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有鄰


平成14年1月1日  第410号  P3

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 城山三郎と戦争文学 (1) (2) (3)
P4 ○アトムの向こうを考えよう  瀬名秀明
P5 ○人と作品  西村京太郎と『焦げた密室』        藤田昌司

 座談会

日本サッカー界の雄・古河電工 (3)



特攻を志願するか否か−『一歩の距離』

藤田
『一歩の距離』
『一歩の距離』
角川文庫
『硫黄島に死す』
『硫黄島に死す』
新潮社
そういう体験を踏まえて、最初にお書きになられたのが『大義の末』で、その後に、『一歩の距離』を書かれております。これには「小説予科練」というサブタイトルがついています。
『一歩の距離』というのは、簡単に解説しますと、「全員眼を閉じよ。よく考えた上で、志願する者は一歩前へ出るように」と司令が言う。 そうすると、自分の前後左右から、一歩前に出る足音が聞こえる。ところが、主人公はついに一歩前に出ることができなかった。その思いが心の重荷になり、その重荷を抱えたまま、日常生活を過ごしていくということが書かれているわけですが、あのころは全くそうでしたでしょうね。

城山 ただ、『群像』の編集長をしていた大久保房男さんの本には、予備学生の分隊に人間魚雷「回天」搭乗の募集をするといったら、ほとんどが応募しなかったと書いてある。そういうところもあったんだね。びっくりした。予備学生でかたまっていたからよかったんだろうね。そんな魚雷に乗るものかということで、むしろ志願した人が少なかったと。いろいろ理屈をつけたんだろうけれど。

藤田 『一歩の距離』は予備学生も入っていますが、大体は予科練出身ですね。

城山 知らないで、純粋な気持ちだけだからね。

藤田 そうですね。若いし世間のずるさを身につけていないしね。

城山 舞台となった滋賀県の地元の人たちが、祈念の碑をつくって下さって、琵琶湖畔の浮御堂のすぐ近くに文学の散歩道みたいのがつくられて、その中の、恐れ多くも芭蕉の句碑の近くにある。見に行ってこようと思ってるんです。

 

  ゲタばきの水上飛行機を特攻に使う

藤田 滋賀と大津の航空隊ですが、この頃の特攻志願をする若者の気持ちは非常に潔いです。それに対して飛行機も船もない、武器はほとんどないのに、どうして特攻になるんでしょうね。水上飛行機はゲタばきで、よたよたしてすぐ撃ち落とされますよ。

城山 戦争中、日本は島国だから水上飛行機を世界で一番持っていたから、みんな残っている。それを特攻に使うことになる。水上飛行機と赤トンボね、練習機です。

藤田 それで特攻精神でもって突っ込めと。あれは鍛えるということじゃなく、ただ上官のサディズムですね。

城山 そうですね。あるいは千機行って一機当たればいいとかいうことでしょうね。

藤田 一人、バッターで撲られて精神がおかしくなって死ぬ兵士がいますね。

城山 首つり自殺もいました。

藤田 正確には予科連を出てあそこに配属になった少年兵が書かれていますが、城山さんの大竹時代の体験ではなくて取材をして書かれたわけですね。

城山 はい。事実ですね。

藤田 それでいよいよ特攻の出発の期日が迫ってきたら終戦ということになる。

 

  水上特攻艇「震洋」の若い隊員を描いた『マンゴーの林の中で』

藤田 特攻機もそういう状態ですが、『マンゴーの林の中で』は水上特攻艇「震洋(しんよう)」ですね。笹の葉っぱみたいなボートにエンジンをつけ、敵艦に突入するわけですね。島尾敏雄さんが震洋隊だったんですね。島尾さんは出撃する予定だったけど、出撃前に終戦になった。

城山 ○四(まるよん)艇といって、板張りのモーターボートみたいなものに二三〇キロの爆装をしてぶつかっていく。

藤田 一人で乗ったんですか。

城山 一人か二人ぐらいだったと思うね。それが各地にたくさん配置されたんです。沖縄、南九州、あるいは太平洋側に。

藤田 この小説でも、出発はついに訪れず、ゴーサインが出る前に終戦になる。

城山 一部出撃したのはありますが、ほとんど出撃していないですね。

藤田 少しは戦果は上げたんでしょうかね。

城山 詳しくは知りませんが、そういう船だから訓練中に爆発したり、類焼というか穴ぐらに入っているときに燃えたり、いろんなことが起きていますね。

藤田 しかし、指揮官としてはジレンマを感じる立場ですね。アメリカの巡洋艦や戦艦、航空母艦を沈めることができるのか。しかも、それを自分は指揮していかなきゃならないという立場。

城山 島尾さんは指揮官として大変だったでしょうね。そういう経験があったから作家になったんじゃないでしょうか。

 

  五輪で優勝したバロン・西を描く『硫黄島に死す』

藤田 もう一つ、城山さんの戦争小説で、非常に好きなのは『硫黄島に死す』です。 昭和七年のロサンゼルス・オリンピックで馬術で優勝した西竹一、通称バロン・西が主人公です。バロンですから男爵ですが、この人は本当にダンディで、もともとは騎馬隊なんですね。

城山 そうです。騎兵隊が戦車隊に変わっていくわけです。

藤田 しかも、アメリカびいきで、アメリカにもファンがいる。それなのに硫黄島に行って、全く勝ち目のない洞窟戦争で貫通銃創を受け、最後は拳銃で自決する。

城山 オリンピックで優勝して国民的英雄になって、横浜に帰ってきたときは提灯行列で迎えられたのに、十二年経った昭和十九年七月には、北満から硫黄島に転戦するため、変わり果てた姿で横浜港から船に乗込んだんですね。洞窟から「出てこい」と言われても出ていかなかった。

藤田 これも当時、『文藝春秋』の読者賞を受賞し、反響を呼んだ作品でしたね。バロン・西は、城山さんが非常にほれ込んで書いているなという気持ちが伝わってきますが、どうですか。

城山 うらやましいというか、こういうふうに生きたかったなと。硫黄島で死ぬことは大変だけれど、それにしても男として生きがいがあるでしょうね。さっそうとして。

藤田  男の美学を持っていますね。陸軍将校でありながら、最後まで髪を七三に分けていたといいますから。あの当時みんな坊主頭でしょう。

城山 中津留大尉もそうです。頭を保護するという理由でね。それなら兵隊だって伸ばしていいんだよね。

藤田 バロン・西は幾つで亡くなられたんですか。

城山 硫黄島に向かったときが四十三歳で、翌二十年三月に死んでいます。

 

  十五歳で死んだ少年兵たち『軍艦旗はためく丘に』

藤田 それから、同じ本の中に入っている『軍艦旗はためく丘に』。

城山 十五歳ぐらいで死んだ少年兵です。かわいそうですね。十五歳、十五歳って墓がずうっと並んで……。

藤田 『指揮官たちの特攻』のように華々しい死に方ではなくて。

城山 昭和二十年八月、宝塚航空隊が淡路島の南端につくった基地に、少年兵が焼玉エンジンの住吉丸に乗って移動途中に、グラマンに襲われた。特攻要員ではあるけれど、まだ年齢が十五歳、村の人はみんな泣きながら葬ったというんですよ。

藤田 それから八編の短編をまとめた『忘れ得ぬ翼』がありますね。短編それぞれに九七式戦闘機とか航空機の名前が付いている。

城山 戦後二十五年経った時期に書いたもので、角川文庫に入っています。


輸出立国の「大義」に生きる人間を描く経済小説

藤田 冒頭にもお話しいただきましたが、城山さんの文学は戦争文学と経済小説というものが表裏一体になっている。城山さんがデビューされた『輸出』は、文字どおり企業戦士を主人公にされた作品ですが、企業戦士と特攻隊の生き方と何かつながってくるものがある。城山さんの内部ではどうでしょう。

城山 内部では同じです。さきほど言いましたように忠君愛国の大義が輸出立国の大義に変わった。組織の末端にいる人たちの人間性がどこかに吹っ飛んでいる。組織と人間というテーマだと思う。

藤田 『輸出』が文字どおり最初の小説ですか。

城山 その前の『生命の歌』というのは、海軍時代を日記風に書いたものです。これは記録に近いわけですが、小説として『輸出』を初めて書いて、投稿するよりしようがないので、『文學界』が募集していたので応募したんです。その年の三月に、たまたま城山に引っ越し、これから少し本腰を入れて小説を書こうと城山三郎というペンネームをつけたんです。

最初に投稿したのが文學界新人賞に入って、電報配達が届けにきた。「ここに城山三郎という人がいるはずだ」と。僕は風呂に入っていて、家内が「いないよね」と言うから「いや、俺だ、俺だ」と(笑)。家内は戦争のことを書いているのは知っていたかもしれないけれど、小説家になろうなんてことは知らなかった。

藤田 その前は詩をお書きになっていましたね。

城山 はい。『輸出』は次点の人と一票差だった。発表のときも次点の人と両方出ている。だけど、それを候補にしてくれたときの編集長は上林吾郎さんなんです。彼は、激戦地のフィリピンから命からがら帰ってきた人だから、兵士の苦労がよくわかる。だから、僕の書いている奥に、そういうものが見えてきたんじゃないですか。

経済雑誌ならともかく、純文学の雑誌で『輸出』という題だと、普通だったら予備選のところで落とされると思うんです。それが編集部の選考で残ったのは、編集長がいいと言えば、通ってしまうからね。僕はそのことについて、上林さんに、ついに聞くことはなかったけれど。

 

  鋭意努力した企業戦士の虚しさ『毎日が日曜日』

藤田 『輸出』は昭和三十二年ですが、二十年近く経って『毎日が日曜日』を書かれた。『輸出』はアメリカ駐在の商社マンが、終戦直後にミシンを売って歩く。本当に法の網をくぐってというか、すれすれのところで売って歩いて苦労している第一線の企業戦士のことを書いている。日本はあの当時、輸出立国と言っていましたものね。日本はそのためにだんだん経済大国になり、それで『輸出』の登場人物、主人公たちも出世をして、あちこちへ転勤したりしてビジネスマンとして栄達を遂げていくわけです。

城山 十数年たって、最後は京都支店長になる。

藤田 それで毎日が日曜日のような勤務をさせられるということで、鋭意努力した企業戦士の虚しさ。さきほどから城山さんがおっしゃっているように、組織と人間を縦軸にお書きになって、その場面が戦争であったり、経済戦争であったりする。そういう関わりのなかに生きざるを得ない男の悔しさや虚しさ、しかし、それを投げやりにはできない。あえて言うと、男の美学じゃないでしょうか。

城山 そうでしょうね。


トップリーダーのあり方を問う伝記小説

藤田 『落日燃ゆ』で広田弘毅を書かれていますが、軍部とたたかって戦争を回避しようと努力した元首相の広田が、第二次大戦後の東京裁判でA級戦犯として処刑されていく。広田は一切弁解しないですね。

城山
『落日燃ゆ』
『落日燃ゆ』
新潮文庫
そうそう。その後裁判記録が公開になり、熱心な研究者がいて、アメリカに行って調べた。そしたら広田は検事団に対しては非常によくしゃべっているんです。つまり、検事は、悪人に仕立てようと思って来ているわけでしょう。それに対して、「あれは私がやりました。あれは私が言いました。そこには私がいました」と。つまり、自分を罪人にするためにものすごくよくしゃべっている。

日本人はもともと無口だと聞いていたが、やっぱり被告たちはみんな無口だ。何かしゃべれば裏をひっくり返せるわけだから、しゃべらせようと検事団は非常に苦労した。

その中で二人だけ雄弁にしゃべったのがいる。一人が広田で、これは天皇を救うためですね。もう一人は木戸幸一です。木戸は「私はそれはしていません。そのときはいません」と否定形。自分は内大臣で天皇の片腕だから、自分が有罪になったら天皇に罪がいく。だから自分は無罪にならなくてはいかん、ということだったわけです。

天皇をかばって、無罪になりたい人と、有罪になりたい人。前者も天皇をかばうんだけど、かばうことによって自分も救われる人と自分は殺される人になっていくことは、検事調書を調べてみてよくわかったということを、研究者が書いてくれてリポートも送ってくれた。『落日燃ゆ』は書下ろしで、編集者が企画を出版部長に出したら「広田なんて誰も今は知らない。こんなもの出せるか」と。 でも編集者が「自分が頼んだから、どうしても」といって出した。いい編集者がいるといいね。つい最近その話を聞いたんです。

 

  トップ・リーダーがよければ中間管理職は安泰

藤田 それと、『粗にして野だが卑ではない』とか『雄気堂々』など、石田禮助や渋沢栄一ら財界の人物を取り上げた作品がありますね。

城山 そういう組織のリーダーの、極めて人間的魅力のある人はぜひ書きたい。部下としては安心してついていける。だから、さっき言われたバロン・西だって、卑しくないし、人間的魅力があるでしょう。そういう人が上官だったら、死んでもいいという気になれる。石田総裁についた人も幸せだったと思うね。

藤田 中間管理職じゃなくトップリーダーですね。

城山 そう、トップリーダーがしっかりしていれば、全部いいわけだからね。中間管理職がよくても、トップリーダーが悪いと、中間管理職が苦しむ。指揮官クラスが苦しむんだけど、リーダーさえよければ安泰ですよ。リーダーが悪かったら全部だめですね。 だから、リーダーの責任が重いから、リーダーたちの生き方やありようというものを機会があれば問い続ける。それが政財界人のことを調べたり、会ったりすることになっていったんです。

だから偉い人の伝記を書くということじゃないんです。組織にとってリーダーが大事だから、どういうふうにリーダーに振る舞ってほしいか、むしろ注文をつけるような形で書いているんです。

伝記を書いていると、「伝記屋さん」と言われるんだってね。僕は知らなくてね。そしたら東大の左翼系の有名な学者が一冊の本を出した。その中に城山さんの伝記のことを書いてありますよと言われた。見せてもらったら、弟子たちから、イギリスは伝記文学が発達しているのに日本にはありませんねと言われ、その先生が「いや、城山三郎がいる」と一行だけど書いてあった。

そうか、こういう全然畑違いの人にちゃんと理解してもらえるのかと思って、それはうれしかった。

そういう意味では、作家は幸せだね。誰かが見ていてくれますからね。
編集部 今日は、どうもありがとうございました。




 
しろやま さぶろう
一九二七年名古屋生れ。
 




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