川イワンの恋』 三田 完:著/文藝春秋:刊/1,600円+税

9784163282206

『櫻川イワンの恋』
文藝春秋:刊

昨年の直木賞候補作『俳風三麗花』で注目された著者の5作品を収めた短編集。

表題作は、戦前の浅草で活躍したロシア人幇間(太鼓持ち)の物語で、2000年のオール讀物新人賞受賞作。

テレビディレクターの経歴がある著者らしく、芸能界や花柳界に材をとった話が多いが、驚かされるのは「赤城の子守唄」「国境の町」で、今も知られる歌手、東海林太郎が、旧満州の鉄嶺で図書館長をしているときの甘粕正彦との出会いと交流である。

甘粕は元憲兵大尉、無政府主義者の大杉栄と愛人の伊藤野枝、甥の少年などを殺害したとされる、いわゆる“甘粕事件”で有名な人物。東海林が図書館でシューベルトのレコードコンサートを催したとき、中国(当時、支那)人の少年に乱暴していた日本の青年を、力で制止したのが甘粕だった。東海林は甘粕の実像との違いにとまどう……。

「ひょうたん池」は益田喜頓、坊屋三郎などを率いた「あきれたぼういず」で一世を風靡した川田義雄(のち晴久)と交情のあった浅草芸者の心意気を描く。ほかにも戦前、満鉄総裁や外相、内相、東京市長などを務めた大物政治家、後藤新平、日本初の女性アナウンサーなどが登場、事実とフィクションが絡み合って興味深い。

山本周五郎最後の日
大河原英與:著/マルジュ社:刊/1,800円+税

山本周五郎こと本名・清水三十六の晩年まで担当した編集者(文藝春秋)の記録だが、ただの回顧記ではない。

小学校を出るとすぐ遠縁の質店・山本周五郎商店に徒弟(でっち・小僧)として住み込んだ少年時代。後に筆名にするほど傾倒した店主に可愛がられ、仕事の合間に正則英語学校などに通わせてもらい、その才能を開花していく。大正8年、16歳で当時の日刊紙「万朝報」の懸賞小説に「南桑川村」が佳作に入選、懸賞小説や戯曲、少年少女小説を書いていた修行時代。

大正14年「須磨寺付近」が『文藝春秋』に掲載され作家としての一歩を踏み出してからの、作品と生活を重ねて描いた評伝ともなっている。このとき封筒にあった「木挽町・山本周五郎方、清水三十六」が事務処理の誤りで「筆名・山本周五郎」と発表されたのも、周五郎を名乗る直接のきっかけとなったらしい。

加えて著者と周五郎はクラシック音楽好きで共通していたという。直木賞をはじめすべての賞を辞退したり、作品をけなしたある社の編集長と、それなら原稿料は要らぬ、もって帰れ、と言い合いの末、札束を燃やしてしまったような、あだ名“曲軒”との交遊にも音楽が大きな仲立ちをしていたようだ。

絶命2日前の様子など、著者でしか書けないエピソードだろう。

(K・K)

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