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有鄰


平成12年1月1日  第386号  P3

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 ことばと文化 (1) (2) (3)
P4 ○石坂文学再評価への期待  長部日出雄
P5 ○人と作品  湖島克弘と『阿片試食官』        藤田昌司

 座談会

ことばと文化 (3)


  ですから、ヨーロッパに光と影があるとすると、日本はヨーロッパの光の面だけ勉強して、影を学ばなくてよかった。結局、暗いところやお世辞にもほめられないところを学ばないというのが、日本文明の遣隋使、遣唐使からの伝統です。これを私は蜃気楼効果というふうに言っているんです。でも日本が大国として欧米と対等に競争する現在、ヨーロッパがどんな悪いことをしたか、改めて学び直さなきゃいけない。

例えば西暦一九○○年に全世界で白人国の植民地や保護領でないのは、たった六つです。独立国は日本と李氏朝鮮(朝鮮併合は一九一○年)。それからシャム(現在のタイ)、アフガニスタン、オスマン・トルコ。そしてアフリカ大陸でたった一つエチオピア。

それ以外は南米、中米、北米、ユーラシア、アフリカ、オーストラリア、すべて支配者の人種は全部(白人)コーカソイド。言語はインド=ヨーロッパ語。

スペイン語、ポルトガル語、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語は言語としては一つの親戚です。宗教は全部キリスト教。風俗習慣は一応ナイフ、フォークで肉を食べ、洋服を着ている。

その四つの共通性を持つ欧米人がウエスタナイゼーション・オブ・ザ・ワールド、つまり全世界の支配を完了する寸前だった。あと少しで終わり、というときに日本が明治維新で立ち上がった。それ以来長い戦いがあり、最後にアフリカの植民地が全部独立した。アジアからも、マカオの中国返還を最後に西欧はすべて出ていった。

だから五百年前の大航海時代から西欧が次々と征服し、植民地にした世界史を逆転させるのに、近代日本がおおいに貢献したわけです。


国際時代とは人間はいかに残酷かを知ること

鈴木 日米開戦の際のパール・ハーバーもそうです。アメリカ人が反戦・非戦で、イギリスなんか構わない。俺たちはモンロー主義でアメリカだけでやろうとジャズに浮かれているときに、ルーズベルトが、これを火の玉にするためには卑劣なる日本がサプライズ・アタックを仕掛けたというふうに追い込まなきゃだめだと。

だから、一番大事な航空母艦は全部出航させて、後で修復可能な、戦艦アリゾナとかを浅い所に残したんです。アメリカは日本の暗号は全部解読しています。

結局は、西部劇と同じで、「相手が撃ったから、俺は早わざで」と西部劇の伝統でやられた。だから、そういうことを知らないと、英語で交流するといっても、アイ・アム・ソーリーとかをやる必要はないんです。

徳岡
徳岡孝夫氏
徳岡孝夫氏
私が三島由紀夫さんとバンコクで話したときに、三島さんが言うには、外国に行くときは、口の近くの袋に「ノー」ということばを入れておくんだ。とにかく自分がハッと思ったら、「ノー」とまず言う。でも日本に帰ったら、先に「イエス」と言っても、「あれはちょっと都合が悪いから、ノーにしてくれ」と取り消せる。外国ではそれは通じないから、まず、「ノー」と言うと。

鈴木 日本人の英語は、ハウエバーというところまでは枕詞だと思って、通訳も聞かないでいいと。つまり、賛成ですと言っても、バットとかハウエバーと言ったら、そこからが日本の本音だと。日本人は最初はとにかくやんわりと受ける。ところがアメリカ人は、私もアメリカ人の家庭に呼ばれたりしますが、意見が対立すると、呼んだ夫婦がお客の前で顔色が変わるほどのけんかを始める。

 

  外国に対するベクトルがマイナスの日本

鈴木 ヨーロッパでは国のレベルで何百年と対立し、戦争してきた。フランスとドイツなどは毎年、戦争をしていた。私の友だちが言っていましたが、かつては、夏休みにバカンスで二か月フランスを出るとき、留守中に戦争が起きたら家族がどこで落ち合うか決めたそうです。例えば、第一次落ち合い場所はリスボン、第二次はオーストラリアのメルボルンとか。第二次大戦以後、その習慣は忘れていたと言ってましたが。

徳岡 ユダヤ人は、町の名前とか、通りの名前が変わり始めたら気をつけろ、逃げる支度をしろと。ケーニヒスベルクがカリーニングラードに変わったりね。

鈴木 レニングラードとペテルブルクもそうですしね。

徳岡 何とか通りだった道が「八月十三日革命通り」とかになったら、もう危ない。引っ越したほうがいい。

鈴木 ですから、私はモスクワのアカデミーにいたときに、もう平和な国家になったというのなら、ウラジオストックという名前を変えなさいと。日本と仲良くしようというときに、日本を征服しろということを意味する名前は良くないと。「ウラジ」は「征服しろ」、「ウォストーク」は「東」という意味なんです。そんな危険な名前を持っていながらニコニコして貿易なんかしている。

だから、日本人は、国際時代だから友好だなどと言いますが、国際時代ということは人間というのはここまで落ちるか、ここまで残酷か、ここまでひどいかということを知ることなんです。今まで国際化しなかったということは、本当に深窓の乙女みたいな、もうみんな、いい人というような……。

「おまえを食うぞ」と言うのがユーラシアで、「食べてくれ」と言うのが日本です。ですから日本は外国に対するベクトルが負なんです。ほかの、たとえば中国やアメリカはすべてプラスのベクトルでお互いに何だ何だとせめぎ合うけど、日本だけがマイナスのベクトルになっている。

それは離れていたからよかったんです。今一緒になると、日本はプラスの国に変わるか、さもなければ小国になって、嵐が頭の上で吹いても、自分は関係ありませんとなるか、どっちかじゃないと生き残れない。世界第二位の経済超大国が「すみません、失礼しました。足を踏んだんじゃないでしょうか」みたいなことを世界中に言っているとね。

徳岡 「ノー」と言わないで、「そうですね」と言っているんじゃだめですね。

それで自分の国の歴史、言語に対して、これほど悪いものはないと思っている。それは英語で取材したらわかりますよ。日本の取材みたいなことをやっていたら、何の情報もとれない。

 

  ヨーロッパは性悪説日本は性善説でできている社会

鈴木 だからフランスなんか人が悪いですよ。私の友だちがよく言うんですが、フランスの肉屋では、動物が赤裸でぶら下がっている。ウサギだけは法律があって、手だけは毛を残すと。どうしてか。これを全部とるとネコと区別ができないからだそうです。

ということは羊頭狗肉どころか、ネコをウサギだと言って売る人間がいる。人というのは黙っていると悪魔になるんだということで、性悪説で社会ができている。日本は性善説でできている。また、性善説のほうが今までは効率がよかったけれど、最近は性悪説にしないとまずいんじゃないかと思うぐらい、まさかということがありますね。

徳岡 日本に帰ったら、ガードを下ろし、風の当たらない温室でぬくぬくと生きていけますが、外国ではそうはいかない。ということを幾ら言っても日本人には、ちょっと信じがたいんでしょうね。

鈴木 外国は、本当にひどい。それは彼らの責任じゃなく、そうでなければ生きていかれないという過酷な歴史と風土条件があったからです。

徳岡 パックツアーで行くと、外を見ないで、皆、内側に注目がいって、「誰々さんがどこでパスポートをなくしたときは、大変だったわね」という話になる。だから、一人で外国に行かないとわからない。でも若い女性なんか、一人で行ってとんでもないことになることがある。

日本に帰ってきて、終電に近い電車の座席でぐっすり寝ている若い女の子がいるのでびっくりする。向こうだったら絶対無事で帰れない。

鈴木 ヨーロッパやアメリカは、女性が夜一人で歩いていたら、それはもう「私は売りものよ」ということです。エレベーターの中だって、男性が一人で、女性がいたら、男性は遠慮して出るんです。

徳岡 エレベーターの中でべつに意味なく男性ににっこりするのは日本女性だけ。


二十一世紀に向かって英語ではない英語「イングリック」のすすめ

篠崎 二十一世紀に向かって、国際理解のために日本人はどういうふうに対処していったらいいんでしょうか。

鈴木 いろんな方が今、英語が必要だと議論されていますが、誤解しているところがある。外国語は、外国の文化の裏づけと一緒に学ぶということは正しいんです。一般論はその通りですが、英語に関しては、世界人類の歴史で、初めて特定の文化とは関係なくなった言語という面を意識しなければいけない。

つまり、イギリス・アメリカの文化・歴史にくっついている英語と、今、日本人が議論したり、交渉するための英語は実は違うんです。

徳岡 英語なんて学んでも何の意味もない。

鈴木 ところが、朝鮮とかエジプトとか、アラビア、ベトナム、タイとか、今、学ぶものはたくさんあるので、英語だけに集中できない。英語は普通の言語でありながら、人工国際語としての半面を持ってしまって、日本人が英語が必要だという場合にはそれだけなんです。つまり、大英帝国の人からほめられるような発音、キングスイングリッシュとか、クィーンズイングリッシュ、またはアメリカ人の日常のジョークがすんなりわかるようなアメリカ英語をやる必要はない。

だから英語という言語を二つに分けましょうと。私はイングリッシュとイングリックと言っていますが、イングリッシュは、イギリス人・アメリカ人の私有財産で、日本語が日本人の私有財産であるように大事です。外国人が習うなら、ちゃんときれいな日本語をやってくださいというような日本語。これはドイツ人にとってはドイツ語、フランス人にとってはフランス語。

イングリックということばを、私は二十五年ぐらい前から言っている。イングリッシュ・ライク・ランゲージ、英語を原料にして大いに英語から借りる。だから英米人にもよくわかる。しかし九○%が英語を使っても、「これは違う言語だ」と言ったら、もうそれでおしまいなんです。だから、「私の使う言語は英語じゃないですよ」ということでイギリス人やアメリカ人が文句を言うのを、理論的にシャットアウトできる。文法が違う。それは違うだろう。だって違う言語なんだからと、こう言えば、向こうはぎゃふんとなる。

こっちが英語だと思うと、イギリス人、アメリカ人に一生頭が上がらない。日本の英文科の先生がイギリスに行くと、幼稚園の子供がうまい表現を使うのを聞いて「やっぱり……」とがっかりする。

 

  日本語で世界を管理するという発想が欠如

鈴木 もう一つは、日本人全部が英語ができなくちゃいけないというのは飛躍であって、ジャーナリストとか大学の先生、政治家、外交官、企業の人々。そういう、外国人と接触する人は、今の五倍も十倍もできてほしい。だけど普通の人は別に必要ない。日本人の政治家は英語やフランス語で、クリントンやシラクをひっくり 返させるような面白いジョークをとばすことなどは不得手ですね。

徳岡 問題にならないような、えげつないことを言う術がないんです。例えば「おまえのかあさんでべそ」とか言ったら、ちゃんと向こうに突き刺さる。

鈴木 それは、私の専門に関係があるんだけど、ユーラシア大陸は中国語、朝鮮語、トルコ語、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、全部そうなんですが、けんかするときの「ののしりことば」は相手の母親か、妹か娘か、女性親族の性的ふしだらさをののしることが最高なんです。日本の英語教育で一番欠けているのは、けんかをしたときに相手をどうやってへこますかということなんです。

もう一つは、観光で来る外国人に日本語をやってこいというのは無理ですが、日本で仕事をする、例えば外国人記者が日本語ができないというのは…。だから私は、初めて会う外国人には、まず日本語で話す。それから「日本語がおできにならないんですね」と、ドイツ語とか英語で言うと、向こうは小さくなる。

日本語を、知的公用語として世界に広めようというときに困るのは、オーストラリアやアメリカで日本語を習ってきても、それを日本で使うチャンスがないと言うんです。白人に対しては、みんな、電車の中でもどこでも、日本人は英語で話してくる。自分は日本語を使いたいのにと。

しかも、日本人にとっての外国人とはアメリカ人なんです。だけど朝鮮人もインド人も外国人でしょう。しかし外務省までがそうなんです。キルギスで、この間、日本のJICAの人たちが人質になったけれど、会話は全部ロシア語で、日本にはロシア語のできる外交官が非常に少なくて対応が混乱したんです。

日本ではロシア語をやってほしい人、朝鮮語をやってほしい人がやらない。みんなが英語に一極集中する。日本は大国になったんだから、国連の公用語とかで日本語の国際普及をしなければいけないのに、国連に日本語を入れる努力を日本はしていない。

結局、日本人は自分の国の言語で世界を管理するという発想が欠如しているんです。英語を習うほかないと。だけどローマ以来、世界管理はすべて自分の国の言語でやるのが大国なんです。人の国の言語を習って、世界の管理などができるはずがないんです。

 

  日本の国際化が困難なのは言語と発想の切替えが必要だから

徳岡 私はロッキード事件の取材で、ロサンゼルスからテレックスで原稿を送ったんです。日本語の『毎日新聞』に原稿を送り、それから『英文毎日』に送ったんですが、一日のうちに両方送れなかった。日本語を送って、一晩寝ないと英語が出てこない。と同時に、英語で書くのと、日本語で書くのとでは、取材するときの質問からして違わないといけないと分かった。

鈴木 そうなんです。パーソナリティーが二重人格になる。それが日本の国際化の一番難しいところで、アメリカ人は、言語も宗教も価値観も自分の生地のまま、全世界に平気で行くでしょう。日本人はまず言語を切り替えないといけない。しかも発想から全部です。ですから、万人に英語教育で国際化なんて望めないんですよ。

徳岡 小学校では絶対教えるべきではないですね。

鈴木 日本国民全部が国際化する道が、ないわけではない。それはジャパナイゼーション・オブ・ザ・ワールドを本気でやるならです。世界を日本のようにする。つまり、日本人が日本語で、世界中平気で「俺は俺だ」で いけるような世界にして、何で悪いのと。私はそう言い続けているんです。だって向こうは、全世界をアメリカのようにしようというアメリカナイゼーションですから。

徳岡 英語を教えるんだったら、その前にまず『平家物語』とか『徒然草』をしっかり教えろと言いたい。

鈴木 結局、日本のことを英語で言うときに、英語は変わらざるを得ないということを、日本の英語の先生は認めないんです。

篠崎 どうもありがとうございました。




 
すずき たかお
一九二六年東京生れ。
著書『日本人はなぜ英語ができないか』岩波新書693円(5%税込) ほか多数。
 
とくおか たかお
一九三〇年大阪生れ。
著書『きみは、どこへ行くのか』新潮社1,680円(5%税込) ほか多数。
 




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