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481平成19年12月10日発行

[座談会]翻訳家が語る 古典「新訳ブーム」 – 1面

東京大学文学部准教授 翻訳家・野崎 歓
翻訳家 エッセイスト・鴻巣友季子
ライター 本誌編集委員・青木千恵

右から、鴻巣友季子氏・野崎 歓氏・青木千恵氏

右から、鴻巣友季子氏・野崎 歓氏・青木千恵氏

はじめに

青木去年あたりから「新訳ブーム」と言われています。村上春樹さんの新訳でサリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が2003年に白水社から、今年、チャンドラー『ロング・グッドバイ』の新訳が早川書房から刊行され、話題になりました。また「いま、息をしている言葉で、もう一度古典を」をキャッチフレーズに昨年9月から刊行が始まった光文社古典新訳文庫が多くの読者の手にとられ、亀山郁夫東京外国語大学学長が新訳した『カラマーゾフの兄弟』は、全5巻で30万部超の売れ行きだそうです。

本日は、フランス文学研究・翻訳のほか、映画・文学評論、エッセイなどを幅広く手がけていらっしゃる東京大学准教授の野崎歓さん、英米文学翻訳家でエッセイストの鴻巣友季子さんにご出席いただきました。

野崎さんはサン=テグジュペリの『ちいさな王子』などを新訳され、今年9月、スタンダール『赤と黒』の上巻を光文社古典新訳文庫から刊行されました。

鴻巣さんは、2003年にE・ブロンテ『嵐が丘』(新潮文庫)の新訳を手がけて話題を呼び、今秋刊行が始まった河出書房新社の『世界文学全集』では、ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』の新訳に取り組まれているそうです。

エッセイストとしても、野崎さんは『赤ちゃん教育』(青土社)で2006年に講談社エッセイ賞を受賞され、鴻巣さんは『翻訳のココロ』(ポプラ社)、『明治大正 翻訳ワンダーランド』(新潮新書)、12月には『やみくも』(筑摩書房)刊行と活躍中です。

海外の作家の文章を訳す翻訳家の仕事と、ご自分の文章を書き起こすエッセイストの仕事とでは、どんな違いがあるのか、新訳ブームについて、翻訳、エッセイの仕事とは、文学の面白さ……など、ざっくばらんにお話いただければ幸いです。

時代が古典を新たに求める動きが

『嵐が丘』・表紙

『嵐が丘』
E・ブロンテ/鴻巣友季子訳
新潮文庫

青木今の新訳ブームについて、どのように思っていらっしゃいますか。

鴻巣私の中での新訳ブームは、去年からというよりは、もうちょっとさかのぼって、私の『嵐が丘』の新訳と『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の村上春樹さんの新訳が同じ2003年に出たんですが、それよりも前にヘミングウェイの短編新訳とか、メルヴィルの『白鯨』の千石英世さんの新訳とか、布石がたくさんあったんです。全体的には20世紀から21世紀の変わり目あたりに、『ユリシーズ』の新訳が出たり、プルーストもかなり原典を意識した改訳が出たりして、原点回帰の潮流があったと思います。

今、現代作家の翻訳は超スピードで、翻訳家の方は、へたをすると作家のタイプ原稿で翻訳を始めて、アメリカで原著が出るころには世界同時発売されるような、先へ先へと行くものすごく早い潮の流れがあるんですが、同時にゆっくり、古典の名作に改めて目が向くような、戻り潮みたいなものを私はこの10年ぐらい感じていたんです。

だから新訳ブームは私にとってはものすごく自然だし、光文社の古典新訳文庫は、そのブームの大きなエネルギーの最後の起爆剤というか、それで火がついたというようなイメージがありますね。

野崎潮というのはすばらしいイメージです。僕も、特に現代作家の翻訳をするときは、これが今一番新しいんだという勢いで、つまり、潮の一番先だと思っているけれども、確かに引き潮というのもあって、もう一度、足元を見直すということなのかもしれない。

同時に作品自体も絶えず発見されずにはいない性格というか、それぞれの時代が古典を新たに求めるという動きが明らかになってきているんだろうなと思います。「古典には読んでもらいたがっている部分がある」というのは、まさにそうですね。

鴻巣ええ、『翻訳のココロ』にも書いたのですが『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の村上さんの訳を読んだときに、時代が求めるというより、何か本のほうで読まれたがっている部分がグーッと出てくるイメージがあったんです。それがこの新訳の場合は、ちょっと神経症っぽい語り手のトーンだったということだと思います。

読みやすさや親しみやすさを求める今の翻訳

野崎前の世代は、古典に対する非常な愛情と尊敬に基づいて、学問的に精密に追求した、研究者たちのライフワークの一本の柱として翻訳というものがあったわけです。日本の翻訳はかなりのレベルだったと思いますが、それプラス読みやすさとか、言葉の親しみやすさを求める姿勢があるんじゃないか。それがどんどん強まってきているんじゃないかと思う。もう一度我々も、真っさらな読者とつながる回路を探さなきゃならないという意識はあるんです。読者が、従来の学識ある人たちの権威ある訳からもう一歩進んで、自分たちのほうに近づいてくれる訳を求めるのは当然なことだと思います。

鴻巣「本当の姿を見たい」という欲求じゃないかと思うんです。堀口大学の翻訳は、難しいけれど、そこにギューッと凝縮された文学観があって、みんなそれに惹かれて読んだ。でも、本当は何を言っているんだろう。読者が、もっと明快に見たいという素直な欲求をぶつけてくるようになったんじゃないですかね。

野崎そういう欲望が新訳を支えているんだと思いますね。もともと古典というのは意外にシンプルに書かれているもので、それが長い命の秘密でもあると思うんです。

ただ、外国文学の場合は、そこにある種のオーラを付加することによって、ありがたみを増した形で読んでいた。そういう時代が結構あった。

鴻巣「翻訳書は3割増し」という言い方があるそうで、原文で読むより3割ぐらいありがたく聞こえる。もう一つ言語を通しているので、ある意味、回りくどいということなんですけど。(笑)

野崎なるほどね。僕のやっているのは3割を戻しちゃう作業みたいなのが多い。王様を裸にしちゃうみたいな側面もないわけではなくて。

新訳によってその時代の語り口をつくっていく

青木それまではちょっと上から教わるみたいな、いかめしい訳だったものが、新訳は読みやすく、エンターテインメントとして面白く読めるようになっていますね。

野崎ある意味でそれは健全なことです。近代小説は要するに娯楽ですから、面白く読めなかったものは生き残っていないはずなので、まずは、それが一番大事ですね。誰に言われなくても手が伸びるとか、小学生でも夢中で読んで記憶に残るとか、それが大事なのであって、そのための後押しをしたいなという意識は、我々みんな共通に持っていると思います。

そもそも、日本語というものが、翻訳とは切り離せないものだし、日本の文化もそうで、外国的なものとの触れ合いの中で、これだけ生き生きとした文化が生まれたわけだから、そのことは誰しも、多少なりともきっと意識しているんだと思うんです。

だからこれだけ新訳がブームになるということは、逆にそれがまた日本語への刺激にならないと意味がないということになるんだろうけど、鴻巣さんの『嵐が丘』がそういう意味では非常に先駆的だったと思う。最近は、語りという意識を非常に強く持っている訳が多いと思うんですよ。

単なる勉強のテキストで一文一句を写していくというのではなくて、何かそれを活気づけている息というか、声がある。そこに鴻巣さんは着目して『嵐が丘』を生き返らせたわけだし、その時代の語り口をそれでつくっていく。こういう新しい訳によって文学の面白さが伝わるということは、同時に文学というのは語りかけてくるものなんだと、そこのところがリアルに感じられるといいんだろうなという気がします。

鴻巣今、18世紀、とくに19世紀の古典が好まれるのは、このころの文学には声があったんじゃないかと思うんです。20世紀の英文学は、例えばウルフにしても、ジョイスにしても、語り手の声というものが失われた時代だったようなんですね。実はみんな、そろそろ語りの声をもっと生々しく欲し始めていて、それが翻訳を通して出ている感じがします。沼野恭子さんの『初恋』の新訳はすごく新鮮でしたよね。

野崎どきどきするような訳になっていましたね。

鴻巣「です」「ます」の語りかけ調で訳すというのはコロンブスの卵みたいな発想の転換で、『初恋』という作品があれだけ生き生きとよみがえる。何かまた語りの時代が戻ってきつつあるのかなと思いました。

難解語で訳された『異邦人』は『よそもの』に

左:『カミュ『よそもの』きみの友だち』・表紙/『ちいさな王子』・表紙

左:『カミュ『よそもの』きみの友だち』
野崎 歓
みすず書房
右:『ちいさな王子』
サン=テグジュペリ/野崎歓訳
光文社古典新訳文庫

青木カミュの『異邦人』、サン=テグジュペリの『星の王子さま』などは邦題自体が旧来のファンに親しまれていたと思いますが、野崎さんはそれぞれを『よそもの』、『ちいさな王子』と、あえて新題を採用して新訳されましたね。

野崎原作のタイトルから言えば、『ちいさな王子』は誰が考えてもそういうタイトルになりますが、なぜか誰もしないので、僕は、どうしてもやりたかっただけなんです。中条省平さんは、ジョルジュ・バタイユの『眼球譚』を『目玉の話』にした。

鴻巣あれも目からウロコでした。

野崎あれも、真実の姿は『目玉の話』で、そのほうがわかりやすいし、ストーリーにも合っています。カミュの『L’Étranger』も『異邦人』では今の若者にわかってもらえないというところから始まった。日常で「異邦人」って使いませんからね。「étranger」という単語は、基本単語中の基本単語で、それをわざわざ難解語で訳していたんです。だから僕は、とりあえず『よそもの』とした。これにはかなり抵抗があるようで、いくら何でも余りに神話力がないんじゃないかという向きもあるようです。でもぼくとしてはそうやって、もう一度さらに透明な形でカミュをとらえてみたかった。

定着している『嵐が丘』の題名は変えられなかった

『恥辱』・表紙

『恥辱』
J・M・クッツェー/鴻巣友季子訳
ハヤカワepi文庫

野崎一方で、いまだに村上さんの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の影響力がすごくあって、訳さないタイトルがありますよね。最近新訳が出たチャンドラーの短編集は『雨の殺人者』が『キラー・イン・ザ・レイン』。チャンドラーも『ロング・グッドバイ』は「長いお別れ」でいいと思うしね。だから、よくぞ『嵐が丘』で訳してくれたという感じですよ。

鴻巣『ワザリング・ハイツ』では、出しにくい。どこのマンションですか、という感じになってしまいますよね(笑)。ここまで名訳が定着していると、題名を変えるわけにもいかなかったんです。

野崎逆に、やっぱり意地でも訳したいところもある。

鴻巣そうですね。

野崎鴻巣さんは、マーガレット・アトウッドの『昏[くら]き目の暗殺者』なんて、すごく意地が感じられますね。

鴻巣『The blind Assassin』ですけど、ブラインド、要するに盲るという字の使用は、かなり神経を使うんですよ。日本語の場合は差別用語問題にひっかかりますので、タイトルにはつけられないんです。原題を全く離れた邦題も考えたんですけど、内容にかかわってくることなので、ブラインドということを何かの形で伝えないとまずい。

『昏き目の暗殺者』・表紙

『昏き目の暗殺者』
M・アトウッド/鴻巣友季子訳
早川書房

実はそのころ、『心の昏き川』とか、「昏」を使ったミステリーが幾つか出て当たっていて、早川書房はミステリーの出版社なので、それで通してくれたんです。

野崎鴻巣さんは『恥辱』なんかも、ごまかさずに訳すぞという気迫をものすごく感じる訳文ですよね。本当にそこは立派だと思います。

昔の翻訳に畏敬の念を覚えることも

鴻巣よく、旧訳の影響というのが翻訳者の間で話題になるんですけれども、例えば『異邦人』だったら、誰でも知っている「きょう、ママンが死んだ」という、冒頭のあの一文から逃れるのはなかなか大変ですよね。

野崎訳はどのようになさったんですか。

野崎「きょう、母さんが死んだ」です。何ともあっけないんですが(笑)。「ママン」は敗戦数年後の翻訳で、みんながフランス文学に非常にすばらしいものを期待していたから、しゃれて思えたんでしょうね。でもフランス語としては少しもおしゃれなんかじゃない。「おかん」だっていいんですよ。

鴻巣「ママン」というだけで何かきらめきますよね。いきなりね。

野崎そうなんですよ。だから、それをつぶしていいのかということもあるんですが、どうせ新しくやるんだったら、もう一度真っさらなところからやり直そうという発想でいくしかない。

鴻巣でも、「おかん」でも「母さん」でも、新しい、別の質のきらめきというのは出てくるんじゃないかなと思うんです。

野崎そうですね。ただ、この話を始めると揺れる気持ちになるんです。過去の名訳のすばらしさは決して否定できませんから。昔やった人たちに畏敬の念を覚えます。

今出ている岩波文庫のスタンダールの訳者たちは、それぞれせいぜい30歳ぐらいでの仕事なんです。今30歳であれだけのしたたるような、美しく香り高い日本語を書く人間はいないでしょう。しかも、僕は50近くになってもそれができない。

だから、打ちひしがれる思いと戦いながらじゃないと新訳はできないということもありますね。それは単に僕の責任ではなくて、日本語がそういうふうになっているということもありますけれど。

だから、これまでに全然訳のない新作を訳すときに比べて、古典新訳は精神的にも負担ですね。

新訳は後出しになればなるほど大変になる

鴻巣旧訳はお読みになりますよね。

野崎参考にしますよ。

鴻巣全く読まないという方もいらっしゃいますね。私は結構いろんな版を集めて、もちろん緻密にではないんですけど、読むんです。既訳を知らないで訳して、後で見たら、それと一言一句違わない文章を書いている部分があって、本当にうろたえるという野崎さんのお話を拝読して、私も同じようなことがあったので、新訳をするときの戸惑いとか驚きというのは結構似ているんだなと思いました。

野崎すごくいい訳ができたぞと思って、旧訳を開いてみると同じだった。これは旧訳から新訳へという挑戦をしているときに、一番心臓に悪い瞬間ですね。

変えるか変えないかという問題が生じる。鴻巣さんはどう解決しますか。無理にでも変えたほうがいいのか。

鴻巣翻訳は、技術から成り立っている部分ももちろんありますから、技術理論上は100人同じ答えが出ればバンザイなんだけれど、文学という領域で考えると、訳者が過去の伝統から逸れる意思を持ったときに、初めて創造の分野に足を踏み入れるんじゃないかなと考えているんです。行って帰って、行って帰って、結局、既訳と同じ語になる場合もあります。そんなことは100回もあるんですが、だけどその間、一応奮闘することが大事で、奮闘なしに書いてしまった訳語と、何がしかの紆余曲折を経て書いたものとでは、多分周りの文章も少し違ってきているのではないか。戦うことに意味はあるだろうと思うことにしています。

野崎僕も、そのままにしたり、あるいは意地で変えたりというときもあります。誰かがすでに道をつけているものの翻訳は、確かにいろいろ考えるファクターが多いですから、その気苦労というのはちょっとありますね。いわんやそれが『嵐が丘』ということになったら……。

鴻巣後出しになればなるほど大変になるという部分があります。

野崎でも、同時に解釈の点で揺るぎないものに近づいていくという道ですから、そこに参加できる喜びは大きいですね。

古典新訳は壮大な交響曲に参加している感覚

鴻巣古典新訳をやっていると、一人で訳しているという感覚がなくなってきます。それまでにも数々のインタープリテーションはあったわけだし、これを演奏した音楽家なり、指揮者も山ほどいるわけです。そこに自分もちょっと加わらせてもらう。

野崎まさしく、同感です。

鴻巣壮大な交響曲の中で自分もワンパートをやっている感じで、自分で書いているとか、訳しているという気分じゃなくなってきて、大げさですが、『嵐が丘』ぐらいになると、今までの時代の積み重ねや、文学の伝統の中で、書かせていただいているというぐらいの気持ちになることもあります。

野崎新訳というのは、それが出たら過去の訳は全部廃版になってしまうというものではなくて、積み重ねていくうちの一つの石なんですね。だから、逆にすごく縦の共同体を意識します。最初に訳した人はどんな人だったのかなとつい調べたり。そういう点では、自分一人で勝手に訳しているというのではなくて、共同作業だという気がします。

鴻巣古典だと原作の作家はほとんど死んでいるし、既訳者ももう他界されている方が多いんですけれども、それでも何か共同作業的な部分を感じますね。ほかの方の訳を読むのは勉強にもなりますし、こうだと思っていたのが、人の訳を読むとやっぱりちょっと揺れる。でもその揺れは、体をストレッチしている感じで、結構いいみたいなんですね。だから、たまにほかの方の訳をポンポンと自分にぶつけてみると、いいことがあるんじゃないかなと私は思っているんです。

野崎全く既訳のないものを訳すのは、自分勝手で楽しいんだけど、ほかの解釈との対話という余地がないから、孤独ですね。そういう意味では旧訳を読むことは訳者自身にとっては非常に豊かな体験であるかもね。

鴻巣そうですよね。

ジュリアン・ソレルの30年後の語り口を読んでみたい

野崎僕はスタンダールの訳は、昔お訳しになった先生がまだご存命なので送ったんです。送るときは緊張しましたけど、すぐはがきをくださって、よく頑張ったみたいなことを言ってくださった。

だから、僕も30年たって新訳が出たらはがきを出したいなと思いました。(笑)

実際僕としては、昔の日本語ほどの迫力もないし、そもそも単に好きだからというだけで、訳す資格などあるのかと考えると、疑問は果てしないわけなんですが、逆に言うと、昔の人には今の日本語は使えないから、こういうふうには絶対に訳せない。だから同じように、僕は主人公のジュリアン・ソレルの30年後の新しい語り口というのも本当に読んでみたいんです。

ただ同時に、書評家の人がすぐ読んでくれて「今までの作品と全然違う。こんなに読みやすいとは」と言ってくださったのはうれしいけれど、今までのだって全然悪くないよという気にもなる。それは今の日本語だからそうなのであって、別に訳のよしあしではないんだという部分もあるんですよ。

鴻巣読みやすさを強調されると、ちょっと考えてしまうことがありますね。

1830年の話なら18歳で「わし」と言ったかもしれない

『赤と黒』・表紙

『赤と黒』
スタンダール/野崎 歓訳
光文社古典新訳文庫

野崎近代小説の始まりと言われる『赤と黒』は登場人物の行動を描くだけでなく、同時に魂の中で何が起こっているのかを窓を開いて見ているような小説です。ジュリアン・ソレルが頭の中でぐちゃぐちゃ考えるのを、窓をあけて非常にクリアな光線をそこに投じている。表にあらわれない魂の葛藤を我々は共にすることができる。ですから独白がとても多いんです。

ジュリアン・ソレルは野心のかたまりで、同時に小心者で、傷つくのが怖くてしようがない子供でもある。その人物が内面で考えている様子をどう描くかというのがすごく大事になってきますね。

鴻巣ジュリアン・ソレルの人物の造形が今までと感じが違いました。

野崎僕が中学、高校のころ、1970年代ごろの訳ではジュリアン・ソレルが「おれ」なんです。僕は日常でも「おれ」を余り使わないせいもあるんだけど、割と意識的に避けている言葉ではあるんです。もちろん使ってはいけないという一般論ではないんですが、ジュリアン・ソレルは、乱暴者の一家の中で線の細い細い、女の子みたいな子なんです。

鴻巣改めて読むと、可憐なんですよね。ジュリアン・ソレルに共感する魂を、野崎さんは持っていたんだって思いました。

野崎もうちょっとかわいくしたかった。そっちの方向に演出したんです。自分寄りにしちゃったということなのかもしれないけど、だからといって、別に「ぼく」じゃなきゃならないというわけは毛頭ないんですよ。僕の責任でそうしただけです。

『赤と黒』の最初の全訳は大正5、6年、いわゆる円本全集というのが新潮社から出て、世界文学の大ブームを起こしたときに出たんです。僕は今回その本を買って、参考にするというものではないけれども、手元に置いていたんですよ。それは18歳のジュリアン・ソレルが「わし」になっている(笑)。いかにも時代を感じるけれども、でも逆に言えば、これは1830年ですから明治以前の話で、フランシュ・コンテという山の中の製材所の息子ですから当時としては「わし」ぐらいで上等だと思うんですよ。

鴻巣もう立派に働いて、一家を支えるぐらい。

野崎本当はそうなのかもしれない。ただ、我々がそれを受け継ぐというのは、かなりは演出ですものね。だからジュリアン・ソレルはどんどん1830年の少年ではなくなっているのかもしれないということはありますね。

今の言葉で書かれ解釈が進むと透明感あふれる訳に

鴻巣『嵐が丘』でも、年齢の計算が違うところがあるんですよ。「おまえは一生かかってもおれの1日分も愛せない」みたいな意味で、ヒースクリフが「80年かかってやっと俺の1日分しか愛せやしないさ」と言う。現在だと80年って微妙ですよね。実現不可能なことを言っているんでしょうけど、やろうと思えばできそうな年月だし。

舞台がヨークシャーの非常に不衛生な地区で、当時の寿命が30歳に満たないぐらいなんです。今の日本の恐らく3分の1弱。つまり80かける3で、「250年かかっても」というぐらいの大言壮語のつもりなんだろうと、私は考えたんですが、年齢感覚って難しいですよね。ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』に、30過ぎのオールドミスが出てくるんですけど、旧訳だとオールドミスをそのまま訳して「老嬢」ですね。さすがにそれは現代訳ではできないかなと思いますね。

野崎僕は、鴻巣訳で『嵐が丘』を読んだときに思ったのは、やっぱり透明感あふれるというのか、要するに解像度が増しているんですよ。それは今の言葉で書かれていることと、解釈が進んでいることの両方がうまく結びつくとそういう訳になる。その瞬間に一般の読者としては、古い訳よりもこっちがいいと感じる部分は確かにあるなと思ったんです。

翻訳もエッセイも使う頭の筋肉は同じ

『赤ちゃん教育』・表紙

『赤ちゃん教育』
野崎 歓青土社

青木お二人とも翻訳をされて、エッセイも書いていらっしゃいますが、仕事としては全く別のものなんですか。

野崎翻訳エッセイの名著といえば、『翻訳のココロ』の鴻巣さんにぜひ。頭の使いどころは違うのかな。

鴻巣私は、今やっている自分の活動は、翻訳と、評論というか書評と、エッセイと大まかに分けられて、前は別だと思っていたんです。自分でものを書くことは、何か頭の筋肉の使うところが違うと言っていたんですが、最近意外と基本は一緒かなという気がしますね。

翻訳は、1行、1行が解釈の連続ですから、批評の連続みたいなことなんですよ。それを訳語ではなく自分の言葉で書いているのが書評で、私のエッセイの場合、割とクリティークというか、批評の色合いの強いものが多いので、やっぱり翻訳の頭の筋肉の延長でやっているのかなという感じが、最近はします。

野崎そもそも翻訳家は、二つの言葉の間をコウモリのように飛び交っているわけですよね。要するに、ある意味では場所がない存在だと思うんです。だからむしろ、いろんなことをやるのには向いているんじゃないかなという気がするんです。

翻訳をしていると、やっぱり疲れるときもあります。どうしてこういうふうに書いてくれないんだろう。スタンダールが書いているんだから僕が直せないのはわかっている。でも、これは矛盾しているじゃないか。こう書きたいのに絶対書けないんだな。ああーと思うことがあります。そうすると、別の原稿を書くのは一種の逃げ場になるんです。今度は好き勝手に書いていいんだからって安心して書ける。

いろんなチャンネルを持たせてもらえることは、非常に得だと思いますね。たまにはガチガチの論文も書かなきゃならない。すると、またちょっと赤ん坊のことでも書こうかなという感じになる(笑)。

鴻巣『赤ちゃん教育』は本当に名著だと思います。

なんでもやみくもにやってしまうのは翻訳家の気質

『やみくも』・表紙

『やみくも』
鴻巣友季子筑摩書房

野崎鴻巣さんがエッセイに書かれている、『嵐が丘』と格闘なさっていたころのことは、翻訳家なら誰しも共感すると思う。訳文自体は最後までテンションとエネルギーの高い文章で、しかも透明感あふれているけれども、内幕は大変ですよね。

鴻巣ぼろぼろです。救急車で運ばれたりとか、いろんなことがある。ばかですよ。

野崎命をかけていますよね。すさまじいですよ。

鴻巣初めてやる新訳でしたし、年齢もまだ若かったもので異様に緊張しました。

野崎そうですよね。緊張はあったと思います。ご本を読むと、どうしてそこまでして翻訳するんだろうというのはありますね。

鴻巣本当に翻訳者って。今度のエッセイが『やみくも』というタイトルなんですが、何でもやみくもにやってしまう気質というのがあって、割と、翻訳者って多くないですか。何か一つやり出すとどこまでもやってしまったり、調べものなんかも、ちょっと調べればいいようなことを興味が出てくるとずるずる、そして知らないうちに取材旅行にまで行っているみたいな、そこまでやらなくていいんだというやみくもなエネルギーというのが、私を何か引きずり込むところがある。

野崎僕も来年、翻訳エッセイみたいな本を出すんですけれども、『翻訳びくびく日記』というんですよ。

鴻巣いいですね。

野崎僕は「やみくも」というのは、有能かつ誠実な翻訳家の標語とすべきものだと思いますね。

鴻巣愚直なまでにやるみたいな。

野崎そうそう。最終的にそれがすごく物質的なものとか、あるいは名誉となって返ってくるものでもないし、やらないほうが楽に決まっているんですよ。でも、終わったらすぐ次のをやろうというふうになっちゃうでしょう。

鴻巣性こりもなくというのは、このことだという感じがしますね。

「名訳家」という言葉があるのは日本だけ

野崎いろんな言葉の連続の中を生きることができるというのは、ぜいたくなことだと思うし、同時にそれは日本に生まれたよさですね。ほかのどこの国に行っても、それはないと思うんです。僕はトゥーサンの『浴室』を訳したのが最初で、ちょうど30のときでしたけれど、なぜか割と売れた。そうしたら翻訳だけじゃくてエッセイとか、いろんな依頼が来るじゃないですか。

翻訳をやることは、日本ではある意味でそれだけの価値を認めてもらっているわけです。思ってもいなかった扉がどんどん開いていくのは、僕には本当にびっくりでした。

鴻巣世界じゅうの村上春樹翻訳者が集まるというシンポジウムで、韓国の金春美[キムチョンミ]さんという翻訳家に、「日本の翻訳家というのは地位が高くて恵まれていますよ。だって“名訳家”という単語があるのは日本だけなんだから」と言われて、確かにそうだな、と。翻訳が認められるというか、たまたま訳した本が売れると、それは別に翻訳者の力ではなくて、もともと原文が力を持っているんですが、それでもいろいろ声を出す機会を与えてもらえる。こういう座談会の場があり、「ものを書いてみませんか」と言うオファーがある。それは私もちょっとびっくりしました。

鴻巣友季子さん

鴻巣友季子さん

私は、役者で言ったら大部屋時代が結構長いんです。とくに下っぱの職業翻訳者は、来た仕事はだいたい何でもやらなくちゃいけない。その人に合わせて本を持ってきてくれたりはしないんです。それが、何かで少し認めていただけると、役者で言えば役がつくんですね。ちゃんと名前のある役をいただけて、その人に合った本を持ってきてもらえたり、こちらから本を持ち込んだりできる。そこの違いは結構大きいと思います。

少女時代の文学体験から自然に翻訳家に

青木鴻巣さんは、文学が好きでこの世界に入られたということでしょうか。

鴻巣そうですね。

野崎少女時代に、翻訳書をむちゃくちゃ読んでいた。文学少女だったんだ。何でも読むという感じですか。

鴻巣文学少女、何か暗いですけど、結構本の虫だったんです。でも、日本の作家は全然読めなかった。

野崎翻訳のほうがずっと好きだった。

鴻巣そう。へんてこな訳なども多いんですけども、へんてこさ加減がぐっとくるみたいな部分があってね。小学校のときから、翻訳書一本やりだったんです。スタンダールの『赤と黒』なんか読んでました。

野崎それは興味深いな。鴻巣さんはさんざん文学を体験していて、それがあったから、自然な形で翻訳者になったということですね。

鴻巣よく言うんですけれど、ギター小僧がギタリストにあこがれて、とうとうギタリストになっちゃったという感じですよ。私のあこがれというのは、それと同じようなレベルの感じですね。

野崎じゃあ「翻訳家になりたいんですけどどうすればいいですか」というのは、かったるい質問だと思いませんか。そんなもの勝手になれば、という感じでしょう。

鴻巣きょうからなってもいいんだよって(笑)。別に誰にことわる必要もないし、免許皆伝とかもない。「翻訳家です」という看板を上げればいいだけです。

野崎それはいい。すばらしい答えだな。あと僕は、翻訳書読むのが大好きな人間じゃないと、翻訳家にはなるべきじゃないと思うんです。

自分の母語との衝突なくして真の理解はない

鴻巣80年代あたりからだそうですが、翻訳学校に行く人たちは、だいたい文学よりも、まず語学が好きなんです。実際優秀だし、原語読解も抜群にできて日本語もセンスがいい。得意の英語を生かして、何か自分探しという感じで、翻訳家を目指す。だけど「どんな作品が好きなの」と聞くと、意外と本は読んでいない子が多くて、それを先生が嘆いたりするんです。私は英語はできなかったわけじゃないですが、それより、文学が好きというほうが強かったですね。20歳そこそこのころから、やるんだったら古典名作の域のものを訳したいと思っていました。

『われわれはみな外国人である』・表紙

『われわれはみな外国人である』
野崎 歓五柳書店

野崎さんは『われわれはみな外国人である』で、今ダイレクト・メソッドということばかり喧伝されて、何でも原文で読みなさいとか、英語だったら英語で考えなさいと言われることを、ちょっと待ってと言っていて、私はその章に感動しちゃったんですが、そのとおりだと思いますよ。自分の母語との衝突なくして真の理解はあり得ないというお話でしたよね。

野崎ダイレクト・メソッド式に留学して帰ってきた人が、日本語力が全くなくて使いものにならなくて悩むという例が結構ある。それはほんと大変なんですよ。

鴻巣この間、これも古典新訳のブームに乗って出たのかなとおぼしき本の訳者が、私は小学校の何年間かをアメリカで過ごしたので、英語文学は全部原文で読む癖がついてしまいました。だからこの作品に関しても、旧訳、既訳は読んでおりません。それどころか、英文学に関しては翻訳ものはほとんど読みませんと、非常に得々とした調子で書かれていたんです。

私は、ちょっと違うんじゃないかなと思ったんです。翻訳者というのは、技術者であり、かつ文学者であるはずなのに、自分が今度新訳を出す作品が、これまで日本でどういう受容のされ方をしてきたかということに全く興味が引かれないということ自体がどうかなとも思ったし、ものを読まないということを自慢げに言っているのもいかがなものなのかと。

原作に新鮮な水を注ぎ、生き返らせる

鴻巣翻訳すると原文が死んでしまうみたいな言い方をよくする。翻訳者がこんなことを言うのは僣越かもしれないんですが、偉大な文学って翻訳したぐらいでは死なないと思うんです。

野崎言葉の底力が本当にその瞬間あらわれる、翻訳してこその文学だということですね。

最終的に日本語があるということのありがたさを、翻訳をやっていると感じますね。日本語で表現できることがすごくうれしいし、翻訳というのは日本文学なんです。もちろん、作家が小説を書くのと同じ形態ではないかもしれないけれど、読む人にとっては全部日本語なわけで、日本語を豊かにするということだと思います。

鴻巣『われわれはみな外国人である』のサブタイトルにも、翻訳は日本文学とちゃんと書いてありますね。

野崎ただし、訳者が作家ほどえらいといばるつもりはありません。我々がむさぼり読んでいたころ、訳は誰だろうなんて思わずに、ただ面白くて読んでいた。

鴻巣そうですね。なかなか目が向かなかったですね。

野崎でも、最終的には、やっぱり日本語の体験ですよね。だから、英語ができるから翻訳ができて、自分の翻訳は間違いないんだというのは見当違いだと思わざるを得ないですね。

いい翻訳を読むと、原作というのは一種、器みたいなもので、そこにまた新しい新鮮な水を注ぐことができるみたいな感じがしますね。新しい言葉に触れているんだなと、一般の小説以上に翻訳のほうが感じさせてくれる部分もあるのかもしれないです。

鴻巣柴田元幸さんに聞いたんだと思うんですが、イギリス人の学者たちが日本人に「日本人はいいよね、シェイクスピアが翻訳できて」と言った。私はこの言葉がすごく好きなんです。英語で書かれたシェイクスピアは一種類しか持ちようがないけれど、日本人は無限にバージョンを持てるというこの幸せ。

野崎ゲーテが、自分の詩がフランス語に翻訳されたのを読んで、すごく喜んで書いた詩があるんです。自分が摘んできた花を花瓶に入れておいたら、だんだんしおれてきたけれども、きょうそれがまた新しい水の中に差してもらって、きれいに花を開いた。

野崎 歓さん

野崎 歓さん

それが翻訳の一番すばらしいところだなと思います。ある意味で一度言葉の壁を越えるということは、その原作がそこで死ぬということでもあると思う。通じないわけですから、日本人にフランス語のテキストを持ってきても、それは何の意味もない。でも、翻訳によってそれを生き返らせるというと、ちょっと大層過ぎるかもしれないけど、そういう営みでもあるんだろうなという気がします。

鴻巣一度死ぬというのは格好いいですね。でも、そんな感じがします。

異質のものを体験できるような本を届けたい

青木お二人とも、とにかく次から次へと訳したいというお気持ちですか。

野崎翻訳って、ちょっと中毒的なところがあると思いますね。なぜだかわからないけれど、またやりたくなってしまう。それと、翻訳というのは、やっている間、自分が立派な暮らしをしているような気がするんです。

鴻巣作家の方が、翻訳の仕事をすると、達成感というか、非常に生産的なことをやっている気持ちになるので、とてもうれしいと言っていました。

野崎きょうは3ページやりましたとか、誰かに報告しているみたいな感じで、なんだか、人生、正しい方向に行っているような錯覚をするんですよ(笑)。

ただ、一つは、自分が夢中でいろんな本を読んでいたころの記憶というのがずうっとあるので、何かいろんな本をみんなに届けたいということなんでしょうね。

90年代半ばくらいから、書店の翻訳書の棚はどんどん小さくなる一方ですよね。僕なんかの世代は、見る映画は洋画、聞くのは向こうのロック、そんな時代だった。それがいつの間にかJものばっかりになっていった。

鴻巣洋楽ヒットチャートなしでJポップばっかりという感じですか。

野崎そうそう。そういう舶来品が必要なくなった部分もあるんだろうと思うけれども、ちょっと寂しい。異質のものを体験したいというのが全然なかったら、つまらないな。そういう意味で我々の役目はまだまだあるんだろうなと思うんです。

鴻巣そうですね。

青木どうもありがとうございました。

野崎 歓 (のざき かん)

1959年新潟生れ。

鴻巣友季子 (こうのす ゆきこ)

1963年東京生れ。

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